2011/11/03

旅の終わり

ナドールの港から船に乗り、 来た海をまた戻ること2日。

今回も予定より1日遅れでフランスに上陸。

久々のヨーロッパ。
我が家に段々と近づいて行く感じは、車旅ならではのお楽しみだ。
家に帰るのって、こんなに嬉しいことだったっけ??

グッバイ、モロッコ。
また来る・・・・・かな~???

モロッコは、観光開発されすぎていて、人も観光客ずれしている人が多いというのが
正直な感想。
そして、それでけっこう思い煩うことが多かった。

モロッコ人のメンタリティー+観光客と接触する頻度を考えると、こうなっても
当然なのかもしれない。
それでも、以前と比べ大分良くなって来たらしいけど。

日本からドイツの旅で通ってきた中央アジアもアゼルバイジャンとかトルコも
イスラム教徒の国だったけど、モロッコとは全然違った国だった。

私はあの旅で体験したような、手厚いホスピタリティーなどを通じて現地の人と
交わることを、とても楽しみにしていた。

私達が持っている「お金」ではなくて、ただ単純に「人間」として興味をもってくれる。
それを前提にもてなしてくれるのが、彼らだった。

今でも覚えているのは、一番最初にもてなしてくれたカザフスタンのファミリー。
イスラム圏の旅の初日に出会い、私はものすごい疑った記憶がある。

この人たち、あとから金をせびるのではないか??

結局はそんなことを思ってしまった自分を最高に恥じる結果となった訳だけど
それ以降、私はこういう出会いで構えたり疑ったりした事は1度もなかった。

心を開きっぱなしにしていても、傷つく心配がないと感じたからだ。

今考えると、奇跡のような日々だった。

しかし、モロッコでは常に構えておかなきゃならなかった。

人と接触したいのに、こういう意識が常に付きまとう。

「もしかしたら、この人は・・・・」

これはあまり面白いことではないし、すごく面倒くさかった。

もちろんいい人だって絶対いるけど、今回は運が悪かったんだろう。
イン・シャ・アッラー、すべては神の思し召し。そう思うことにしよう。

モスレマンホスピタリティー。
そんな事をいつも期待して旅に出るわけではないのだけど、
知らない土地の知らない誰かに会って、
その人の日常を少しでも垣間見ることができたら、
そんな旅は楽しいに決まってるじゃないか!と思っている。

だから、自由に身動きが出来る車の旅が好きなわけでね。

結局旅で自分を満たしてくれるのは、
どこで何食べたとか、どこのホテル泊まったとか、何を買ったとか、
そういうことではなくて、私の場合はホント「人」ありきだ。
(あ、でも「そういうこと」は全体の2割ぐらいは必要かも)

すばらしい数々の出会いは、私にとっては「癒し」であり同時に「刺激」でもある。
そしてその体験が、毎日を自分らしく生きるエネルギーにもなると思っている。

そう、だから旅をしたくなるのだ。このエネルギー補給のために。
思い出だけじゃ物足りないときに。

要求、何気に高いのです。
だって、お金で買えるものじゃないものね。

ということで、その点から考えると今回のモロッコ旅は完全充電にはならなかったかな。。。

それでも、素敵な出来事もあったけどね。

人にはあまり恵まれなかったけど、モロッコの大自然には100%大満足。
また一つ、地球のデカさをまじまじと体験出来た日々は、ホントにすばらしかった。
しばらくはそれで食いつないでいきます。

旅の締めくくりは、フランスに住む友人宅。
船が港に着いて8時間ぶっ通しで走って、ちょっとだけ遠回りして会いに行った。

彼らは2年前タジキスタンで会った、フランス×ドイツ人夫婦で
つい先月、1年半に渡る南米キャンピングカーの旅を終えたばっかりだった。

歳も60歳ちかくで、親の世代と変わらないけど、相変わらず面白い生き方を
している夫婦。
こういう再会もまた嬉しくて、刺激的だった。

家の近所に、ヨーロッパ最高峰のモンブランがあったりして
そんなこと知らなかった私達は、寄り道だけではもったいないということで
結局1泊して、山方面の観光に出かけたり、水曜日のマルシェに行って
やけにおいしそうなチーズとか買ったりして、久々のヨーロッパを満喫した。

