2013/12/12

ギョレメの谷で焼きうどん

モフリスの家を去り、その夜はジャンダルマ様に見つからないよう用心して車中泊。

しかし、通りかかった人に通報するぞと言われ、もう眠りかけてる所だったのに移動を
余儀なくされる。

結局どこだかも分からない真っ暗な空き地に逃げ込み就寝。

朝起きたら、何かの工事現場だった。

作業員がやって来る前に再び移動して、私たちはトルコの一大観光地カッパドキアに向かう
ことにした。

ここには以前来た事があったので、別にスルーしてもよかったんだけど、通り道から
20キロぐらい遠回りすれば行けるような所だったので、お昼休憩もかねて行って見るかと
言うことに。





久々にやってきたカッパドキア。

何度見ても、その迫力に度肝を抜かれる。

こんなものが、何千年もかかったとはいえ自然にできるってすごいよなー。

ただただ感動。すんげーーなーー。

 


お昼時になりお腹も空いてきたので、絶好のロケーションでお昼ごはんをつくる。

こんな時に、こんなところでサクッと料理できてしまうのも車旅のよいところ。
前回ここにきた時は、テント泊したし。


 この日もお気に入りのギョレメの谷の上の木陰にハンモックをぶら下げて、マーは運転疲れを
癒し、私は中華なべを振って焼きうどんを作った。

炎天下だったからか観光客の姿も見えず、奇岩が群がる谷底に私が刻むキャベツの音が
響いたかは定かではないが、カッパドキアまで来て焼きうどんを作る日本人なんて
多分世界中で私だけだろうなと思うと、なんだかちょっとだけ、多分3秒ぐらい誇らしくなった。

食事を終え、お茶を飲みながら2人でだらだらハンモックに揺られていると、爆睡して動けなそう
だったので、なんとか重たい腰を持ち上げ移動することに。

途中でアイスでも食べて帰ろうかと立ち寄ったギョレメの町は、恐らくこの旅で見た中でも
最大の観光地で、故に観光客が沢山いる。

8割は白人で、オープンエアのレストランなんか、ヨーロッパのどっかの町にあるそれと
何ら変わりない。

シャレオツなリゾート地の典型。

駄目だ、こういうところ。

ここは、トルコであって、トルコじゃない。

ものすごい違和感。極めて居心地が悪い。

なので、即刻退散!!!!

アイスはしばらくお預けにし、1時間ぐらい走っていった小さな町の
売店に駆け込み、やっとアイスにありついた。

その後は、カッパドキアとはまたぜんぜん違った風景が広がる、緑が生い茂る田舎道を
通過し、湖のほとりに到着。

今日はここで寝よう。

散歩にやってきていた通りがかりのおじさん達3人にお茶を入れてあげて、
芝生の上で束の間のピクニック。



それから2日ほどは、こんな感じでだらだらとした日を過ごしつつゆっくりと距離を進め、
私たちはブルザという町にたどり着いた。




2013/12/11

準備5時間、食べるの10分


早速魚を持って帰ってからは、この何百匹もある魚の下ごしらえ。

切り株に腰をかけて3人の男たちが、まず魚の頭を捥いで、指でお腹を開けて内臓を
取り出すという作業。

これを延々2時間ぐらいやっていた。

昨日の料理の準備もそうだったけど、ものすごい細かい作業に時間をたーっぷりかけながら
家族と一緒に黙々と作業する。

親子三代が毎日一緒になって料理をする姿。
今ではなかなか見られない光景だと思う
食べるのなんか一瞬だけど、時間は惜しまない。

前にどこかの家で食べさせてもらった物に、しその葉よりも小さいブドウの葉っぱに
米を詰めて巻いたトルコ料理のドルマというものがあった。

仕上がりは2センチぐらいのロールキャベツみたいなもの。
これを何百個も作り煮込み料理に入れるという、なかなか手の込んだ料理っだった。

これも2時間ぐらいかけて準備した記憶がある。

トルコの料理は食の世界遺産だかなんだかに登録されているけど、多分味だけではなくて
こういった文化的な背景も登録される理由になったのではないかと思う。





おじさんたちが作業している間、女たちは魚と一緒に食べるパンを焼く。

この家にはちゃんと近代的なキッチンもあるんだけど、料理するのはもっぱら野外。
煮炊きもできる専用の小屋があって、今でも毎日そこに火をくべて料理するのだ。

なぜかと理由を訪ねると、やはり焚き火で料理したほうがおいしいからだそうだ。

わかるわー、その気持ち!



あー、しかしなんてのんびりな生活なんだろう。
毎日がピクニックみたい。

妹とお母さんは慣れた手つきでパンを焼きあげると、お次は魚の調理にとりかかる。

これももちろん焚き火の上で。

              


魚はシンプルに、骨ごとじっくり揚げて、こんな風にして頂きました。


焼きたてのユフカにカリッっと揚がった小魚と、ネギたっぷりのすっぱいサラダを巻いて
頂きます。

シンプルだけど、めっちゃ美味い。
ここでもまた自給率100パーセント。(レモンは私たちの持ち込み品)

魚を獲りに行ってから、それが料理になって口にするまで5時間ぐらいはかかってるけど
チャイを飲みながら、みんなでゆーっくりと準備をして、そしてみんなで食べる。

幸せだなーと、しみじみ。。。

モフリスは私たちをゲストだから厚くもてなすというより、ありふれた日常にすぃーっと
引き入れてくれる、そんな感覚がものすごく心地よかった。

だから、彼の仕事も手伝いに行ったし、子供たちを連れて散歩にでかけたり、食料を
調達しにも行った。



 何よりも、彼が子供のように嬉しそうにして話すドイツ時代の思い出話が、とても面白かった。

こんな純粋な大人というのは、久々に見たなー。

翌日、私たちは出発することにしたが、その別れをモフリスは惜しむことも無い様子で

「またいつでも遊びにおいで、僕たちはいつでも君たちを待ってるからね」

と、またいつか絶対に会えることを確信しているかのように、スッキリした笑顔で私たちを
見送ってくれた。

出発する前には、妹とお母さんが私の大好物のトルコ料理「ギョツレメ」を作ってくれて
最後にみんなで食べてお別れした。





ある日偶然に出会った、小さな村に暮らすトルコ人一家。

 こういう人たちの出会いが、私たちの旅では何よりも思い出深いものになる。

そして、1度会ったきりもう2度と会うことがない人でも、強烈に胸に焼き付いてる人が
今まで訪れた国には何人かいて、その人と過ごした日々の事や、もしくはほんの一瞬の出会い
だったとしても、何年経っても鮮明に覚えている。

名前だって覚えている。

モフリスは間違いなく忘れられない人になるだろうな。

そういえば、彼の家に水筒を忘れてきてしまったので、それを理由に、と言うかそうじゃなくても
また会いに行きたい。

トルコにはそんな家族が結構いたりします。

そして、私の距離感も今では大分おかしな事になってきているんだけど、トルコぐらいまでだったら
毎年車で遊びに行ける所という感覚です。

トルコなんて、近い近い!

