2013/06/27

サナンダジュのバザール

おじさんの家を後にしてからは、サナンダジュというイラクの国境からそう遠くない街の
バザールで食料調達。

しかしお昼休みの時間に入っていて、殆どの店が閉まっていた。

キラキラ生地はクルド人が民族衣装によく使います。


食器通り。


完成度の悪さがへんなツボを刺激する。パチリ



お昼ね中。

 それでもちょろちょろ開いてる店で野菜や果物を買った。

イランでは路上の野菜販売でもちゃんと値段表示がしてあるので、買い物するのが楽だ。
そして、旅人からぼったくろうと思う人などまずいない。

ほんの一握り、多分2%ぐらいの確率でぼったくるようなセコい人間がいるぐらいだ。

と、思う。




バザールを後にしてからは、山の途中で見つけた静かな湖で寝ることにした。 

これから数日は静かにゆっくり過ごしたいので、山篭りをしようという事になる。

しかし、ここには人は来ないでしょうという場所でも、放牧している人が居れば話は別で
とんでもなく急な山の斜面から、日が暮れる前におじさんが羊と共に現れたりする。

そして人との接触を避けたいこんな日でも、会う人会う人みんなから自宅への
お誘いを受ける。

断るのにも一苦労。

そんな人ばかりいるので、マーメルおじさんとの別れから2日も経たないうちに、
次に立ち寄った街でも、またそんなおじいさんに出会ってしまい、お茶だけのつもりが、
結局2泊もすることになるのだ。

私の旅日記、振り返るとこんな事ばかり。

ある日突然誰かに出会い、お家にお邪魔し、温かくもてなされ、そして別れて、また出合って。。。

こういう流れで、ほんとにあっという間に1ヶ月が過ぎていったと言う感じ。

イランに来て5日しか経ってないけど、すでに2家族の家でお世話になっている。

そして、3組目。
ケルマンシャーに住むシャバジさん一家。

きっかけは、街中で声をかけてきてくれたおじいさん。

名前はホジャット(以下ホジャ爺)

英語の先生で、ドイツ語もまあまあ喋れる。
おまけにフランス語も喋れて、とてもいい語学脳をお持ちのおじいさんだった。

しかし彼の奥さんが精神をわずらっていることから、人を家に招くことが出来ないので
近くに住む親戚の家に私達を連れて行ってくれた。

この一家はナッツ類などを売る店を営んでいて、2人の息子も家業を手伝っている。

そして2人はホジャ爺の生徒でもあり、目下英語の特訓中で、私達の滞在も
英語レッスンの一環だと言って、家族共々快く受け入れてくれた。

街の中心街にある一軒家に住む裕福な家族。

平均月収が3万円ぐらいのイランで、この生活レベルは相当なものだろう。

高級なペルシャカーペットが敷き詰められてるリビングに、ソニーのでっかいプラズマ
テレビがあり、息子2人が暮らす階も、もう一世帯住むのに何も不自由がないぐらい
全てがそろっている。

インターネットもばっちり使えて、超快適!
この一家との3日間は、イランの若者の考えや暮らしっぷりを覗くことができて
とてもとても楽しい時間だったのでした。

2013/06/26

クルド人の里


子供たちが昼過ぎに学校から帰ってきて、お昼ご飯を食べた後、
家族は全員2時間ほど昼寝に入った。

保育園みたい。。。。

イランでは特に暑さが厳しい時間帯は、殆どの商店や会社が休憩時間に入る。
なので大体午後1時~5時ぐらいまでは、街も閑散としていいる。

仕事に出ている男たちは一旦家に戻り、 ゆっくりと食事するなり昼寝するなりして
暑さが和らいできた頃にまた仕事へと向かうのだ。

お腹いっぱいになって、そのあとすぐ寝るなんて、なんて幸せな時間なんだろう。

私たちもそれに習って昼寝した。

太るよねー、コレ。

のそのそとみんな起きてきて、 目覚めのチャイを頂いた後、おじさんと子供たちを
車に乗せて、おじさんの実家がある村へ向かう。

20分ほど走ったところ、町外れの山間に土色の家々が集落を成していた。

ここがおじさんが生まれた村かー









この小さなおにぎり山は、牛の糞を積んで干しているところ。
冬の間はストーブの貴重な燃料になる。

これがある集落に来ると、そこがクルド人が住むところだとわかる。
彼らの伝統、生活の知恵なんだろう。

中は空洞になっている、牛糞のかまくら。


お母さんにあげるお土産の花束を摘む次女ソヌール

 この村の暮らしは、町にあるような便利で快適なものではないけど
女性は家畜の世話や野良仕事などやる事がたくさんあるので、外に出ることが出来るからか、
町住まいの女性よりも、ハツラツとしているように見えた。

