2014/01/22

ギリシャから旧ユーゴへ

ギリシャを越えて、マケドニア、アルバニア。

あんまり覚えてないんだよなー。

致命的だったのが、この旧ユーゴ地域の地図を持ってなかったこと。

持ってなかったというか、あったんだけど発行が1990年というどうにも使えなくて
だけど厚みだけは無駄にある図鑑みたいな地図はあった。

ドイツの壁が崩壊した数ヶ月後のものなので、まだDDR(東ドイツ)が違う国として
区切られており、そして当然ユーゴスラビアの国境も存在しない地図。

なんでこんなものを持ってくるかなー。。。

でもどうにかこうにかして先を行くしかないので、とりあえずクロアチアのドゥヴロフニクを
目指すことにした。

一応地図を頼りに進んでは行くんだけど、いきなり国境が現れたり、出入国のスタンプがあったり
なかったり、ここはもうクロアチアなはずと思って走ってたところがボスニアだったり。

400kmぐらいの間に4つも国境があるなんて、そうそうないですよ。
道は極めて簡単なんだけど、その間の国境検査が面倒で仕方なかった。


さて、さくっと行きます。

まずはマケドニア。

とにかく山が多いという印象。
そして物価がとても安い。

途中立ち寄ったレストランからの風景。
山の斜面に沢山の家が立っている。

そして、結構どこでも英語がちゃんと通じる。

チーズがおいしかった。2人でいろいろお腹いっぱい食べて10ユーロ弱。

お約束のビール。ギリシャのより美味しかった。

この日はその沢山ある山のどこかに車を止めて車中泊。




翌日はまた山道を走り、国境を越えてアルバニアに入る。








山道が長く過酷すぎて、こんなきれいな山村の風景にも微動だにしない私の心。

ほんと疲れてました。

アルバニアはイスラム教徒が多い国で、それ故なのかは分からないけど住民が
みんなオープンでフレンドリーで、トルコやイランを思い出させる国民性。

ちょっと国境をまたいだだけでこのちがい。

そういえば、ドイツとポーランドもそんな感じだな。

それとこの国を走る90%の車は、ベンツかアウディーというぐらい、とにかくこの高級車が
田舎の山道とかでも全然普通に走っている。

20年落ちぐらいのモデルなんだろうけど、みんなきれいに乗っているのには驚いた。


国境が近くなってきたところで撮った、道にあった地図の写真。



予想では、アルバニアを越えたらアドリア海に出るんだから、そこはもうクロアチア??
なんて思ってたら大間違い。

その間にモンテネグロがお目見えするのです。

ギリシャからはこんな感じのルート。

しかし、山道とはちがって海沿いのドライブはなんとも気持ちの良いもので、昨日からの
ローテンションから打って変わり、一気に機嫌がよくなる。

それっぽくなってきた!