         奥の雪かぶってる山がモンブラン

たった一日の間。
再会出来た事もそうだけど、いろんな事がぎゅっと詰まっていて
ホントに楽しい1日だった。

その先フランスからはただの帰り道。
スイスのジュネーブを抜けて、夜中まで走り続けドイツに入りオートバーンの駐車場で
車中泊する。

翌朝車の外に出たら、観光バスの中からぞろぞろと人が出て来た。

おばーちゃん達がタバコをスパスパ吸い出し、男達は朝の8時から持参したであろう
ビールをラッパのみしている。

若いお姉ちゃんは、半ケツかってぐらいのショートパンツを履いて、
白くて長い脚を惜しげもなく露出していた。

私はこの何気ない風景を見て「ドイツ万歳!!」と小声で叫んだ。
なにか、とっても熱いものがこみ上げてきた。
マークスは不思議そうな顔をしていた。

もう、このダメな感じ、ユルユルな感じがたまらなく懐かしくて、
そして愛しかった。

そうだ、ドイツってこういう所だった。

そして、やっと帰って来たんだ!

ヨーロッパ、やっぱ自由だ。

自由って、やっぱすばらしいや。

モロッコの旅★2011年 夏

おわり

★やっと終わった~。長々とお付き合い頂きありがとう!!★

2011/11/01

最後のモハメッド

モロッコ旅最終章。

フェズからナドール。
途中の原っぱで1泊し、最後どーしても寄らなきゃいけなかったモハメッド宅。

途中で電話しろと言われたので、何度か連絡したんだけど
そのたびに
「あのねぇ、ラシーダ金がなくてホントに困ってるからね」と言うモハメッド。

金額とか言わない。くれとも言わない。
だけどこれはもう立派な要求ですよね、おじさん。

そんなこともあって、行きたくないなーーー、という感じだったんだけど、何せ大量の
荷物が置いてあるので寄らないわけにはいかない。

結局、最初のホスピタリティーはお金目当てだった。
それは途中からもう分かっていたけど、そんな状況でまた同じ家を訪ねるのも
気持ちが悪いものだった。

久々のモハメッド宅。
笑顔で出迎えてくれたラシーダと息子のヨセフ。
家の中に入っていくと、英語がベラベラの超いかつい兄ちゃんがやってきた。

「あ、あのぉ、私達モハメッドの知り合いなんですが、預けた荷物を取りにきました。
明日の船で帰るので、今日は一晩泊まらせてもらえませんか??」

恐る恐るそう訪ねると

「あなた達のことは、父から聞いています。もちろん、泊まってっていいですよ。」

ああ良かった。。。。って、この人誰??

あ、そういえば、モハメッドには最初の結婚で出来た息子がオランダにいると
言っていたっけ。

その彼も、バカンスでファミリーと2週間過ごし、明日の飛行機でオランダに帰ると
言っていた。

思ったよりも気さくな兄ちゃん、だけど話し方がモハメッドそっくり。

「先週、カサブランカの旅行先で親に渡すためにもってきた5000ユーロが
丸々盗まれた。モロッコ人はホントに最悪だ。。。」

またか・・・

これは、遺伝なのか??
最後の最後でまた混乱しなきゃなんないのか???

「そういう話、ここでこの前モハメッドから何回も聞かされたんだけど・・・・」

私達が、モハメットがした数々の話をこの息子君に話すと

「いや、それは殆どウソでしょ。」

それがなんでウソなのかも、全部説明してれた。

彼によると父親は相当の「虚言癖」を持ち、さらにはドラッグの後遺症による
パラノイアで精神が崩壊していると言っていた。

彼自身、16年間もこの父親との関係を経っており、やっと決心がついて、ついに
再会を果たしたところだったのだ。

だけど、会いに来るなら金をもってこいと言われ、更には家族で旅行をした旅費を
全部払い、挙句に5000ユーロ盗まれたというから、私達なんかと比べ物にならない
くらいの、大大大災難だ。

