2013/10/29

タブリーズのバザール

イラン旅も残す所2日。

思い残す事は?

あります。

この1ヶ月ぐるりとイランを回り、観光地バザールも行けば、ローカルバザールに行って
探していたものは、キリム。

あと、1日でイランを出るのにキリムを手に入れてない。

テヘランからここまで来るのに、バザールに行くことも出来たんだけど、もう人ごみを
歩く気力がなくて、どちらかと言えば山の上で本でも読んでいたい、そして温泉で疲れを
癒し、静かにイランを出たかった。

キリムも色々見てきたけど、コレという出会いがなかったということは仕方ない。
残念だったけど、縁がなかったと思い諦めることにした。

帰りのトルコで買ってもいいんだし。。。

そんな感じで、最後ふらーっと立ち寄ったタブリーズ。
ここにあったバザールは、つい先日知ったんだけど、世界遺産だったみたい。







キレイなイスラム建築のバザールで雰囲気はとってもいいんだけど、売ってるものが安っぽ
すぎる。残念。

無数にある入り口のどこからかバザールの中に入り、通ってる道を記憶しながら進んで行く。
でないと戻れなくなってしまう。

けっこう入ってすぐの所に、キリムを扱う店があった。
冷かしがてらに中に入ってみると、壁に大きなキリムが2枚飾ってあった。

これを見た瞬間、2人して「コレは!」目を見合わせた。

大きさといい色合いといい、探していたもの、イメージしていたものにかなり近い。

うわっ、なにこの巡りあわせ。

一応値段を聞いてみる。

すると、店員さんは電卓で数字弾き出し「ユーロでなら200」とのことだった。

このグレードで200!

即買いしようかと思ったけど、他も見てきますといって店を後にする。
お店の人も、笑顔で待ってますと言ってくれた。

店を出るとマークスが

「他のを見なくてもあれは買うと思うよ。あの値段だったら値切ったりしないでそのまま買う」

値切り戦士の彼が、そんな事を言うなんて。

そう、今まで他の地で散々キリムやカーペットを見てきたけど、あんな良心的な値段は
地元プライスに間違いない。

もし少し値段を上乗せしてたとしても微々たるもので、そこを値切るのは流石に恥だ。

いつもこういうバザールでちょっと大きな買い物をするときは、値切り合戦の戦闘モードに
入るんだけど、そうだ、ここはイランだった。
そんなことする必要はナイ。

それから、バザールをグルグル周り歩き、上質なイラン産のコットンやら何やら色々買い求め
結局さっきの店に戻り、キリムを買うことにする。

さっきの店員さんが、ニコニコしながら近づいてきたので、この壁に掛かってるのを下さいと
訪ねると、なんか調子のいい感じで

「あ、あのさっき言ってた200ユーロっていう値段、あれ間違いでした エヘっ。」

聞くとあれは仕入れ値で、売値は倍だと今更言ってきた。

おお、イランでこういう人もいるんだと、けっこう意外なパターンで呆気に取られたけど
倍で400ユーロだと、ちと高い。

それに、なんてったって嘘臭い。
だからそこを問いただして、なんでだ、なんでだと押し問答になっている時に、英語が話せる
イラン人のおじさんが タイミングよく店に入ってきて、私達の言い分を通訳してくれた。

そして、このおじさんも訳しながら呆れ顔で「そんなのおかしいでしょう、嘘はやめなさいよ」
みたいな事を言ってくれて、一見落着。
騒がしい店内が静かになった。

結局200ユーロで買ったけど、この1人の店員だけは

「テヘランなんかに行ったら、こんなの1000ユーロはする」とか
「このお店はあまり儲かってないんです、頼むからあと30ユーロ乗せてください」とか

せっこい事を言う人だなー。

そのうち膝をついて懇願のポーズに。

さすがに他の店員さんも、もう恥ずかしいから止めろといって引きずられるように立たされて。

多分、観光客相手の商売に慣れてない人で、テンパっちゃったんでしょう。

店の片隅で泣きそうになっていたので、10ユーロだけ上乗せして代金を払って店を出る。

ちょっと後味の悪い買い物だったけど、そんなことよりこんなところでとてもいいキリムが
買えたことに大満足の私達。

他のお店の人たちもとても穏やかで、みんな写真を撮ってくれと勝手にポーズを取り出したり。


最後に食料やスパイスをしこたま買って、タブリーズを後にする。

ここのバザール、イランの中では1番気に入りました。





トルコに近いせいか、車の運転が信じられないくらい穏やかで、人も穏やか。

そういえば市内の有料道路の料金ゲートでも、ドイツから来たというとタダで通して
くれたり。

いいところだったなタブリーズ。

という事で今日の寝床を探しに、最後トルコのミニカッパドキアと言われるキャンドヴァ-ン村へ
向かったのでした。

2013/10/24

イランの温泉 サルエイン

穴場の温泉街を期待していたのとは裏腹に、イランの温泉リゾート地に来てしまった
私達。

それでも44度越えの温泉があるなら、何が何でも入りたい。

そんな思いを募らせて「garmish」という温泉場はないかと聞きまわる。

ここの温泉街では、ハイドロシステムでお湯を循環させてるところが特に人気らしく
次の入場を待つ客が列を成していた。

そのハイテク温泉から道を挟んだ反対側に、大分古い感じの温泉を発見。
これがGarmish温泉だ。

2時間ごとに男女が入れ替わるシステムで、お湯も全部入れ替えるという徹底ぶり。

最初はマークスが入り、私は駐車場で待機。

いよいよ女性の時間帯になり、水着を持参で入場。
入場料は50円ほど。

中に入りどのロッカーを使うか迷っていると、イラン人の美しいおばさんが「どうかしましたか?」と
ドイツ語で話しかけてきた。

ん??なんでドイツ語なんだ?