海沿いに出てからは、ヨーロッパナンバーのキャンピングカーをもの凄く見かけるようになった。
多いのは、イタリアかドイツ。

海岸沿いにも、キャンピングカーなど車専用の宿泊施設がとても充実していた。

そうしてお目見えしたのはこちら。



ドゥブロフニクだ。



2014/01/16

ギリシャの海、夏休みの始まり


トルコの旅を終えて、ギリシャ入り。

イラン、トルコが随分と楽しかったので、もう旅する気力が残っていないというか
とにかく家に早く帰るのが楽しみで、ギリシャからドイツへ向かう1週間は単なる
帰り道。

撮った写真の少なさからも、手書きの日記の内容の薄さからもそんなことが伺える。


ここからはヨーロッパ。

イスラムの国のように、気軽に人の家に招かれることもまずなく、最後1週間は
久々にぶっ通しで車中泊、自炊の旅ができたのは良かった。

この帰り道で通った国。9カ国。

ギリシャ→マケドニア→アルバニア→モンテネグロ→ボスニア・ヘルツェゴビナ
→クロアチア→スロベニア→オーストリア

ユーゴスラビアが解体されたあと、その国境の線引きは非常に複雑で、なぜここで区切ったか
みたいな、面倒なと場所もちらほら。
それは後ほど。

まずはギリシャ。

入っていきなり、こんなものを見た。




遠くのほうで、百匹近い鳥の群れが上へ上へと旋回している。
まるで何かの儀式のようで。

 近づいてみると、それはなんとコウノトリの群れだった。



何の意味があるのかわからないが、自分の上の周りをコウノトリが空高くグルグル
まわってるのをみて、 なんか縁起を担いだような気がした。



この日は猛暑で、早々に運転を切り上げて海でゆっくり休むためアレクサンドロポリス近くの
ビーチへと向かう。

この地名いかにもギリシャで、なんか有名っぽい響きではあるが、ギリシャの情報など
1つもなく、しかも帰り道なのでスルー。

私たちは、とにかく海へ向かって走り、海沿いをしばらく走って迷い込んだ小さな村沿いの
ビーチに車を止めた。


真っ青な空、透き通る水。
水はしょっぱい、正真正銘の海、エーゲ海だ。

ドイツでの湖水浴とは質がちがう。なんという開放感!

 しかも人っ子一人おらず、プライベートビーチ

イスラムの国を旅していて禁酒していましたが、さすがにここはビールが飲みたくなりまして
とはいえこの辺には売店とかないし。。。とか言っていると、さすがは図々しいマークス。

ちょっと村人にビール持ってないか聞いてくると言って、どこかへ歩いて行った。

しばらくしたら手ぶらで戻ってきたけど、声をかけたおばさんが自宅に招待してくれたとの事で
今度は2人でその家に向かった。

 家は海沿いにある小さな別荘地の一角にあり、テラスでタバコをふかしたおばさんが
パンやら何やら用意して待っていてくれた。

片言の英語を話すおばさんは、フラペチーノなんていう洒落た飲み物を作ってくれて
旦那さんと4人で、通じてんだか通じてないんだかよくわからない会話をしながら
暑さが去るのを待った。

それからまたビーチへ戻り、泳いだり、砂浜で読書したりしているとすっかり日が暮れて
ギリシャ1日目が終わった。

家の前には、こんなかわいらしいギリシャ正教の教会が建っていた。

翌日も海沿いをひた走り、目指すはマケドニア。

途中立ち寄ったフランス系のスーパーで、ビールとか食材を買いあさる。
物価はドイツより安く、なんてったって魚介類が豊富だ。

そうして、買い込んだイカを炭火で焼いて食べたいがため、海でもう1泊することにする。

この日の食卓。

特等席!!


イランで買ったケバブ用の大きい串にイカをさして焼きーの

トルコ名物グリルパプリカを添えて、ビールと一緒に。


 海沿いにきてから、旅が一気に夏休みっぽくなった。

実はこの時点で帰りのルートは決まってなかたんだけど、どうせなら夏を満喫するために
海沿いをずーっと走って帰ろうという事になり、翌日はマケドニア、アルバニアを越えて
アドリア海へ向けてひた走ったのでした。



2014/01/14

トルコ旅、温泉で〆る


ブルザを後にしてやってきた小さな町「ギョネン」

町外れの山間にある隠れた温泉地で、湯冶の場所としてちょっと知れた存在だとか。

しかし、温泉リゾートと言うわけではなく、森の中に温泉施設が一つあるだけで、
あとは宿泊客用のコテージやアパート、食堂が1件という、休養するに
ふさわしい所だった。


山道を走っていると小さな村が点在していて、その村の家々がブルガリアやギリシャにも
似たような佇まいで、住民の顔立ちや髪の色もヨーロッパ人ぽくなってきている。

国境に近い場所って、こういうのが見られるから面白い。

昔の領土問題はよくわからないが、その昔ここはトルコではなかったんだろうな、、、
なんてことを思ったりする。


温泉に到着して、さっそくチケットを買う。
ここの温泉も男女入れ替え制で、2時間おきに順番が周ってくる。

まずは男湯時間。

たっぷり2時間は待たなきゃいけないので、駐車場に停めた車と近くにある木の間に
ハンモックを吊って本を読んでいたら、いつの間にか爆睡していた。

気づいたらマーが戻ってきたので湯加減を聞くと、まあ丁度良いとの事。

彼は温泉場でドイツ語がペラペラなトルコ人おじさんのグループに出くわしたらしく
聞くと、彼らは30年以上ドイツで労働していた人たちで、退職後はドイツからもらう年金暮らし。
故郷に戻って大変豊かに生活しているそうだ。

さて、女湯ではどんな出会いがあるかしら???