2013/12/04

モフリス家、自給自足の一家

スーパーの前で偶然出会った、ドイツ語が話せるトルコ人、モフリス。
誘われるがまま彼の家にお邪魔することになった私達は、のどかな山里の村に到着。

切り株に腰をかけながらお茶を飲んで、家族を紹介される。

同居しているのは彼の家族(嫁、娘、息子と赤ちゃん)と両親、そして、妹と弟という9人の大家族。

お父さんも30年ぐらい前にドイツで働いていたことがあり、カタコトながら多少のドイツ語を話す。
娘の旦那も現在ドイツで働いていると言っていた。

モフリスはドイツで肉体労度を長いことして、その後はピザ屋で調理人として働いていた。

けっこうお金も稼いだらしく、彼らが住んでる家もこの辺では一際目立つ大きくてきれいな家だった。

トルコに帰ってきてからは、自給自足の父親と共に放牧や小麦の生産で生計を立てている。

モフリスがマークスを連れて放牧している牛を連れ戻しに出かけたので、 私はさっきから給仕に
バタバタとしている女性軍の様子を伺いに、家の中へ入って台所へと向かった。

そこにはこの家の女性が3人集まって料理をしていた。

ライ麦のような荒い粉を水でこねて、親指の先ぐらいに小さい団子をひとつずつ作っている。

この作業だけで、2時間近くやっているというから驚き。

モフリスの妹は少しだけドイツ語が話せる。

これは少しばかり悲しい話で、ドイツで働いている彼女の夫はいずれは彼女をドイツに呼び寄せて
一緒に生活するから、その日が来るのを心待ちにしてトルコで2年間ドイツ語を勉強した。

しかし、彼の愛は冷めてしまったらしく、彼女がドイツに行く事もなくなってしまった。

「私にはなんにもない。ここにいても毎日毎日同じ日々で、男たちの給仕をして
お金を稼ぐこともできず、そうやって一生を過ごすんだわ・・・」

暗いなーー。。。。

ストレスも相当溜まっているのだろうか。
初対面でいきなりこんな話をいろいろ聞かされたけど、なんと言っていいのかわからなかった。


さて、待ちに待った夕食の時間。

トルコの典型的な夕食の風景。




 この家では、男女食べる場所が別だった。
私はゲストなので例外だったけど、トルコにしては珍しいんじゃないかな?

この日の夕食で自給してないものといえば、多分煮込み料理のトマトソースぐらいで
あとは全部自家製だ。

トルコでは欠かせないアイラン(ヨーグルトドリンク)も、全部お手製。

BOSCH製の立派な冷蔵庫を見せてもらったんだけど、中身は全部乳製品だった。

牛から絞った乳で作ったヨーグルト、バター、チーズ以外はほとんど何もない。
買ったものがないのだ。

べつにこれは珍しいことではなく、田舎の方に来ればよく見られる光景だそうだ。

3年前にお世話になった地中海沿いのトルコ人一家も、その近所もこんなような
生活をしていた。

経済成長が目覚しく、近代化が続々と進むトルコにも、まだまだこういった昔ながらの
生活を普通にしている人たちがたくさんいる。

だけど、仕方が無いから自給自足をしているわけではなくて、そうやってこれまでも生きてきて、
きっとこれからもそれが続いてゆくだけのことなんだとおもう。

そしてこの家族、お魚も近所の川で調達します。

翌日、天気も良かったので子供たちと一緒に魚を獲りに行った。

おじいさんが運転するトラックの荷台に乗って、ガタガタの山道を走り川へと向かう。

そしてこの日の夜ご飯になる10人分もの魚を、ものの1時間もかけずで釣り上げて終了。

その魚釣りとはこちら。




石の下に小魚が無数にいて、そこに網を投げて下から煽って網に引っ掛けるというもの。
 1度に15cmほどの小魚が30匹ぐらい、面白いほど取れる。

 網から魚を外す時は、1匹ずつおなかを押して卵があるか確認。
卵があったら押し出して、川に戻す作業もしていた。

 この投網を10回ぐらい繰り返して、10キロぐらいになったところで終了。




さてこの魚、どんなふうにして、どうやって食べるのでしょうか?


続きは次回。

2013/11/20

熱いトルコ人

翌日も西へ西へと距離をすすめる。

途中、食事の為に立ち寄ったビンギョルという町では、旅人が珍しいのかイラン並みに
人々に囲まれる。

さっそく食堂に入ったら、忘れてはいけない値段確認。
ここの店の人は数字も英語で言えず全部筆談だったけど、そっちのほうが都合がいい。



これはトルコではおそらく一番安いファストフードの「ラフマジュン」

釜で焼き上げたパリパリの薄生地に、スパイシーなひき肉が乗っているシンプルな料理。
これでサラダを巻いて食べるんだけど、これがまたメチャメチャおいしい。

アイランという、塩味のヨーグルトドリンクとの相性も抜群で、3ユーロぐらいでお腹が
いっぱいになる。

食事をしている最中も窓の外から見物客が私たちを観察している。

 あんまり気分のいいものではなかったけど、田舎だから仕方が無い。

さっさと食事を済ませて、私たちはまた西へ西へとひたすら走ってゆく。

夕暮れも近づき、食料の買出しにその辺で通りかかったスーパーに入る。

チーズ、オリーブなどを買いたいんだけど、イランから来た私たちにとっては驚くほどの
物価の高さ。

下手すればドイツよりも高いものもある。

それでも必要なものを一通り買い求め、会計を済ませて外でアイスを食べていると
スーパーの中で見かけた子連れのトルコ人がドイツ語で話しかけてきた。

参考までに言うと、ドイツ(当時の西ドイツ)は戦後復興のあとの経済成長期に労働力不足の
補填にと、トルコから大量の移民を受け入れてきた。

だから、トルコに来るとドイツ語が話せる人がホントに沢山いるのだ。

ここで会った男性も、15年程前にドイツで働いていたことがあり、しかも壁が崩壊して
間もない頃の東ドイツの復興工事にも携わっていたらしい。

私が住む近くのライプチヒという町にも半年程住んだことがあり、当時の様子を懐かしそうに
語っていた。

「僕はドイツにいた時、ドイツ人にホントに世話になったんだ。
どこの国でも、人種や宗教や出身国など関係無しに、みんな仲良くするべきなんだ。
君がこの国にいる間は、この国の住人だと思って過ごせばいいよ。
僕もドイツではそうしてきたんだ。
困ったことがあったら絶対に誰かが助けてくれるから、いつでも誰かに助けを求めて
いいんだよ。」

15年ぶりに話すというドイツ語でありながらも、意思はちゃんと伝わってくる。

なんか熱いトルコ人が現れたぞ。

話は遡って3年前。

トルコを旅していたときに出会ったトルコ人からのドイツ人評判はいまいちで
「あんな冷たい人がいる国なんか、もう二度と行きたくない」とか
「10年住んでいて一度も家に呼ばれたことが無い」とか、
そういう会話を何度も聞いたことがある。

その時私はドイツ語が一言も分からなかったので、マークスに英語に通訳してもらっていたけど、
トルコ人が何でそんな事を言うのかいまいちピンとこなかった。

でもあの旅を終えてドイツで生活するようになって、 ドイツの中のトルコ人を目の当たりに
するようになった今、やっとあの時の言葉が理解できる。

ドイツ人の中には、断トツに多いトルコ移民を快く思ってない人がけっこういる。
それは右寄りな思想が特に無い人でも、トルコ移民は特にドイツ人の働き口を奪うからと
言って毛嫌いする人もいる。

そもそも、復興成長の為に欠かせないいわゆるガテン系の仕事をやりたがらなかったのは
当のドイツ人達で、その穴埋めに政府が移民を受け入れて、その人たちのお陰もあって
今のドイツがあると言えるのではないか?

