2013/12/12

ギョレメの谷で焼きうどん

モフリスの家を去り、その夜はジャンダルマ様に見つからないよう用心して車中泊。

しかし、通りかかった人に通報するぞと言われ、もう眠りかけてる所だったのに移動を
余儀なくされる。

結局どこだかも分からない真っ暗な空き地に逃げ込み就寝。

朝起きたら、何かの工事現場だった。

作業員がやって来る前に再び移動して、私たちはトルコの一大観光地カッパドキアに向かう
ことにした。

ここには以前来た事があったので、別にスルーしてもよかったんだけど、通り道から
20キロぐらい遠回りすれば行けるような所だったので、お昼休憩もかねて行って見るかと
言うことに。





久々にやってきたカッパドキア。

何度見ても、その迫力に度肝を抜かれる。

こんなものが、何千年もかかったとはいえ自然にできるってすごいよなー。

ただただ感動。すんげーーなーー。

 


お昼時になりお腹も空いてきたので、絶好のロケーションでお昼ごはんをつくる。

こんな時に、こんなところでサクッと料理できてしまうのも車旅のよいところ。
前回ここにきた時は、テント泊したし。


 この日もお気に入りのギョレメの谷の上の木陰にハンモックをぶら下げて、マーは運転疲れを
癒し、私は中華なべを振って焼きうどんを作った。

炎天下だったからか観光客の姿も見えず、奇岩が群がる谷底に私が刻むキャベツの音が
響いたかは定かではないが、カッパドキアまで来て焼きうどんを作る日本人なんて
多分世界中で私だけだろうなと思うと、なんだかちょっとだけ、多分3秒ぐらい誇らしくなった。

食事を終え、お茶を飲みながら2人でだらだらハンモックに揺られていると、爆睡して動けなそう
だったので、なんとか重たい腰を持ち上げ移動することに。

途中でアイスでも食べて帰ろうかと立ち寄ったギョレメの町は、恐らくこの旅で見た中でも
最大の観光地で、故に観光客が沢山いる。

8割は白人で、オープンエアのレストランなんか、ヨーロッパのどっかの町にあるそれと
何ら変わりない。

シャレオツなリゾート地の典型。

駄目だ、こういうところ。

ここは、トルコであって、トルコじゃない。

ものすごい違和感。極めて居心地が悪い。

なので、即刻退散!!!!

アイスはしばらくお預けにし、1時間ぐらい走っていった小さな町の
売店に駆け込み、やっとアイスにありついた。

その後は、カッパドキアとはまたぜんぜん違った風景が広がる、緑が生い茂る田舎道を
通過し、湖のほとりに到着。

今日はここで寝よう。

散歩にやってきていた通りがかりのおじさん達3人にお茶を入れてあげて、
芝生の上で束の間のピクニック。



それから2日ほどは、こんな感じでだらだらとした日を過ごしつつゆっくりと距離を進め、
私たちはブルザという町にたどり着いた。




2013/12/11

準備5時間、食べるの10分


早速魚を持って帰ってからは、この何百匹もある魚の下ごしらえ。

切り株に腰をかけて3人の男たちが、まず魚の頭を捥いで、指でお腹を開けて内臓を
取り出すという作業。

これを延々2時間ぐらいやっていた。

昨日の料理の準備もそうだったけど、ものすごい細かい作業に時間をたーっぷりかけながら
家族と一緒に黙々と作業する。

親子三代が毎日一緒になって料理をする姿。
今ではなかなか見られない光景だと思う
食べるのなんか一瞬だけど、時間は惜しまない。

前にどこかの家で食べさせてもらった物に、しその葉よりも小さいブドウの葉っぱに
米を詰めて巻いたトルコ料理のドルマというものがあった。

仕上がりは2センチぐらいのロールキャベツみたいなもの。
これを何百個も作り煮込み料理に入れるという、なかなか手の込んだ料理っだった。

これも2時間ぐらいかけて準備した記憶がある。

トルコの料理は食の世界遺産だかなんだかに登録されているけど、多分味だけではなくて
こういった文化的な背景も登録される理由になったのではないかと思う。





おじさんたちが作業している間、女たちは魚と一緒に食べるパンを焼く。

この家にはちゃんと近代的なキッチンもあるんだけど、料理するのはもっぱら野外。
煮炊きもできる専用の小屋があって、今でも毎日そこに火をくべて料理するのだ。

なぜかと理由を訪ねると、やはり焚き火で料理したほうがおいしいからだそうだ。

わかるわー、その気持ち!