水着に着替えて温泉場に入ると、そこには10人ぐらいしかいなかった。
お風呂と言うよりは10m四方の室内プールみたいなところで、足がつかないくらい
深さがあるので、みんなプールの淵につかまってお湯につかるという体勢。

まぁそれでも湯加減は温すぎず熱すぎず丁度いいといった具合で、気持ちよかった。

ここでもまた、おばちゃんのマッサージをしたりされたり、水掛合戦に混ざったりして
イランの温泉を思い出させるような、人々の温かさに触れさせてもらった。

心も体もほっこり温まったところでお湯から出て、楽しみにしていた腹ごしらえ。

施設内に一件だけある食堂で、オススメだというキョフテのグリルを頼む。


キョフテは羊肉の肉団子。
それをトマトソースで煮込み、たっぷりのチーズを乗せて釜で焼き上げる。

かなりコッテリ目の料理だけど、美味。

風呂上り。
すきっ腹の隅々までのこのコッテリが行き渡り、もうこれ以上の幸せはないくらいの
満足感と共に、そのまま車のベットでまた爆睡。

翌朝は森の中で目を覚まし、目指すは隣国ギリシャ。

軽く朝ごはんを済ませ、途中フェリーで車ごと移動したりしながら国境へ向けて走り続ける。

イランからの帰り道、休暇期間を10日残したところで、トルコ10日間の旅が終わった。

 続

2014/01/07

ブルザ、楽しい街歩き

 新年明けましておめでとうございます。
体調不良でしばらく放置していた旅日記ですが、ぼちぼち再開します。

・・・・さて私たちがやってきたのはブルザ。


 ブルザという街は、マルマラ海を挟み北にイスタンブルがあり、南に位置するのが
このブルザ。

帰り道イスタンブルにも寄って行こうかという話にもなったんだけど、先日滞在していた
モフリスの家のテレビで、痛々しいデモの様子が1日中流されていたのを思い出す。

そう、記憶に新しいタクシム広場のデモである。

このデモで、旅行プランが台無しになったと怒り狂う観光客の姿も映しだされており
これは避けたほうが懸命ということで、マルマラ海を南に迂回してトルコを出国する
ことにした。

さて、ブルザ。

トルコで最後になる買い物をするためと、出湯の町としても有名らしく
温泉につかろうということでやってきた。

まずはバザール近くで宿をとる。

2009年版のトルコのガイドブックを持参していたんだけど、日本のガイドブックはホントにすごい。

宿の場所、その近くの駐車場、周辺にはなにがあるか、そこでの食事はどんなものが
お勧めが、一通りみっちり書いてある。

だから、無駄なくリスクなくキッチリくまなく周れるという、時間のない日本人短期旅行者には
打ってつけの1冊だ。

本をなぞりながら旅行するのが好きな人がいれば、それを毛嫌いする人もいる。

私は別に本人が楽しめればいいと思ってるので、そんなのはどっちでもいい。

物は使いよう。

ということで、街歩きにはガイドブックが大いに役立つ。

 この日もその本に載っていた、オスマン様式の古民家ホテルで一泊。

ホテルの向かいに源泉を引っ張ってきているというハマンがあったんだけど、この日は
男性の日だったので、私は仕方なくあきらめる。

マークスは熱々のお湯を楽しんだようだった。

ハマンの値段も8ユーロぐらいになっており、西に来るにつけ物価が上がってきていることを
実感する。

 



翌日、モスクの周りをぐるりと囲むように広がっているバザールで買い物。

バザールは、いつ来てもテンションがあがる。

スモールイスタンブルとも呼ばれるベルリンに、トルコマーケットという週2回開催される
トルコ食材やら日用品の市場があるんだけど、そこと比べると何十倍もの規模。

本場のトルコバザールは、悪く言えばドイツのように衛生管理が徹底してないけれど
よく言えば、それがいかにもバザールらしい。

アジアの活気あふれるバザール。








 この日は、スパイスやら石鹸やら、残りの旅路用の食材、それにトルコの調理器具など
いろいろ買ったなー。

一番のお気に入りは、ギョツレメ用の鉄板。



火の上に直接乗っけてユフカを焼く用の鉄板です。

この鉄板欲しさに金物屋に立ち寄ったら、向かいにあったケバブ屋に呼び止められ
まずはお茶を頂き、そしたらついでにお店自慢のチキンケバブとアイランをご馳走してくれた。