みんなでお茶している最中に、フランスのモハメッドから電話がかかってきた。
マークスとの会話の途中で、彼はこう言った。

「そこに俺の息子がいるけど、そいつには気をつけな。危ないよ。
金をせびるかもしれないし、なにか盗まれるかもしれない!」

自分の息子を泥棒呼ばわりする親がどこにいる??
マークスが怒ったのも当然だ。そして隣に座っていた息子に

「今、お父さんがアンタの事泥棒だから気をつけろって言ってるんだけど
どうする、この人??」

ああ、言っちゃった。。。。。

息子は怒りで震えていた。電話をぶん取って

「今、なんて言った??俺は人のものを盗むような人間じゃない!
なんでそんな事言うんだよっ!!!」

本当にかわいそうだった。
半分なみだ目だった。

モハメッドは

「そんなこと言ってない!マークスがウソついてる」

と言って、電話を切ってしまった。


その後も、パニックになったモハメッドから何度も電話がかかって来て
意味不明のことを言っていたらしい。

私達はもう相手にしないことにした。

ばつが悪いラシーダは夕食が終わった後、とっとと寝室に行ってしまい
その後二度と会うことはなかった。

私達は夜遅くまで色んな話をして、翌朝一睡も出来なかったという息子を
空港まで車で送って行ってあげた。

彼はとても正直で、ほんとに心がきれいな人間だった。
全てはお母さんのおかげだと言っていた。

キックボクシングのチャンピオンになったこともあって、日本でも
戦ったことがあるらしい。
今は引退したけど、手に入れた賞金で会社を設立し、オランダで暮らしている。

モハメッドファミリーとは、残念な分かれ方だったけど
最後、この息子に会えてよかった。

ウソが確定したことで、すっきりしたこともそうだけど、この息子の正直さ
人間としての強さに、ちょっと頭が下がる思いだった。

「あれでも、俺の親父なんだ。恥ずかしい奴だけど、俺は親父を愛してるよ。」

・・・・それにしても、あんな嘘つきな人間を見ることは、後にも先にもないだろうと思った。

最初の一歩でモハメッドに会い、旅の〆もモハメッドにやられた。

そして最終日、完全にモヤモヤが晴れて、1ヶ月ちょっと旅したモロッコとおさらば
する時が来たのだ。

最終章、あともう1回で終わり。

2011/10/28

買い物最終戦@巨大迷路都市フェズ


イミルシルから山を越え一気にフェズという、モロッコ最古の都に行った。

古代都市のフェズは城壁の中に町があり、その町並みは間違いなく世界最大の
巨大迷路都市だ。

一度入ると、なかなか抜け出せない。

目印になりそうな高い建物も、町の中からは全然見えないので
方向感覚を失ってしまう。
なので太陽の位置だけを頼りに、あとは適当に迷ってみる。

            この大きなモスクも、街中からだと一切見えず・・・


とにかく狭い路地が迷路みたく入り込んでいて、そこに何百件もの
商店が軒をつらねる。
その道の隙間から、いきなり荷物をどっさりのせたロバとか馬が出てきたりする。
もちろん観光地なので、外国人がたくさんいる。

ここはモロッコで3番目に大きい都市だけど、マラケシュなんかよりも
全然面白かった。




        街のいたるところにある水飲み場。モザイクがモロッコぽい


           迷ってたらたどり着いた皮の染色エリア。何色あるんだろー??


そして、ここが買い物戦最後の土地。

探し物がまだまだあったので、色々な店を回ってみるが
やはり、ここもメチャメチャぼったくられる空気が漂っていた。

カモなんです、まさに。特に日本人は。

         これは、日本人買わないか・・・


生地屋で、食器屋で、バブーシュ屋で。
マークスも結構本気でアドレナリン出ちゃうくらいの真剣勝負をしたり、
私も私で店の兄ちゃんとケンカになりそうになったりして、
改めてモロッコの商売人の根性の汚さを再確認する1日となった。

