セミロンからシラーズへの道。
イランは高速道路がきちんと整備されているので、都市から都市へのアクセスが
非常に楽な国だ。
なんですが、私達はあえてそこは通らずローカルな道路を攻める旅なので
余程の事がない限り、高速道路は使わないようにしている。
そのおかげで、イランに限らず、今まで色んな国のローカルな人々との出会いが沢山
あった。
人との出会いこそ旅の醍醐味なんですが、たまーに高速道路に乗ってヒョイっと次の
街に行きたくなる私と、あくまで裏道を攻め続けるマークスとの間に亀裂が生じる
こともある。
旅をしていて、喧嘩になる時、もう帰りたいと私が愚図り始めるのはだいたいこういう時。
山道8時間ドライブとか・・・・・
セミロンを去ってから、進行方向にずーっと見えてる巨大な山脈。
この日は、この山を越えてみようの日だった。
この季節で、あの雪の積もり方。
富士山級だな、こりゃきつい1日になるぞと思いながら横に目をやると、ウッキウキで運転
するドイツ人。
この人、雪山を見るとものすごくコーフンするらしく、気分上々鼻息フンフンで山に向かっていた。
山の入り口らへんに着くと、遮断機が道に差し掛かっていて、その周りには武装した男達が
わんさかいて、なにやら物々しい雰囲気。
「この山を越えて、あっち側の街まで出たいんだけど!」
言葉がまったく通じないので地図を見せて説明する。
しかし、その地図に載っている道というのは存在しないと言う。最新の地図なのに!
結局分かりやすい道に出る所まで案内してあげるといって、武装した男5人、バイク1台を
引きつれ、山道を登る事になった。
この山の中がすごかった。
そんな山の中にあるとは想像できない、キレイな集落があって、標高もかなり高いのに
雪解けの川が流れるせいか、りんごとか小麦とか栽培している。
秘境というか天国という名にピッタリの風景。
写真は絶対禁止と言われたので撮れなかったのが残念。
多分国立公園かなんかなんだろうけど、そんな場所に人は住んでいいのかとか
あそこは一体なんだったのか、未だに謎。
彼らは公園内を取り締まるレンジャーで、この山中に生息する絶滅危機種の動物を
不法なハンターから守る仕事をしているようだった。
その証拠に、私達の道案内そっちのけで、怪しい人物を見つけるとすぐさま車から武装男達が
出動し、ライフル銃を肩に掛けて忍者のように山を登っていった。
私達は2時間ぐらい崖っぷちに放置され、戻ってきたレンジャー達と来た道をまんま
戻って、ここを曲がって行けば道に抜けるよと説明された後、別れることになった。
こんな道、案内がなくてもこれたわ!という道路。
3時間が無駄になった。
言葉が通じないって、たまに痛いのね。。。。
さて、その先もけっこうな山道を行き、寝床探しの時間が始まる。
山脈の間の谷あいには、雪解けのころから放牧しにやってくる遊牧民たちのテントが
点在していた。
彼らはきっとイランの山の民、カシュガイ族だ。
遠くから眺めると、放牧の羊は蟻のように小さく、テントは海低に深く沈んだ船のように
見える。
そんな谷間を何度も何度も下ったり登ったりしながら、人がいない静かな場所を探す。
途中、道路工事をしていおじさんから、物凄く露骨にお金を無心された。
イランでそういう事があったのは、後にも先にもこの時一回きりだった。
何度か谷間を抜けたところに突如として現れた川。
りんごの木の合間に車を止めて、こんどこそ人が現れないことを願い就寝。
山道ドライブはけっこうきついけど、こういう所に限って物凄い感動の風景に出会ったりする
もんだから、文句を言いつつもやはり来て良かったと思う。
この世のものとは思えない風景、そこにある自然と共にちゃんと生活を営んでる人々。
どんなに文明が発達しても、どんなに人類が進化しても、人間はやっぱり動物。
自然があればどこでだって生きて行けるんだ。
自分が生きているところだけが世界じゃないというのは、実生活ではなかなか意識する
ことができない。
だからたまにはこういう旅に出て、この世のどこかの、だけどこの世のものとは思えない
でっかい何かに出合って、世界のほんの、毛穴より小さい、点にも満たないところで
ちっぽけに生きている自分を、私は励ましたい。
地球はとてつもなくデカく、あらゆる物事の可能性や生き方の多様性は、自分で限度を
決めなければ無限大なのだ。
作意のない自然の力と美しさ、静かに生きる山の民を見て、沢山の勇気をもらう。
実生活では絶対に鳴らない心の鐘が、ガンガン鳴り響く。
生きている間はできるだけ沢山、この鐘の響きを聞きたいものだ。