移民を嫌う前に、国を憂うならば国の為に汚いキツイ低賃金の仕事でもやる気概が
ドイツ人にあればよかったんだよ。

と、こういう話になると夜が明けそうなので強制終了しますが、とにかくドイツの中のトルコ人
うまくやってる人もいれば、そうでない人もいます。

そしてこの熱く語る彼は、珍しくドイツ人をべた褒めする人でした。

アイスも食べ終わった頃、まだまだ話したそうだった彼は「良い旅を」と言って去っていった。

私達も車に戻り、今日の寝床でも探すかーと言って出発し、しばらく走っていると
さっきの彼が車で後ろから追いかけてきた。

そして窓を開けて、車を脇に止めてーと言って来たので、路肩に車を止めた。

駆け寄ってきた彼は「これも何かの縁、うちに泊まりに下さい」とのお誘い。

私達は2つ返事で彼の後をついていった。

大きな国道から逸れて、山がある方向にドンドン向かって行き、20分程で彼の自宅に
到着した。

庭でくつろいでる彼のお父さんや子供達は、突然やってきた私達をみてびっくりしている。
それでも、快く招き入れてくれて、みんなで切り株に腰をかけてまずはティータイム。

出会いはいつも突然に。
だから、こういう旅は本当に面白い。

今思い返せば、この男性との出会いも今回の旅で忘れられない程、思い出深いものに
なったのでした。



ネムルト山の天然温泉

さて、やってきたのは温泉が湧き出ているという湖。

私はてっきり、その湖全部が温泉だと思っていたんだけど、実際は湖のほんの一角に
湧き出ていて、そこが岩で覆われている。

2人入ったら満員ぐらいの大きさだけど、リウマチなどを治すためこのお湯を求めにくる地元の
人もいるみたいだ。

私たちはさっそく温泉の前の原っぱに車を止め、ご飯をたべたり本を読んだりしながら
夜になるのを待った。



夜になる前、試しに湯加減チェック。
この辺は東部の保守的なところなので、水着はやめて短パンで入浴。


お湯は最初のうちだけものすごく熱いけど、慣れたらいい湯加減。

泉温は日に日によってまちまちだけど、熱いときは70度近くまで上がるそうだ。

底は砂で、所々からメチャメチャ熱いお湯が噴出しているのが見える。

まさに天然の温泉。

昼間のうちは観光客がけっこう来て、温泉に足をつけて帰ってくんだけど
夜になればこれを独り占めできるという贅沢。

温泉つき車のお宿。

最高のロケーションだった。

 


翌日。

天気も良かったし、この旅に出て一度もトレッキングしてなかったので、せっかくだから山に登ってみようということになった。

高さはそんなにないけど、見た目ですでに急な山だというのは一目瞭然。

登りはいいけど、下りがキツそう。。。

まぁ、下ったら温泉があることがせめてもの救いかな。

急な斜面をぐんぐん登り、振り返ると自分たちがいた湖と、その後ろにある青い湖が
だんだんと姿を現してくる。


そして頂上から見えた湖がこちら。
登ってきてよかったー。







 しばらく頂上付近で休憩したあと、今度は恐怖の下山。

登りの急斜面から、下りの大変さは想像できていたけど、なかなかのものだった。
普通に歩いていたら、膝に負担が掛かりすぎて危ないので、ここは重心をどこにも掛けず
猛ダッシュで下ってゆく。

火山なので足元はやわらかいし、こけても痛くない。富士山みたいな感じ。

二人して、猿のように滑りながら走り無事下山。

行き2時間、帰り30分という、脅威の急斜面登山だった。




山を下ってからは、のどかな湖のほとりに一軒だけある東屋で一休み。

観光客を乗せたバスが、どんどん来ては湖で1時間ほど休憩して帰ってゆく。

外国人のバスなんか、その休憩してるそばからテクノミュージックをガンガン掛けていて
ツアーガイドの計らいなんだろうけど、みんなの迷惑そうな顔といったらなかった。


夕方5時ごろを境にぴったりと観光バスが来なくなり、湖にもやっと静寂が訪れる。

暗くなったら私たちは山登りの疲れを癒しに温泉につかり、のぼせたら湖で泳いでなんていう
またまた楽しい夜を過ごしたのでした。

2泊3日。
たまたま通りかかった町外れの、さらに外れた山奥の秘境トリップのお話でした。

2013/11/19

再トルコ二日目

トルコ再入国の翌日、私たちは行きに通ってきたイラン最大の湖「Van湖」を西沿いに
走ってゆき、湖の西端にあるタトゥワンという街にやってきた。
 


道中の山道では珍しいものを見た。

遠くから見たら人だかりのように見えたので、事故でも起きて野次馬が集ってるのかと思ったら
近づいていくうちに、それが鳥だということがわかった。

そのくらい大きい鳥、そして動物の死骸に集ってるところから見ると、これはハゲタカとかの
類だろう。


なんだか不気味だった。
沢山の鳥が寄って集って死んだ肉体を引きずって、つつきあっている。

先日行ったイラン、ヤスドの沈黙の塔のことを思い出した。

あの時は死んだら鳥に食べられてもいいかもなんて考えたりもしたけど、この光景を見て
絶対嫌だと思った。

鳥は近づくと、不気味な音を立ててバサバサと山の向こうへ飛んでいった。

こんな大きな鳥は、初めてみたなー。





さてさて、久しぶりにやってきたトルコの町。
イランでこのぐらいの規模の街があれば、そこは間違いなくカオスな風景。
人、バイク、車が無秩序に入り混じり、事故もそこらで起こっている。

だけどここはトルコ。
皆が交通ルールを守り、ウィンカーを出して走る車に投げキッスをしたいぐらいだ。

トルコに入国するのはこれで3回目だけど、いつ来てもなんだか安心感があってワクワクする国。

さっそくATMでお金を下ろして、トルコ料理で腹ごしらえだ!

車を止めて、初めに目に入ったロカンタに入る。
地方のロカンタはどこに行っても外れがないというのが、私の中の定説。

おいしい煮込み料理に、お馴染みのパン。
やさしいお店のおじさんは、笑顔で接客してくれる。。。が、会計時ぼられたっぽい。

まあいっか。
次からちゃんと値段も聞こう。
しばらくトルコにいるんだから、食事するときの単語と数字ぐらいまたトルコ語で覚えなきゃ。

そんな事を思いつつ、ちょっと残念な気持ちになりながらも次なる目的地ネムルト山に
向かう。


 街の外れ10分ほどの所に、この山に登れる入り口がある。
山の麓には美しい湖があって、その湖の一部には高温の温泉が沸き出ている。

「温泉と聞いたら行くしかないでしょう!」ということで、この日の予定がきまった。



 山をどんどん登ってゆくと、突然目の前が開けた感じになってきた。
この山は火山で、噴火でできた無数の火口や溶岩が複雑な地形をつくっていた。

そして、このあたりの観光名所となっているのが、その噴火でできたカルデラ湖で
大小色の異なる湖が、巨大な火山の窪みにひっそりとたたずんでいるのだ。

 

 途中湖の近くで放牧をしている遊牧民を見かけた。

ゆったりとした山の稜線、新緑の鮮やかさ、そこに無心で草を食べている無数の羊。

のどか過ぎてうれしくなって、思わず窓を開けて手を振ってみた。

 「メルハバー!(こんにちは)」

そう言って今度は車から降りて、乳搾りをしている人たちに近づいて行った。



 そして、マークスが乳搾りに初挑戦。

他のみんながすぐさまタンクをいっぱいにするのと同じ時間で、マークスはお椀をいっぱいに
するのが精一杯。

その様子をみてみんな大笑い。

人肌にあたたかく、細かく泡の立った搾りたてのミルクも飲ませてもらったけど、クセがなくて
意外とおいしかった。

それからしばらく遊牧民のみなさんと戯れて、温泉があるという湖へ向かうことにしたのでした。

おもしろい羊の習性。車にもぐった羊にまた羊がもぐり、その羊にまたもぐる羊の図。寄り添いすぎ。
 続

2013/11/13

さよならイラン、そしてまた来たよトルコ。

旅はトルコへと続く。。。

トルコへ向かう車でいっぱいのイラン側の国境ゲート。

陸続きに荷物を運ぶ輸送トラックのなんか、1キロぐらいの列を作っていたけど
それよりすごいのが、列を作らず早く行ったもん勝ちの一般車。

車は5センチぐらいの間隔でひしめき合い、一台車がゲートを通る度に一斉にエンジンがかかり
我が我がと進んでゆく。
進むというより、30センチぐらい前に移動する感じ。

私たちもそこに車を突っ込み、3、4時間ぐらい待つことを覚悟していたんだけど
30分ぐらい並んでいたころだろうか、スーツを着た偉い役人みたいな人がやってきて
車を後ろに移動するようにと命ぜられた。

せっかくちょっとだけ進んだのに、抜き打ち再検査か何かか??