彼らの商売の仕方だとは言え、自分の良心は傷がつかないものかと
人格を疑いたくなるくらい、とにかく酷いぼり方をする。

そういえば、食堂のおばちゃんにもぼったくられたっぽい。

いちいち嫌な思いをすることになるので、この国では金銭が絡むことを
極力避けたいんだけど、私にはどうしても欲しいモノがあった。

それはバブーシュ。
 柄も色もすでに確定済み。
 本場モロッコの皮のバブーシュだけは、何としても買って帰りたかった。

何件か店を周って、ついにそのバブーシュを見つけた。
もちろん、値段などついていないから、聞いてみるも
日本より高い値段を吹っかけてきた。

まあまあまあ。
それは慣れっこなんだけど、いざ交渉に入ると全然引かない。
どこまで絞りとるんだ、この兄ちゃん。
結局腹が立ちすぎて、買わずに店を出た。
ホントに探してたものなんだけど、こんなヤツにお金を払うくらいなら
諦めたほうがましだと思ったからだ。

正直モロッコでの買い物なんて、値段は大した問題じゃない。
そりゃ安くなるに越したことはないけど、どの道日本で買うより全然
安く買えるんだから。
要は気持ちの問題だ。
最終的に気持ちよく買い物できるかどうかが重要なのだ。

さてさて、もう買い物戦は終わりにしようとトボトボ歩いていると
通りの片隅に、地味ぃーーで小さなバブーシュ屋さんがあった。

売り場なんて、ほんの1畳ぐらい。

だけど、そこで目に飛び込んできたものは、まさしく私がさっき
諦めて買わなかったバブーシュたち。

またここでも戦わなきゃならないのかと思うと、気が引けたんだけど
一応値段だけ聞くと「80ディルハム」。
約8ユーロ。

さっきの店では26ユーロだ。

ナンなのこの差!!!

一応ちょっと値切ってみる。

そしたら、値引きしてくれて70ディルハム!

お兄さん、神ですか?

最後、このお店で買い物が出来てほんとによかった。
私はありがとう、ありがとう、本当にありがとうと何度もお礼を言って
握手までしてもらった。

たかだか1足のバブーシュを、しかもほんのちょっと負けてあげただけで
こんなに礼を言われているお兄さんはキョトンとしていたけど、
この悪徳アラブの商人が蔓延る観光地で
こんなに正直に商売をしている姿に、私は鳥肌が立つほど感動してしまった。

フェズの最後、というかモロッコの最後。
このお兄さんの正直さと、ごくごく当たり前のフツーの笑顔に救われたと言っても
過言ではない。

交渉戦の疲れも一気に吹き飛び、清々しい気持ちだった。

その後は巨大迷路の街を迷いながら、何回も同じ通りを行ったり来たりして
日が暮れる前には、なんとかメディナを出ることができた。

それにしても意外に面白かったフェズ。
買い物の荷物で両手がふさがり(主に、にんにく2キロと野菜類)
シャッターチャンスを多く見逃してしまったのが、ちょっと悔やまれる。

モロッコの滞在も残すところ3日。
あとは、あの゙最初の゙モハメッドファミリーが住むナドールに寄って
帰るだけとなった。

ああ、早く日記終わらせたい・・・・


2011/10/26

イミルシル 再び

3週間ぶりのイミルシル。

湖に着いた頃には、この前と違って晴れていたので
さらに青さも引き立ち、一段と美しさを増していた。





イミルシルの街中は、前回と違ってラマダンも終わり、街がにぎわっていた。

明日から始まるお祭りのため、臨時の大掃除大会や道路の整備に追われてる
人たちがたくさんいた。

私達はカフェで一息ついて、店のマスターに明日の祭りのことなど聞いてから
湖が一望できる崖の上まで車を持って行き、車中泊。

相変わらず、きれいだけど、寂しい湖だ。。。



翌朝、町から約20キロ離れた村でベルベル人伝統の結婚セレモニーが
あるとのことだったので、さっそく行ってみることにした。

会場に着くと、あたりは馬とラクダとおっさんで埋め尽くされていた。
あれ、なんか違うところに来ちゃった??

