2009/08/29

renraku!

こんな場所ですみませんが

ママかゆう君、救援物資の件でひろちゃんに

メールを送ってるんだけど、返事がきてません。

アドレス変わったのかな

急ぎの用件もあるので、これ見てたら至急連絡するよう

伝えてください。

 

Altai Tour

カザフスタン側からアルタイ山脈を見に行こうツアー。


アルタイ山脈は、モンゴル、中国、ロシア、カザフタンをまたぐ
巨大な山脈で、モンゴルに行ってたら寄るはずだったんだけど
中止になってしまったので、ここカザフスタン側から中国の国境近くまで
足を延ばし、見に行くことに。

先週いたパヴロダールという街から、セメイというソ連時代に核実験が
行われた街を抜け、さらに350キロ東にいったウスティ・カメノゴルスク
に向かい、アルタイエリアの観光事業を取仕切るオフィスを訪ねた。

カザフ側のアルタイエリアは6000k㎡もある広大な国立公園に
入らないといけないため、その入園許可をまず取らないといけない。
それから中国の国境付近も通るためここも通行許可を取らなきゃいけない
とか、いろいろ問題があったんだけど、聞くと意外にあっさりと行けることが
判明した。

早速アルタイ山脈に向けて出発。
日が暮れるまで走り続けて、最後にガソリンスタンドで給油を
していると、車が近くにやってきて男の人が話しかけてきた。
私が日本人だというと、車から降りてきてものすごい近い距離で
何かを言いながら、満面の笑みを浮かべている。
この国の人たちにとっては、日本人がよっぽど珍しいんだろう。
前の日も、街でサモサを買い食いしていたら店の隣のテラスで
飲んでるロシア人に、どこから来たのか訪ねられ「イポーニ(日本)」と
言ったとたんに店から飛び出してきて、目の前に来て合掌されたり。
そういえば車が盗まれたのを知ってる人までいた。
テレビで見たって。

とにかくニコニコと色々話かけてくるこの男は、顔は日本人そっくりなんだけど
目が青い不思議な顔立ちの人で、名前はクンバットという。
今日は芋ほりをして、バケツ90杯分も獲れたから、持っていきなと5キロぐらいの
芋をどっさりとくれた。
そして、近くに住んでるからご飯食べてく?と誘われそのまま付いて行った。
奥さんが家にいて、もう今となってはお馴染みの馬肉×羊肉の料理を作ってくれた。
これはカザフ人が大好物な料理で、平打ちの四角い麺に肉を盛り付けた大皿料理。
これで3度目になるが、連日の肉の洗礼で体の具合がよくないので私は麺だけ頂く。
食事を終え、クンバットが近くで営む食料品店(マガジン)に行き、記念撮影をしてさよなら
する。


またもや親切なおもてなし。誰に対してもそうなのかな?
いつでも誰でも家に人を招けるのっていいな。何か特別な用意をするわけでもなく
ちょうどご飯時だから食べてきなよって、家族と同じ皿のものを分け合って食べる。
別に特別なことじゃないので、そこから酒を飲み始めるわけでなく、じゃあ元気でねって
気軽に別れられる所もまたいい。


・・・・・・・・・翌日、アルタイエリアに突入する。
通りかかった村には、ユルタというモンゴルでいうゲルのような家に住む家族がいた。
訪ねてみるとクムス(馬乳酒)を売っている家だった。
中央アジアにもモンゴルよりは少ないけど、まだユルタに住んでいる人たちがいる。
家の中にはキッチンがあったけど、食べる場所は外らしく丸いテーブルが外に
置いてあり、その下でヤギが寝ていた。
きっと毎日がピクニックみたいな生活なんだろうな。


アルタイ山脈は見るだけでは正直そこまで面白くなかった。
もっと険しいデカイ山がそびえ立ち、はるか中国まで雪山が脈々と
見えるのかなぁと思ったらそうでもなかった。
ただ景色は最高。
珍しい花やきれいな川がたくさんあった。
面白かったのは、山道でラズベリーを沢山積んだこと。
だけど、マーカスが色弱で赤が見えないからラズベリーが見つけられなかった。
野生の馬をずーっと観察した朝。
イーグルスのベーシストが訪れた山間の湖。
ブコウスキーにそっくりなおじさんが自慢げにその事を話していた。
そして、日本人でこのエリアに来たのは私が始めてだと言っていた!
初めて見る日本人、村人に合掌される。
日本って挨拶で合掌する国だっけ­­?
そして、結局中国との国境を許可なしで走った冷や汗もんの半日。