それからおばさんは「ああゴメンナサイね、英語は話せる?」と聞きなおしてきた。

どっちも話せますと言って色々話しをしている内にすっかり意気投合し、一緒に浴場へ向かった。

浴場は屋外にあって、20m四方はありそうな大浴場。

真ん中から源泉が湧き出ていて、お湯の色は天然温泉さながら、泥色に濁っている。

場内は水着着用で、熱すぎて入れない人たちがプールの縁に腰を掛けておしゃべりに
花を咲かせていた。

そんな中にやってきた謎のアジア人、わたし。

日本人だと言うと、ここでも大歓迎の嵐であっという間に囲まれた。

美しいイラン人のおばさんはテヘラン出身だけど、ドイツにはもう20年も住んでいる。

イラン革命のあと、祖国に愛想がつきドイツへやって来た。

「私はイラン人というか、もうすっかりベルリーナよ。イランには戻りたくない。」

ドイツにしっかり根をおろし、ベルリーナを自称する彼女。

「もしイランに居たら、ここの女性達みたいに学もなく、ただ子を産み家に閉じ込められる人生。
この人たち可哀想だと思わない?? 世間知らずにも程があるわ。
恥ずかしいったらありゃしない。」

そんなことを、周りのおばちゃん達が理解できないのをいい事に話す彼女。

故郷の人間をそんな風に言う事はないだろうと思ったけど、 イラン人女性として人生の
半分以上生きてきた彼女が口にした言葉。

並ならぬ努力でこの国を出てきて、自由を手に入れた彼女だからこそ、外側から彼女達を見て
言える言葉なのか。

イランに対しての苛立ち、そしてかつての自分を哀れんでいるような、何とも言えない表情を
浮かべる彼女がとても印象的だった。

だけど、

ここのおばちゃんたちが、もしもどっかの国に移住して自由を手に入れたら、果たして
それが幸せなのだろうか?

自由はあっても、人情がない社会があるというのを彼女達は知ってるのだろうか?

「ちょっと、肩もんでくれる?」

いきなり背中を向けてそんなことを言い出した、隣に座る大きいおばちゃん。

ムチムチした肌に触れながら、「こっちのほうが、絶対良いって!」と言いたくなった。

肩もみが終わると、今度は私のマッサージをしてくれたおばちゃん。

この人たちは、ここに居るほうが絶対幸せだよ!