せっかくその祭りのために着たのに、この風景って・・・・

しかも、ものすごい嵐で片栗粉みたいに細かい砂埃がありとあらゆる
ところから進入してきて、不愉快極まりない。

そうこうしてウロウロしているうちに、なにやら別の人だかりが見えてきた。

そして、祭りの会場にようやくたどりつくことができた。





このお祭りの元々の由来。

習慣的に、両親が子供の結婚相手を決めるモロッコでは
この祭りの期間3日間だけは、自由恋愛の機会が与えられていたそうだ。

女性は見初められるようきれいに着飾り、男性は自分の財力を見せる為に
家畜や宝石を持参してお嫁さんを探し、そこで結婚が決まったカップルは、
正式な立会人のもと大勢の人の前で婚姻の儀式を行うというのが発端らしい。

今では、3日で結婚する人などいないらしく、あらかじめ結婚を決めたカップルが
この伝統に則って、儀式だけは行うということになったようだ。

合同結婚式のようなものかな。


       ベルベル人のお姉さん。民族衣装がかわいい


           観客のおじさんたち。祝い事なので白なのかしら?





      調印を行うカップル。目が美しい・・・



それにしても、観光客がとてつもなく多かった。

地元の人々がやっとの思いでフェンスの外から眺めているのに対し
立派なカメラをもった観光客が、この儀式のステージに何人もズカズカと
上がってきて、真近かでバシバシ写真とかビデオを取りまくてっるのが、
やけに目に付いた。

本当に残念でならなかった。



さて、祭りの会場を後にし、イミルシルの街にもどり
夜から始まる音楽祭まで時間をつぶす。

川辺でご飯を作り、洗濯して、昼寝してもまだまだ時間が余り
結局カフェに行って、だらだらとコーヒーとチャイを飲みながら
4時間ぐらい待つことになった。

そして、夜10時過ぎ音楽祭が始まった。

司会もミュージシャンもみんなベルベル語を喋っていた。

ベルベル度100%の音楽祭。

故に、ベルベル人の伝統音楽が一番素晴らしかった。



あの時あったモハーおじさんには、結局会うことができなかった。

きっと来ていたんだろうけど、会えなかったということはそういうことだ。

イン・シャ・アッラーなのだ。

夜はものすごい冷え込んだ。

標高1800mというから、そりゃ寒いわけだ。

そうして、翌朝イミルシルを去る。

ちょっと遠回りしちゃったけど、なんというか私にとっては
例えばマラケシュにあと2日滞在するよりも、意味のある数日だった。

もういちど、ここに来れて本当に良かった。

2011/10/24

水あるところに、親切あり???

マラケシュからイミルシルまでの道。
久々にアトラス山脈を行く旅に突入。
海もいいけど、やっぱ山もいいなぁ・・・

途中で「OUZOUDの滝」という所や「BIN-EL-OUIDANE」という
素晴らしくきれいな湖に寄ったりして、また静かな旅の日常に戻った。





途中で通りかかった村では、沢山の騎士があつまり
なにやら伝統的なお祭りが行われていた。




湖の近くで寝ることに決めたある日、夕食の支度をしていると
仕事帰りのおじいさんが歩いてきたので、握手をして挨拶を交わした。

その後から通りかかった若者も、羊飼いも皆親切で、ちょっと呆気にとられた。

いつもだったら挨拶も早々たかられるところなのに、ここの土地の人ときたら
笑顔で挨拶して、ごきげんようと言って去ってゆく。

昨日泊まった川の近くでは、羊飼いのおじさんとその子どもに一斉に
たかられるという始末だったので尚更、ここ日の出来事にはちょっと
感動すら覚えた。

何が違うんだろう??

しつけなのか、村単位のメンタリティーなのか。。。
幸福度の違い?宗教観??
たかる理由というの分かるんだけど、この国ではたからない理由が
私にとって謎のままだった。