そんなこんなであっという間に1週間が過ぎました。


今は、カザフスタンの南にあるアルマティという街に向けて
距離を進めてるところ。
週明けには到着して、キルギス、できればウズベキスタンまでビザを
取りたいところだけど、やはりここでも色々問題がありそう。

ビザってホント面倒くさいなぁ。

ところで、旅も中盤5ヶ月目に突入しました。
昨日、焚き火の中に食べてるパンのジャムがポタっと落ちてしまい
焦げたりんご飴のような匂いがふわっと漂いました。
一瞬で盆踊りを思い出して、ちょっと泣きそうになりました。
そういう類のホームシック。
ニッポンの夏、かっぱのテラス。
思えば遠くに来たもんだなぁ。

2009/08/24

Kazahkstan Day 2

翌日、車の後部の荷物を全部どけて二人分の座席を無理やり作って、
250キロ離れた岩の山に向かう。
話を聞くと、さらにそこから50キロ離れたカナットの実家で一泊して
翌日帰るという、けっこう強行スケジュールだというので
断ろうと思ったけど、せっかくのお誘いだし滞在登録の面倒まで
見てくれるというので、断れなかった。
お金のことも結局聞くに聞けず、とりあえず出発した。

パヴロダールから、アスタナという街の方に100キロぐらい進み
そこからは、ステップの大地に入っていく。

何処までいっても、360度大地な風景。
道と言える道はほとんどなくタイヤの跡を追って走り続けた。
標識はもちろんないので、方向も私からしてみたら全然わからないん
だけど、さすがに土地の人。
遠くに見える山の形を見極めて方角が分かるらしく、目的地に向けどんどん進む。
4時間ぐらい走り続けて、やっと到着。
だけど暗くなってしまったのでそこからちょっと先の国立公園の中に
住んでいるカナットの友達のお家に向かう。
このお家でも、大きい丸座卓が運びこまれみんなで食事をした。


翌日、前の日には見えなかったんだけど、その家の周りの風景にとても驚いた。
ここは岩の山の中にある村だったのだ。
この岩山というのがうまく説明できないんだけど、とにかく
スターウォーズの映画の中にいるような感じ。
グランドキャニオンの小さい版みたいな。



国立公園を周ってるうちに大分時間がたってしまい
今日はもう帰れないねということになって、ここからまた50キロ離れた
カナットの実家に行く事になった。

この50キロで見かけた家、3件。
全ての家に立ち寄り、馬乳酒(クムス)を振舞われる。
クムスは、馬の乳を発酵させてそれを木の樽ごとスモークして
攪拌して作る、ちょっと酸味があってスモーキーで微炭酸なミルク。
聞こえはあまり良くないけど、これがけっこうおいしい。
春から夏の間だけの季節物で、こっちの人は日本で言う麦茶みたいな
感覚で何杯も一気に飲む。
美味しいけど、何杯も飲めるもんじゃない。
正直私は一杯で十分なんだけど、おもてなし的には、茶碗が空になれば
自動的に次のクムス注がれることになるのです。


                ≪クムスを攪拌している女の子≫

クムスでタプタプになったおなかを抱えて、カナットの実家に到着。
とりあえずお決まりで、歓迎の乾杯はクムスで。
そしてここでもまた、馬肉の洗礼。

カナットの実家では、彼の弟一家が、放牧をしながら暮らしていた。
100頭飼っている馬のうち、足が速くていい馬意外は食用として
育てている。
冬になったら1頭20万円ぐらいで売るらしい。


翌日、早く起きて今度は300キロの帰り道。
ステップを抜けて、国道に出るまでの250キロ。
4件の家があり、これも全て立ち寄った。

私は最初、この立ち寄った家々は全部アルマンかカナットの知り合いかと
思った。

しかしそうではなく、ただの通りすがりで、もちろん顔を合わせるのも初めて。

放牧をして暮らしている人たちは、広大な大地が必要で中には400頭の
馬を飼ってる家族もいた。
こういう人たちには、隣近所というものが存在しなく、殆ど孤立状態なので
通りかかった人が必ず様子見に伺うというのが習慣らしい。
そこで、なにか困ったことがあれば手伝ってあげたりする。
家や車の修理とか家畜の世話など。
そういう習慣があるので、通りすがりの人でも快く向かい入れてくれて
お茶やお菓子でもてなしてくれる。
あとクムスでも。