続
イランは高速道路がきちんと整備されているので、都市から都市へのアクセスが
非常に楽な国だ。
なんですが、私達はあえてそこは通らずローカルな道路を攻める旅なので
余程の事がない限り、高速道路は使わないようにしている。
そのおかげで、イランに限らず、今まで色んな国のローカルな人々との出会いが沢山
あった。
人との出会いこそ旅の醍醐味なんですが、たまーに高速道路に乗ってヒョイっと次の
街に行きたくなる私と、あくまで裏道を攻め続けるマークスとの間に亀裂が生じる
こともある。
旅をしていて、喧嘩になる時、もう帰りたいと私が愚図り始めるのはだいたいこういう時。
山道8時間ドライブとか・・・・・
セミロンを去ってから、進行方向にずーっと見えてる巨大な山脈。
この日は、この山を越えてみようの日だった。
この季節で、あの雪の積もり方。
富士山級だな、こりゃきつい1日になるぞと思いながら横に目をやると、ウッキウキで運転
するドイツ人。
この人、雪山を見るとものすごくコーフンするらしく、気分上々鼻息フンフンで山に向かっていた。
山の入り口らへんに着くと、遮断機が道に差し掛かっていて、その周りには武装した男達が
わんさかいて、なにやら物々しい雰囲気。
「この山を越えて、あっち側の街まで出たいんだけど!」
言葉がまったく通じないので地図を見せて説明する。
しかし、その地図に載っている道というのは存在しないと言う。最新の地図なのに!
結局分かりやすい道に出る所まで案内してあげるといって、武装した男5人、バイク1台を
引きつれ、山道を登る事になった。
この山の中がすごかった。
そんな山の中にあるとは想像できない、キレイな集落があって、標高もかなり高いのに
雪解けの川が流れるせいか、りんごとか小麦とか栽培している。
秘境というか天国という名にピッタリの風景。
写真は絶対禁止と言われたので撮れなかったのが残念。
多分国立公園かなんかなんだろうけど、そんな場所に人は住んでいいのかとか
あそこは一体なんだったのか、未だに謎。
彼らは公園内を取り締まるレンジャーで、この山中に生息する絶滅危機種の動物を
不法なハンターから守る仕事をしているようだった。
その証拠に、私達の道案内そっちのけで、怪しい人物を見つけるとすぐさま車から武装男達が
出動し、ライフル銃を肩に掛けて忍者のように山を登っていった。
私達は2時間ぐらい崖っぷちに放置され、戻ってきたレンジャー達と来た道をまんま
戻って、ここを曲がって行けば道に抜けるよと説明された後、別れることになった。
こんな道、案内がなくてもこれたわ!という道路。
3時間が無駄になった。
言葉が通じないって、たまに痛いのね。。。。
さて、その先もけっこうな山道を行き、寝床探しの時間が始まる。
山脈の間の谷あいには、雪解けのころから放牧しにやってくる遊牧民たちのテントが
点在していた。
彼らはきっとイランの山の民、カシュガイ族だ。
遠くから眺めると、放牧の羊は蟻のように小さく、テントは海低に深く沈んだ船のように
見える。
そんな谷間を何度も何度も下ったり登ったりしながら、人がいない静かな場所を探す。
途中、道路工事をしていおじさんから、物凄く露骨にお金を無心された。
イランでそういう事があったのは、後にも先にもこの時一回きりだった。
何度か谷間を抜けたところに突如として現れた川。
りんごの木の合間に車を止めて、こんどこそ人が現れないことを願い就寝。
山道ドライブはけっこうきついけど、こういう所に限って物凄い感動の風景に出会ったりする
もんだから、文句を言いつつもやはり来て良かったと思う。
この世のものとは思えない風景、そこにある自然と共にちゃんと生活を営んでる人々。
どんなに文明が発達しても、どんなに人類が進化しても、人間はやっぱり動物。
自然があればどこでだって生きて行けるんだ。
自分が生きているところだけが世界じゃないというのは、実生活ではなかなか意識する
ことができない。
だからたまにはこういう旅に出て、この世のどこかの、だけどこの世のものとは思えない
でっかい何かに出合って、世界のほんの、毛穴より小さい、点にも満たないところで
ちっぽけに生きている自分を、私は励ましたい。
地球はとてつもなくデカく、あらゆる物事の可能性や生き方の多様性は、自分で限度を
決めなければ無限大なのだ。
作意のない自然の力と美しさ、静かに生きる山の民を見て、沢山の勇気をもらう。
実生活では絶対に鳴らない心の鐘が、ガンガン鳴り響く。
生きている間はできるだけ沢山、この鐘の響きを聞きたいものだ。
続