後ろにびっちりとくっついている他の車に「道を開けろー!」と言って手荒く私たちの
車を誘導するおじさん。

方向転換をして、来た道をゆっくり戻ると役人の人が
「こちらからどうぞ。グッド ジャーニー」
 と言って、役員専用の出入り口と思われる所から私たちを出してくれた。

出国の手続きはまだ終わってないけど、国境は続いているので、トルコ側に車だけ乗り入れて
体の移動だけで手続きできるという有難さ。

何の特権もない私たちに、こんなにも粋な計らい。

イランは最後の最後まで私たちを喜ばせてくれる国だった。

イランの人たちは自分たちの国の評判が悪いことを常に気にしているので、
せめてこの国に来た旅行者には いい印象を刻んで帰ってもらおうと思っている。

この思いは一般者だけでなく、役人にまで浸透しているんだという事が
この件でわかったような気がする。

そういえば、警察がいる検問所でも一度も止められたことがなかったし。

 トルコの国境を前にして、急激にまたイランが恋しくなった。

イランというか、イラン人。

またいつか、きっと来るよイラン!
それまでどうか、平和でありますように。

そんな熱い思いを胸にトルコ側のゲートに差し掛かると、 ゲートを開けた向こう側から
やってきたのは、ドイツナンバーのワンボックスカー。
やっぱりまたドイツ人だ!

若いカップルで、助手席に座ってる女性は国境を越えた瞬間なのでスカーフを慌しく頭に
被せようとしていた。

私はすれ違いざまに窓を開けて、「GUTE REISE!!(良い旅を!)」
と一言だけ言って、大きく手を振った。

運転席の彼は、親指を立てにっこり笑って去っていった。




さて、トルコ側の国境ゲートは2重になっていて、イラン側とは比べ物にならないくらい
殺伐としている。

なんてったって軍人の数が桁違い。
桁違いというか、イラン側は0に対しトルコ側は1ゲートにつき5人は武装した兵隊が銃を
構えて立っている。

さっき車内検査も終えてなんの問題もなかったのに、最後の最後でまた念入りに車を
検査された。

この辺、トルコの東部はクルド人が多く住む地域で、クルド人の独立国家を望む過激な
武装集団がトルコ人との間で度々闘争を繰り広げてきた地域でもある。

それは今でも続いていて、数年前には外国人旅行者が誘拐される事件も起きている。

そんなエリアであるから、軍隊の見回りが半端じゃない。

国境、検問所、いたるところにいるのは警察じゃなくてイランの軍隊「JANDARMA」

実は私たち数年前のトルコ旅で、このJANDARMAに捕まったことがあって
べつに悪いことはしてないのだけど、関わるとやっかいな人たちだというのは知っていたので
トルコ東部は特に、なるべくひっそりと旅をしようと心掛けていた。


そんな心構えもあったので、今日の寝床探しは事のほか慎重だ。


昼間の間は、遊牧民が山間にテントを張ってのどかな光景が見られるけど、夜になると
一層警備の目が厳しくなる。

その辺で車中泊しようものなら、すぐさまJANDARMA様に見つかってしまうし、
逆に夜になったら車のライトで目立ってしまう。

どこかの街に行って宿を探すには遅すぎて、暗い山道を運転する気力は
残っていなかった。

結局限界まで運転し、川の近くでエンジン音が響かないところを見つけたので、
星の明かりを頼りに、ライトを消して寝床を確保。

トルコの国境を目指し出発してから、10時間近く経っていた。
長い長い1日だった。



2013/11/07

イランてこんな国だった(2)


私がこの旅に出る前に気になっていたイラン風紀委員会について。

風紀委員なんて、そんな言い方をしている訳がないけど、国が女性の格好や服装を
いちいちチェックするなんて、「校則」の名の下で生徒を管理するアホらしい日本の
学校教育みたい。

イランも他のイスラム国家やイスラムを重んじる国と同様に、女性は髪の毛を隠し、顔や手、
足先以外の肌は見せてはいけないし、体のラインが表れる服も着てはいけない。

そしてイランにおいてはただの外国人旅行者だってこのルールを守らなければならない。

地方に行けば行くほど保守的で、女性は黒づくめのチャドルをまとい、影のようにゆらゆらと
通りを歩く。




そうでない人でも一応外ではルール通りの格好をするけど、家に入れば私たちと同じように
どんな格好でもいいし、むしろ普段の規制の反動で妙にセクシーに着飾る人もいたりする。

風紀委員については私は出会わなかったけど、実際抜き打ちで検査をされて罰金を払わされたり
する人もいるみたいだ。

たとえば、化粧が濃いとかマニュキュアの色が派手だとか、ジーンズの細さや襟ぐりの
深さまで指摘されてしまう。

男性も例外ではなく、たとえばタンクトップとかはもちろん、Tシャツや短パンも基本的には
禁止されているようだ。

これには、これといった基準がヒジョーに曖昧で、大体はその取締りをしている警察官の
気分次第でつかまって搾り取られる時もあれば、お咎めなしの時もあるらしい。

首都テヘランまで来ると、規則がゆるいと言う訳ではないと思うけど、ギリギリのところで
がんばってる女性が結構いて、それはそれで微笑ましかった。

特にテヘラン滞在時は、大統領選を控えていて、穏便に過ごしたい警察たちのあらゆる物に
対する監視の目が緩いからといって、ものすごいケバケバの格好をしている人が
いたりした。

選挙が終われば、また元通りになるから、今のうちやっとけと言わんばかりに。

そういえばイランは整形ブームだった。

街を歩けば、鼻整形の後で白いテーピングをした若者をよく見かける。

手術はだいたい日本円で15万円ぐらいでできるらしいけど、イランの平均月収が3万円ぐらい。
これがいかに高額なのかわかるし、手術できるのは金持ちの家の子供たちだ。

私がお世話になったお金持ちのイラン人一家の兄弟も、とっくに整形済だった。

「だって、鼻が変だと顔全体がおかしくなってしまうから」と、親の勧めで手術したらしい。


  そして驚きのイランのオイル事情

石油原産国であるイランの燃油はメチャメチャ安い。
他の物価も安いけど、燃油だけはズバ抜けて安いです。

ガソリンでいうとなんとリッターで15円ぐらい。
ディーゼルなんかは10円ぐらいだったかな。

それでも国民は、高いと文句を言っている。
水みたいに湧き出てきてるものに、何で払わなきゃいけないんだと。
実際、水より安いかも。

世界のガソリン価格の相場を見てから、そんな事言えっつーの。

給油所は国営で、値段はイラン国内どこでも均一。
国民は給油カードを持っていて、基本的にはこのカードがないと給油できない。
外国人が自家用車でイラン国内を旅行する際は、700ユーロ分ぐらいのプリペイドカードを
買わなきゃいけない、買わなきゃ入れないという情報もあったけど、無くても大丈夫だった。

私たちはカードがないので、まずスタンドに行って店員の人にカードを借りて給油をしていた。

外国人用のプライスもあって、これは大体店員の言い値だ。
国民価格と多少誤差はあるものの、そんなにぼったくられたりはしないです。

お隣トルコはヨーロッパの中で1番ガソリンが高い国で、6月の時点で1、78ユーロとか。
ドイツの安い日と比べたら50セント程高い。

原油が湧き出る国が隣にありながら、なんでこんなに高いのか??
なぜならトルコは国を挙げて、新しい道路をあちこちに作っているからだそうです。

私たちがトルコに入るときも、周辺のディーゼルが安い国で常に補給して満タンの状態で
入国した。

それでもトルコでは2度ばかり給油したけど、最後の方とかもうメーター振り切れるぐらい
ギリギリのところまで走ってイラン入りした。

そして帰りもイラン、トルコ国境沿いの最後の最後のスタンドで満タンにして、イラン入り。

260リットル満タンにして、5000円弱。

それでトルコを横断しきったという。

石油原産国万歳。。。。だけど、この国の人たちは石油だっていつか枯れてなくなることを
知っているのだろうか?

