2009/12/04

中央アジアの旅を終えて


3ヶ月ぐらいかけて中央アジアを周り終わったところだけど、

やはり何度も言うように印象に残ったのは「人」です。

この周った4カ国は総じてイスラムの国家だけど、それぞれの国の人や

習慣の異なりを観察するのが、とても面白かった。


イスラムと言ったら、礼拝。

祈りの回数でいったらカザフスタンがダントツに祈りまくっていて、

タジキスタンなんかでは殆ど見なかった。

回数の問題ではなくこれは習慣の違いだと思うけど

少ないからといって、信仰心が薄いというわけではない。

シーア派だとかスンニ派とか、流派の違いもあるのかな?

私が一番感銘をうけたのが、タジキスタンのワハン渓谷に住む「イスマイリー」

という流派の人たち。

彼らは難しいことを言わず、へんな押し付けや主張がなく、

とにかく物事に対して寛大だ。

やさしくて、とても自然で、他の宗教に対しても寛容で、とにかく「平和」な

人たち。

彼らの暮らしは決して豊かではないと人々は言うし、彼らもそれを自負している。

だけど豊かさの基準を、私が生活する文明社会と 比べること自体が

間違っているのではないかな。

お金や物とかとは全く関係ない所に存在する、真の豊かさを見せつけられた気分。

そして彼ら自身も「それ」がいかに大切なことなのか、分かっているんだと思う。

慈愛に満ちる人々とはまさに、ここに居る人達のことを指すんだな。



こんな旅をしているので、「クルマはいくらした」「給料はいくらもらってるのか」とか

良く聞かれるんだけど、タジキスタンで会った人をはじめ、その「豊かさ」を

携え生きてる人たちは、そんなことには一切興味がない。

金銭的物質的なものだけで、幸せの値など計らないからだ。

逆にそういうことを聞く人たちの殆どは、自分たちの生活と私らみたいな、いわゆる

「先進国」から来た人間の「金銭的なレベル」だけを比べはじめ、勝手に惨めになって

勝手にイジワルになって、金をせがんだりする。

酒飲みと警官に多い。


ちなみに東南アジア諸国のように、いわゆる「物乞い」はあまりに見かけない。

タジキスタンのあるお宅にお邪魔していた時、貧乏で病気になって

食べるものもないと言うおじいさんが

「お金をください」と訪ねてきた。

この家のおばあさんは迷うことなく財布からお金を出し、

このおじいさんに渡していた。

私は親戚か近所の人なのかと思ったけど、見ず知らずの人だと後から知った。

ボロボロになって路上の物乞いになる前に、周りの人に助けてもらえる事を知っている。

また、周りの人も助けるのが当たり前なのである。

そして、弱者に喜捨することもイスラム教徒の習慣なんだと言っていた。

モスクの前に貧しい人が多いのは、そこにいれば必ずお金がもらえると分かって

いるかららしい。


そんな感じで、どんなに貧乏な暮らしをしていても

「うちは超貧乏だから笑っちゃうでしょ!」って

そんなこと笑い飛ばしてしまう明るさがある。

旦那の給料が2万円なんて、本当は笑えるはずがないのに、

全然深刻じゃない。

だけど、この人達はただただ笑顔で迎えてくれて、今ある物で客人を最大級に

もてなすことを、実に心得ている。

もてなしの達人だ。

そしてどこの家に行っても、家の中がとても綺麗だった。

もちろん招いてくれた人たちから、遠まわしにでもお金を要求されたことなど

一度もない。




遊牧民は遠方から来た人をいつでも招き、外の世界の情報を得ていたという。

中央アジアがこんなにもホスピタリティに富むのは、やはり彼らが遊牧民の血を

今も受け継ぐ民族だからなんだと思った。



ここで出合った人たちが、まさに「生きる世界遺産」

どんな名高い世界遺産を訪ねることよりも、私にとってこの「出会い」というものが

この旅において、とても価値のある出来事になった。

特にタジキスタンのワハン渓谷に住む人々。

何気ない1日、人との出会い。

一生忘れないぐらい、心に焼き付きました。



それと、老人がものすごく尊敬されるのも中央アジアの特徴でしょう。

タジキスタンとウズベキスタンの国境あたりから、立派なヒゲをはやし

「トッピ」という民族帽をかぶって、長いコートを着ている老人を良く見かける。

