イランに来る前に、イランについて知っている事といえば、なんだったっけ?
反米のイスラム教国家で、女性がけっこう虐げられていて、30年前はイラクと戦争を
していた国。
そして新しいところで言えば、核兵器開発疑惑がもたれてる国。
そんな程度のイメージしかなかったけど、イランを旅する人たちのこの国の印象は
すこぶるよいもので、いつか行ってみたいと思ってました。
今回イランを旅したことでよくわかった事といえば、素顔のイランとでも言いましょうか、
とにかくいろんなベールに隠されていたこと、いろんなフィルターが被さっていて
よく見えなかった部分が、人懐っこいイラン人の皆さんたちと寝食を共にすることで
見えてきたことかな。
この旅で5週間イランに滞在したんだけど、うち計2週間はどこかしらのお宅にお招きに預かり、
楽しい時間を共に過ごしました。
その時間で、私がなるほどこれは!と思った気づきを、いくつか書いてみようと思います。
まず、イラン人は反米で熱心なイスラム教徒なのか???
これに関して、少なくとも私の見解はNOです。
確かにそういう人もいます。
だけど私が出会ったイラン人はの殆どは、アメリカに個人的な恨みなどもっていないし
国が掲げる反米政策に同意する人は殆どいません。
その政策で国交が断絶されたり、経済制裁で輸入や輸出の規制があり、通貨が暴落して
物価がどんどん上がってきている。
この煽りをもろに受けているのが、一般の市民であり、私たちをもてなしてくれた
あの人達だって、例外ではない。
生活が追い詰められるよりも、一刻も早くアメリカと仲直りして安定した暮らしがしたいと
言うのが本音ではないでしょうか。
一方で、人種差別とも受け取れるほどのアメリカ嫌いの人がいるのも事実です。
露骨に何人だとマークスに聞いてきて、ドイツ人だというと態度がいきなり変わったり
アメリカかイギリス人だったらお金取るけど、ドイツ人は歓迎!という料金所の徴収係りも
いたり。
人によりけり。
だけど、世論は過激なものとは程遠いものです。
そして、彼らの宗教観。
イランは国を挙げてイスラム教を国教としている、イスラム教国家。
だから、政治や社会秩序はすべてイスラム法に基づいて国が成り立っている。
ということなので、さぞかし国民も信仰熱心なんだろうと思いきや、全然でした。
たとえば、お酒や豚肉が禁止とか、女性の身なりなどは他のイスラム教徒が多い国と
変わりません。建前は。
だけど、それは目に見えてわかる物事の規制であって、信仰心までコントロールできてない
というのが私の印象です。
イランは私が今まで旅したイスラム教の国では、ダントツで信仰心が薄い人が多いです。
それは一般のイラン人がお祈りをしたり、礼拝に行く回数で気づきました。
してないんだなー
これは、とてつもなく意外でした。
彼らにとっての神を侮辱したり、否定する言葉こそ出てはこないけど、だからといって
神に感謝して、神の恩恵に与るために生きるという人は、私が出会った人の中では
覚えてるだけで、1人だけです。
マークスがこれを、彼が生まれ育った東ドイツという当時社会主義だった国に例えて
こんな話をしてくれました。
東ドイツは、国民は皆平等で国に属し、国の繁栄のために働き、
社会主義を賞賛した。
そして、すべてはうまく行っている、国民も国に対して忠実で、
皆堅実な労働者だというのが建前だったけど、実際国に忠誠心を誓う人なんて
微々たる数。
労働して生活を営む。
これは生きてゆく上で欠かせない事だけど、政治理念まで植えつけることなんて
不可能なわけで。
イラン人の宗教観もそれと同じようなものだと言っていた。
強制されるものに、人々の心なんかついてこないんだと。
イランは、79年のイスラム革命でさらに厳格なイスラム教国家になったものの、実際には
その後イランではとても生き辛くなったと嘆く人が後を絶たない。
イランを旅して、誰かと知り合いになったら、かなりの確率でこんなことを聞かされると思う。
「革命前の方がよかった。イランはもっと自由でのびのびしていた。ホメイニはだめだね」
(ホメイニ師:イランの国家最高指導者。大統領の選出も法の改正も結局この人の一存で全てが決まる)
革命前がどういう風に良かったのかは分からないけど、少なくともイスラム国家になって
いい事などない。
国家の中でも亀裂を生むし、国際社会からは孤立して行くばかり。
その煽りが自分たちの家計まで及ぶとなると、単純すぎるけど「ホメイニ=イスラム」が悪い
という構図が出来上がるわけ。
だから、イスラム教というものを軽視している人が、実に多いという印象を受けたのです。
ちなみに私たちの旅は、フツーのイランの人々と触れ合う日々だったのでこんな感想ですが、
イラン中部の街QOMなんかにはシーア派の聖地があったり、しかる場所に行けば、
敬虔なイスラム教徒はいくらでもいるのであしからず。
もののついでに書いておこうと思うんですが、さっきみたいな単純な構図で、イラン人が、
というかイスラム教徒がドイツ人に友好的な理由というのがあります。
イスラムの国に来るとマークスはドイツ人だからというだけで、よく歓迎されます。
なぜなら、パレスチナのイスラム教徒たちが、イスラエルのユダヤ人に迫害され続けて
いるからです。
おわかりでしょうか?