町住まいの女性は楽な暮らしをしているけど、可愛そうと言えば可愛そうだ。
やはり、自由がない。

大きな都市になるとあまり関係ないけど、中途半端な地方の中規模な町のような
ところではやはり、女性の行動に制限がありすぎると思う。

ストーブの前で飼育している雛であそんでみる

その後2時間ほど滞在して村の散策をしたり、夜ご飯に食べる野草を摘んでから
町にもどることに。

夜ご飯はチキン。
お父さんの職業柄、毎食チキンが出てきます。




食事が終わると突然沢山のゲストがやって来た。

しかも市場のおっちゃんたちと違って、パリッとキレイなあの民族衣装を着ている。
何回見ても、ヘンな面白い服だなー

カーペットが一瞬にして重要なゲスト用のものに入れ替わる。

それもそのはず。
御出でなすったのは学校の先生と弁護士という、ちょっとしたお偉い方達で
英語の先生も一人いたので、ここでやっと完全に意思が通じる会話ができるようになった。

私達が疑問に思っても、言葉が通じないから聞けなかった沢山のことを改めて聞くことができて、
非常にすっきりした。

彼らもまたクルド人で、イランとクルド人の間にある問題や民族の誇りを力説したり、
それは普通聞かないだろうという嫌な質問をしたり、されたりしながら、
もうちょっとはっきりとイラン人、というかここではイランに暮らすクルド人が見えてきたような
気がした。

彼らはイランに住むけど、イラン人とはまた相成れないぐらい独特な文化や考えを持っている。
 
こういう民族が祖国をもたず方々に散らばっても、その国に淘汰されない理由というのが
彼らが誇っているクルド人としての生き方を見聞きすれば大体理解できる。

ドイツで面識のあるクルド人達は、たまにその誇りと主張が強すぎて何だかなーと思う事が
よくあったんだけど、彼らの故郷の住人から色々話を聞いて、なぜそうなのか、
ようやくここで謎が解けたような気がした。

そして、私の経験上、このクルド人というのは多分世界一ホスピタリティーに富んだ
民族だと思うのです。

世界一は大袈裟か。でも少なくともユーラシア大陸で1番。

それは過去の旅でも、この旅でも感じた事。

他の大陸は知らんのですが。


ということで、2泊3日お世話になったマーメルおじさん一家。

明日も泊まっていってよと、美しい長女ソルールに懇願されたけど、先も行かなきゃ
ならないのでお暇することに。
彼女はこの日私を学校に連れて行って、一緒に授業を受けるつもりだったらしい。
どんな学校なんだ?

お別れの朝。

「今日もマーメル行くんだよね?」

なんて冗談を言いながらも、おじさんは寂しそうな顔をして私達を見送ってくれた。

スイカ1個買うはずだけだったのに、結局3日滞在したこの町。

今日、この町の人々の写真を見て、久々に彼らの子供のような笑顔を思い出した。

こういう場所が、地球上のどこかにあると思うだけで、なんか心が救われる。

今日もおじさん、元気にしてるかなー。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまけ

お絵かき上手の次女ソヌールが見せてくれた絵。
イランでは小学生でも、学校に行く時はスカーフ着用です。





2013/06/25

クルド人一家との出会い

イラン、グルジスタン州のとある小さな町。

スイカを買うために立ち寄った、バスターミナルで開かれている小さなバザール。

外国人がまず立ち寄るはずもないところに、突如現れた私たち。

店番をするおじさんの中には、「な、なんでこんな所に。。。」と大きく目を見開いて
動きが止まる人もいれば、写真とっておくれと、みんな一斉に並びだす人もいる。

この辺はクルド人が多く暮らす地域で、故におじさんたちの普段着もクルド式。
ダボダボのドカンズボンの上から帯を締める、ちょっとへんてこな民族衣装。








歩くところにすぐ人だかりが出来、撮影大会が始まる。
おじさんたちはめちゃめちゃフレンドリーで、買おうとしていたスイカも野菜もタダでくれようとする。

自炊に備え一通り野菜を買ってバザールを出ようとしたら、一人のおじさんが
「じゃ、チャイでも飲みに行こうか」と、まるで事前に待ち合わせをしていたかのように
マークスと腕を組み、上のほうにある住宅街に向かっていった。