翌朝、昨日のおじいさんがお茶とパンを持ってきてくれた。

おじいさんの親戚で、体が弱そうでボロをまとった男も一緒に来て
朝ごはんを一緒に食べた。

私は、この人たちはきっとお金が必要だから親切にしてくれるのだと思い、
うっすら壁を築いてしまっていた。

さて、どっちだったでしょう・・・・

おじいさんと男は、これから仕事に出かけると言い、また笑顔で
握手をして、そして去っていった。
手作りのパンもお土産に残していってくれた。

こういうのが、ホントにホントに辛い。

疑わなくてまんまと騙されるのも辛いけど、疑って本当はいい人だった時の方が、
何倍も気分が悪い。

それに、いちいちこうやって気を構えておかなきゃいけないのも
しんどいものなのだ。

考えてみたら、コレがモロッコ旅において最初で最後
本物のホスピタリティーだった。

1ヶ月目でようやく出合った本物のおもてなし。

そして、思い返せば湖の近くでは必ず良い人たちに会っていることに今気付いた。

きっと、湖マジックかなんかなんだわ。




マラケシュからイミルシルまでの山道は、地図を見る限りちょっとした難所を
通過しなければならなかった。

だけどその地図がちょっと古かっただけで、実際には新たに道が整備されいる
所も多く、思ったより楽々ルートだった。


久々にダイナミックな山の風景に感動する。
ものすごいトリップ感を味わえた山の旅だった。







2011/10/23

マラケシュ、即撤退

熱帯夜の寝苦しい夜を過ごし、そのまま猛暑の1日に突入。

この暑さで街歩きはできないと思ったので、マラケシュ観光は夕方からにする。

それまでたっぷり時間があるので、ホテルのプールで泳いだり、洗濯したりして
のんびり過ごした。

私達は車持参なので、キャンプサイトで車中泊だったけど
ホテルの施設は自由に利用できて、快適だった。

フランスやスペインナンバーのキャンピングカーも多かった。

夕方近くになり、まだまだ暑かったんだけど、ダラダラしてるのも
疲れてくるので、マラケシュのあの有名な「フナ広場」に行くことにする。








広場の周りも中もとにかく、人人人。人だらけ。

私はここに一度も来たことはないけど、
きっとこういう所だというのは、すでに想像ができていた。

そしてその通りだったので、ここまで来たけど感動を覚えることはなかった。

なぜだろう、マラケシュ。
ずっと憧れていたんだけどね。

イマイチ、ピンと来なかったんだな。

色んな店が引っ切り無しに軒を連ねているわけだけれど、
物がありすぎて、どれも同じに見えてきてしまう。

それでも探してるものがあるので、ぐるぐると見て回る。

もちろんマーは、カフェでのんびり人間ウォッチング。

私はというと、いろんな店に入っては一から値段交渉しなければならず
勝ったり負けたりしながら一人買い物ツアーを続ける。

日本人だと言うと法外な値段を吹っかけられるし、途中でめんどくさくなってきて
戦いにも疲れたので、早々に引き払うことにした。

それでも、ウワサで聞いてたよりも店の人々はそんなに激しくなかった。

だけど一番ウケたのが、生地を扱ってる店で見たラグマットみたいなの。

最初シルクだと言って日本円で7万円ぐらいしたものが
 やっぱコレはコットンでしたとか言って勝手にドンドン自分で値段下げてって
最後に2000円でいいから買ってくれとマジ顔で言われた。

別に気に入ったものではなかったので、買わなかったけど・・・




            絞りたてオレンジジュースは美味かった


「地球の歩き方」でも持ってれば、もうちょっと日本人的な
旅の楽しみ方ができただろうか。

「ここの店のアレを買おうとか、アレを食べよう」みたいな楽しみ。

そういうのもたまにはいい。

あれはあれでホントによく取材してあるので、こういうごちゃごちゃした
観光地めぐりにはもってこいなのかもしれない。

なんか、ちょっとでも調べてくればよかったかな・・・・

ということで、マラケシュの魅力をそこまで感じることができず、
結局この晩、3時間ちょっとの滞在となった。

翌日、もう一度あの人ごみに戻る気力もなく、マラケシュを去って
イミルシル方面に向かうことにした。

そう、あの青くて悲しい湖で会った、モハーおじさんとの再会を胸に・・・・

2011/10/21

カーペット戦

小さな裏路地にあったそのカーペット屋は
外見からは想像できないくらい、沢山のカーペットが
ストックしてあった。

店の主人はパリっと白いワイシャツを着て、他の店とは
レベルが違うというところを見せ付けているようだった。

私が探している大きさ、色目などを伝えると、あーだこーだ
言いながら、高そうなものを広げだす。

「私はありとあらゆるカーペットをお見せすることができます。
特に私どもの自慢としましては、年代が古くても美しいカーペットを
取り揃えてることです。なぜなら、私のクライアントたちが
愛して止まない品物だからです、いかがです、マダム??」

自分の演説にちょっとうっとり目の店主を見て吹き出しそうになった。

そこでマークス

「僕達は、そのあなたのクライアントのように、たかだかアンティーク
だと言うだけで何倍も金を払って、そのことに満足するような悪趣味は
持ち合わせてないので、早いとここっちが望む品を持ってきて
くれませぬか??」

カンカンカーン!!!