そして、もしこの国から石油がなくなったらどうやって生き残っていくんだろう、、、、

ちなみに、両国の国境チェックは厳しいです。

燃油は輸出禁止。

タンクに入ってるものはいいけど、キャニスターでの持ち込みも禁止。

中にはトランクに入ってるスペアタイヤの空気を抜いて調べられている人もいました。


よしよし、そんなところでまだまだイランの観察日記はいくらでも続けられそうなんですが
次に進みたいのでこの辺でイラン旅のことは終了~

とにかく今まで行った国の中で、イランは1番良かったです。

先日友達の紹介でうちに遊びに来たイラン人も、私のイラン好き加減を聞いて非常に
喜んでました。

イランという国は聞いただけではあまりいい印象がないので、誤解されがち。

うちの近所にも、中東全域危険地域で戦闘地域で、みんなイスラム過激派だと思ってる人が
山ほどいますから。

 こういう人たちには迷わず言いますね。

イランはドイツよりも、もしくは東京なんかより安全なところだと。

百聞は一見に如かず。

実際行って見て、「あーあ。。。」となった前回のモロッコ旅に比べると、この旅は大大満足の
旅なりました。

満足すぎて、お腹がいっぱいで、気持ち悪くならないうちにイランを出なきゃという感じで
私たちは次なる国、トルコに向かったのでした。



2013/11/05

イランってこんな国だった(1)

イランに来る前に、イランについて知っている事といえば、なんだったっけ?

反米のイスラム教国家で、女性がけっこう虐げられていて、30年前はイラクと戦争を
していた国。

そして新しいところで言えば、核兵器開発疑惑がもたれてる国。

そんな程度のイメージしかなかったけど、イランを旅する人たちのこの国の印象は
すこぶるよいもので、いつか行ってみたいと思ってました。

今回イランを旅したことでよくわかった事といえば、素顔のイランとでも言いましょうか、
とにかくいろんなベールに隠されていたこと、いろんなフィルターが被さっていて
よく見えなかった部分が、人懐っこいイラン人の皆さんたちと寝食を共にすることで
見えてきたことかな。

この旅で5週間イランに滞在したんだけど、うち計2週間はどこかしらのお宅にお招きに預かり、
楽しい時間を共に過ごしました。

その時間で、私がなるほどこれは!と思った気づきを、いくつか書いてみようと思います。

まず、イラン人は反米で熱心なイスラム教徒なのか???

これに関して、少なくとも私の見解はNOです。

確かにそういう人もいます。

だけど私が出会ったイラン人はの殆どは、アメリカに個人的な恨みなどもっていないし
国が掲げる反米政策に同意する人は殆どいません。

その政策で国交が断絶されたり、経済制裁で輸入や輸出の規制があり、通貨が暴落して
物価がどんどん上がってきている。

この煽りをもろに受けているのが、一般の市民であり、私たちをもてなしてくれた
あの人達だって、例外ではない。

生活が追い詰められるよりも、一刻も早くアメリカと仲直りして安定した暮らしがしたいと
言うのが本音ではないでしょうか。

一方で、人種差別とも受け取れるほどのアメリカ嫌いの人がいるのも事実です。

露骨に何人だとマークスに聞いてきて、ドイツ人だというと態度がいきなり変わったり
アメリカかイギリス人だったらお金取るけど、ドイツ人は歓迎!という料金所の徴収係りも
いたり。

人によりけり。
だけど、世論は過激なものとは程遠いものです。

そして、彼らの宗教観。

イランは国を挙げてイスラム教を国教としている、イスラム教国家。
だから、政治や社会秩序はすべてイスラム法に基づいて国が成り立っている。

ということなので、さぞかし国民も信仰熱心なんだろうと思いきや、全然でした。

たとえば、お酒や豚肉が禁止とか、女性の身なりなどは他のイスラム教徒が多い国と
変わりません。建前は。

だけど、それは目に見えてわかる物事の規制であって、信仰心までコントロールできてない
というのが私の印象です。

イランは私が今まで旅したイスラム教の国では、ダントツで信仰心が薄い人が多いです。
それは一般のイラン人がお祈りをしたり、礼拝に行く回数で気づきました。

してないんだなー

これは、とてつもなく意外でした。

彼らにとっての神を侮辱したり、否定する言葉こそ出てはこないけど、だからといって
神に感謝して、神の恩恵に与るために生きるという人は、私が出会った人の中では
覚えてるだけで、1人だけです。

マークスがこれを、彼が生まれ育った東ドイツという当時社会主義だった国に例えて
こんな話をしてくれました。

東ドイツは、国民は皆平等で国に属し、国の繁栄のために働き、
社会主義を賞賛した。
そして、すべてはうまく行っている、国民も国に対して忠実で、
皆堅実な労働者だというのが建前だったけど、実際国に忠誠心を誓う人なんて
微々たる数。

労働して生活を営む。

これは生きてゆく上で欠かせない事だけど、政治理念まで植えつけることなんて
不可能なわけで。

イラン人の宗教観もそれと同じようなものだと言っていた。

強制されるものに、人々の心なんかついてこないんだと。

イランは、79年のイスラム革命でさらに厳格なイスラム教国家になったものの、実際には
その後イランではとても生き辛くなったと嘆く人が後を絶たない。

イランを旅して、誰かと知り合いになったら、かなりの確率でこんなことを聞かされると思う。

「革命前の方がよかった。イランはもっと自由でのびのびしていた。ホメイニはだめだね」

(ホメイニ師:イランの国家最高指導者。大統領の選出も法の改正も結局この人の一存で全てが決まる)

革命前がどういう風に良かったのかは分からないけど、少なくともイスラム国家になって
いい事などない。
国家の中でも亀裂を生むし、国際社会からは孤立して行くばかり。

その煽りが自分たちの家計まで及ぶとなると、単純すぎるけど「ホメイニ=イスラム」が悪い
という構図が出来上がるわけ。

だから、イスラム教というものを軽視している人が、実に多いという印象を受けたのです。



 ちなみに私たちの旅は、フツーのイランの人々と触れ合う日々だったのでこんな感想ですが、
イラン中部の街QOMなんかにはシーア派の聖地があったり、しかる場所に行けば、
敬虔なイスラム教徒はいくらでもいるのであしからず。

もののついでに書いておこうと思うんですが、さっきみたいな単純な構図で、イラン人が、
というかイスラム教徒がドイツ人に友好的な理由というのがあります。

イスラムの国に来るとマークスはドイツ人だからというだけで、よく歓迎されます。

なぜなら、パレスチナのイスラム教徒たちが、イスラエルのユダヤ人に迫害され続けて
いるからです。

おわかりでしょうか?