そして、この馬飼いや羊飼いの人たちが街に出向いたときに今度は
アルマンやカナットが彼らをもてなす番なのだ。
だから、必ず住所を残して去っていく。
いつ訪ねて来てもいいように。
そういう助け合いの習慣というのが、町の中でもステップの孤立した放牧民に
対しても、当たり前のように見られる。

私たちが彼らに出会って、ここに一緒に来ている理由もわかるわけだ。

お金がどうこうなんて、一瞬でも考えていた自分が急に情けなくなった。

逆にこちらからお金を払った方がいいのではないかと思うぐらい、
スバラシイ体験をさせてもらったけど、
そんな事を切り出す必要がないことは、彼らの人柄を見れば一目瞭然だった。

ロシアの隣国、元々はソ連の一部だったカザフスタン。
国民性が全く違うのも、イスラム教が根付く国だからなんでしょう。
今回出合った人も全員モスレムだった。
大地を敬い、自然を敬い、生まれた土地を敬い、人を敬い、食べ物を敬う。
一緒に行動していていろんな場面で、静かなモスレムの祈りを見た。

たった数百キロ、国境を一つ越えた所にすばらしい国がありました。
              
先祖の墓に祈ってる場面

中央アジアの旅の始まりがこんなで。

素晴らしすぎる出会いに感謝するとともに
車事件の傷も、すっかり癒えてしまったように思う今日この頃。


2009/08/23

Kazakhstan Day 1

                     ≪再出発!車が盗まれた現場にて≫

先週末にロシアを無事に出国しました。
心配していた通関の件は難なくクリアしたけど
ビザの期限で問題があり、結局8時間ぐらい
国境で足止めを食らった。

そしてついにカザフスタンに入国!!
やっとの2ヶ国目!

いろいろ事件もあったりで、結局4ヶ月近くも
居ついてしまったロシア。
最終的にはいい国でした。
車の一件はホント腹がたったし、へこんだけど
ほんの一部悪い人がいたってこと。
ロシアに限らず、何時でも何処でも誰にでも起こりうること。


この先もっと酷いことがあるかもしれない。
いい事だらけかもしれない。
でもそんなの誰もわからないし、分かってたら
これほどつまらないものはない。
人生と一緒で。

ということで、気楽に旅を続けます。




カザフスタンの国境を越えて、何処までも続くまっすぐな
道の横に広がる広大な大地は、ステップ気候特有の平原で
多少の植物が育つことを除けば、砂漠とほとんど変わらない。
景色というか、果てしなく広がる大地。

ロシアから一転、国境を越えただけでこんなに早く風景が変わるとは
思わなかった。

カザフスタンという国は、これから訪れる予定の
キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トゥルクメニスタン
いわゆる中央アジアと呼ばれる国の一つで
元々はソ連の社会主義体制の下で成り立ち
ソ連崩壊後に独立した国。
それだけに、公用語はロシア語で文字もロシアと同じ
キリル文字を使用している。
ロシア語が通じるのは、本当にありがたい。
といっても、話すのは殆どマーカスだけど。
旧東ドイツで育ったマーカスは小学校の7年間ロシア語の授業があって、
最初ロシアに来た時は多少記憶に残っていた程度だったんだけど、
ここに来て色んな人と話したり、色んな問題にぶち当たったおかげで、
記憶が蘇り、この4ヶ月でびっくりするくらい上達している。

さておき、カザフに入って初日は国境近くの湖に泊まり
翌日、200キロ先にあるパヴロダールという街に着いた。

この国でもロシアと同じく「滞在登録」というのをしなくてはならなくて
移民局をさがし街をうろうろしていた。
その辺にあったカフェで道を訪ね、再び車で移動しようとしたらそのカフェに
いたおじさんに呼び止められた。
色々話しているうちに、友達を呼んで移民局やら街の案内やら頼んであげるから
ちょっと待っててと言われた。
10分後、その友達の男の人(アルマン)がやってきて、この先の予定を
色々聞かれ、ノートパソコンに入ってる写真とかを見せてもらい
カザフの見所など教えてもらった。
その日はバンニャに行く以外、特に予定はなかったのでそれを伝えると
早速バンニャに連れてってくれて、その前にこの街にある大きなモスクを
案内してもらったり、いきなり親切なガイドが現れたみたいだった。
                   
