2013/06/26

クルド人の里


子供たちが昼過ぎに学校から帰ってきて、お昼ご飯を食べた後、
家族は全員2時間ほど昼寝に入った。

保育園みたい。。。。

イランでは特に暑さが厳しい時間帯は、殆どの商店や会社が休憩時間に入る。
なので大体午後1時~5時ぐらいまでは、街も閑散としていいる。

仕事に出ている男たちは一旦家に戻り、 ゆっくりと食事するなり昼寝するなりして
暑さが和らいできた頃にまた仕事へと向かうのだ。

お腹いっぱいになって、そのあとすぐ寝るなんて、なんて幸せな時間なんだろう。

私たちもそれに習って昼寝した。

太るよねー、コレ。

のそのそとみんな起きてきて、 目覚めのチャイを頂いた後、おじさんと子供たちを
車に乗せて、おじさんの実家がある村へ向かう。

20分ほど走ったところ、町外れの山間に土色の家々が集落を成していた。

ここがおじさんが生まれた村かー









この小さなおにぎり山は、牛の糞を積んで干しているところ。
冬の間はストーブの貴重な燃料になる。

これがある集落に来ると、そこがクルド人が住むところだとわかる。
彼らの伝統、生活の知恵なんだろう。

中は空洞になっている、牛糞のかまくら。


お母さんにあげるお土産の花束を摘む次女ソヌール

 この村の暮らしは、町にあるような便利で快適なものではないけど
女性は家畜の世話や野良仕事などやる事がたくさんあるので、外に出ることが出来るからか、
町住まいの女性よりも、ハツラツとしているように見えた。

町住まいの女性は楽な暮らしをしているけど、可愛そうと言えば可愛そうだ。
やはり、自由がない。

大きな都市になるとあまり関係ないけど、中途半端な地方の中規模な町のような
ところではやはり、女性の行動に制限がありすぎると思う。

ストーブの前で飼育している雛であそんでみる

その後2時間ほど滞在して村の散策をしたり、夜ご飯に食べる野草を摘んでから
町にもどることに。

夜ご飯はチキン。
お父さんの職業柄、毎食チキンが出てきます。




食事が終わると突然沢山のゲストがやって来た。

しかも市場のおっちゃんたちと違って、パリッとキレイなあの民族衣装を着ている。
何回見ても、ヘンな面白い服だなー

カーペットが一瞬にして重要なゲスト用のものに入れ替わる。

それもそのはず。
御出でなすったのは学校の先生と弁護士という、ちょっとしたお偉い方達で
英語の先生も一人いたので、ここでやっと完全に意思が通じる会話ができるようになった。

私達が疑問に思っても、言葉が通じないから聞けなかった沢山のことを改めて聞くことができて、
非常にすっきりした。

彼らもまたクルド人で、イランとクルド人の間にある問題や民族の誇りを力説したり、
それは普通聞かないだろうという嫌な質問をしたり、されたりしながら、
もうちょっとはっきりとイラン人、というかここではイランに暮らすクルド人が見えてきたような
気がした。

彼らはイランに住むけど、イラン人とはまた相成れないぐらい独特な文化や考えを持っている。
 
こういう民族が祖国をもたず方々に散らばっても、その国に淘汰されない理由というのが
彼らが誇っているクルド人としての生き方を見聞きすれば大体理解できる。

ドイツで面識のあるクルド人達は、たまにその誇りと主張が強すぎて何だかなーと思う事が
よくあったんだけど、彼らの故郷の住人から色々話を聞いて、なぜそうなのか、
ようやくここで謎が解けたような気がした。

そして、私の経験上、このクルド人というのは多分世界一ホスピタリティーに富んだ
民族だと思うのです。

世界一は大袈裟か。でも少なくともユーラシア大陸で1番。

それは過去の旅でも、この旅でも感じた事。

他の大陸は知らんのですが。


ということで、2泊3日お世話になったマーメルおじさん一家。

明日も泊まっていってよと、美しい長女ソルールに懇願されたけど、先も行かなきゃ
ならないのでお暇することに。
彼女はこの日私を学校に連れて行って、一緒に授業を受けるつもりだったらしい。
どんな学校なんだ?

お別れの朝。

「今日もマーメル行くんだよね?」

なんて冗談を言いながらも、おじさんは寂しそうな顔をして私達を見送ってくれた。

スイカ1個買うはずだけだったのに、結局3日滞在したこの町。

今日、この町の人々の写真を見て、久々に彼らの子供のような笑顔を思い出した。

こういう場所が、地球上のどこかにあると思うだけで、なんか心が救われる。

今日もおじさん、元気にしてるかなー。。。


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おまけ

お絵かき上手の次女ソヌールが見せてくれた絵。
イランでは小学生でも、学校に行く時はスカーフ着用です。





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