ラウンド1、FIGHT!

夫よ、いきなり戦闘開始かい?

さっきまで

「もういいよー。今日は疲れたから明日にしよう」
なんていってたのに、いきなりスイッチ入っちゃったマー先生。

この人のぶっちゃけ具合というのは、たまにハラハラするときも
あるんだけど、こういうシチュエーションになると応援したくなる。

そして、1時間ほど品定めをしてやっといい物が見つかり
値段交渉へ。

最初の言い値は400ユーロ。こっちの希望価格100ユーロ。

あんた正気ですか?と思われるぐらい底辺から、さらっと始めるマークス。
この人に心はあるのか。
いや、元々相手だって吹っ掛けてきてるんだから、お互い様だ。

でも私だったら、怖くて絶対出来ない。

ここから、どこまで歩み寄れるかがお互いの腕の見せ所。

30分戦って半額まで下がりもう一息!(下がるんかい!)

交渉が難航し、このころまでにはさっきまで紳士気取ってた店の主人が、
地べたに座りだし
「勘弁してよー、マジで。。。。」と、
値切りまくるマーに泣きついていた。

それでも一歩も引かないこの男。

しかし 交渉炸裂。

「残念だけど帰ります。いい物見せてくれてありがとう。」

と、店を出ようとすると、店主はもう疲れきってうな垂れた声で

「分かったよ、いいよ150で。。。。」

やったーーーーー!!!

最終兵器 ≪ションボリして帰る≫ 作戦が功を奏したのだ。

私がお金を下ろしに行って店に戻ると、二人はさわやかな笑顔で
会話を交わしていた。

「いやー、厳しかった。でもやりがいがあった。あんた、ベルベル人でしょ??」

ここでもまた言われてたが、最後は笑って終わったので
彼にも分があるということでしょう。

ベルベル人の交渉テクニック、気になるなー。




演技派の店主に別れを告げるころには、すっかり日が暮れて
しまっていたので、一泊してから次なる目的地、マラケシュに
行こうということになった。

次の日、昨日と同じ屋台に行って、またシーフードを食べまくる。

マークスはイカのゲソにはまってしまったらしく、
ゲソのみを食べまくっていた。

そして、またお腹いっぱいになって、これからマラケシュという
気分でもなかったので、私は街散策と買い物の旅に出かけ
買い物が嫌いなマークスはカフェでのんびり過ごし、もう1泊
することにした。

翌日は朝から風が出てきて、カイトサーフィンに打って付けの
日になったので、マーは朝から海に入りっぱなし。



私は一人で例の屋台に行って魚を食べまくり、街散策しながら
冷やかしで入ったお土産屋の兄ちゃんとおしゃべりしたり、
流木拾いに出かけたりして、あっという間に1日が終わった。






エッサウィラ、ちょっと寄るだけのつもりが結局3日滞在した。
なかなか居心地の良いところだった。
観光地なのに、砂浜で車中泊しても全然平気だった。
魚屋台の存在が一番でかかったかも。。。。

そんなわけで、夕方からはマラケシュまで一直線の旅。

そして夜10時ごろ、マラケシュに到着。

なんというか、バンコクみたいな雰囲気。

夜の渋滞、響き渡るクラクション、カオス・カオス・カオス。。。

スピード狂の原チャリ族が、ノーヘルの女の子を後ろにのせて
車の間を縫うように走り抜けて行く。

こういう遊びがはやってるのか???