パブロダールの巨大モスク



バンニャは1時間待ちで、入り終わったらそこら辺の川かどっかで寝床を探す
はずだったんだけど、アルマンが後ほど迎えに来るからと言って
去っていった。
これはいったい何なんだろう?
初日でいきなり出会ったカザフ人。
勝手に色々段取りを組まれ、これで最後にお金を請求されたりするのかね
なんて、マーカスと話していた。
1時間後、約束通りやってきたアルマンは今度はドイツ語が話せる
高校生の女の子を連れていて、食事を用意するから家においでと言う。

私達はロシアでの事を話、 車を長時間放置できないと伝えると、
警備付きの駐車場を用意してくれるというので、お言葉に甘え自宅に
伺うことにした。

この時点で夜の10時近くなっていたのだけれと、
 家に着くと、アルマンの奥さんとその友達がなんだか見たこともない
肉の塊を料理し始めていた。

でっかい食事用の部屋に、1.5mほどのこれまたでっかい丸い座卓が
運び込まれ、色とりどりの長い座布団を敷きテーブルを囲む。
日本とあまり変わらないスタイルで、なんだかほっとした。



ドイツ語が話せる女の子は、ドイツの「トウキョウホテル」という名前の
アイドルバンドの大ファンで、それがきっかけでドイツ語を勉強し始めたらしく
5年経った今、かなりペラペラになったと言う。
マーカスとの会話も通訳も難なくこなしていた。

そうこうしている内に、さっき一番最初にカフェで会った男性と、もう一人の
友人がやってきて、クムスと呼ばれる馬乳酒で乾杯し宴が始まった。

とりあえず、歓迎はされているようなので安心してその場は楽しんだ。
深夜12時を回ったころ、ようやくメインディッシュが運ばれてくる。
50センチぐらいの大きな皿に乗せられてきたのは、馬肉の腸詰だった。
その馬肉の上に羊の肉と、ドライ馬肉がトッピングされている。
早くも始まってしまった、肉の洗礼。
本で読んで知ってはいたけど、この国でも肉抜きに料理は語れない。
とくに、馬肉や羊肉。

ベシュパルマックという料理
深夜の肉の晩餐会はきつかった。
だけど、ロシアを出てたった1日でこんなに違う文化に触れることができて
大満足!
しかも、カザフ人の顔つきが日本人そっくりで言葉はちがうんだけど
やっぱ同じアジア人だからか、すっかり打ち解けて和んでしまった。

次の日の予定も特に無いと言うと、明日は250キロ離れた岩山の街に
連れてってあげると言われた。
断る理由もないので、その日はアルマンの家に泊めてもらい
明日、アルマンとそこにいた友達の一人カナットという人と一緒に
出かけることになった。

とにかくカザフスタンの初日からこんな出会いがあり、旅を続けてきて
本当に良かったなーと、色々噛みしめる1日だった。

ま、これでお金が掛からなきゃ万々歳だけど、聞くのはもしかしたら
すごく失礼な事かもしれないから、とにかく今ある状況を楽しもう、
いうことで、次の日の朝を迎えたのでした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
@りいちゃん
久しぶり!コメントありがとう。
ほんとに世界は広くて、自分がツブだと感じる毎日だよ。
あ、携帯がなくなってしまったのでりいちゃんのメールわからなく
なっちゃった。
私のPCのアドレス知ってたら、そこにメールちょうだい!

@しえちゃん
馬いいよね~。
写真はね、素材がいいのだよ。撮るだけで絵になっちゃうよ。
救援物資リスト、メールしといたよ。見てね!

