2010/01/09

Iskenderun KALE3

パン焼きを終えて一休みして、その日の午後。
イエテルとその他何人かの子供たちでと、海まで散歩しに出かける。
そこで私が自分のズボンとサンダルに履き替えると、イエテルが
「なんで履き替えるの?」と、不思議そうに訪ねてきた。
なんでもかんでも
自分のサンダルに履き替えるのに、 何の問題があるというのだ。
大した問題でもないんだけど、なんだか腹がたってしまい
そのまま無視して海へ向かった。


シリアとの国境20kmに位置するこの村の
目と鼻の先に広がる地中海には軍事エリアも存在し、
発射台に載せられたミサイルが数機、むき出しで設置してあった。
平和な村とはなんともミスマッチな風景。

散歩を終えて、その辺でおしゃべりしているおばちゃん達の輪に加わる。
家の前にイスを持ち出してチャイを飲みながらおしゃべりする
 習慣のあるこの村の人たちは、一家に10台以上は道端用のイスがあり、
いつでも誰でもウェルカムなのだ。
そうしておしゃべりをしていると、私のサンダルが履き替えられている
ことに気づかれる。
ついでにズボンも違うことに気づき、
「そうなのよ、履き替えたのよ~この子ったら」
と言っているのが、言葉がわかんなくても表情からうかがえた。
この一言で、居心地が悪くなったのはもちろん
なんだか恐ろしくなっきてしまった。



多分この村の女たちは、みんながみんな同じ容姿である事を求めている。
 同じぐらいの生活レベルで同じぐらいの大きさに家に住み、
似たような服を着てまったく個性がない。
みんなが同じということで仲間意識を保てて、安心して暮らして行ける。
もし個性を発揮するような行動や、容姿を変えるような人がいれば、
それは彼女達にとって「異質」のものになる。
異質はもちろん排除する。
たとえ旅人であっても、異質と共存するのは居心地が悪いのだ。
平和な保守的な環境を保つには、このくらいのことをしないと
「環境破壊」につながってしまう。
彼女達が恐れているのはそれだ。
もちろん自分が異質だと気付かされた人々は、とうにこの村を出ているんだろうし、
村に留まれるのは、この見えない「掟」みたいなものに
従順である人に限るような気がする。
と、説明したところで
彼女達がこんなことを考えて暮らしているとは思わない。
この村に限らず、どこの国に行ってもこういう所はある。
生きてける人は生きてけるし、ダメな人はダメなのだ。

私がそこに居るのにうんざりして、
丘の上にあるトマトハウスに行ってくると言うと、
一人であそこに行ったことがある女などの話など
聞いたことがないと言って止められる。
トマトハウスは歩いて10分ぐらいのすぐそこなのに、
そこにさえ行くことが許されないのだ。
いつもだったら
「そうですね、アハハ」
と言って軽く流すような出来事かもしれないけど
この日ばかりは、どうしても行かなきゃ気が済まなかった。
こんなのこの日限りで、
ここに住むわけじゃないのは分かっているんだけど
なんでそんなにムキになったのかわからないが、
ここでみんなの言いなりになるのが、とにかくいやだった。
それに腹も立っていた。
皆の意見を押し切ってスタスタ歩いてゆくと
丘の上からウジャルとマーカスが、バイクに乗って下りてくるのが見えた。
気まずい空気が流れまくったけど、一件落着。
そしてみんなそれぞれの家に、無言で帰っていった。

田舎ののどかな生活は憧れではあるけど、
同時にそこに住む人たちと「共存」していける覚悟があることが、
こういうところで暮らす最大の条件のような気がした。
助け合いの精神、近所同士が家族のように支えあって生きてゆくこと。
子供達が別の子供達の面倒をみて、地域全体で子育てをしていく環境。
聞こえはものすごくすばらしいけど、この村においては同時に
プライバシーというものが殆どなくなってしまってるような気がした。
右へ習えの風習も、私はどうしても受け入れることができなかった。

これも要はバランスの問題で、プライバシーや個性を尊重しあった上で、
この村のような住環境があれば、
そこはもう、ただの楽園!




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