ところで、温泉の話。

やっぱ熱いお風呂は、心に身体に沁みますねー。

44℃の温泉。

日本人の私的には、最初だけは熱いけど、慣れてしまえば最高のお湯加減。

しかし、地元の人にとっては熱湯で、お湯に浸かってる人は少なかった。

平気な人は平気みたいで、泳ぎまくってる人もいた。

1時間ぐらい出たり入ったりしながら、その世間知らずと言われるおばちゃんたちと過ごして
いると、いきなり大粒のヒョウが降ってきて、大嵐になった。

雷もバリバリ鳴っていたので、もうちょっと居たかったけど、怖くなったので退場する。

心身共にリフレッシュした後は、レストランが立ち並ぶ通りへ出て食事をする。

ほとんどの店先に、この辺の名物であるらしいヨーグルトにニンニクたっぷりみたいなスープが
大鍋に入ってぐつぐつ煮えていた。

腹ごしらえをした後は、山方面に向かい寝床探し。

山を登って行くと、この辺りはどうやらスキーリゾートだという事が判明。
スキー場に温泉街。

日本みたいだな。



山を登って頂上付近。
このまま越えられると思いきや、行き止まりだった。

なので、その行き止った所で車中泊。


 翌日、来た道を下ると遊牧民のテントが方々に散らばっているのが見えた。

夏はスキー場で遊牧民が放牧。

これは、日本にはないわね。



 続

2013/10/23

イラン旅終盤、山間での数日。

カスピ海から山へ入り、今日の寝床を探す。

山から流れカスピ海に注ぐ川の岸辺には、ピクニックの人たちで大賑わい。

車中泊に絶好のポイントがいっぱいあったんだけど、なるべく人目を避けたい日だったので
川岸は諦めて、山へ登ってゆく。

ドンドン登って行くと、小さな集落があって外国ナンバーの私達の車を不審な目で見る人が
多く見られた。

通りかかる人にもちゃんと挨拶をするも、無視か凝視されるだけだった。

気まずいなーと思いつつそれでもどんどん上ってゆき、山の中腹に空き地を見つける。


 ほっと一息つき、夕食も食べ終わりしばらくすると、鎌をもったおじさんがやってきた。

「ここで何をしてるんだ。」

ちょっと遠くの方から声をかけてくるおじさん。
あまり好意的でないのは、鎌を見れば分かる。

しかし、ここはこちらが友好的に出ないと何かあっても困るので、地図を持って道に迷った
旅人を演じ、なんとか自分達が怪しい者ではない事を訴えた。

イランで車中泊することに、完全に安心しきってしまっている私達。

だけど、こんな所に見知らぬ外国人が通るのを怖いと思う住民だってもちろんいるわけで、
鎌を持ってくるのも理解できる。

事情を話し今日はここで寝ることを話すと、良い旅をと言って去っていった。

あーよかった。


翌日はRashtを通過し、ちょっと先にあるFumanという街からさらに先に行った所にある
maslehという、ちょっとした観光名所へやってくる。


山間に土色の古民家がびっしりとへばりつくように建ち並んでいて、そこには今でも人がちゃんと
住んでいる。

観光客も多いらしく、お土産屋さんや食堂が連なるエリアもちゃんとあった。



家と家とをつなぐ地元住人用の階段を当てもなくぶらぶらしていると、日向ぼっこをしながら
編み物をしているおばあちゃんたちが、英語で「ハロー」と挨拶してきて、手編みの靴下を
買ってくれとせがんできたりします。



ここは築800年だという古民家。

家の中を見学させてくれるというのでおじさんに付いてゆくと、玄関先では靴下を編んでる
おばあちゃん。

そんな商売の仕方もあるみたいだ。

靴下は可愛かったから2足お買い上げ。

ついでにいくつかの調理用の壺を買い求め、集落を後にする。

それから私達は、悪天候で嵐の中クネクネの山道を行き、下界に降り立ちその辺で見つけた
麦畑のあぜ道に、こっそり隠れて就寝。

ああ、そろそろイラン飽きてきたなー。。。。。。

そんな事を感じるようになってきた頃だった。

翌日、ardabilという街を通って、温泉地があるsar‐e‐Eynという所に行く。

ここは、日本のある学者さんが書いたイランの温泉調査の文献をたまたま見つけて読んだ事があり、
イランに行ったら絶対行こうと決めていたところ。

水温が44.5度というだけで、私にとっては十分来るに値する所だ。


やっぱ日本人ですからね、世界の温泉事情は気になります。

しかもこの熱さ。こんなのなかなかないですよ。

さて、温泉地に降り立った私達。
もっとしっぽりとした温泉街かと思ったら、ホテルとか立ち並びレジャー施設が充実してそうな
温泉リゾートだった。

あっちゃー、やっちまったか???