そして彼の自宅に行って、チャイを飲んでいると

「で、今日泊まってくんだよね?」と、これまた勝手にそういう予定になっているかのように
さらっと言いのけて、私たちもまた、そんな予定があったかのように泊めてもらうことに
した。

ちなみにここまでの会話は、全部ジェスチャー。

ペルシャ語が喋られない私たち。

ハローとOKとアイラブユーしか言えないおじさん。

どうにかこうにかして、意思は通じる。

優しさだって、もちろん。

彼には3人の子供がいて、17歳の長女ソルールは少し英語が話せる美しい女の子だった。

突然来た外国人ゲストにまた驚きもせず、 静かに横に座って一言一言言葉を選びながら
少しづつ色々聞いてくる。

躾が良いのか、性格なのか分からないが、過去にクルド人一家にお世話になって
大変な思いをしたことがあったので尚更、彼女たちの静けさと温かさには感心せずに
いられなかった。

おじさんはというと、腕にデカデカと私たちの名前をボールペンで書き付け、
必死に覚えようとしてくれた。

わたしたちも、もちろん家族の名前全部を腕に書き付けた。

夕方には皆で散歩に出かけ、またまた夜遅い夕食の時間がやってきた。

この日はおじさんが、チキンケバブを炭火でグリルしてくれた。




ジュシュ・ケバブ。ここでもやはりご飯と焼きトマト。
 そして、夕食が終わったのは11時半ごろ。

その後は満腹のままさっさと寝てしまい、子供たちは朝早起き。
どこの家庭でも、そんなものなのかなー?

おじさんのお家は結構立派な1軒屋だったんだけど、寝るときは私たちも含め全員布団なしの
雑魚寝だった。

言うまでもなく、翌日体がバキバキだった。

翌朝、子供たちが学校に行った後もまだ寝ていたおじさんが起き出して、一緒に朝食をとる。

で、何を言い出すかとおもったら

「じゃ、仕事に行こうか」と、仕事場まで私たちを連れて行ってくれることになった。

そういえば、おじさん何をしているか聞いてなかったんだけど、ここで初めておじさんが
鶏を売る人だと知った。


まず近所で飼育している鳥小屋に鶏を取りに行き、車に20羽ほど積んで・・・




近所の住宅地に、宣伝してまわる。




マーメルとはクルド語でチキンの意味。ちなみにペルシャ語ではモルグ。

誰もいない朝の住宅地に響く、マーメルマーメル。

それにしても、シュールな映像だ。

そして私たち、何やってんだ~?


市場に戻ると、さっそくマーメル音を聞きつけた男たちが買い付けに来ている。

イラン、特に地方など保守的な地域では女性の一人歩きが禁じられていて
市場に買い物に来る人も、男性がほとんど。



このあとおじさんはスパっと鶏の首を切り、右下にあるバケツに首なしの鳥を突っ込んで
血を抜いてから、完全に息絶えた鶏と落ちた頭を袋に入れて客に売る。

残酷だなんて言わないでくださいね。

食べてる私たちのほうが、もっと残酷なんだから。

こうして何人かの客が買いに来るのを見届けて、また市場でちやほやされだりしながら
時間をつぶす。

そして午後は子供たちと一緒に、おじさんの実家がある近くの村まで行く事になった。

キレイな村の写真はまた明日。



2013/06/21

優しいおじさんたち

イランの夜は遅い。

大体9時とか10時ごろから夕食が始まり、食後のチャイ、フルーツなどを食べながら
ゆっくりと過ごし、その後寝る。

この日もピクニックから戻ったのが夜の12時ごろで、1時ごろになってやっと寝ることになった。

翌日、子供たちの朝は早い。

7時には起きて、一緒に朝ごはんを食べて学校へ行く。
睡眠時間、6時間で足りるのか?
子供たちは眠い目をこすりながら朝から放映されているアメリカ映画に釘付けになり、
最後まで見ることが出来ないのを残念そうにしながら学校へと出かけていった。

しかもその映画は、熊が次々に人を殺して行くという内容で、こんなものを登校前に・・・
というか、朝の時間帯にそんなもの放送しちゃいかんでしょーと思いつつ横に目をやると
両親も釘付けに 笑

 