その憎きユダヤ人を迫害し続けたのがドイツ人だから、マークスは良い奴となるわけです。

超単純。。。

 たまにものすごく真面目に「ヒトラーは真の英雄だ」とか言う大バカ者もいたりします。

それを言えばマークスが喜ぶと思う人もいれば、 どこで覚えたのかナチスの敬礼までする
人もいます。

マークスはそのたびに怒り心頭で、それは間違ってると、そんなのドイツで言ったりしたら
捕まるぞと、言ってることの重大さを説く場面を何度も見たことがあります。

ついでに言うと日本人も同じ。

日本人というだけでコロッと態度を変える人がいます。

イランでは道を歩けば「チ-ン チーン(中国人)」と、人の顔を見て堂々とからかう
人がものすごく沢山いるんだけど、自分がもし中国人だったらそりゃ腹が立つけど
日本人なので、言われたらその場で「ジャポーン ジャポーン」と言い返します。

すると、手のひらを返したように擦り寄ってくる。
「ソーリー、チャイニーズ NO GOOD、ジャパニーズ GOOOOOOOOOOD!」
とか言うもんだから、あきれて相手にもしたくなくなる。

友好的なのはうれしいけど、その背景に人種差別があったりするとがっかりなのです。

仮にマーがアメリカ人で私が中国人だったとしたら、こんな旅はできるのだろうか疑問です。

イラン人はものすごく優しかったけど、これがもし人種によりけりだったら残念だなー。。。

パート2に続く

2013/11/04

イラン最終日 キャンドヴァ-ン村

タブリーズのバザールから寝床探しもかねて、イランのミニカッパドキヤとも言われている
キャンドヴァ-ン村に向かう。

町を抜け、住宅地を抜け、小さな村をいくつか通り過ぎるとちょっとした山道に入り
しばらく行くと、人里離れた山のふもとに小さな村があった。

この村は、あのトルコにある世界的観光名所のカッパドキアのようなニョキニョキの奇妙な
岩に囲まれている。

しかし山肌の一部だけというだけで、 本物とはとても比べ物にはならない。

だけどこれはこれで、この村のシンボルみたいな感じでいいんじゃないでしょうか。

しっかりと観光地にもなってるみたいで、村に入る前に通行料も取られる模様。
私たちは取られなかったけど。

 


村に入り、きれいな川沿いの道を行くと左手に洞窟ホテルなるものが見えてくる。
これは、多分あの奇岩に似せて作った人工の建物。

イランの最後ぐらい、ホテルにでも泊まろうかと思ったけど意外に高くて、しかも着いたのが
夜遅く、寝るだけのために払うにはもったいないので、結局村のはずれにある川辺で車中泊。


翌朝

すがすがしい朝を迎え、車の外で朝ごはんを食べていると向かいの山の上から
羊を連れたおじさんがやってきた。





同時に背後の道からは、ドンキーに乗ったおばちゃん達が続々と現れ、その後ろにも
数百頭の羊の群れ。




朝の通勤ラッシュ。お勤めご苦労様でございます!


 川の向こう岸に集結した羊たちは、ぎゅうぎゅうに一まとめされ、そこにおばちゃん達が
もぐりこみ、せっせと乳搾り。



500頭ぐらいはいる羊の群れと、乳を搾るおばちゃんたちを眺めながら、たまに手を振ったり
するんだけど、みんな私たちを見て見ぬ振りをしている。

そういえば、さっきから通りかかる村人にも挨拶をするが、9割の確立で無視されるか
そっけない返事が返ってくるばかり。

この村はきっと、観光客があまり好きではないんだろうな。

岩とその周りのレストランや商店を除けば、ここはフツーのイラン人が住む小さな村だ。

そんなところに、1泊100ドルもするホテルに泊まりにくる外国人や金持ちイラン人に
嫌気がさすのもなんとなくわかる気がする。

それと対照的だったのが、ここで商売をする人たちの愛想の良さ。

観光客の恩恵に与かっているのは、こういった商売人だけなのかもしれない。









 この奇岩のエリアは、岩の洞窟を利用して小さなお店や観光案内のオフィスなどが
あちらこちらに散らばっている。




 そしてこんな観光地のお土産屋さんでも、売っていたキリムの値段はもちろんおじいさんの
正直価格。

ここでも1枚お買い上げ。


その後は一路国境への道。
1ヶ月前イラン入りした、オールミエ付近の国境に近づくにつれ、帰りたくないような。。。。
というのはウソで、違う国に行ける喜びと期待で満ち溢れていました。

最後オールミエのバザールでいろいろ買い物し、イランで何回食べたかわからない
チェロウ・ケバブを食べ収めして、トルコに向かう。


そして、国境に一番近いガソリンスタンドでディーゼルを260リットル満タンに!
イランの驚きのオイル事情については、次から書くイランのまとめにでも書きます。


ということで、私たちの35日に及んだイラン5000kmの旅は終わったのでした。

しかしイランを出ただけであり、私たちの旅は今度はトルコ人の手厚いホスピタリティーとともに
まだまだ続くのでした。

2013/10/29

タブリーズのバザール

イラン旅も残す所2日。

思い残す事は?

あります。

この1ヶ月ぐるりとイランを回り、観光地バザールも行けば、ローカルバザールに行って
探していたものは、キリム。

あと、1日でイランを出るのにキリムを手に入れてない。

テヘランからここまで来るのに、バザールに行くことも出来たんだけど、もう人ごみを
歩く気力がなくて、どちらかと言えば山の上で本でも読んでいたい、そして温泉で疲れを
癒し、静かにイランを出たかった。

キリムも色々見てきたけど、コレという出会いがなかったということは仕方ない。
残念だったけど、縁がなかったと思い諦めることにした。

帰りのトルコで買ってもいいんだし。。。

そんな感じで、最後ふらーっと立ち寄ったタブリーズ。
ここにあったバザールは、つい先日知ったんだけど、世界遺産だったみたい。







キレイなイスラム建築のバザールで雰囲気はとってもいいんだけど、売ってるものが安っぽ
すぎる。残念。

無数にある入り口のどこからかバザールの中に入り、通ってる道を記憶しながら進んで行く。
でないと戻れなくなってしまう。

けっこう入ってすぐの所に、キリムを扱う店があった。
冷かしがてらに中に入ってみると、壁に大きなキリムが2枚飾ってあった。

これを見た瞬間、2人して「コレは!」目を見合わせた。

大きさといい色合いといい、探していたもの、イメージしていたものにかなり近い。

うわっ、なにこの巡りあわせ。

一応値段を聞いてみる。

すると、店員さんは電卓で数字弾き出し「ユーロでなら200」とのことだった。

このグレードで200!

即買いしようかと思ったけど、他も見てきますといって店を後にする。
お店の人も、笑顔で待ってますと言ってくれた。

店を出るとマークスが

「他のを見なくてもあれは買うと思うよ。あの値段だったら値切ったりしないでそのまま買う」

値切り戦士の彼が、そんな事を言うなんて。

そう、今まで他の地で散々キリムやカーペットを見てきたけど、あんな良心的な値段は
地元プライスに間違いない。

もし少し値段を上乗せしてたとしても微々たるもので、そこを値切るのは流石に恥だ。

いつもこういうバザールでちょっと大きな買い物をするときは、値切り合戦の戦闘モードに
入るんだけど、そうだ、ここはイランだった。
そんなことする必要はナイ。

それから、バザールをグルグル周り歩き、上質なイラン産のコットンやら何やら色々買い求め
結局さっきの店に戻り、キリムを買うことにする。

さっきの店員さんが、ニコニコしながら近づいてきたので、この壁に掛かってるのを下さいと
訪ねると、なんか調子のいい感じで

「あ、あのさっき言ってた200ユーロっていう値段、あれ間違いでした エヘっ。」

聞くとあれは仕入れ値で、売値は倍だと今更言ってきた。

おお、イランでこういう人もいるんだと、けっこう意外なパターンで呆気に取られたけど
倍で400ユーロだと、ちと高い。

それに、なんてったって嘘臭い。
だからそこを問いただして、なんでだ、なんでだと押し問答になっている時に、英語が話せる
イラン人のおじさんが タイミングよく店に入ってきて、私達の言い分を通訳してくれた。