せっかくここまでやってきたのに、ホテルの地下にあるスパみたいのだったらどうしよう。。。。

そんな不安を抱えながら、ホテルの客引きがひしめく道の間を割り入るように車を乗り入れて
偵察に向かうのでした。

2013/10/18

カスピ海を去る日

A一家と過ごしたカスピ海での休日、最終日。

今日でお別れになるのだが、出発する時間までみんな思い思いにダラダラ過ごしていた。

お父さんはテレビを見て、お母さんはお昼ごはんと帰りの支度。

私がテラスで本を読んでいた時、マーを含めた男衆4人がちょっと出かけてくると言って
車で出て行った。

ギャルの彼女は留守番で、イランでは禁止されている欧米の音楽をガンガン鳴らして洗車
していた。

その音楽がイーグルスの「ホテルカリフォルニア」で、これまた彼女のキャラと随分の
ギャップがあり、思わず吹き出しそうになった。

しかも何回もリピートしていたし。。。

お昼ごはんの時間をとうに過ぎた頃に、マークスたちが帰ってきた。

「何してたのー??」

何気に聞いてみたけど、マークスはニヤニヤしながら後で教えるからーと言って
空腹のお腹にイラン風焼きスパゲティーのようなものをかき込んでいた。

後で話をきくと、男達は海にナンパしに行ってたらしい。
イラン風のナンパ。
それをマークスに見せたかったらしいのだ。

まずビーチ沿いの繁華街に車で乗りつけ、ゆっくり流しつつ女の子を見つけ出す。

ナンパ待ちの女の子もけっこういるらしいけど、簡単にはつかまらない。

ここからがイラン流。

まず、大っぴらに声をかけて、一緒に連れ歩くのが禁じられているので、目当ての子が居たら
こっそりと自分の携帯番号が書いてある紙を渡す。

その数分後、女の子が気に入れば電話がかかってきて、待ち合わせの場所を指定して
あとで落ち合う。

そうしてGETした女の子とマシヤールはビーチで落ち合い、腕を組んで仲良く浜辺を
散歩していたそうな。。。

その頃そんな事とはつゆ知らず、ルンルンで洗車している彼女ともそんな風にして
出会ったらしい。

マシヤール、他にも絶対彼女がいると見た。

さて、とうとうお別れの時間がやってきてしまった。

出会ったばかりの旅人を、家族や友人の輪の中に入れてくれて、みんなで過ごした4日間。

自宅もそうだけど、別荘もそれはそれは快適で、こういうのを味わってしまうと
とっても腰が重くなる。

テヘランに戻ってもうちょっとゆっくりしてゆけばとも言われたけど、他にもまだ行きたい
ところがあったし、ビザの期限を考えると先に行くしかなかった。

最後ギャルの彼女にアイラブユーと言われ抱きしめられ、みんなで写真をとってお別れをする。



さよなら、ベシー。どうかお元気で。


 さて、再びさすらいの旅人になった私達。

カスピ海のビーチで車中泊して、魚とか毎日食べてのんびり行こうかなんてステキな
計画があったんだけど、海沿いを走っていて愕然とする。

とにかく、海岸沿いには別荘やらホテルやらがびーーーーっしりと軒を連ね、手付かずの
砂浜なんてあったもんじゃない。

海沿いなので、屋台で魚とか焼いてるのを想像していたけど、魚を出すレストランを探すのも
一苦労。

港の市場みたいなところでも聞いてみたけど、魚は街に行けば食べれると言われて
港街なのに、吊り下げられた羊肉が至る所で見られる始末。

ビーチ泊もできない、魚も食べられない。
カスピ海に居る意味ないじゃーん。 
(ちなみにカスピ海はキャビアで有名なところですが、私キャビアは嫌いです。)

ということで、もう山の方に入って行こうという事で、予定を変更し海沿いの道を逸れたころ
一瞬魚らしき絵が描いてある食堂が見えた。

魚の割には体の長い、サメっぽい魚。

通り過ぎたんだけど、また戻ってもう一度絵を見ると、明らかにサメだった。

まー、キャビアが有名なとこだし、ついでにサメも食べたりするのかしらと思いつつ
食堂に入り、魚はあるかと聞いてみると、肉とかと一緒にショウケースの中にちゃんとあった。

なんの魚か分からないし、値段も分からないし、メニューは全部ペルシャ語で、英語も一切
通じないから、魚がどんな風になって出てくるかも分からなかったんだけど、お店の人を
信じて注文してみた。

始めにお通しみたいな感じで、エシャロット入りのカスピ海ヨーグルトと、生のソラマメが
さやごと出てきた。

そう、こっちの人って生の豆をよく食べるんです。

豆だけでなく、青梅とかもそのままカリカリ小動物のようにかじってます。

あんまり体に良くない気がするけど、所変われば、、、、です。

さて、しばらくすると、ドーンと運ばれてきたのがこちら。

30cmぐらいはある巨大な魚の素揚げでした。


これにソラマメ入りの大盛りライスとサラダ飲み物がついて、2人で10ユーロちょっと。

これ、イランではけっこう高い方で、だからあんまり需要がないんだと思うのです。

庶民の間で魚が食べられるようになったのも、そんなに昔の話ではないらしく、海沿いの
街でこの程度だから、まだまだ一般的ではないんでしょうかね??

でも、この魚、美味しかったです。
あまり脂が乗ってないホッケみたいだけど、揚げてあるのでそれで丁度いいといった感じの魚。

でか過ぎで食べられなくて、お持ち帰りしました。


魚も食べた所で、カスピ海とはさようならー。

あの海岸沿いは、ちょっと残念だったな。

だけど私達には山がある。

しかもこれから入る山には、温泉があるとの情報を得ていたので、それはそれで楽しみにして
海を臨む山へと登って行ったのでした。

2013/10/15

カスピ海での休日

ドイツ在住の知人イラン人Aの、テヘランに住む家族と共に、Aの兄マシヤールが所有する
別荘にやってきた我々。

場所はテヘランから山を越えること5時間のところにある、カスピ海沿いのビーチリゾート。

到着したのが深夜で、遅すぎる夕食から始まった宴は朝方まで続いていたらしく
みんな昼過ぎまで寝ていた。

ここに招かれた友人は3名。
1人は車屋で一緒に働く人で、只今英語を猛勉強中の青年A。

もう一人はの彼は実業家で、英語の先生もしていて、しかも「サントゥール」というイランの
伝統楽器の全国チャンピオンになった事があるという、多才な 青年M。

そして、最後の1人はこの青年Mの従姉妹だといって連れてきたS。

しかし、従姉妹というのは嘘で実はマシヤールの彼女。

両親はもちろん彼女とは初対面で、彼女だという事はどうやら隠しておかなきゃいけないらしい。

息子の嫁選びには、母親の目が重要なイラン人にとって、そう簡単に「彼女です」なんて
紹介できるものではないんだろうな。

そして この彼女、その振る舞いも然ることながら、超ド級のギャルで、マシヤールは一体
何者?と思ったんだけど、彼も結構イケイケな感じなので、 そう考えると合わないことも
ないと、妙に納得。

彼も彼で毎日プロテイン飲んで、注射までして筋肉を増強させていて、着る服がはち切れるので
特注で服のサイズ直しをしてもらってるほどのつわものなのだ。
つわものというか、ナンパ好きでマッチョなやんちゃくれという感じ 笑


みんなで遅い昼ごはんを食べていると、誰よりも遅く起きて階段から降りてきたS。

室内はみんな素足かスリッパなのに、コツコツとハイヒールの音を立てて、高級な
カーペットも踏みつけて、外へタバコを吸いにいった。

おお、すごいのが来たぞ!