あー、しかしなんてのんびりな生活なんだろう。
毎日がピクニックみたい。

妹とお母さんは慣れた手つきでパンを焼きあげると、お次は魚の調理にとりかかる。

これももちろん焚き火の上で。

              


魚はシンプルに、骨ごとじっくり揚げて、こんな風にして頂きました。


焼きたてのユフカにカリッっと揚がった小魚と、ネギたっぷりのすっぱいサラダを巻いて
頂きます。

シンプルだけど、めっちゃ美味い。
ここでもまた自給率100パーセント。(レモンは私たちの持ち込み品)

魚を獲りに行ってから、それが料理になって口にするまで5時間ぐらいはかかってるけど
チャイを飲みながら、みんなでゆーっくりと準備をして、そしてみんなで食べる。

幸せだなーと、しみじみ。。。

モフリスは私たちをゲストだから厚くもてなすというより、ありふれた日常にすぃーっと
引き入れてくれる、そんな感覚がものすごく心地よかった。

だから、彼の仕事も手伝いに行ったし、子供たちを連れて散歩にでかけたり、食料を
調達しにも行った。



 何よりも、彼が子供のように嬉しそうにして話すドイツ時代の思い出話が、とても面白かった。

こんな純粋な大人というのは、久々に見たなー。

翌日、私たちは出発することにしたが、その別れをモフリスは惜しむことも無い様子で

「またいつでも遊びにおいで、僕たちはいつでも君たちを待ってるからね」

と、またいつか絶対に会えることを確信しているかのように、スッキリした笑顔で私たちを
見送ってくれた。

出発する前には、妹とお母さんが私の大好物のトルコ料理「ギョツレメ」を作ってくれて
最後にみんなで食べてお別れした。





ある日偶然に出会った、小さな村に暮らすトルコ人一家。

 こういう人たちの出会いが、私たちの旅では何よりも思い出深いものになる。

そして、1度会ったきりもう2度と会うことがない人でも、強烈に胸に焼き付いてる人が
今まで訪れた国には何人かいて、その人と過ごした日々の事や、もしくはほんの一瞬の出会い
だったとしても、何年経っても鮮明に覚えている。

名前だって覚えている。

モフリスは間違いなく忘れられない人になるだろうな。

そういえば、彼の家に水筒を忘れてきてしまったので、それを理由に、と言うかそうじゃなくても
また会いに行きたい。

トルコにはそんな家族が結構いたりします。

そして、私の距離感も今では大分おかしな事になってきているんだけど、トルコぐらいまでだったら
毎年車で遊びに行ける所という感覚です。

トルコなんて、近い近い!

2013/12/04

モフリス家、自給自足の一家

スーパーの前で偶然出会った、ドイツ語が話せるトルコ人、モフリス。
誘われるがまま彼の家にお邪魔することになった私達は、のどかな山里の村に到着。

切り株に腰をかけながらお茶を飲んで、家族を紹介される。

同居しているのは彼の家族(嫁、娘、息子と赤ちゃん)と両親、そして、妹と弟という9人の大家族。

お父さんも30年ぐらい前にドイツで働いていたことがあり、カタコトながら多少のドイツ語を話す。
娘の旦那も現在ドイツで働いていると言っていた。

モフリスはドイツで肉体労度を長いことして、その後はピザ屋で調理人として働いていた。

けっこうお金も稼いだらしく、彼らが住んでる家もこの辺では一際目立つ大きくてきれいな家だった。

トルコに帰ってきてからは、自給自足の父親と共に放牧や小麦の生産で生計を立てている。

モフリスがマークスを連れて放牧している牛を連れ戻しに出かけたので、 私はさっきから給仕に
バタバタとしている女性軍の様子を伺いに、家の中へ入って台所へと向かった。

