2014/02/18

イラン旅2013、最終回

さてさて、これ以上引っ張る必要もない旅日記。

最終回でございます。

ドゥブロフニクを出てからは海岸沿いをひたすら走り続け、確かスロベニアのどっかにある
小さな池のほとりで1泊し、翌日の深夜まで走り続け愛しの我が家へ到着。

最後ひとつだけ、国境越えのお話を。



ドゥブロフニクから北上すること数十キロ、いきなり別の国の国境が現れます。

地図上の矢印で示したとおり、この海岸沿いのほんの10キロにも満たない部分が
実はボスニアヘルツェゴビナの領土で、この部分を通過するだけで入国、出国の
手続きが必要。

前回の記事にも書いたけど、クロアチア国境の薬物検査は異常なまでに執拗で
まず、車の中の隅々まで調べられることは当たり前で、手持ちのカバンの中身や
さらには、所持している薬、持病の薬や頭痛薬の中身まで全部見せろと言ってくる。

このチェックはクロアチアに入国したときにもされて、かなり面倒だった。

そしてやっとこの国を出られたと思ったら、今度はその先10キロにまたクロアチアの
国境があるという予想外の事態が。

そんなことよりここにボスニアがちょこっとだけ割り込んでくるという、変な線引き。
美しいアドリア海をちょっとお裾分けしてあげた、クロアチアの優しさの現れなのか?

今更地図を見て、そんな事を思ったりした。

クロアチア出国ゲート。
ヨーロッパナンバーの優雅なキャンピングカーはほぼノーチェック状態で通過しているにも
拘らず、私たちはいつも止められて検査される。

キャリアに薪とか積んでるからいけないのか??

とにかくここでも車を脇に誘導され細かいチェック体制に。
あーこれ、昨日もされたんですけど。。。。

国境の警察官は、麻薬捜査犬のごとく車内を嗅ぎまわるように細かくチェック。
私たちの救急箱までも持ってこさせ、ひっくり返す始末。

いったい何を探してるのかと聞くと、処方箋のない、もしくは処方箋に書かれている以上の
量の抗ウツ剤や、大量に服用することである程度飛べるクスリ。

はい、ご苦労さんです。

そんなもの、どう考えても持ってる人の方が少ないでしょう。

こんなところで、パラノイアの薬物患者が他にクスリはないのか嗅ぎまわってるような真似は
やめて、ドゥブロフニクのあのホゲホゲウェイターを取り締まったほうが世の為だよと思った。

そして、だいぶ機嫌をそこねた私はこの人に、
「頼むから10キロ先のクロアチアの国境でまたチェックしないように、連絡つけといてくれ」と
お願いした。

その甲斐あってか、次の入国審査は難無くスルー。

その後は快適な海岸線ドライブ。

真っ青な海に浮かぶ無数の島々がとても綺麗だった。

だけど、もう帰りたいので走りに走り続けて、翌日オーストリアを通過しドイツにあっさり入国。

ただいまドイチュランド!

お昼ごはんに立ち寄ったトラックドライバー御用達のインビスで、久々にドイツ料理を食べる。
シュニッツェルに焼きソーセージにステーキ、そしてビール!

お肉三昧、予想通りの大味。

いいぞ、それでこそドイツだ!

そこから先もひたすら運転。

途中レーゲンスブルグだったかその辺りで、洪水の影響で高速が封鎖されていたり
橋が沈んでしまったりで道が大渋滞していて、大変なことになっていた。

そして深夜1時ごろ、無事帰宅。

静かに門を開けて家の中へ入ってゆく。

2ヶ月前殺風景だった庭の木や畑が緑に色づいて、この2ヶ月の時の長さを実感した。

それからしばらくは旅の余韻に浸るというよりは、新しい生活に心が弾む毎日だった。


締めくくり的なことを書くと、この旅での最大の思い出はやはり、道中で偶然出会った人たちと
過ごした色々な日々に尽きる。

出会いに多少期待をして旅に出ても、短期間でこれほどまでに人に恵まれた旅というのは
これが初めてだと思う。

たくさんのやさしい人たち。

なーんの損得感情もなく、お互いそのままの自分で、そこにあるいつもの日常を共有する。

こんな殺伐とした世の中。

テクノロジーが混入しすぎて生身の人間とのコミュニケーション能力が退化する一方の私たちだけど、
この世界には、ものすごく原始的で、そしてめちゃめちゃ無垢な心でもって正面からぶつかって来る丸裸の「THE人間」がたくさんいる。