これが私の第一印象だった。

印象、悪っ。


ゲームと水タバコに熱中する彼ら

大都会テヘランに住む彼らの束の間の休日。

普段はどこにいても商談の電話が鳴りっぱなしのマシヤールも、今日ばかりは
携帯の電話を切り、ここまでできるかと言うぐらいダラダラとした時を過ごしていた。

そうしてみんなでダラダラしていると、ダラダラに飽きたサンテゥール奏者の彼が楽器を広げだし、
チューニングを始めた。

初めて見る楽器。

弦を叩くと、オリエンタルな音色を弾き出すとても美しい楽器だ。

けっこうなおちゃらけキャラのMが、キリッとした表情になり奏で出したのがこちら。

感動の音色であります。




今は趣味程度にこの楽器を弾いていると言ってたけど、上手すぎるでしょ。

この情熱的な曲が、ちょっとチャラいビーチリゾートの一角で奏でられてるのには
若干の違和感がありました。

世界観が違いすぎる。

とは言え、そうだ、ここはイランだった。

例えて言うなら、湘南で三味線。

でもでも、演奏自体はホントに素晴らしかった。

このあとも、これまた趣味でやりだしたというインドのシタールのような楽器を奏で出し
パツキンギャルをも唸らせるのでした。


 さて、夕暮れ時にビーチに向かった私達。
バギーカートなどで遊んでいる最中、マシヤールと例の彼女が両親の前で急接近。

30分ほどビーチを散歩してくると言って、二人っきりで歩きだした彼ら。

帰ってくるころには、彼女の腕がマシヤールの腕に絡みついていたので、これはきっと
紹介しようと心に決めたんでしょう

それを見ていたお母さんの表情は何ともいえないものがあったけど、いい歳した大人が
親の目を伺い交際の同意を得る作戦を繰り広げるあたり、ちょっと微笑ましくも思いました。

さっきまでよそよそしかった両親と彼女の関係も、彼女がいきなりガバっと心を開いたのが
手に取るようにわかり、一気に急接近と言う感じで見てておもしろかったなー。


さてさて、気分も上々な二人と車に乗って家に帰る途中。
窓を全開にして、ガンガン音楽を鳴らしながら、ついでに踊りながら運転するマシヤール。

狂ったような荒い運転で、スピードもグングン上げる。

この人です、車に乗ると人格が変わり、アホみたいな運転をする典型的なイラン人は。

もー、死ぬかと思った。ジェットコースターの100倍怖い運転。
この人の運転で山道を越えてこなくて良かったわー。。。。

ところで・・・・・

彼は、イランでは禁止されている犬を飼っている。

正確に言うと、街に住む人は犬を飼ってはいけないのに、イケイケの彼はそれでも
犬を飼っている。

そしてテヘランの自宅から連れてきた愛犬。

受け口の小型マルチーズ。名前はベシー。

あんまり可愛くないのだが、愛嬌たっぷりで人気者のベシー

車に乗せていたんだけど、警察に見つかると大変なことになるので運転中は
ひっそりとシートの下に隠れるように訓練されている。

イランでは、というかイスラムでは、犬は不浄なものとされていて、加えて、犬と家族のように
一緒に暮らすというのも、西洋かぶれな文化で社会的にも悪影響とのことで、イスラム保守層に
支配されている国会が「犬禁止令」の法案を通してしまったらしい。

見つかったら、罰金に犬の没収。

田舎ではまぁ大目に見てもらえるらしいけど、それでも公の場で散歩させるのは
微々たる人数。

この日ベシーは思いっきり砂浜を駆け回り、子供を追い掛け回したり、鳥を追いかけまわしたり
ここぞとばかりに動きまわってました。

イランの犬は、これで幸せなのだろうか?

世界には色々な境遇で生きている人間がいて、犬も同様に色々な犬がいるけど
イランでペットとして飼われている犬は、例えば何処かの国でゴミを漁って生きている
野良犬よりも可哀想な気がした。

犬なのに、散歩したり、駆け回ったり、吠えたり、犬らしいことが大っぴらにできないんだから。

それでも犬を飼いたいというイランの人は、エゴが過ぎるんじゃないかと思う。

どうかベシーがこのまま警察に見つからないで、暮らしてゆけますように。




2013/10/09

テヘランまで来ると、こうも違うか!