そこにはこの家の女性が3人集まって料理をしていた。

ライ麦のような荒い粉を水でこねて、親指の先ぐらいに小さい団子をひとつずつ作っている。

この作業だけで、2時間近くやっているというから驚き。

モフリスの妹は少しだけドイツ語が話せる。

これは少しばかり悲しい話で、ドイツで働いている彼女の夫はいずれは彼女をドイツに呼び寄せて
一緒に生活するから、その日が来るのを心待ちにしてトルコで2年間ドイツ語を勉強した。

しかし、彼の愛は冷めてしまったらしく、彼女がドイツに行く事もなくなってしまった。

「私にはなんにもない。ここにいても毎日毎日同じ日々で、男たちの給仕をして
お金を稼ぐこともできず、そうやって一生を過ごすんだわ・・・」

暗いなーー。。。。

ストレスも相当溜まっているのだろうか。
初対面でいきなりこんな話をいろいろ聞かされたけど、なんと言っていいのかわからなかった。


さて、待ちに待った夕食の時間。

トルコの典型的な夕食の風景。




 この家では、男女食べる場所が別だった。
私はゲストなので例外だったけど、トルコにしては珍しいんじゃないかな?

この日の夕食で自給してないものといえば、多分煮込み料理のトマトソースぐらいで
あとは全部自家製だ。

トルコでは欠かせないアイラン(ヨーグルトドリンク)も、全部お手製。

BOSCH製の立派な冷蔵庫を見せてもらったんだけど、中身は全部乳製品だった。

牛から絞った乳で作ったヨーグルト、バター、チーズ以外はほとんど何もない。
買ったものがないのだ。

べつにこれは珍しいことではなく、田舎の方に来ればよく見られる光景だそうだ。

3年前にお世話になった地中海沿いのトルコ人一家も、その近所もこんなような
生活をしていた。

経済成長が目覚しく、近代化が続々と進むトルコにも、まだまだこういった昔ながらの
生活を普通にしている人たちがたくさんいる。

だけど、仕方が無いから自給自足をしているわけではなくて、そうやってこれまでも生きてきて、
きっとこれからもそれが続いてゆくだけのことなんだとおもう。

そしてこの家族、お魚も近所の川で調達します。

翌日、天気も良かったので子供たちと一緒に魚を獲りに行った。

おじいさんが運転するトラックの荷台に乗って、ガタガタの山道を走り川へと向かう。

そしてこの日の夜ご飯になる10人分もの魚を、ものの1時間もかけずで釣り上げて終了。

その魚釣りとはこちら。




石の下に小魚が無数にいて、そこに網を投げて下から煽って網に引っ掛けるというもの。
 1度に15cmほどの小魚が30匹ぐらい、面白いほど取れる。

 網から魚を外す時は、1匹ずつおなかを押して卵があるか確認。
卵があったら押し出して、川に戻す作業もしていた。

 この投網を10回ぐらい繰り返して、10キロぐらいになったところで終了。




さてこの魚、どんなふうにして、どうやって食べるのでしょうか?