2009/08/11

Horse trip

ロシアの旅を終える前に、この旅で一番楽しかったホーストリップのお話。


かれこれ1ヶ月以上も前の話になりますが。。。

このツアーを企画したのはマーカスの両親で
彼らの旅の前半、1週間だけ合流して馬ツアーに出かけました。
前にも書いたけど、ロシア旅行は短期間でも
宿泊先などの予定を全部FIXしなきゃいけない。
彼らの旅を1ヶ月丸ごとオーガナイズしてくれた
サーシャというおじさんと、ドイツ語通訳のディマ君という
学生の子合わせて6人で、まずはイルクーツクから
200キロ離れた、ブリヤートが住む集落に向かい
その日は、ブリヤート人のある一家の敷地内にテントを張って
泊まらせてもらうことになった。

夕暮れ時、その敷地の馬広場みたいな所に明日から行動を共にする
馬たちが、続々と運び込まれてきた。

朝になって、ブリヤートのおじさん二人が早速馬に蹄を
つけたり、鞍をかけて準備をしだした。

4日間にわたる長旅なので、このおじさんたちも含む計8人分の
食料やら、テントやバックパックまで全部この馬たちに
積んでいかなくてはならない。
しかもその上に人まで乗せて山を登る馬の事を思うと気の毒でしょうがなかった。

さて、準備が整い敷地内で乗馬の練習でもするのかなぁと
思ったら 「はい、これ君の馬。今すぐ乗ってレッツゴー」

まさかの展開!
今日、生まれて初めて馬に乗る超初心者なのに、練習もせず
とりあえず、馬に乗せられて手綱を渡され
「右に曲がるときは右の綱を引いて、左は左を引く、
止まりたい時は両方引いて、たたくなり蹴るなりすればまた進むから」
それだけ言われて、一同なんと出発してしまった。

まったくありえないでしょう。
これがもし日本だったら(という発想自体無駄だけど)、まず馬に乗る
練習は絶対すると思うし、こういう類の旅には保険があったりするんじゃないかと思う。
だけど、さすがロシア。ぶっこみです。
ちなみに費用は5日間で一人約2万円ぐらい。

このツアーは、観光客向けのツアーとは違ってサーシャが個人的に
知っているブリヤートの人に頼んだものだったので
外国人慣れしていない村人の冷ややかな目で見送られながら
集落を抜け、村の後方20キロのところにある山へパカパカと歩いていった。





見た感じその山は、それほど高くなくてなだらかな優しい山に見えたので
馬で登るにはちょうど良いんだろうと安心していたら大間違い。

まさか馬用の山なんかでは決してなく、普通に人間が登る山道を
巨大な馬で行くツアーだった。
しかも断崖絶壁みたいなところまであって、これでいきなり馬が暴れ
だしたら、確実に死ぬでしょうという所も通過しなくてはならなかった。

あのー、ヘルメットとか一切ないんですけど。。。

道中。

休憩をする先々でシャーマニズムを信仰するブリヤートたちが
大地にウォッカを蒔いて山に感謝をする儀式が始まる。
一つのコップに入れたウォッカを回し飲みもしなきゃいけなくて、
ホントにきつかった。

私の馬は、中型の白い馬で名前は「ボロダイ」。
ブリヤート語の名前なんだろうけど、なんか頼りないなぁ。




ボロちゃんは、なかなか言うことを聞いてくれなくて、いつもビリで
勝手に立ち止まっては、草を食べたり他の馬につられていきなり走りだしたり
ほんとに困った馬だった。
これは私の技術の問題じゃなく、心の問題かもと思ったので頭や首を撫でて
色々話しかけたりしたんだけど、心を開いてくれることは最後までなかったです。

とにかく、徹底的に私に無関心で無表情なボロちゃんだったけど
慣れると面白いもので、初日の登山が終わるころにはすっかり乗馬が楽しく
なってきていた。

次の日も猛暑の中、急な山道をグングン登り続けた。
道中アブだらけで、容赦なく馬にたかり刺しまくるので私の白い
ボロちゃんも首元が血だらけになっていて、超かわいそうだった。
それでも彼は無表情にじっとり汗をかきながら登って行き、2日目には
標高2000メートルの地点まで辿りついた。

この日の夜、マーカスが付き添いの2人のブリヤートが狩りに出かけると
言うので、無理を言って連れて行ってもらった。



獲物は取れなかったけど、獲物をおびき寄せる沢山の方法や
山小屋での過ごし方など、いろいろ貴重な体験をしたらしくすごく
喜んでいた。
だけど、40度ぐらいの急斜面を馬で一気に駆け下りなきゃ
いけなかった時は、さすがに死ぬかと思ったらしい。