そして、このおじさんも訳しながら呆れ顔で「そんなのおかしいでしょう、嘘はやめなさいよ」
みたいな事を言ってくれて、一見落着。
騒がしい店内が静かになった。

結局200ユーロで買ったけど、この1人の店員だけは

「テヘランなんかに行ったら、こんなの1000ユーロはする」とか
「このお店はあまり儲かってないんです、頼むからあと30ユーロ乗せてください」とか

せっこい事を言う人だなー。

そのうち膝をついて懇願のポーズに。

さすがに他の店員さんも、もう恥ずかしいから止めろといって引きずられるように立たされて。

多分、観光客相手の商売に慣れてない人で、テンパっちゃったんでしょう。

店の片隅で泣きそうになっていたので、10ユーロだけ上乗せして代金を払って店を出る。

ちょっと後味の悪い買い物だったけど、そんなことよりこんなところでとてもいいキリムが
買えたことに大満足の私達。

他のお店の人たちもとても穏やかで、みんな写真を撮ってくれと勝手にポーズを取り出したり。


最後に食料やスパイスをしこたま買って、タブリーズを後にする。

ここのバザール、イランの中では1番気に入りました。





トルコに近いせいか、車の運転が信じられないくらい穏やかで、人も穏やか。

そういえば市内の有料道路の料金ゲートでも、ドイツから来たというとタダで通して
くれたり。

いいところだったなタブリーズ。

という事で今日の寝床を探しに、最後トルコのミニカッパドキアと言われるキャンドヴァ-ン村へ
向かったのでした。

2013/10/24

イランの温泉 サルエイン

穴場の温泉街を期待していたのとは裏腹に、イランの温泉リゾート地に来てしまった
私達。

それでも44度越えの温泉があるなら、何が何でも入りたい。

そんな思いを募らせて「garmish」という温泉場はないかと聞きまわる。

ここの温泉街では、ハイドロシステムでお湯を循環させてるところが特に人気らしく
次の入場を待つ客が列を成していた。

そのハイテク温泉から道を挟んだ反対側に、大分古い感じの温泉を発見。
これがGarmish温泉だ。

2時間ごとに男女が入れ替わるシステムで、お湯も全部入れ替えるという徹底ぶり。

最初はマークスが入り、私は駐車場で待機。

いよいよ女性の時間帯になり、水着を持参で入場。
入場料は50円ほど。

中に入りどのロッカーを使うか迷っていると、イラン人の美しいおばさんが「どうかしましたか?」と
ドイツ語で話しかけてきた。

ん??なんでドイツ語なんだ?

それからおばさんは「ああゴメンナサイね、英語は話せる?」と聞きなおしてきた。

どっちも話せますと言って色々話しをしている内にすっかり意気投合し、一緒に浴場へ向かった。

浴場は屋外にあって、20m四方はありそうな大浴場。

真ん中から源泉が湧き出ていて、お湯の色は天然温泉さながら、泥色に濁っている。

場内は水着着用で、熱すぎて入れない人たちがプールの縁に腰を掛けておしゃべりに
花を咲かせていた。

そんな中にやってきた謎のアジア人、わたし。

日本人だと言うと、ここでも大歓迎の嵐であっという間に囲まれた。

美しいイラン人のおばさんはテヘラン出身だけど、ドイツにはもう20年も住んでいる。

イラン革命のあと、祖国に愛想がつきドイツへやって来た。

「私はイラン人というか、もうすっかりベルリーナよ。イランには戻りたくない。」

ドイツにしっかり根をおろし、ベルリーナを自称する彼女。

「もしイランに居たら、ここの女性達みたいに学もなく、ただ子を産み家に閉じ込められる人生。
この人たち可哀想だと思わない?? 世間知らずにも程があるわ。
恥ずかしいったらありゃしない。」

そんなことを、周りのおばちゃん達が理解できないのをいい事に話す彼女。

故郷の人間をそんな風に言う事はないだろうと思ったけど、 イラン人女性として人生の
半分以上生きてきた彼女が口にした言葉。

並ならぬ努力でこの国を出てきて、自由を手に入れた彼女だからこそ、外側から彼女達を見て
言える言葉なのか。

イランに対しての苛立ち、そしてかつての自分を哀れんでいるような、何とも言えない表情を
浮かべる彼女がとても印象的だった。

だけど、

ここのおばちゃんたちが、もしもどっかの国に移住して自由を手に入れたら、果たして
それが幸せなのだろうか?

自由はあっても、人情がない社会があるというのを彼女達は知ってるのだろうか?

「ちょっと、肩もんでくれる?」

いきなり背中を向けてそんなことを言い出した、隣に座る大きいおばちゃん。

ムチムチした肌に触れながら、「こっちのほうが、絶対良いって!」と言いたくなった。

肩もみが終わると、今度は私のマッサージをしてくれたおばちゃん。

この人たちは、ここに居るほうが絶対幸せだよ!



ところで、温泉の話。

やっぱ熱いお風呂は、心に身体に沁みますねー。

44℃の温泉。

日本人の私的には、最初だけは熱いけど、慣れてしまえば最高のお湯加減。

しかし、地元の人にとっては熱湯で、お湯に浸かってる人は少なかった。

平気な人は平気みたいで、泳ぎまくってる人もいた。

1時間ぐらい出たり入ったりしながら、その世間知らずと言われるおばちゃんたちと過ごして
いると、いきなり大粒のヒョウが降ってきて、大嵐になった。

雷もバリバリ鳴っていたので、もうちょっと居たかったけど、怖くなったので退場する。

心身共にリフレッシュした後は、レストランが立ち並ぶ通りへ出て食事をする。

ほとんどの店先に、この辺の名物であるらしいヨーグルトにニンニクたっぷりみたいなスープが
大鍋に入ってぐつぐつ煮えていた。

腹ごしらえをした後は、山方面に向かい寝床探し。

山を登って行くと、この辺りはどうやらスキーリゾートだという事が判明。
スキー場に温泉街。

日本みたいだな。



山を登って頂上付近。
このまま越えられると思いきや、行き止まりだった。

なので、その行き止った所で車中泊。


 翌日、来た道を下ると遊牧民のテントが方々に散らばっているのが見えた。

夏はスキー場で遊牧民が放牧。

これは、日本にはないわね。



 続

2013/10/23

イラン旅終盤、山間での数日。

カスピ海から山へ入り、今日の寝床を探す。

山から流れカスピ海に注ぐ川の岸辺には、ピクニックの人たちで大賑わい。

車中泊に絶好のポイントがいっぱいあったんだけど、なるべく人目を避けたい日だったので
川岸は諦めて、山へ登ってゆく。

ドンドン登って行くと、小さな集落があって外国ナンバーの私達の車を不審な目で見る人が
多く見られた。

通りかかる人にもちゃんと挨拶をするも、無視か凝視されるだけだった。

気まずいなーと思いつつそれでもどんどん上ってゆき、山の中腹に空き地を見つける。


 ほっと一息つき、夕食も食べ終わりしばらくすると、鎌をもったおじさんがやってきた。

「ここで何をしてるんだ。」

ちょっと遠くの方から声をかけてくるおじさん。
あまり好意的でないのは、鎌を見れば分かる。

しかし、ここはこちらが友好的に出ないと何かあっても困るので、地図を持って道に迷った
旅人を演じ、なんとか自分達が怪しい者ではない事を訴えた。

イランで車中泊することに、完全に安心しきってしまっている私達。

だけど、こんな所に見知らぬ外国人が通るのを怖いと思う住民だってもちろんいるわけで、
鎌を持ってくるのも理解できる。

事情を話し今日はここで寝ることを話すと、良い旅をと言って去っていった。

あーよかった。


翌日はRashtを通過し、ちょっと先にあるFumanという街からさらに先に行った所にある
maslehという、ちょっとした観光名所へやってくる。


山間に土色の古民家がびっしりとへばりつくように建ち並んでいて、そこには今でも人がちゃんと
住んでいる。

観光客も多いらしく、お土産屋さんや食堂が連なるエリアもちゃんとあった。



家と家とをつなぐ地元住人用の階段を当てもなくぶらぶらしていると、日向ぼっこをしながら
編み物をしているおばあちゃんたちが、英語で「ハロー」と挨拶してきて、手編みの靴下を
買ってくれとせがんできたりします。