朝食はスイカとヨーグルト&チャイ。

真ん中にはラヴァーシュという、トルティーヤの皮みたいなやつで、イランではこれを
お米同様、主食として食べます。

昨日の夜、親切にも自宅に招いてくれたお父さんはタクシーの運転手で、朝ごはんの後は
一緒に町まで出て、両替するのを手伝ってくれた。

というのも、イランでは銀行の公式レートがものすごく悪いので、闇で換金するには
まずは地元の人に換金所を案内してもらうしかないんですね。
(後日、非公式レートの換金ショップが公然と営業されていることを知り、その後の換金は楽に出来るようになりました)

無事にイラン通貨をGETし、おじさんともお別れして、一路南へ。

今日は干上がった塩湖のそばに広がるお花畑で1泊。



私有地っぽいことは何となくわかってたんだけど、ステキな場所だったので断りもなく
車を乗り入れてしまった。
しばらくすると農作業帰りの主と思われるおじさんがやってきて、怒られるかと思いきや
笑顔で挨拶。

その上自宅にまで招いてくれたが、丁寧にお断りした。

それならばと、近くの水場や農場を案内してくれたりした。

なんて優しいおじさんなんだろう。

こんなところに、というか自分が所有する農地の脇に見たこともない外国人がいたら、
普通は怪しんで警戒するだろう。

だけどおじさんは笑顔で寄ってきて、胸に手を当てて丁寧に挨拶をしてくれる。

あー、イランいいわー。
もう2日目でイランが大好きになってしまった。

翌日さらに距離を進め、途中で通った町でランチタイム。

食べ物屋さんらしきものを車の中から探すものの、目につくのは「Fastfood」の文字ばかり。

欧米では店で提供されるものがたとえFastfoodの類でも、それを店の看板に
掲げることはまずない。
どちらかというと、不健康でネガティブなイメージがつくとからだろう。

しかし、イランでは(トルコでもそうだったが)Fastfoodはちょっとオシャレっぽい感覚なんだろう。
ハンバーガーやポテトの写真が大きく張り出されていて、店内は若者で賑わっている。

こんなところでFastfoodなんか食べたくない私達は、イランの庶民の食べ物を探しに
小さな町に降り立った。

すると、ここでも「ようこそイラン」おじさんが登場し、英語が話せる彼は買い物中の
妻子を置き去りにして、私たちを近くの食堂まで案内してくれて、その上オーダーと
料金の確認までしてくれた。

外観からはまったく食堂だなんて分からない建物。

せめてアルファベット表記があれば分かるものの、小さな町ではすべてペルシャ語表記。

まぁ、アルファベットでもわからないか・・・・

イランの伝統料理、チェロウ・キャバーブ。焼きトマトが付いてくる。

イランの人はケバブをご飯と一緒に食べるんですね。
そして、このお米がおいしいこと!
お米には熱々のうちにバターをまぜてお肉と一緒に食べます。

 けっこうなボリュームで、スープ、サラダ、飲み物もついて2人で6ユーロ。
大満足。

お腹もいっぱいになったところで、またまた移動。

この日はものすごーく暑い日で、長袖で頭にスカーフというのは実にこたえる。
こんな暑い中、イラン人の女性は黒いマントを羽織ったり、トレンチコートみたいなのを
着ている。

「暑くないんですか?」

なんて野暮なことは聞けない。
暑くても何でも、これはこの国の決まりなのだ。
ああ、泣けてくる。。。

あまりに暑いので、途中でスイカを買おうと立ち寄った小さな市場。

ここでもまた新たな出会いが!



2013/06/20

イラン初日

イランの入国審査。
ここからはもうスカーフを被り、肌も露出してはいけない。

さっきから付きまとうガキンチョどもを避けるようにして、イランの入国ゲートへ向かう。

審査を終えてそのまま通過できると思いきや、別室に通され何やら偉そうな役人に
根掘り葉掘り質問の嵐に会う。

そして、両手の指の指紋を一本づつ取られ、真っ青に染まった指先と共にイラン側に入国。

マーは車を持ち込む手続きや、カルネの手続きなどをして結局国境越えには1時間ぐらい
かかった。

イラン側の国境には、トルコにいたようなクソガキ集団はおらず、外貨の両替を持ちかける
数人の男がいたぐらいだった。

晴れてイラン入り。

なんかもうちょっと厄介だと思ってたので、けっこうすんなり入れたことに感激する。

「ちょっとー、ここどこかわかる??」

「イ・ラーーン!!!」

目の前になびいていた国旗を見て、二人で笑いが止まらなかった。
ああ、来ちゃったね、とうとう!