続きは次回。

2013/11/20

熱いトルコ人

翌日も西へ西へと距離をすすめる。

途中、食事の為に立ち寄ったビンギョルという町では、旅人が珍しいのかイラン並みに
人々に囲まれる。

さっそく食堂に入ったら、忘れてはいけない値段確認。
ここの店の人は数字も英語で言えず全部筆談だったけど、そっちのほうが都合がいい。



これはトルコではおそらく一番安いファストフードの「ラフマジュン」

釜で焼き上げたパリパリの薄生地に、スパイシーなひき肉が乗っているシンプルな料理。
これでサラダを巻いて食べるんだけど、これがまたメチャメチャおいしい。

アイランという、塩味のヨーグルトドリンクとの相性も抜群で、3ユーロぐらいでお腹が
いっぱいになる。

食事をしている最中も窓の外から見物客が私たちを観察している。

 あんまり気分のいいものではなかったけど、田舎だから仕方が無い。

さっさと食事を済ませて、私たちはまた西へ西へとひたすら走ってゆく。

夕暮れも近づき、食料の買出しにその辺で通りかかったスーパーに入る。

チーズ、オリーブなどを買いたいんだけど、イランから来た私たちにとっては驚くほどの
物価の高さ。

下手すればドイツよりも高いものもある。

それでも必要なものを一通り買い求め、会計を済ませて外でアイスを食べていると
スーパーの中で見かけた子連れのトルコ人がドイツ語で話しかけてきた。

参考までに言うと、ドイツ(当時の西ドイツ)は戦後復興のあとの経済成長期に労働力不足の
補填にと、トルコから大量の移民を受け入れてきた。

だから、トルコに来るとドイツ語が話せる人がホントに沢山いるのだ。

ここで会った男性も、15年程前にドイツで働いていたことがあり、しかも壁が崩壊して
間もない頃の東ドイツの復興工事にも携わっていたらしい。

私が住む近くのライプチヒという町にも半年程住んだことがあり、当時の様子を懐かしそうに
語っていた。

「僕はドイツにいた時、ドイツ人にホントに世話になったんだ。
どこの国でも、人種や宗教や出身国など関係無しに、みんな仲良くするべきなんだ。
君がこの国にいる間は、この国の住人だと思って過ごせばいいよ。
僕もドイツではそうしてきたんだ。
困ったことがあったら絶対に誰かが助けてくれるから、いつでも誰かに助けを求めて
いいんだよ。」

15年ぶりに話すというドイツ語でありながらも、意思はちゃんと伝わってくる。

なんか熱いトルコ人が現れたぞ。

話は遡って3年前。

トルコを旅していたときに出会ったトルコ人からのドイツ人評判はいまいちで
「あんな冷たい人がいる国なんか、もう二度と行きたくない」とか
「10年住んでいて一度も家に呼ばれたことが無い」とか、
そういう会話を何度も聞いたことがある。

その時私はドイツ語が一言も分からなかったので、マークスに英語に通訳してもらっていたけど、
トルコ人が何でそんな事を言うのかいまいちピンとこなかった。

でもあの旅を終えてドイツで生活するようになって、 ドイツの中のトルコ人を目の当たりに
するようになった今、やっとあの時の言葉が理解できる。

ドイツ人の中には、断トツに多いトルコ移民を快く思ってない人がけっこういる。
それは右寄りな思想が特に無い人でも、トルコ移民は特にドイツ人の働き口を奪うからと
言って毛嫌いする人もいる。

そもそも、復興成長の為に欠かせないいわゆるガテン系の仕事をやりたがらなかったのは
当のドイツ人達で、その穴埋めに政府が移民を受け入れて、その人たちのお陰もあって
今のドイツがあると言えるのではないか?

移民を嫌う前に、国を憂うならば国の為に汚いキツイ低賃金の仕事でもやる気概が
ドイツ人にあればよかったんだよ。

と、こういう話になると夜が明けそうなので強制終了しますが、とにかくドイツの中のトルコ人
うまくやってる人もいれば、そうでない人もいます。

そしてこの熱く語る彼は、珍しくドイツ人をべた褒めする人でした。

アイスも食べ終わった頃、まだまだ話したそうだった彼は「良い旅を」と言って去っていった。

私達も車に戻り、今日の寝床でも探すかーと言って出発し、しばらく走っていると
さっきの彼が車で後ろから追いかけてきた。

そして窓を開けて、車を脇に止めてーと言って来たので、路肩に車を止めた。

駆け寄ってきた彼は「これも何かの縁、うちに泊まりに下さい」とのお誘い。

私達は2つ返事で彼の後をついていった。

大きな国道から逸れて、山がある方向にドンドン向かって行き、20分程で彼の自宅に
到着した。

庭でくつろいでる彼のお父さんや子供達は、突然やってきた私達をみてびっくりしている。
それでも、快く招き入れてくれて、みんなで切り株に腰をかけてまずはティータイム。

