旅のルートであるロシアや中央アジアに関して、
何にも知らなくて、脳内地図がまだ真っ白だった出発前、
トルコはこの旅で唯一楽しみにいていた国だった。
トルコについて知っていることは、トルコ石、ドネルケバブ、イスタンブール、
トルコ風呂、延びるアイス、イルハン君・・・
そのぐらいだったけど、一応ガイドブックは買ってあったし、
何も知らないよりましで、イスタンブールは何となくこの旅で最高の
見どころになるんじゃないかと思っていた。
だけどマーカスにとってトルコは、単なる帰り途中のヨーロッパの延長に
ある国にすぎず、特別思い入れはなくて、
彼はただ寒い所から脱出して、あったかい地中海に行く。
そのことしか考えていなかった。
トルコはでかい。
しかも、随所に見所があるらしい。
一箇所にまとまっていないから全部見て周るのは不可能で、
もう結構おなかいっぱいで見ても記憶に残らなそうだったので、
行き先を絞って1ヶ月ぐらいかけて周ってみようということになった。
とりあえず、地中海を目指して南下する。
そして言葉に関して、グルジアまではロシア語が通じたけど
今回からは英語もだめなら、完全に全身を使ってコミュニケーションを
とるしかなさそうだ。
唯一知っているのは、イスラム圏の共通の挨拶「アッサラ-ム・アレイクム!」
これぐらいなもんだ。
だけど、その昔ドイツは安賃金の労働者をトルコからたくさん受け入れていて
そのせいで、ドイツ語が話せる人が多いというのも聞いていた。
本当かどうかわからないけど、とりあえず多少の期待を抱いてトルコの旅が
始まった。
北部の寒い地域「エルスムズ」「ビンギョル」をこえて、
「エルガニ」という所までやってきた。
道の途中でちょろちょろ街を通ったけど、目だけ出してあとは全身
黒で身をまとった女性をたくさん見かけた。
地方という事もあり、今まで見た他のイスラム教の国の中でも
一番保守的な信者が多い気がした。
そして、街のあちこちで牛の解体が行われていて、トルコって羊だけじゃなくて
牛もバラしちゃうんだと思っていたらそれもそのはず。
後から聞いて分かったんだけど、この時期トルコは「クルバン・バイラム」という
一大イベントを迎えてる最中だった。
これは「犠牲祭」と言って、牛や羊を生贄にして神に捧げ、
余裕がある家族は、貧者にも分け与えるというトルコの祝日だったのだ。
日本で言うと盆と正月が一緒に来るようなものらしい。
そんなこともつゆ知らず、
山水が湧き出ていてそばに泊まれる絶好の場所を見つけた。
天気もよかったので溜まりに溜まった洗濯をして、2~3日泊まっていこう
という事になった。
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