久々な旅モードのテンションと共に国境から東にある最初の街、オールミエに向かうことに
する。

道中、行き交う車から歓迎のクラクションが鳴り響き、ライトをチカチカさせたりして、
みんなが笑顔で手を振ってくれる。

ちょっと道端に車を止めようものなら、対向車線を走って居た車が
わざわざバックで戻ってきて、何を言うかと思ったら

「Wellcome to Iran!!!」

それだけ言って、満面の笑顔を浮かべて去ってゆく。

ナンなんだ、この歓迎っぷりは!!

入国して10分ぐらいで、この国は間違いなく安心だと確信してしまった。

そして、その確信は旅の最後の最後まで私たちを裏切ることはなかった。

国境から街に出る50キロあまりの道のりには、新緑がまばゆい春の山が連なっていて
金曜日だったせいか、沢山の人がピクニックをしていた。(イランでは金曜が休日)

その数は街に近づくに連れてどんどん増えて行き、なんだか物凄く平和な風景を見て
さらにホッとした。

さて、イラン初日。
寝床を何処にしようかと彷徨っているうちに、たどり着いた丘の上。
眼下には初めて見るイランの街並みが広がる。

しかし、そこは大きな墓地が広がる丘でもあった。




「今日はここで寝よう。」

良い場所見つけました俺、的な、自信満々な顔で夕食の準備をしようとするマークス。

イラン初日で、墓地。。。。

この人の奇想天外な言動にはもう慣れっこなので、今となっては何処でも寝るココロの準備は
あるのだけれけど、 それでも墓地はちょっとイヤだなー。

それとも、墓地がイヤなんていう私がおかしい?

確かに、墓地の夜には人通りは少なくなるし、神聖な場所だからヘンな輩は来ないだろうし
なんと言っても静かだ。

そうだね、もう日が落ちる頃だし他に場所もないから、ここで寝よう。

こうやって自分を諭し、未体験ゾーンへ1歩踏み込んで行く事で、奇想天外な事に対する
免疫が序々についてくるのです。

マーは、墓地でも一緒に寝てくれる女房がいて、ホントにラッキーな男だと思うわ。。。

眼下に街、墓地を背にピクニックよろしく夕食をとっていると、おじさんがやってきて
こんなところで寝るのもなんだから家へ来なさいと、早速お招きに預かる。

おお、入国初日でもうこの感じ!
モロッコでもそうだったな。

それはありがたいということで、おじさんの後を付いて行くと街の幹線道路沿いにある
大きな公園に案内された。

お招きに預かったと思ったのは、どうやら私たちの誤解だったらしい。

そりゃそうだ。おじさんは全開でペルシャ語。

身振り手振りの会話で不確かだったけど、 なんとなくこれは家に来いという流れなんだろうと
思ってしまっただけだった。

公園に着き、ここなら警察もいて安心だからココで今日は寝なさいなと言って
おじさんは去って行った。

確かに安心だけど、さっきいた墓地の方が静かで良かったよなーなんて思いながら
公園の芝生に寝転がって、あたりを観察する。

金曜日。夜9時だというのに公園はピクニックの家族連れで大賑わい。

どんだけピクニック好きなんだ。

芝生に場所がなければ、幹線道路沿いの歩道の脇にシートを広げ、思い思いにピクニックを
楽しんでいる。

空気が悪すぎなんではないかい?

そんな心配はよそに、家から作ってきた料理持参で道端夕食タイム。

でもなんか、楽しそー!

「良いところじゃんねー、イラン。平和だねー」

なんて話しながら芝生に座り、地図を広げ今後の予定を話していたら、近くに座っていた
家族連れからお声が掛かる。

もちろん全開でペルシャ語。
英語なんて一言も通じません。
私たちも来たばっかりなので、片言のペルシャ語さえも喋られない。

しかし、家族のピクニック夕食の席にまぜてもらい、おいしいチキンの煮込み料理を
ご馳走してくれた。

そしてどういう流れか、今日はこの家族のお家に泊まらせてもらうことになった。

今度は本当におうちまで連れて行ってくれたのでした。

イラン初日でもうこんな感じ!

ああ、良いところに来ちゃったみたい!