イランの首都、テヘランの高級アパートに住む一家にお世話になる事になった私達。

遅いお昼御飯を頂いて、そのまま恒例の昼寝。

起きてお茶を頂く時間には、もう6時頃になっていて、調度品がズラリと並ぶ高級な
リビングルームで暫し歓談。

落ち着かないなー。

彼らには4人の息子がいて、その中でもマークスの友人であるAのことが一番かわいいと
言っていた。

だから、離れて暮らすのが本当に辛いらしく、毎日必ず2,3回は電話をして声を聞くという
溺愛っぷり。

いろんな事を話し、9時頃になって帰宅した2人の息子と共に夕食の時間が始まる。

夕食のあとは、テヘラン観光だーと言って、お母さんも交えて夜のドライブ。
出発したのが11頃だからね。相変わらずイランの夜は遅いのだ。

だけど、夜で正解。

道は空いてるし、人は少ないし、なにしろ運転のストレスが一切ない。

イランの運転は夜に限るな。

で、行ったところはここ。


平和のモニュメント




最近できたテレビ党


テヘラン観光、以上。

観光っていうか、家の近くをドライブしてアイス屋に行って帰ってきただけなんだけど
その途中に、これがあったという。。。

ま、こんなもんです、私達が観光に注ぐ情熱なんて。

翌日も1日テヘランで過ごす事になったんだけど、人ごみを彷徨う気力がなかったので
この日はAの兄が経営する車屋さんに一緒に連れて行ってもらった。

すごいよなー、イランの人って。

仕事があるから、ゲストをもてなせないという考えはなく、

① 仕事を休む
② 仕事場に 連れてゆく

今までお世話になったお宅では、見事にこの2択。

子供も学校休んじゃったり。

なんなんでしょうね、このおもてなし根性みたいなの。

私達が外国人だから特別なのかな?一般的にはどうなのか知りたいところです。

さて、その車屋さん。

ショールームには、1年落ちのランドクルーザーと新車のヒュンダイとイランの国産車が
並んでまして、人気の店なのか、次々と客がやってくる。

私達はショールームの端にある商談用のスペースで、イラン人のビジネスを観察しつつ、
何人もの客と握手を交し、何杯もお茶を飲んでいた。

けっこう飽きてきて、お腹も空いてきた頃に、ものすっごい化粧が濃くて髪の毛もほとんど
スカーフから出て、スパッツみたいなのをはいている不良(笑)がやって来た。

なんだこの派手な女は!
と思ってたら女性は兄の友達で、英語の練習がてら、私達と話しをしたくて遊びに来たの
だった。

聞けばこの女性、イランでは珍しいバリバリのキャリアウーマンで35歳、子無し。

結婚したいけど、自分に見合う良い男がいないとの事で、親の心配をよそに独身を
貫いているらしい。

この保守的なイランにおいて、ここまでイケイケの女性は初めて見た。

地方の女性は、それなりに学歴があってもキャリアを積む場所がない、もしくは女性は不当に
扱われることが多いので、学問を修めてそのまま家庭に入ってしまう人が多いと聞いていた。

しかし、ここテヘランでは彼女みたいな女性も珍しくはないのかもしれない。

なんか、虐げられているばかりいるイラン人女性のイメージが払拭された彼女との出会い。

話すとメチャメチャ面白い人だった。

彼氏が欲しくてたまらない彼女。

「ねぇねぇ、あなたのタイプはどんな?あそこのお客さんなんて、いいんじゃなーい??」

 わたしがそう訪ねると

「そうねー、見た目は悪くないんだけどね、あの人そんなにお金持ってないわ。」

と、あっさり言いのけてしまう彼女。

じゃあ、このショールームのオーナーでもある、いかにも成金ボンボン風の男性を指差すと

「あの人はお金もってるけど、顔が好みじゃないのよねー」

。。。。あなた、そんなこと言ってると一生結婚できませんぞ。


そんな話をしている最中にも、ショールームには沢山の人がやってきて、たったの
3時間ぐらいの間で2台の車が売れていた。

1台は140万円ぐらいの韓国産ヒュンダイの新車。
もう一台は600万円の去年モデルのランドクルーザー。



ヒュンダイはまだしも、このランクル買う人ってどんだけ金持ちなんだって話で。

平均月収が3、4万円とも言われてるイランで、600万円の車なんて家一件買うのと
同じぐらいの買い物。

買ってたのは、一見フツーのおじさんだったけどね。

それにしても、最近のランクルは使用用途のほとんどが「ステイタスの為」になってるので
元祖オフロードカーでありながら、実際のオフロードでは全然使い物にならない代物。

オフロードを走るという本来の役割は全く度外視した造りになっている。

いつからだろう?
ランクルが街で見せる為の車になってしまったのは。

いい車に乗ってれば、それなりの評価が得られるというくだらない世の中。

どうせ今売れたランクルも、2年もすればまた売られてしまうことでしょう。
ステイタスですから、「最新」じゃなきゃカッコがつかない。

ここに車を売りに来る人は、そんな人ばかりだった。

そしてこの日も1台、去年モデルのヒュンダイのスーパーカーみたいなのを
売りに来てる人がいた。

別にいいんですけどねーーーーー。

私は関わりたくない世界、全く興味のない世界。

まぁ、イランのこういう1面も見ることができてよかったと思うことにしよう。

ちなみに私達を地球上の色んな所へ連れて行ってくれる我が家のランクルはもうすぐ20才。

一度誘拐されて帰ってきたという経緯もあり、思い入れがハンパじゃないので
乗れなくなるまで乗ってあげようと 思ってます。(乗れなくなっても、思い出に取っておこうかなー)