その憎きユダヤ人を迫害し続けたのがドイツ人だから、マークスは良い奴となるわけです。
超単純。。。
たまにものすごく真面目に「ヒトラーは真の英雄だ」とか言う大バカ者もいたりします。
それを言えばマークスが喜ぶと思う人もいれば、 どこで覚えたのかナチスの敬礼までする
人もいます。
マークスはそのたびに怒り心頭で、それは間違ってると、そんなのドイツで言ったりしたら
捕まるぞと、言ってることの重大さを説く場面を何度も見たことがあります。
ついでに言うと日本人も同じ。
日本人というだけでコロッと態度を変える人がいます。
イランでは道を歩けば「チ-ン チーン(中国人)」と、人の顔を見て堂々とからかう
人がものすごく沢山いるんだけど、自分がもし中国人だったらそりゃ腹が立つけど
日本人なので、言われたらその場で「ジャポーン ジャポーン」と言い返します。
すると、手のひらを返したように擦り寄ってくる。
「ソーリー、チャイニーズ NO GOOD、ジャパニーズ GOOOOOOOOOOD!」
とか言うもんだから、あきれて相手にもしたくなくなる。
友好的なのはうれしいけど、その背景に人種差別があったりするとがっかりなのです。
仮にマーがアメリカ人で私が中国人だったとしたら、こんな旅はできるのだろうか疑問です。
イラン人はものすごく優しかったけど、これがもし人種によりけりだったら残念だなー。。。
パート2に続く
反米のイスラム教国家で、女性がけっこう虐げられていて、30年前はイラクと戦争を
していた国。
そして新しいところで言えば、核兵器開発疑惑がもたれてる国。
そんな程度のイメージしかなかったけど、イランを旅する人たちのこの国の印象は
すこぶるよいもので、いつか行ってみたいと思ってました。
今回イランを旅したことでよくわかった事といえば、素顔のイランとでも言いましょうか、
とにかくいろんなベールに隠されていたこと、いろんなフィルターが被さっていて
よく見えなかった部分が、人懐っこいイラン人の皆さんたちと寝食を共にすることで
見えてきたことかな。
この旅で5週間イランに滞在したんだけど、うち計2週間はどこかしらのお宅にお招きに預かり、
楽しい時間を共に過ごしました。
その時間で、私がなるほどこれは!と思った気づきを、いくつか書いてみようと思います。
まず、イラン人は反米で熱心なイスラム教徒なのか???
