アンタクヤに向かう途中、山沿いに寝床を見つけてさっそく
夕飯の支度に取り掛かった。
日も暮れてほとんど真っ暗になったそのとき、「JANDARMA」といわれる
トルコ軍隊の車がいきなり目の前でとまり、
ブルーのベレー帽をかぶった軍人が車の中からぞろぞろと出てきた。
その数10人あまり。
全員機関銃を持っている。
その中のボス風の人が何か言ってるけど、何せ言葉が通じないので
どうしていいか分からない。
結局ボスが英語が話せる他の軍人に電話をしてマーカスにかわると、
即刻ここから退去しろとのことだった。
ただの山のふもとだったんだけど、ここはまだ東南部の地方の村で
PKKがどこかに潜んでいるかもしれないから、危ないというのだ。
数年前にPKKによる外国人の拉致事件があってから、警備の目も
一層厳しくなりつつあるようだ。
ここは村が近くにあるし、さっきから通りかかる地元の人にもちゃんと
挨拶してるし、平和そのものな雰囲気がある土地なのに
どうしても移動しなくちゃならないらしい。
だけど、焚き火の上で炊いているピラフを途中で終わらせるわけには
いかず、移動はピラフ待ちとなった。
軍人も焚き火をかこんで苦笑い。
ピラフが炊き上がったところで、言われた通りに退去する。
今から泊まるところをさがすのが難しいと伝えると、
安全なところに連れて行ってあげるから付いて来いと言われた。
そして到着したところが、街のど真ん中にある公園。
昼間なら子供が砂場で遊んでいそうな公園だ。
この地域は、街のセンター以外に安全な場所がないと言う。
だからって本当にど真ん中で、しかもそこでテントを広げて寝るなんて無茶だ。
目立ってしょうがないし、こっちのほうがよっぽど危ない。
それを伝えると、別の安全な場所へ連れて行くと言われ
着いた所が、住宅地のど真ん中にある空き地。
とにかくセンター以外はダメだと言う。
多分また訪ねても同じような所に連れて行かれるのは目に見えていたので、
ここで寝泊まりしますと一応言っておき、軍人たちが去ったあと
私達も移動することにした。
とはいっても、あたりはもう真っ暗でそう簡単に場所が見つけられるはずがない。
違う山の方にいってもまた見回りがきて移動させられてしまうだろう。
結局通りかかった村の農家に車だけ停めさせくれと訪ねると、家の主人は
心よくOKしてくれた。
そして雨が少し降ってきていたので、家の中で食事をさせてくれた。
突然の訪問者。
言葉も通じない外国人がいきなり家にやってきて、さっき炊き上げたピラフを
がっついているのを見て、目が点になっていた。
当たり前である。
自分でもちょっとおかしいシチュエーションに苦笑いだった。
この家のおじさんは、2人の奥さんを持っていた。
一夫多妻を実践している人に初めて会った。
第一婦人に二人、第二夫人にも二人の子供がいて、一人は障害を持っている子供
だった。
そしてみんなで仲良く暮らしていた。
夫人同士もお互いを支えていて、どうやったらこういう暮らしが成り立つのか
さっぱり理解できなけど、これも宗教観の違いでしょう。
翌朝テントから出て家にいくと、第一婦人がパンを焼いていた。
トルコは良質な小麦の産地でもあり主食もパンだ。
バケットのようなものを良く食べているけど、「エキメキ」という
ナンのようなパンは、家で焼くことが多いみたい。
出来立ては格別で、これを婦人の手つくりバターとチーズと一緒に頂いたけど
絶品だった。
またまた勝手に押しかけてしまったけど、最後にお土産をどっさり持たせてくれて
このお宅を後にする。
そしてまたいつでも戻っておいでとありがたいお言葉。
トルコもやっぱり極上ホスピタリティーの国だった!
程なく目的地のアンタクヤに到着。
そこそこ大きな街だったので野良電波が簡単に拾え、久しぶりにメールのチェック
などをしていると、お金を下ろしに行っていたマーカスが3人のトルコ人を連れて
戻ってきた。
0 件のコメント:
コメントを投稿