彼らは「アクサカル(白ヒゲという意味)」と呼ばれる人たちで見るからに

「賢者」の風格がある。

そしてシャキっとしていてカッコイイ。

ダンディーとかそういうレベルじゃなくて、人間としての気高さを感じる。


「老人は労わりましょう」的な社会ではもちろんあるんだけど、

それよりも、年寄りは心強く尊敬される対象で、存在感も影響力も大きい。

だから住んでいる地域での大事な決定事などは、彼らに委ねられるという。

沖縄の社会も、こんな感じなんじゃなかったっけ?

道端で遊んでいる小さな子供たちも、後々に立派な白ヒゲじいさんに

なるのかと思うと、不思議な感じがした。

そんな先の時代まで、こういう伝統が無くなっていなければいいな。


女性についてはやはりイスラム国家なので、滅多に家の外を出られなかったりとか

服装や習慣にも何かと規制が多いのは確か。

こちらからしてみたら男尊女卑とも取れるけど、

あちらからしたら、「女性を守るため」の戒律らしい。

 
 そしてここでも、男は外で働き女は家事育児に専念するという考えは一般的だけど

欧米人の多くは

「そんなの女性差別だ」「男女は平等にあるべき」

と考えるのが一般的なので、色んなところでこの「イスラム国家の生活習慣」

を叩きあげるのだそう。


そんなんだからテレビで見る映像は、目だけ出してあとは全身黒スカーフで身を隠し、

外では悲しそうに歩かなくてはいけないとか、

夫にはひれ伏してまるで隠れながら生活しているとか、

そういうネガティブな場面を取り上げることが多い。

しかし、実際お宅にお邪魔してみると、まあどこの世界にもいる強い母ちゃんが

多いいこと。

金銭面や生活環境が厳しい中、立派に子供を育てて、家畜も食物も自分の手で育てて

家の中を切り盛りしている女が弱いはずなんかないのだ。

もっとも私が見たのは中央アジアのイスラム文化の一部であって、

戒律に厳しい所はいくらでもあるんだろうけど。



そして、驚いたのはお酒を飲む人が多いということ。

イスラム教といえば、禁酒、禁豚じゃなかったっけ?

こういうのも実際見てみないと分からないものです。

適度にゆるーいイスラム国家になったのも、多分ロシアのせいなんじゃないか思う。

社会主義体制の下、どこまで宗教を禁じられていたのかは分からないけど、

元々は敬虔イスラム国家だったんだ思う。

あるおじさんが

「ソ連の共和国になってロシア人と共に兵役に就き、学んだことは酒を飲むことだ」

と言っていた。

キルギスにはタチの悪い酒飲みが多かった印象が残っている。

やはりここにも酒で人生を台無しになってる人は、もちろんいるのである。





来るまでは国名すら知らなかった中央アジアの国々だけど、

それまで白地図だったところにだんだんと色がついてくるような感じで

ほんとに面白かった。

一体私はそれまでこの中央アジアの部分に何があると思っていたんだろう?

ロシアかな?

たしかにロシアの一部だったけど、解けたところ、それぞれの国に

こんなに面白いところがあるなんて、思っても見なかった。

世界はとてつもなくデカイよ。

だけど人と触れ合うことで、未知だった世界がぐっと身近になるのも確かだと思った。

色んな人がいて、色んな生き方があって、色んな宗教観を肌身で感じる。

生き方にも、無限の選択があるということを知れたのが、何よりもの収獲。


まだまだ書けることがいっぱいあるけど、まとめるのが超苦手なので

この辺にしときます。

観光面では

もうちょっと知識があったり、もうちょっと興味があって下調べでも出来ていたら

もっともっと面白い旅になっていたとも思います。

多分帰ったら調べることが沢山あって、知りたい事もありすぎるんだけど

それも又いいお土産になったと思います。


そして、また必ず行きたいところは「タジキスタン」。

あそこに行って、人生観が少し変わりました。

特にワハン回廊に暮らす人々に、もう一度会ってみたい。

そして何年先か分からないけど、川を渡った向こう側のアフガニスタンも

平和になっていれば、そこもまた訪ねてみたい所です。

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