話は戻り・・・・・

車屋さんでの人間模様を一通り観察したあとは、家へ戻りみんなで昼食。



ここのうちのお母さんもまた、料理がメチャメチャおいしくて、この日頂いたのは
揚げたナスとチキンの煮込み。
熟れる前の若いブドウをたっぷり添えていただきます。


さてさて、それから私達はというと、車屋のAの兄さんが明日は仕事を休んでカスピ海沿いにある別荘へ連れて行ってくれることになったので、日が暮れる前に出発することに。

なんとまぁ、ありがたいこと。
わざわざ私達の為に休みをとってくれて、ご両親や友人も連れてきてくれて。

しかし、その別荘とはテヘランからクネクネの山道を5時間掛けて行くという、大分遠い
ところにあって、ようやく到着したのが午前2時。

そして、当たり前のようにこの時間から、遅い夕食の時間が始まる。

今食べるんかい!な、イラン人。

不思議な人たちだ、まったく。。。




ーーー更新はまた来週になりまーす。

イラン日記、いつ終わるんでしょうね。。。

ダラダラと書いてますが、私好きなんです。
こうやって色々思い出しながら日記を書くのが。

忙しい日々の中で、思い出をちょっとづつ書き重ねてゆく作業もまた
旅の醍醐味だったりします。

そうして、何年後かに読むことも又、楽しみなんですね。

もうしばらく続くと思いますが、気長にお付き合いください。

2013/10/08

テヘランまでの2日間


昨日の阿片窟ならぬ、阿片テントのなかでは相変わらず若者が喋られなくなるまで
阿片を吸い、そんな彼らの扱いに慣れているほかの人たちは、見てみぬフリをして
マークスをもてなしてくれたそうだ。

そして、地中に鍋丸ごとを炭と共に埋めて煮込みあげた肉料理を頂いたあとは、無事車に
帰ってきて寝たそうだ。

あーよかった、何も起きなくて。

翌朝、テントに行くと男達はもう仕事に出かけていた。

テントの中には昨日はいなかったおじさんが一人いて、羊の毛を紡いでいた。





こういうのは初めて見たなぁ。

ただの毛の塊が、あれよあれよと長い糸になってゆく。

暇な時間があると、男達はこうやって毛を紡ぎ、持って帰ったら奥さんがキリム織に
使うそうだ。

私もやらせてもらったけど、物凄く難しかった。


私達はおじさんと一緒に朝ごはんを食べて、お礼を言ってその場を去った後
一路イランの首都、テヘランへ向かう。

セムナーンからテヘランまでの道は、グルッと遠回りして山道に入り、イラン最高峰
ダマヴァンド山の麓の原っぱで1泊する。

この時すでに5月下旬だったけど、やっと春がやってきたぐらいの季節で、雪解水が流れる谷に
新緑がキラキラ輝くアルプスの山地のようなところだった。


しかし、雲が出すぎで景色は悪かった。。。

ちょうど3日前は、灼熱の砂漠の上で野宿していた私達。

イランてほんとデカくて、自然の宝庫だよなー。

こういうところでも、断然ポイントアップなのです。

なかなか無いと思う、こんなに揃ってる国。

山あり海あり砂漠あり。

あー、テヘラン行きたくないな、、、、、

この1週間はずーっとのんびり自然の中を旅していたから、あの街の雑踏や狂ったドライバーが
いる街には、正直戻りたくなかった。

だけど、ここにはドイツに住んでいるイラン人(マーの友人)の両親が住んでいて、
元々訪ねる予定であったのと、先日シラーズでオーダーした、友人の結婚指輪が届いている
はずだった。

だから、今日1日お邪魔して泊まらせて頂き、早々においとましようという事で山を越えて、
テヘランへ向かう。



 テヘラン、人口1300万人。

東京と同じぐらいと言った所でしょうか。
流石に首都だけあってデカいです。

そして、運転は相変わらず信じられないほど荒く、マークスもテヘラン仕様と言わんばかりに
かなり荒くれ野郎になり、クラクションをバンバン鳴らし、ドイツ語で汚い言葉を連発しながら
運転してました。

前にも書いたけど、唯一つイランの嫌いなところがこの「運転マナー」。

まともに運転したたら、こっちが事故る。

だから、普段は優良運転手でもここはもう、ヤン車仕様でガンガン攻めなくてはいけない。

そうでもしないと、目的地になんか永遠につかないの、ほんとに。

私はイランでは1度も運転しなかったけど、したら多分、3秒で事故る自信がある。




テヘランの環状線とか首都高みたいなのとか、とにかく解りづらく、どうやって行ったかわからない
けど、目的地のお家へ無事到着。

迎えてくれたのは、マー友人のご両親。

たいそうなお金持ちで、テヘランの一等地に3階建てのアパートを所有していて
その1階に住んでいた。

またまた場違いな、汚い旅人。

そんな私達を笑顔で迎えてくれたこの夫婦のご主人は、もうすぐ80歳になるお爺さんで
30年前にスイスに住んでいたこともあり、ドイツ語がまぁまぁ出来る人だった。

30年前なのに、その記憶力。

きっとさぞかし頭が良い人なんだろうなー。

彼の息子はイランで博士号を収めた優秀なエンジニアで、技術をさらに磨くためにドイツで働いている。

1度会ったことあるんだけど、もうカッツカツの真面目な人というイメージ。

なので、ある程度お堅い家庭だということは想像できていたんだけど、まぁーこの滞在が
思いもよらず楽しいものになったのは、その真面目な弟とは180度正反対の兄のお陰。