2013/06/19

国境を目指す8日間

4月19日。

1日早めの出発。

ドレスデンからドイツを抜け、チェコ、スロバキアの国境を超えハンガリーの途中までたどり着く。

翌日、セルビアに住んでる友達の家に一泊して、ブルガリア入り。

ブルガリアの首都Sofiaでは、社会主義時代から続く習慣の名残で、町の美観を保つことに
徹底してるらしく、夜中そこらじゅうでアスファルトの道路を洗っていた。
隅っこだけでなく、道路全体を床掃除でもするかのように。

シンティ・ロマ 風の顔立ちの人が沢山いる国。

ブルガリアまではユーロ圏なので、ちょっとドイツの先まで来たような感覚。
高速道路を走ってるだけだけど、KauflandやLidlが見えるうちは、外国気分など全くない。

3日目でトルコ入り。

EU加盟国であるはずのブルガリアと比べると、断然活気のあるトルコ西部。
経済成長がの覚しい様子が、あちらこちらから伝わってくる。
景気いいなー

そして、安心のイスラム教国家。

国境を超えた瞬間から、美しいモスクがお目見えし、しばらく走るとスーパーマーケットの
隣の草地で放牧しているおじさんとかいる。

あー、なつかしい。

そうそう、トルコってこういう所だったわー。

愛しい眼差しを車窓の外に向けながら、3年前も通ったことのある道をイスタンブールまで
今度は逆走する。

そして、イスタンブールは素通りして、黒海沿いに北上し、魚を食べたりしながら
海沿いに距離を進める。

途中で寄ったサフランボルという街では、古民家ペンションで1泊。
オスマン帝国時代の民家が沢山残っていて、世界遺産にも登録されている街。
故に、超観光地ではあるけど宿代や食事は良心的な値段だった。



そんなにトルコ観光もしていられないので、先を急ぐ。

2ヶ月もあるのに先を急ぎすぎて、まっしぐらに運転を続けるマーに苛立ちが募る。

なので翌日からは、途中で温泉に寄ったりしながらスローペースで程良く距離を進める。

ゆっくり行きましょうよ。。。ねぇ。


トルコも東の方に来ると物価が一気に下がる。

地方のロカンタなんか行けば、2人で6ユーロぐらいあればお腹がいっぱいになる。
大抵の店には煮込み料理が用意されていて、地方では特にこれを自慢にする店が多くある。

 トルコ最終日。

最東部に大きく広がるVAN湖の湖畔で1泊し、いよいよイラン入りだ!



トルコ側の国境では、出国手続きなどを買って出て、後で小銭をせがむガキんちょどもが
わんさかいる。
車窓にビッタリ張り付き、車の1歩外に出ようものなら即効で囲まれる始末。

「マニー マニー マニー!!!!」

こういうの、面倒くさいのね。

お金をもらえないと分かった少年の中には、オモチャか本物か分からないけど
銃らしきものをこれ見よがしに見せて、脅しにかかる者もいる。

こういう輩を放置しておくトルコの国境に幻滅しつつ、目の前にあるゲートの先に広がる
イランという国に多少不安を抱えながら、出発から8日目でついにイラン入りを果たすの
でした。




・・・おまけ・・・

トルコは良質な小麦の原産国でもあり、主食であるパン(エキメキ)をはじめ、
粉製品が非常に美味しい。

パン屋さんはいたるところにあるので、長距離ドライブのお供に 焼きたてのパンは
欠かせませんでした。

フランスのバケットにも劣らないエキメキ。1個で25ユーロセントぐらい。


2013/06/18

帰ってきました。

イランの旅から帰ってきました。

毎日毎日いろんなことがあって、昨日の素晴らしい思い出が今日のステキな出会いに
埋もれてゆくというぐらい、とにかく素晴らしいイランの人々に沢山出会いました。

だから、何か書こうと思ってイランでの日々を思い出そうとすると、
浮かんでくるのはあそこのあの人たちの笑顔や、あの街のあの角にいた
おじさんだったりします。

イランという国は、私がしたい旅に欠かせないものが
たっくさん詰まっていました。

そして、たくさんのことが頭とココロと体に染み渡りすぎて
最後のほうはホトホト疲れていたというのが、正直なところです。

もう、お腹いっぱいで何も入りません、、、、みたいな。

だけど間違いなく、イランは私が今まで行った国の中で1番好きな国になりました。
(ちなみに更新前はタジキスタン)

相変わらず地味ぃーな超個人旅の記録なので、美しい観光スポットや
美味しいレストランとかステキなホテルはなかなか出てきませんが、
私たちが見て体験したイランと国を、明日からボチボチ綴って行こうと思います。

ああ、それにしても我が家がこんなに愛しいものだとはね。

帰ってからの毎日も、毎時毎秒が輝かしい。
掃除、洗濯、食器洗いに草むしり。
何をやっても楽しいの!

こういう気持ちになるのも、旅のから頂いたお土産のようなもの。

わすれずに、大切に。