狩人たちの山小屋

                       
この山は、馬に跨る狩人が沢山いる。

私たちの馬も、こういう狩人が訓練して慣らした馬だったんだろうと思う。
だから、初日に何の練習もしなくてここまで来れたんだろう。

山では狩人はとても尊敬される存在らしく、まず彼らに会ったら
食事をしている時でも、一旦中断してまずはお茶を入れてあげて、
相手が望めば食事も分けあう。
狩人同士はもちろん、偶然出くわした旅人に対しても、
これは山で活動する者の礼儀作法で、これが出来ない失敬者は
狩人界で評判が悪くなるらしい。

私たちが食事の準備をしていると、3人の狩人がやってきた。
毛皮で出来たベストを着ている、いかにもな
マタギ・オン・ザ・ホース。
「かなり撃って来ましたけど」的な空気をぶんぶんに醸し出してる、
ブリヤートのイカつい3人組。
捧げたお茶を飲み干し、くわえタバコをペッっと地面に叩きつけて、
「じゃあ行くわ」と帰り際、熊の生肉とか出てくるのかと思ったら
かばんの中から取り出し差し出されたのは、大量の塩漬けしてある魚だった。
自分たちの食料の残りだったらしい。

アレ、あれれれれ、魚なんすか?

なんか、なんともいえない残念な気持ちになった。

というか、私が何かに期待しすぎだっただけか。





最後に写真を一緒にとってもらい、彼らはまた馬に乗り夕日の中に消えてった。
手ぶらで帰ったら、母ちゃんに怒られたりすんのかなぁ。

翌日から、今度は山下り。
ここでもまた断崖絶壁の斜面があって、ボロちゃんは容赦なく駆け降りようと
するので、ここは綱を引いて一緒に歩いて下った。
登りより降りるときのほうが、何倍も怖い。



ようやく山を抜け、村が見渡せる草原が目の前にブワっと広がった瞬間
馬たちも帰りを喜んだのか、なんと一斉に走りだした。

どんなに綱を引いても止まってくれなくて、しがみつくように乗っていたら
だんだん波に乗ってるような感じになってきて、最終的には走ってる馬に
乗れちゃっている自分がいた。

この3rdギアが、実は一番乗り心地が良く楽で何よりも一番楽しい!
落ちたら危ないけど。
だけど、これは他の馬がみんな走り出したから、ボロちゃんもつられて走ったのであって、
1stから3rdに速度をかえたり、急ブレーキで馬をちゃんと止めるたり
するにはまだまだ練習が必要。

それができるようになったら、もっともっと馬と遊べるんだろうな。

ドイツに帰ったら、馬に乗れるところが近くにあるみたいなので
もうちょっと練習てみたいな。

それと普段山に登るときは足元を見ながら登るのでなかなか景色が
目に入らないんだけど、馬登山は座ったまま自分を運んでくれるので
ずっと空を見たり、遠くの景色を眺めながらも進んでいくので結構心地良かったです。



あと、馬って立って寝るんだという事も初めて知りました。

そんなこんなのホーストリップ、ドイツの両親とも2年半ぶりに再会し
今度は家族になって旅が出来たこともあって、ロシアでの一番楽しい
思い出になりました。


2009/08/08

50 km Pictures

 

50KMピクチャーについて

 

旅を再開してからになりますが、現在50KM毎にその場その場で写真を

撮っています。

 

このプロジェクトの内容は説明の通りなのですが

主旨はお察しの通り、カンパです!

 

特に写真の腕があるわけでは決してないんですが、

何か面白いことをしながら、無くなってしまった旅の予算の

穴埋めができないものかと考えた末の計画です。

 

私たちは旅の途中なので通信環境がなかなか整いません。

なので、ドイツの友人がこのプロジェクトの管理をしてくれています。

 

写真は1枚500円で買ってもらうことになりますが、購入方法などは

私が作った日本語のメールが送られてくるのでそれを見ればわかります。

至って簡単です。

 

現在すでに3000キロを走ったので、何十枚か撮り終えましたが

内容は色々です。

 

とにかく何があるかわからないし、あと5キロ行ってればもっと

面白い写真が取れたのに!みたいなこともしばしば。

 

でも、50K毎なので仕方ないんです。

 

しかも、私たちも買ってくださる方も写真を選べません。

 

リスキーでしょ?