ここは築800年だという古民家。

家の中を見学させてくれるというのでおじさんに付いてゆくと、玄関先では靴下を編んでる
おばあちゃん。

そんな商売の仕方もあるみたいだ。

靴下は可愛かったから2足お買い上げ。

ついでにいくつかの調理用の壺を買い求め、集落を後にする。

それから私達は、悪天候で嵐の中クネクネの山道を行き、下界に降り立ちその辺で見つけた
麦畑のあぜ道に、こっそり隠れて就寝。

ああ、そろそろイラン飽きてきたなー。。。。。。

そんな事を感じるようになってきた頃だった。

翌日、ardabilという街を通って、温泉地があるsar‐e‐Eynという所に行く。

ここは、日本のある学者さんが書いたイランの温泉調査の文献をたまたま見つけて読んだ事があり、
イランに行ったら絶対行こうと決めていたところ。

水温が44.5度というだけで、私にとっては十分来るに値する所だ。


やっぱ日本人ですからね、世界の温泉事情は気になります。

しかもこの熱さ。こんなのなかなかないですよ。

さて、温泉地に降り立った私達。
もっとしっぽりとした温泉街かと思ったら、ホテルとか立ち並びレジャー施設が充実してそうな
温泉リゾートだった。

あっちゃー、やっちまったか???

せっかくここまでやってきたのに、ホテルの地下にあるスパみたいのだったらどうしよう。。。。

そんな不安を抱えながら、ホテルの客引きがひしめく道の間を割り入るように車を乗り入れて
偵察に向かうのでした。

2013/10/18

カスピ海を去る日

A一家と過ごしたカスピ海での休日、最終日。

今日でお別れになるのだが、出発する時間までみんな思い思いにダラダラ過ごしていた。

お父さんはテレビを見て、お母さんはお昼ごはんと帰りの支度。

私がテラスで本を読んでいた時、マーを含めた男衆4人がちょっと出かけてくると言って
車で出て行った。

ギャルの彼女は留守番で、イランでは禁止されている欧米の音楽をガンガン鳴らして洗車
していた。

その音楽がイーグルスの「ホテルカリフォルニア」で、これまた彼女のキャラと随分の
ギャップがあり、思わず吹き出しそうになった。

しかも何回もリピートしていたし。。。

お昼ごはんの時間をとうに過ぎた頃に、マークスたちが帰ってきた。

「何してたのー??」

何気に聞いてみたけど、マークスはニヤニヤしながら後で教えるからーと言って
空腹のお腹にイラン風焼きスパゲティーのようなものをかき込んでいた。

後で話をきくと、男達は海にナンパしに行ってたらしい。
イラン風のナンパ。
それをマークスに見せたかったらしいのだ。

まずビーチ沿いの繁華街に車で乗りつけ、ゆっくり流しつつ女の子を見つけ出す。

ナンパ待ちの女の子もけっこういるらしいけど、簡単にはつかまらない。

ここからがイラン流。

まず、大っぴらに声をかけて、一緒に連れ歩くのが禁じられているので、目当ての子が居たら
こっそりと自分の携帯番号が書いてある紙を渡す。

その数分後、女の子が気に入れば電話がかかってきて、待ち合わせの場所を指定して
あとで落ち合う。

そうしてGETした女の子とマシヤールはビーチで落ち合い、腕を組んで仲良く浜辺を
散歩していたそうな。。。

その頃そんな事とはつゆ知らず、ルンルンで洗車している彼女ともそんな風にして
出会ったらしい。

マシヤール、他にも絶対彼女がいると見た。

さて、とうとうお別れの時間がやってきてしまった。

出会ったばかりの旅人を、家族や友人の輪の中に入れてくれて、みんなで過ごした4日間。

自宅もそうだけど、別荘もそれはそれは快適で、こういうのを味わってしまうと
とっても腰が重くなる。

テヘランに戻ってもうちょっとゆっくりしてゆけばとも言われたけど、他にもまだ行きたい
ところがあったし、ビザの期限を考えると先に行くしかなかった。

最後ギャルの彼女にアイラブユーと言われ抱きしめられ、みんなで写真をとってお別れをする。



さよなら、ベシー。どうかお元気で。


 さて、再びさすらいの旅人になった私達。

カスピ海のビーチで車中泊して、魚とか毎日食べてのんびり行こうかなんてステキな
計画があったんだけど、海沿いを走っていて愕然とする。

とにかく、海岸沿いには別荘やらホテルやらがびーーーーっしりと軒を連ね、手付かずの
砂浜なんてあったもんじゃない。

海沿いなので、屋台で魚とか焼いてるのを想像していたけど、魚を出すレストランを探すのも
一苦労。

港の市場みたいなところでも聞いてみたけど、魚は街に行けば食べれると言われて
港街なのに、吊り下げられた羊肉が至る所で見られる始末。

ビーチ泊もできない、魚も食べられない。
カスピ海に居る意味ないじゃーん。 
(ちなみにカスピ海はキャビアで有名なところですが、私キャビアは嫌いです。)

ということで、もう山の方に入って行こうという事で、予定を変更し海沿いの道を逸れたころ
一瞬魚らしき絵が描いてある食堂が見えた。

魚の割には体の長い、サメっぽい魚。

通り過ぎたんだけど、また戻ってもう一度絵を見ると、明らかにサメだった。

まー、キャビアが有名なとこだし、ついでにサメも食べたりするのかしらと思いつつ
食堂に入り、魚はあるかと聞いてみると、肉とかと一緒にショウケースの中にちゃんとあった。

なんの魚か分からないし、値段も分からないし、メニューは全部ペルシャ語で、英語も一切
通じないから、魚がどんな風になって出てくるかも分からなかったんだけど、お店の人を
信じて注文してみた。

始めにお通しみたいな感じで、エシャロット入りのカスピ海ヨーグルトと、生のソラマメが
さやごと出てきた。

そう、こっちの人って生の豆をよく食べるんです。

豆だけでなく、青梅とかもそのままカリカリ小動物のようにかじってます。

あんまり体に良くない気がするけど、所変われば、、、、です。

さて、しばらくすると、ドーンと運ばれてきたのがこちら。

30cmぐらいはある巨大な魚の素揚げでした。


これにソラマメ入りの大盛りライスとサラダ飲み物がついて、2人で10ユーロちょっと。

これ、イランではけっこう高い方で、だからあんまり需要がないんだと思うのです。

庶民の間で魚が食べられるようになったのも、そんなに昔の話ではないらしく、海沿いの
街でこの程度だから、まだまだ一般的ではないんでしょうかね??

でも、この魚、美味しかったです。
あまり脂が乗ってないホッケみたいだけど、揚げてあるのでそれで丁度いいといった感じの魚。

でか過ぎで食べられなくて、お持ち帰りしました。


魚も食べた所で、カスピ海とはさようならー。

あの海岸沿いは、ちょっと残念だったな。

だけど私達には山がある。

しかもこれから入る山には、温泉があるとの情報を得ていたので、それはそれで楽しみにして
海を臨む山へと登って行ったのでした。