出会いはいつも突然に。
だから、こういう旅は本当に面白い。

今思い返せば、この男性との出会いも今回の旅で忘れられない程、思い出深いものに
なったのでした。



ネムルト山の天然温泉

さて、やってきたのは温泉が湧き出ているという湖。

私はてっきり、その湖全部が温泉だと思っていたんだけど、実際は湖のほんの一角に
湧き出ていて、そこが岩で覆われている。

2人入ったら満員ぐらいの大きさだけど、リウマチなどを治すためこのお湯を求めにくる地元の
人もいるみたいだ。

私たちはさっそく温泉の前の原っぱに車を止め、ご飯をたべたり本を読んだりしながら
夜になるのを待った。



夜になる前、試しに湯加減チェック。
この辺は東部の保守的なところなので、水着はやめて短パンで入浴。


お湯は最初のうちだけものすごく熱いけど、慣れたらいい湯加減。

泉温は日に日によってまちまちだけど、熱いときは70度近くまで上がるそうだ。

底は砂で、所々からメチャメチャ熱いお湯が噴出しているのが見える。

まさに天然の温泉。

昼間のうちは観光客がけっこう来て、温泉に足をつけて帰ってくんだけど
夜になればこれを独り占めできるという贅沢。

温泉つき車のお宿。

最高のロケーションだった。

 


翌日。

天気も良かったし、この旅に出て一度もトレッキングしてなかったので、せっかくだから山に登ってみようということになった。

高さはそんなにないけど、見た目ですでに急な山だというのは一目瞭然。

登りはいいけど、下りがキツそう。。。

まぁ、下ったら温泉があることがせめてもの救いかな。

急な斜面をぐんぐん登り、振り返ると自分たちがいた湖と、その後ろにある青い湖が
だんだんと姿を現してくる。


そして頂上から見えた湖がこちら。
登ってきてよかったー。







 しばらく頂上付近で休憩したあと、今度は恐怖の下山。

登りの急斜面から、下りの大変さは想像できていたけど、なかなかのものだった。
普通に歩いていたら、膝に負担が掛かりすぎて危ないので、ここは重心をどこにも掛けず
猛ダッシュで下ってゆく。