これに関して、少なくとも私の見解はNOです。
確かにそういう人もいます。
だけど私が出会ったイラン人はの殆どは、アメリカに個人的な恨みなどもっていないし
国が掲げる反米政策に同意する人は殆どいません。
その政策で国交が断絶されたり、経済制裁で輸入や輸出の規制があり、通貨が暴落して
物価がどんどん上がってきている。
この煽りをもろに受けているのが、一般の市民であり、私たちをもてなしてくれた
あの人達だって、例外ではない。
生活が追い詰められるよりも、一刻も早くアメリカと仲直りして安定した暮らしがしたいと
言うのが本音ではないでしょうか。
一方で、人種差別とも受け取れるほどのアメリカ嫌いの人がいるのも事実です。
露骨に何人だとマークスに聞いてきて、ドイツ人だというと態度がいきなり変わったり
アメリカかイギリス人だったらお金取るけど、ドイツ人は歓迎!という料金所の徴収係りも
いたり。
人によりけり。
だけど、世論は過激なものとは程遠いものです。
そして、彼らの宗教観。
イランは国を挙げてイスラム教を国教としている、イスラム教国家。
だから、政治や社会秩序はすべてイスラム法に基づいて国が成り立っている。
ということなので、さぞかし国民も信仰熱心なんだろうと思いきや、全然でした。
たとえば、お酒や豚肉が禁止とか、女性の身なりなどは他のイスラム教徒が多い国と
変わりません。建前は。
だけど、それは目に見えてわかる物事の規制であって、信仰心までコントロールできてない
というのが私の印象です。
イランは私が今まで旅したイスラム教の国では、ダントツで信仰心が薄い人が多いです。
それは一般のイラン人がお祈りをしたり、礼拝に行く回数で気づきました。
してないんだなー
これは、とてつもなく意外でした。
彼らにとっての神を侮辱したり、否定する言葉こそ出てはこないけど、だからといって
神に感謝して、神の恩恵に与るために生きるという人は、私が出会った人の中では
覚えてるだけで、1人だけです。
マークスがこれを、彼が生まれ育った東ドイツという当時社会主義だった国に例えて
こんな話をしてくれました。
東ドイツは、国民は皆平等で国に属し、国の繁栄のために働き、
社会主義を賞賛した。
そして、すべてはうまく行っている、国民も国に対して忠実で、
皆堅実な労働者だというのが建前だったけど、実際国に忠誠心を誓う人なんて
微々たる数。
労働して生活を営む。
これは生きてゆく上で欠かせない事だけど、政治理念まで植えつけることなんて
不可能なわけで。
イラン人の宗教観もそれと同じようなものだと言っていた。
強制されるものに、人々の心なんかついてこないんだと。
イランは、79年のイスラム革命でさらに厳格なイスラム教国家になったものの、実際には
その後イランではとても生き辛くなったと嘆く人が後を絶たない。
イランを旅して、誰かと知り合いになったら、かなりの確率でこんなことを聞かされると思う。
「革命前の方がよかった。イランはもっと自由でのびのびしていた。ホメイニはだめだね」
(ホメイニ師:イランの国家最高指導者。大統領の選出も法の改正も結局この人の一存で全てが決まる)
革命前がどういう風に良かったのかは分からないけど、少なくともイスラム国家になって
いい事などない。
国家の中でも亀裂を生むし、国際社会からは孤立して行くばかり。
その煽りが自分たちの家計まで及ぶとなると、単純すぎるけど「ホメイニ=イスラム」が悪い
という構図が出来上がるわけ。
だから、イスラム教というものを軽視している人が、実に多いという印象を受けたのです。
ちなみに私たちの旅は、フツーのイランの人々と触れ合う日々だったのでこんな感想ですが、
イラン中部の街QOMなんかにはシーア派の聖地があったり、しかる場所に行けば、
敬虔なイスラム教徒はいくらでもいるのであしからず。
もののついでに書いておこうと思うんですが、さっきみたいな単純な構図で、イラン人が、
というかイスラム教徒がドイツ人に友好的な理由というのがあります。
イスラムの国に来るとマークスはドイツ人だからというだけで、よく歓迎されます。
なぜなら、パレスチナのイスラム教徒たちが、イスラエルのユダヤ人に迫害され続けて
いるからです。
おわかりでしょうか?
その憎きユダヤ人を迫害し続けたのがドイツ人だから、マークスは良い奴となるわけです。
超単純。。。
たまにものすごく真面目に「ヒトラーは真の英雄だ」とか言う大バカ者もいたりします。
それを言えばマークスが喜ぶと思う人もいれば、 どこで覚えたのかナチスの敬礼までする
人もいます。
マークスはそのたびに怒り心頭で、それは間違ってると、そんなのドイツで言ったりしたら
捕まるぞと、言ってることの重大さを説く場面を何度も見たことがあります。
ついでに言うと日本人も同じ。
日本人というだけでコロッと態度を変える人がいます。
イランでは道を歩けば「チ-ン チーン(中国人)」と、人の顔を見て堂々とからかう
人がものすごく沢山いるんだけど、自分がもし中国人だったらそりゃ腹が立つけど
日本人なので、言われたらその場で「ジャポーン ジャポーン」と言い返します。
すると、手のひらを返したように擦り寄ってくる。
「ソーリー、チャイニーズ NO GOOD、ジャパニーズ GOOOOOOOOOOD!」
とか言うもんだから、あきれて相手にもしたくなくなる。
友好的なのはうれしいけど、その背景に人種差別があったりするとがっかりなのです。
仮にマーがアメリカ人で私が中国人だったとしたら、こんな旅はできるのだろうか疑問です。
イラン人はものすごく優しかったけど、これがもし人種によりけりだったら残念だなー。。。
パート2に続く
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