彼らと過ごした数日のお話は、また明日。





2013/10/02

砂漠を抜けて

砂丘で目覚める朝。
ひんやりした砂の上で朝ごはんを食べ、しばし余韻に浸ったあとは
再び来た道で幹線道路へもどり、一路北へ。



カヴィール砂漠よ、さようなら。

 



 その後は、だだっ広い荒野の大地をひたすらに走る。

 手元にある地図がけっこう適当だったりするので、たまに道に迷ったりもした。








砂漠を走り、Semnanまで抜ける間には、100km以上一切風景が変わらないという
完全になる不毛の大地が広がっていた。

昨日見た生命力みなぎる砂丘から見たものとは対照的な景色。

植物はおろか、ハエすらも存在できないと思われる死んだ大地のど真ん中を、何時間か走る。

面白いほど微動だにしない景色。


だから、ちょっと遠くのほうにぽっこりお山が見えてきたときの嬉しさといったらなかった。







その遠くに見えた山の方に近づくにつれ、景色もまた活気をを取り戻し、こんな風景が
飛び込んできた。

「ふぅ、やっと抜けたか。。。。」




結構な長距離ドライブだったので、砂漠地帯を抜けてけっこうすぐの所で寝床を探す。

そして、今は乾季で水が流れていない川の上に車をとめて今日はここで寝ることにした。





あたりも大分暗くなってきて、食事も済ませてお茶をのんでほっと一息ついてたとき
遠くのほうから、車がこの谷間に下りてきて、こっちに近づいてくるのが聞こえた。

「見つかっちゃたかぁーー」

そいうえばここに入ってくる所で、バイクに乗ったおじさんがわざわざ止まって
怪しげに私達の車を見ていたっけ。

まぁ、仕方がない。

来たら挨拶してなんとか乗り切ろう、、、、、なんて思っていたら、砂利道を走る車の音が
複数であることに気づく。

うわー、嫌な予感!

と思って、ハイビームでこちらを照らしながらやってきたのは、1台のトラックと3台のバイク。

バイクの後ろに乗ってる男は、でっかい木刀みたいなのを両手に持っている。

えええええーーーーーー!!!!!!!

ど、どうしよう!

盗賊かなんかですか??


そして、あっという間に車から降りてきた男達、あわせて10人ぐらいに囲まれた私達。

何か言ってるけど、全然わからない。

「ツーリスト、ツーリスト、ノープロブレム!!!!!!!!!」

何度も何度もそう言って、やっとただの旅行者である事を理解した彼らは、

「なーんだ、ただのツーリストか」

といった面持ちで帰っていった。

しかし、角材を持った男は本当に申し訳なさそうに何度も何度も謝ってきて
この山の上の工事現場用のキャンプに泊まってるから、一緒に来てくれないかと
誘ってくれた。

とんでもない出会いだったけど、 また誰かが来てもいやなので、彼に同行し
今日はそのキャンプの横に車を止めて寝ることにした。

キャンプにつくと、大きなテントが暗闇に浮かんでいた。

さっきの一件でちょっとびびっていた私は、テントの中に通されても気が気では
なかった。

だけど、角材の彼はさっきの無礼を詫びるかのように、お茶や食事などを
私達に振舞ってくれた。

次第に緊張した雰囲気も和らいでゆき、なんとなく打ち解けてきた頃、そのテントの奥に
座っていた若い男二人が、おもむろにアヘンを吸いだした。

「オピウム、オピウム、NO、NO、NO」

さっきから食事の支度をしてくれてる彼の言葉を無視するかのように、彼らは炙ったアヘンと
ストローを私達に廻そうとしてくる。


そう、昨日今日と通ってきた道は、アフガニスタンやパキスタンからの麻薬密輸ルートになっており
砂漠をぬけて最初のこの街に、麻薬常習者がいるのも納得だ。。。。

って、納得してる場合じゃない!

これ、もし警察に見つかったらとんでもない事になるよ。

しかも、そんなところに外国人旅行者が居合わせていたら、無実の罪を着せられて
刑務所にぶち込まれてしまう可能性だってある????


ただでさえ刑罰が尋常でない厳しさのイラン。
後で調べたら、売人は死刑になるほど厳しい国なのだ!

やばい。こんなところにいたら絶対にやばい。

一刻も早くここから抜け出して、どこかに走り去ってしまいたかったけど、それも怪しいので
私は眠いからと言って車に戻り、マークスはテントに残る。

ドキドキしながら、撮った写真。


ああ、マークスが無事て、明日と言う日がちゃんとやってきますように!