火山なので足元はやわらかいし、こけても痛くない。富士山みたいな感じ。

二人して、猿のように滑りながら走り無事下山。

行き2時間、帰り30分という、脅威の急斜面登山だった。




山を下ってからは、のどかな湖のほとりに一軒だけある東屋で一休み。

観光客を乗せたバスが、どんどん来ては湖で1時間ほど休憩して帰ってゆく。

外国人のバスなんか、その休憩してるそばからテクノミュージックをガンガン掛けていて
ツアーガイドの計らいなんだろうけど、みんなの迷惑そうな顔といったらなかった。


夕方5時ごろを境にぴったりと観光バスが来なくなり、湖にもやっと静寂が訪れる。

暗くなったら私たちは山登りの疲れを癒しに温泉につかり、のぼせたら湖で泳いでなんていう
またまた楽しい夜を過ごしたのでした。

2泊3日。
たまたま通りかかった町外れの、さらに外れた山奥の秘境トリップのお話でした。

2013/11/19

再トルコ二日目

トルコ再入国の翌日、私たちは行きに通ってきたイラン最大の湖「Van湖」を西沿いに
走ってゆき、湖の西端にあるタトゥワンという街にやってきた。
 


道中の山道では珍しいものを見た。

遠くから見たら人だかりのように見えたので、事故でも起きて野次馬が集ってるのかと思ったら
近づいていくうちに、それが鳥だということがわかった。

そのくらい大きい鳥、そして動物の死骸に集ってるところから見ると、これはハゲタカとかの
類だろう。


なんだか不気味だった。
沢山の鳥が寄って集って死んだ肉体を引きずって、つつきあっている。

先日行ったイラン、ヤスドの沈黙の塔のことを思い出した。

あの時は死んだら鳥に食べられてもいいかもなんて考えたりもしたけど、この光景を見て
絶対嫌だと思った。

鳥は近づくと、不気味な音を立ててバサバサと山の向こうへ飛んでいった。

こんな大きな鳥は、初めてみたなー。





さてさて、久しぶりにやってきたトルコの町。
イランでこのぐらいの規模の街があれば、そこは間違いなくカオスな風景。
人、バイク、車が無秩序に入り混じり、事故もそこらで起こっている。

だけどここはトルコ。
皆が交通ルールを守り、ウィンカーを出して走る車に投げキッスをしたいぐらいだ。

トルコに入国するのはこれで3回目だけど、いつ来てもなんだか安心感があってワクワクする国。

さっそくATMでお金を下ろして、トルコ料理で腹ごしらえだ!

車を止めて、初めに目に入ったロカンタに入る。
地方のロカンタはどこに行っても外れがないというのが、私の中の定説。

おいしい煮込み料理に、お馴染みのパン。
やさしいお店のおじさんは、笑顔で接客してくれる。。。が、会計時ぼられたっぽい。

まあいっか。
次からちゃんと値段も聞こう。
しばらくトルコにいるんだから、食事するときの単語と数字ぐらいまたトルコ語で覚えなきゃ。

そんな事を思いつつ、ちょっと残念な気持ちになりながらも次なる目的地ネムルト山に
向かう。


 街の外れ10分ほどの所に、この山に登れる入り口がある。
山の麓には美しい湖があって、その湖の一部には高温の温泉が沸き出ている。

「温泉と聞いたら行くしかないでしょう!」ということで、この日の予定がきまった。



 山をどんどん登ってゆくと、突然目の前が開けた感じになってきた。
この山は火山で、噴火でできた無数の火口や溶岩が複雑な地形をつくっていた。

そして、このあたりの観光名所となっているのが、その噴火でできたカルデラ湖で
大小色の異なる湖が、巨大な火山の窪みにひっそりとたたずんでいるのだ。

 

 途中湖の近くで放牧をしている遊牧民を見かけた。

ゆったりとした山の稜線、新緑の鮮やかさ、そこに無心で草を食べている無数の羊。

のどか過ぎてうれしくなって、思わず窓を開けて手を振ってみた。

 「メルハバー!(こんにちは)」

そう言って今度は車から降りて、乳搾りをしている人たちに近づいて行った。



 そして、マークスが乳搾りに初挑戦。

他のみんながすぐさまタンクをいっぱいにするのと同じ時間で、マークスはお椀をいっぱいに
するのが精一杯。

その様子をみてみんな大笑い。

人肌にあたたかく、細かく泡の立った搾りたてのミルクも飲ませてもらったけど、クセがなくて
意外とおいしかった。

それからしばらく遊牧民のみなさんと戯れて、温泉があるという湖へ向かうことにしたのでした。

おもしろい羊の習性。車にもぐった羊にまた羊がもぐり、その羊にまたもぐる羊の図。寄り添いすぎ。
 続

2013/11/13

さよならイラン、そしてまた来たよトルコ。

旅はトルコへと続く。。。

トルコへ向かう車でいっぱいのイラン側の国境ゲート。

陸続きに荷物を運ぶ輸送トラックのなんか、1キロぐらいの列を作っていたけど
それよりすごいのが、列を作らず早く行ったもん勝ちの一般車。

車は5センチぐらいの間隔でひしめき合い、一台車がゲートを通る度に一斉にエンジンがかかり
我が我がと進んでゆく。
進むというより、30センチぐらい前に移動する感じ。

私たちもそこに車を突っ込み、3、4時間ぐらい待つことを覚悟していたんだけど
30分ぐらい並んでいたころだろうか、スーツを着た偉い役人みたいな人がやってきて
車を後ろに移動するようにと命ぜられた。

せっかくちょっとだけ進んだのに、抜き打ち再検査か何かか??