程なくして、マラケシュ中心部から8キロ離れた
キャンプサイトに到着。

即効で爆睡。
エッサウィラとは大違いの熱帯夜だった。

2011/10/18

大西洋トリップ 2

       海沿いトリップはまだまだ続く




あるときはがけの上で、またあるときは砂浜で。
もう、けっこう飽き飽きするぐらい海での日々が続く。


              道の途中にあったサボテン畑




街に出た時は、カフェや食堂でのんびり過ごした。

海沿いなので、魚貝類にかなり期待していたんだけど
ラマダン明けなので、市場が空いてないとか、漁師が出かけられなかったとかで、
レストラン行っても魚が殆どなかった。

唯一、タジンの店ではご当地物なのか、ウツボのタジンを食べたけど
あんまりおいしくなかった。



途中Agadirというリゾート都市の近くでは、観光客や金持ちモロッコ人
行きつけのMarjaneという巨大スーパーがあった。

値段がついてるものを買うという当たり前のことだけど、
この安心感がたまらなく心地よく、スーパーマーケットハイになってしまった。

ここで色々値段を知っておけば、このあと控えているマラケシュでの
買い物戦でも、正々堂々と戦うことができるだろう!

ということで、食品から雑貨、調味料、ありとあらゆるものの物価を
しらべまくって、大きなイカを一匹ゲットして、その日の夜は
浜辺でイカ料理。

イカなんて去年日本に帰って以来食べてないや。

イカ、サイコー。

そして海沿いをドンドン北上し、目指すはエッサウィラ。

ここは、けっこう大きな漁港があって、色んな魚が上がってくると聞いていたので、
ドイツで魚貝に飢えている私にとって、楽しみにしていたことでもあった。

9月8日
アルガンオイルの産地でもある山を越えて、久々の熱風ドライブ。
ヘトヘトになりながら着いたエッサウィラ。
すごい観光地っぽかったけど、その前に見たアガディールとか
よりはましかな??


わたしたちは早速車を止めて、「魚はどこじゃー!!」と
街散策を始める。

港の方へ行くと、その手前に魚屋台が軒を連ねていた。

威勢のいい兄ちゃんたちが、大きなイセエビやサメを振り回して
客引きをしている。

それぞれの店の前には、取れたて新鮮な魚が山盛りに盛られ
食べたいものをお盆に載せて、あとは値段交渉。



エビ、イカ、鯛、いわしなど、なんか適当に見繕ってもらって
その場で炭火焼きにしてもらう。

セットでサラダとバケットとコーラがいっしょについてきて
腹がいっぱいになって動けなくなるまで食べて、二人で約20ユーロといったところ。
天国だった。





重たいお腹が落ち着いた後、漁港へ行ってみると
帰ってきたばっかりの船の荷おろしで人がごった返っていた。

中には、魚のおこぼれをもらって、それを売って生活している
人もいるらしく、貧しそうなオバサンや子どもが多かったのも
印象的だった。

しかし、海の男はかっこいい。
私はずーっと、「いやぁ、カッケーなぁ」と連発していた。

ボサボサでくしゃくしゃで荒っぽいんだけど、海で働く男が
どこまでも「海の男」なのは、万国共通だとおもった。



その後は土産屋がたくさんあるエリアに出向き、カーペットを物色。

この旅で、まともに物を探して店を回るのは初めてだったんだけど
なんか思ったよりみんなユルユルで、客引きもなければ
押し売りもない。

みんなやる気あるのか??ってぐらい、とにかく店に入るまでは
目も合わさないし、声もかけない。

もっとアグレッシブな商売人を予想していたので、意外だった。

しかし店に入り探してるものを伝えると、冷やかしの客ではないことを
悟った店主のスイッチがパキーンと入る。

私達は買い物をする前に、

「最初は相手の言った金額の20%から交渉をはじめて、
最終的に歩み寄って、言い値の40~60%ぐらいで品物が
手に入るようにしよう」

という作戦を立てていた。

相手は悪名高いアラブの商人である。

そして、これは戦いなのである!

カーペット屋を何件か周ると

「マラケシュで買ったらこれの倍はする」とか
「うちらはマラケシュの詐欺師とちがうから、正直に商売してまっせ」とか、

約200キロほど離れたマラケシュの商売人と自分達を比べ、
いかに良心的なのかを売り文句にしていた。

でも、多分そうなのかもと思うようになってきて、この地でカーペットを
買うことに決めた。

2時間ほど色々見て見ると、同じ商品を扱ってる店も多いことに気づいた。
そして、全く同じものなのに値段が3倍するものもあったりで
これはほんと、ちょっとした戦いになるのを覚悟して、あるカーペット屋に
飛び込んだ。