そんなに観光客が珍しいところでもないのにね。

何なんだろうと思う、トルコ人の優しさ。

前にも書いた通り、ドイツにはトルコからの移民が沢山いるんだけど、なんでこんないい国を
去る必要があるのか、私には謎だ。

そりゃどこの国にも影の部分と言うのはあるだろうけど、特に今トルコは経済発展も目覚しく
ユーロになんか加盟しなくったて十分やってゆけるぐらいの豊かさがある。

しかも、そんな近代化してゆく中でもトルコ式のホスピタリティー、人情というものが都会でも
山村でも満遍なく残っているというのが私の印象だ。

西洋並みの経済基盤がありながら、アジア人の精神がちゃんとある国。

完全に西洋化されてないのもまた魅力。

ていうか、されるわけがない。
国民の愛国心の度合いがはるか違う、例えば日本やドイツと比べると。

うすうす分かっているのは、きっとわたしドイツよりトルコの方が合うかなと言うこと。

いつかトルコに移住、、、、、なんてことにはならないか。。。。

まぁ、これも人生ね。

トルコ褒めも程々にしておいて、次に私たちが向かった先はモフリスのお父さんに
教えてもらったオススメ温泉がある街、ギョネン。

今度こそ温泉!



 



2013/12/12

ギョレメの谷で焼きうどん

モフリスの家を去り、その夜はジャンダルマ様に見つからないよう用心して車中泊。

しかし、通りかかった人に通報するぞと言われ、もう眠りかけてる所だったのに移動を
余儀なくされる。

結局どこだかも分からない真っ暗な空き地に逃げ込み就寝。

朝起きたら、何かの工事現場だった。

作業員がやって来る前に再び移動して、私たちはトルコの一大観光地カッパドキアに向かう
ことにした。

ここには以前来た事があったので、別にスルーしてもよかったんだけど、通り道から
20キロぐらい遠回りすれば行けるような所だったので、お昼休憩もかねて行って見るかと
言うことに。





久々にやってきたカッパドキア。

何度見ても、その迫力に度肝を抜かれる。

こんなものが、何千年もかかったとはいえ自然にできるってすごいよなー。

ただただ感動。すんげーーなーー。

 


お昼時になりお腹も空いてきたので、絶好のロケーションでお昼ごはんをつくる。

こんな時に、こんなところでサクッと料理できてしまうのも車旅のよいところ。
前回ここにきた時は、テント泊したし。


 この日もお気に入りのギョレメの谷の上の木陰にハンモックをぶら下げて、マーは運転疲れを
癒し、私は中華なべを振って焼きうどんを作った。

炎天下だったからか観光客の姿も見えず、奇岩が群がる谷底に私が刻むキャベツの音が
響いたかは定かではないが、カッパドキアまで来て焼きうどんを作る日本人なんて
多分世界中で私だけだろうなと思うと、なんだかちょっとだけ、多分3秒ぐらい誇らしくなった。

食事を終え、お茶を飲みながら2人でだらだらハンモックに揺られていると、爆睡して動けなそう
だったので、なんとか重たい腰を持ち上げ移動することに。

途中でアイスでも食べて帰ろうかと立ち寄ったギョレメの町は、恐らくこの旅で見た中でも
最大の観光地で、故に観光客が沢山いる。

8割は白人で、オープンエアのレストランなんか、ヨーロッパのどっかの町にあるそれと
何ら変わりない。

シャレオツなリゾート地の典型。

駄目だ、こういうところ。

ここは、トルコであって、トルコじゃない。

ものすごい違和感。極めて居心地が悪い。

なので、即刻退散!!!!

