2010/01/04

トルコ エルガニにて


翌日は例の走り洗いが出来るくらい天気もよくて、まとめて洗濯をしていると
 おじさんがやってきた。
 トルコに来て初めての人との接触。もちろんトルコ人。
言葉が一切わからないけど、お構いなしにトルコ語でなんか言っている。
 結局すぐ近くに住んでいるから、泊まりにおいでというお誘いだったんだけど
 それを理解し、時間の約束をするのに10分はかかった。
そのあと洗濯ものが乾くのを待って、日向ぼっこをしていると子連れの男性が
 2人やって来た。
 この人たちもなんか言ってるけど、一切分からずノートを持ち出して筆談する。
 近くで結婚式をやっているので遊びにおいでとのことだった。
洗濯物が乾いたところで、結婚式をのぞきにいってみる。
 ここもまた村人が全員集まってるんじゃないかというくらい人がいた。
いきなり現れた私たちを歓迎する人もいれば、冷ややかな目で
 見る人たちもいた。

特に私は珍客らしく、動くたびに子供たちが付いてきて囲まれて合掌される。
 初めて見る日本人がどんな風に物を食べたり飲んだりするのか、
 一時も視線が逸れることがなかった。
 しまいには私の取り合いになって、もみくちゃにされた。



その後は、最初に会った子連れの男の人の家に移動する。
 家に着くとこれまたものすごい人が集まっていて、ここで初めてこの日が
 「トルコの祝日」であることを知る。
 盆と正月が一緒に来たようなものなので、親戚が一同に顔を合わせる
 機会でもあるのだ。

その中に幸運にも英語がベラベラな人がいて、ここにきてやっとちゃんと
意思の疎通が出来るようになった。
私は相変わらず子供たちに独占されて、質問攻めにあい写真を撮られまくる。

 ここにいた子供たちはとにかく、何でもかんでも美しいと言う。
 家もチャイもトイレもおばーちゃんの杖も食べ物も何でも
 「ビューティフォ、ビューティフォ」と連呼し、
 もちろん私も「ビューティフォー」と言わされて、5分おきぐらいに
 「コトミ~、アイラービュー」
 と投げキッスをされる。
 ちょっと面倒だったけど、そういう教育がされてるんだと勝手に解釈して
 乗り切ることにする。

夕食時になり床に沢山の料理が並べられた。初めてのトルコの家庭料理。


相変わらず肉肉しくて味付けもかなり濃かったけど、
 みんなで輪になって食べる料理は、いつだって楽しく美味しく頂けるものだ。

食事を終え、今夜泊まらせてもらうところに移動する。
今回は通訳役の彼がいるので、事がスムーズに運ぶ。
家につくと、さっきからずっと付きまとわれてる子供たちのお父さんがいた。
家は3階建てで、かなりリッチなファミリーだった。
このお父さんがまた変わった人で、まず自分の息子がどれだけハンサムかを語りだし、
 その後はこの家の美しさ、最後には「僕って美しいか聞いてくれ」と、
英語が話せる彼に聞く始末。
「は、はい・・・美しいと思います・・・・」というと、
「ホントに!?」と大喜びで胸のポケットにしまってある自分のプロマイドみたいなのを
数枚取り出し
「これはどう、こっちはどう?美しい?」と見せびらかす。
中には明らかに若者風に合成したものもあった。
かなりのビューティーおじさんに度肝を抜かれた。
そしてマーカスののび切ったアゴヒゲをしきりに剃りたがり、
しまいには金髪と青い目を否定しだし、
度を超えたナルシストだと言うことがわかった。

翌朝は子供たちに近所の家に連れて行かれ、
珍しい日本人のお披露目会が始まる。
言葉も一切分からないのに質問攻めにあい、悪気はないんだろうけど
答えられないとバカじゃないのかみたいに笑いが起こるので、
さすがに腹がたって、逆に日本語で質問攻めにしてやった。
ようやくこっちの気持ちも分かってもらえたみたいで開放される。

昼前には人酔いでぐったり疲れてしまった。
招いてくれたのは本当にありがたかったけど、逃げるようにこの村を後にした。

とにかくはじめてのトルコ人。
 トルコ人というかクルド人か・・・
今まであったどの国の人たちよりも人懐っこくて、強烈な印象が残った。
だけど正直、ものすごーーーくめんどくさかった。
ごめんね、ビューティーおじさん。


そしてこの「エルガニ」というところは、トルコの南東部ということもあり
クルド人が多く住む。
クルド人は独自の国家を持たない民族で、トルコを主に中東、
ヨーロッパまで方々に散らばっている少数民族だ。
自分たちの独立国家を作るため、居住国の政府との間で争いを起こしたりしている。PKK(ペーカーカー)の活動がそれである。
この日訪ねた一族もクルド人だったけど、みんながみんな争いを起こしたいわけでは
なく、トルコ人との共存を願っている平和な人たちだった。


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