後ろにびっちりとくっついている他の車に「道を開けろー!」と言って手荒く私たちの
車を誘導するおじさん。

方向転換をして、来た道をゆっくり戻ると役人の人が
「こちらからどうぞ。グッド ジャーニー」
 と言って、役員専用の出入り口と思われる所から私たちを出してくれた。

出国の手続きはまだ終わってないけど、国境は続いているので、トルコ側に車だけ乗り入れて
体の移動だけで手続きできるという有難さ。

何の特権もない私たちに、こんなにも粋な計らい。

イランは最後の最後まで私たちを喜ばせてくれる国だった。

イランの人たちは自分たちの国の評判が悪いことを常に気にしているので、
せめてこの国に来た旅行者には いい印象を刻んで帰ってもらおうと思っている。

この思いは一般者だけでなく、役人にまで浸透しているんだという事が
この件でわかったような気がする。

そういえば、警察がいる検問所でも一度も止められたことがなかったし。

 トルコの国境を前にして、急激にまたイランが恋しくなった。

イランというか、イラン人。

またいつか、きっと来るよイラン!
それまでどうか、平和でありますように。

そんな熱い思いを胸にトルコ側のゲートに差し掛かると、 ゲートを開けた向こう側から
やってきたのは、ドイツナンバーのワンボックスカー。
やっぱりまたドイツ人だ!

若いカップルで、助手席に座ってる女性は国境を越えた瞬間なのでスカーフを慌しく頭に
被せようとしていた。

私はすれ違いざまに窓を開けて、「GUTE REISE!!(良い旅を!)」
と一言だけ言って、大きく手を振った。

運転席の彼は、親指を立てにっこり笑って去っていった。




さて、トルコ側の国境ゲートは2重になっていて、イラン側とは比べ物にならないくらい
殺伐としている。

なんてったって軍人の数が桁違い。
桁違いというか、イラン側は0に対しトルコ側は1ゲートにつき5人は武装した兵隊が銃を
構えて立っている。

さっき車内検査も終えてなんの問題もなかったのに、最後の最後でまた念入りに車を
検査された。

この辺、トルコの東部はクルド人が多く住む地域で、クルド人の独立国家を望む過激な
武装集団がトルコ人との間で度々闘争を繰り広げてきた地域でもある。

それは今でも続いていて、数年前には外国人旅行者が誘拐される事件も起きている。

そんなエリアであるから、軍隊の見回りが半端じゃない。

国境、検問所、いたるところにいるのは警察じゃなくてイランの軍隊「JANDARMA」

実は私たち数年前のトルコ旅で、このJANDARMAに捕まったことがあって
べつに悪いことはしてないのだけど、関わるとやっかいな人たちだというのは知っていたので
トルコ東部は特に、なるべくひっそりと旅をしようと心掛けていた。


そんな心構えもあったので、今日の寝床探しは事のほか慎重だ。


昼間の間は、遊牧民が山間にテントを張ってのどかな光景が見られるけど、夜になると
一層警備の目が厳しくなる。

その辺で車中泊しようものなら、すぐさまJANDARMA様に見つかってしまうし、
逆に夜になったら車のライトで目立ってしまう。

どこかの街に行って宿を探すには遅すぎて、暗い山道を運転する気力は
残っていなかった。

結局限界まで運転し、川の近くでエンジン音が響かないところを見つけたので、
星の明かりを頼りに、ライトを消して寝床を確保。

トルコの国境を目指し出発してから、10時間近く経っていた。
長い長い1日だった。