アイスはしばらくお預けにし、1時間ぐらい走っていった小さな町の
売店に駆け込み、やっとアイスにありついた。

その後は、カッパドキアとはまたぜんぜん違った風景が広がる、緑が生い茂る田舎道を
通過し、湖のほとりに到着。

今日はここで寝よう。

散歩にやってきていた通りがかりのおじさん達3人にお茶を入れてあげて、
芝生の上で束の間のピクニック。



それから2日ほどは、こんな感じでだらだらとした日を過ごしつつゆっくりと距離を進め、
私たちはブルザという町にたどり着いた。




2013/12/11

準備5時間、食べるの10分


早速魚を持って帰ってからは、この何百匹もある魚の下ごしらえ。

切り株に腰をかけて3人の男たちが、まず魚の頭を捥いで、指でお腹を開けて内臓を
取り出すという作業。

これを延々2時間ぐらいやっていた。

昨日の料理の準備もそうだったけど、ものすごい細かい作業に時間をたーっぷりかけながら
家族と一緒に黙々と作業する。

親子三代が毎日一緒になって料理をする姿。
今ではなかなか見られない光景だと思う
食べるのなんか一瞬だけど、時間は惜しまない。

前にどこかの家で食べさせてもらった物に、しその葉よりも小さいブドウの葉っぱに
米を詰めて巻いたトルコ料理のドルマというものがあった。

仕上がりは2センチぐらいのロールキャベツみたいなもの。
これを何百個も作り煮込み料理に入れるという、なかなか手の込んだ料理っだった。

これも2時間ぐらいかけて準備した記憶がある。

トルコの料理は食の世界遺産だかなんだかに登録されているけど、多分味だけではなくて
こういった文化的な背景も登録される理由になったのではないかと思う。





おじさんたちが作業している間、女たちは魚と一緒に食べるパンを焼く。

この家にはちゃんと近代的なキッチンもあるんだけど、料理するのはもっぱら野外。
煮炊きもできる専用の小屋があって、今でも毎日そこに火をくべて料理するのだ。

なぜかと理由を訪ねると、やはり焚き火で料理したほうがおいしいからだそうだ。

わかるわー、その気持ち!



あー、しかしなんてのんびりな生活なんだろう。
毎日がピクニックみたい。

妹とお母さんは慣れた手つきでパンを焼きあげると、お次は魚の調理にとりかかる。

これももちろん焚き火の上で。

              


魚はシンプルに、骨ごとじっくり揚げて、こんな風にして頂きました。


焼きたてのユフカにカリッっと揚がった小魚と、ネギたっぷりのすっぱいサラダを巻いて
頂きます。

シンプルだけど、めっちゃ美味い。
ここでもまた自給率100パーセント。(レモンは私たちの持ち込み品)

魚を獲りに行ってから、それが料理になって口にするまで5時間ぐらいはかかってるけど
チャイを飲みながら、みんなでゆーっくりと準備をして、そしてみんなで食べる。

幸せだなーと、しみじみ。。。

モフリスは私たちをゲストだから厚くもてなすというより、ありふれた日常にすぃーっと
引き入れてくれる、そんな感覚がものすごく心地よかった。

だから、彼の仕事も手伝いに行ったし、子供たちを連れて散歩にでかけたり、食料を
調達しにも行った。



 何よりも、彼が子供のように嬉しそうにして話すドイツ時代の思い出話が、とても面白かった。

こんな純粋な大人というのは、久々に見たなー。

翌日、私たちは出発することにしたが、その別れをモフリスは惜しむことも無い様子で

「またいつでも遊びにおいで、僕たちはいつでも君たちを待ってるからね」

と、またいつか絶対に会えることを確信しているかのように、スッキリした笑顔で私たちを
見送ってくれた。

出発する前には、妹とお母さんが私の大好物のトルコ料理「ギョツレメ」を作ってくれて
最後にみんなで食べてお別れした。





ある日偶然に出会った、小さな村に暮らすトルコ人一家。

 こういう人たちの出会いが、私たちの旅では何よりも思い出深いものになる。

そして、1度会ったきりもう2度と会うことがない人でも、強烈に胸に焼き付いてる人が
今まで訪れた国には何人かいて、その人と過ごした日々の事や、もしくはほんの一瞬の出会い
だったとしても、何年経っても鮮明に覚えている。

名前だって覚えている。

モフリスは間違いなく忘れられない人になるだろうな。

そういえば、彼の家に水筒を忘れてきてしまったので、それを理由に、と言うかそうじゃなくても
また会いに行きたい。

トルコにはそんな家族が結構いたりします。

そして、私の距離感も今では大分おかしな事になってきているんだけど、トルコぐらいまでだったら
毎年車で遊びに行ける所という感覚です。

トルコなんて、近い近い!