 

でもそれを百も承知してくれる方。

笑ってやって、そして助けてくださーい!!

 

詳しくはこちら

50 km Pictures

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Moskito

 

早いものでもう1週間。

先週末にイルクーツクを出発して、車の事件で色々協力してくれた

ナディアという子のダーチャに2日ほど泊まり、ひたすら走り続けて

今日ようやくオムスクという街に辿りつきました。

 

3000キロもある長距離なので、10日ぐらいかけてのんびり行こうと

思ったんだけど、多分景色もずっと同じでつまんないから距離を

稼いじゃえ、ということで頑張ってたら6日で到着してしまった。

 

大体昼前には出発して、日が暮れる前の9時ごろには寝床を見つけ

夕食を作って寝るというスケジュール。

 

昨日の夜はホント最悪で、ノボシビルスクという街からここ

オムスクの中間ぐらいにある湖で泊まろうと思い、場所を見つけて

車を停めた瞬間に、一瞬で蚊の大群にかこまれてしまった。

この一週間、特に日が落ちる寸前(ちょうど料理する時間)の蚊の

集中攻撃にはウンザリだったので、今日は勘弁な・・・と違う場所を見つけて

停まるや否や、今度はさっきよりもっとひどい。

運転してるときは分からないんだけど、停まった瞬間に蚊地獄エリア

だということがわかった。

目の前に超きれいな湖があるけど、出るに出れずせっかく来たけど

あきらめて、水辺ではない所で探す事になった。

 

数時間後、そろそろこの辺なら大丈夫かなと停まってはみるけど窓の外で

また大量の蚊が待ち構えている。

 

どこに行っても変わらない様子なので

仕方ないから日が落ちるまで待とうということになって、またそのまま

ずっと走り続けた。

日が落ち始めたので、ライトを点灯したらライトめがけて

何千匹もの蚊が、雨かと思うぐらいの音をたてて突進してくる。

パチッとかじゃなくて、パラパラパラとすごいスピードで。

 

この時点で、すでに8時間ぐらいは運転していました。

 

もう何処で泊まっても同じだねということで、その辺の原っぱに

車を停めて、一瞬でルーフテントを開きすぐさま避難しました。

が!車から出てドアを閉める瞬間に大量に蚊がなだれ込み

50匹ぐらいの蚊に車内が占領されてしまった。

 

同じくルーフテントにも出入りの際になだれ込み、避難したはいい

けど中の蚊を全部つぶさないと寝れない。

やはり30匹ぐらいはいた。ようやく全部退治してやっと眠りについた

矢先に今度は嵐がやって来て、テントがものすごい強風に曝され

飛ばされそうだったので、すぐさまたたんで車に非難と思いきや

車の中は蚊の大群。しかも外は大雨の嵐。

どうしよう!!

テントをたたんでる間は、強風だったので蚊がいることに気づかな

かったんだけど、嵐が5分ぐらいの後にパタっとおさまった瞬間、

暗くて見えなかったけど、見た事もない量の蚊の大群がそこにいて

鼻や口までに入ってくる。服の上からも刺してくる。

しかも、デカイ蚊なので超痛い!

 

でも車でどうしても脱出しなきゃいけなかったので

その車に乗り込み、蚊をつぶしまくりながら夜道をさまよった。

結局朝になって場所を見つけ、眠ることができた。

 

起きてバンパーをみると、隙間なく蚊の死骸がぎっしり。

それに刺されたところも数知れず。

そんなこんなで、昨日は予定外に走行距離が延びてしまい

今日着いたというわけです。

蚊のせいで。

 

ルーフテントの旅のリスクの一つは、蚊だということが

わかりました。

駆け込む宿もヒジョーに少ないので、この先色々対策を

考えなくては。

 

この3000キロの道中で唯一の出来事でした。

つまんないよね・・・

 

ま、問題が起きなければ来週にはカザフスタン入国なので

また面白い事が沢山起きてくれればなぁと思ってます。

 

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@隠岐さん

元気ですか?ブログ読んでくれてありがとう!

こっちはご覧の通り、ゴタゴタは解決してまた先に

進んでるとこです。また覗いてみてね!

あ、ちゃんと食べてる〜?