2013/12/04

モフリス家、自給自足の一家

スーパーの前で偶然出会った、ドイツ語が話せるトルコ人、モフリス。
誘われるがまま彼の家にお邪魔することになった私達は、のどかな山里の村に到着。

切り株に腰をかけながらお茶を飲んで、家族を紹介される。

同居しているのは彼の家族(嫁、娘、息子と赤ちゃん)と両親、そして、妹と弟という9人の大家族。

お父さんも30年ぐらい前にドイツで働いていたことがあり、カタコトながら多少のドイツ語を話す。
娘の旦那も現在ドイツで働いていると言っていた。

モフリスはドイツで肉体労度を長いことして、その後はピザ屋で調理人として働いていた。

けっこうお金も稼いだらしく、彼らが住んでる家もこの辺では一際目立つ大きくてきれいな家だった。

トルコに帰ってきてからは、自給自足の父親と共に放牧や小麦の生産で生計を立てている。

モフリスがマークスを連れて放牧している牛を連れ戻しに出かけたので、 私はさっきから給仕に
バタバタとしている女性軍の様子を伺いに、家の中へ入って台所へと向かった。

そこにはこの家の女性が3人集まって料理をしていた。

ライ麦のような荒い粉を水でこねて、親指の先ぐらいに小さい団子をひとつずつ作っている。

この作業だけで、2時間近くやっているというから驚き。

モフリスの妹は少しだけドイツ語が話せる。

これは少しばかり悲しい話で、ドイツで働いている彼女の夫はいずれは彼女をドイツに呼び寄せて
一緒に生活するから、その日が来るのを心待ちにしてトルコで2年間ドイツ語を勉強した。

しかし、彼の愛は冷めてしまったらしく、彼女がドイツに行く事もなくなってしまった。

「私にはなんにもない。ここにいても毎日毎日同じ日々で、男たちの給仕をして
お金を稼ぐこともできず、そうやって一生を過ごすんだわ・・・」

暗いなーー。。。。

ストレスも相当溜まっているのだろうか。
初対面でいきなりこんな話をいろいろ聞かされたけど、なんと言っていいのかわからなかった。


さて、待ちに待った夕食の時間。

トルコの典型的な夕食の風景。




 この家では、男女食べる場所が別だった。
私はゲストなので例外だったけど、トルコにしては珍しいんじゃないかな?

この日の夕食で自給してないものといえば、多分煮込み料理のトマトソースぐらいで
あとは全部自家製だ。

トルコでは欠かせないアイラン(ヨーグルトドリンク)も、全部お手製。

BOSCH製の立派な冷蔵庫を見せてもらったんだけど、中身は全部乳製品だった。

牛から絞った乳で作ったヨーグルト、バター、チーズ以外はほとんど何もない。
買ったものがないのだ。

べつにこれは珍しいことではなく、田舎の方に来ればよく見られる光景だそうだ。

3年前にお世話になった地中海沿いのトルコ人一家も、その近所もこんなような
生活をしていた。

経済成長が目覚しく、近代化が続々と進むトルコにも、まだまだこういった昔ながらの
生活を普通にしている人たちがたくさんいる。

だけど、仕方が無いから自給自足をしているわけではなくて、そうやってこれまでも生きてきて、
きっとこれからもそれが続いてゆくだけのことなんだとおもう。

そしてこの家族、お魚も近所の川で調達します。

翌日、天気も良かったので子供たちと一緒に魚を獲りに行った。

おじいさんが運転するトラックの荷台に乗って、ガタガタの山道を走り川へと向かう。

そしてこの日の夜ご飯になる10人分もの魚を、ものの1時間もかけずで釣り上げて終了。

その魚釣りとはこちら。




石の下に小魚が無数にいて、そこに網を投げて下から煽って網に引っ掛けるというもの。
 1度に15cmほどの小魚が30匹ぐらい、面白いほど取れる。

 網から魚を外す時は、1匹ずつおなかを押して卵があるか確認。
卵があったら押し出して、川に戻す作業もしていた。

 この投網を10回ぐらい繰り返して、10キロぐらいになったところで終了。




さてこの魚、どんなふうにして、どうやって食べるのでしょうか?


続きは次回。