人との出会いや人間関係を築いて行く過程で、複雑なことなんか一切ないと
見せ付けてくれるこの人たちは、祖国を離れて暮らす私に、何かとても大切な事を
教えてくれているような気がした。

そして、彼らから受けた優しさや恩というのは、今度は私が別の形でもって誰かに返すものなんだろうな。

彼らの心使いが私を巡って別の誰かに受け渡されて、そしてその誰かもまた次の誰かへ
渡し循環させていけばいい。

そうすれば、またいつか素晴らしい出会いが巡ってくるのだと思うから。

次、いつまたこういう旅ができるか分からないけど、子供が生まれてからも可能な限り
こういう世界を見せてあげたい。

そのつもりで、車改造と長期休暇を取る計画が、マークスの頭の中でもうすでに
始まっているようです。

今度はまたいつか、どこか違う国でのお話を書けることを楽しみにして
イラン旅日記、長々と続きましたがこれで終了します。

のんびり更新にもかかわらず読んでくださったみなさん、ありがとうございます。

2014/02/03

アドレア海の真珠、ドゥブロフニク

またまた間が開いてしまった旅日記も、残すところあと数回。
半年以上もかけたノロノロ更新にも拘らず、読んで下さってる皆さんありがとう。

これが終わったら、旅がらみでまた新たなブログを立ち上げようかとおもってます。
と言ってみたほうが、やる気になるかなと思って一応言っておきます。

ずーっと頭の中にあって、ずーっとやりたかったことでもあります。
詳しくは、本気でやる事になったらまたお知らせします。

そんなことより、続き。

クロアチア。


ごらんの通り、眼下に眺めるドゥブロフニクの町並み。

城壁に囲まれた旧市街に行くには、海沿いを走っている唯一の道を下に下って入って
行くことになる。

私たちはとりあえず下ってみて、まずは今日の停泊地を探すことにした。

見つけたのは旧市街から3キロほど離れたキャンピング専用の宿泊施設。

一泊1人12ユーロぐらいだったっけな。

敷地内の好きなところに車を止めてよくて、共同のシャワーや広々とした洗い場などが
自由に使える。

よくある普通のキャンプ場だけど、実はここ、ドイツ人がオーナーの施設なので
ドイツ人の利用客も多く、フロントはドイツ語可。
施設の整備、衛生管理がドイツレベルなんで、すごく快適。

なんて書いてるけど、そこまでキャンピングを利用したことないので、こだわりもあまり
ないんだけど、いつもその辺で寝起きしてる私たちにとっては、熱いお湯が出る
シャワーがあるだけで、文句なしの快適さなのです。

この際ドイツ人贔屓とか、どーでもいいか。

ま、そんな当たりな場所に寝床を確保したところで、旧市街散策。

バスで街に向かうこと10分。

街外れのキャンピングからは想像できないほどの人の多さ。
停留所を進むにつれ、乗客がドンドン増えてゆく。

さすが有名な観光地だ。

街並み同様みんなとても奇麗な、そしてよそ行きな格好をしている。
でも、大きなリュックを抱えたバックパッカーの姿もちらほら。


旧市街の城壁に囲まれた街は、大きな門をくぐり入って行き、その先には
きれいな石造りの建物が並ぶ通り。




建物の隙間には裏小路があり、私的にはこの裏道散策が一番面白かった。

まあ、たいてい何処を歩いても観光地なので、お土産屋さんやレストランが犇いて
いるんだけど、上の方に上ってゆけば一般の人の住宅があるので、少しだけ日常生活を
垣間見ることができる。









こんな趣のある階段をてくてく上がってゆくと、数十メートル下の雑踏とは無関係な
ひっそりとした居住区に迷い込んだりする。

 




ちょっと潮風にあたった洗い立ての洗濯物の匂いが、旅の情緒を刺激する。

いいところじゃない、ドゥブロフニク。




路地裏散歩はまだまだ続く。

「魔女の宅急便」の内容は忘れたけど、あの女の子がホウキにまたがってこんな風景の
中を飛び回る場面だけは覚えていて、「ああ、ここなんだろうな」と一人で納得。

そして荒井由美の「優しさに包まれたなら~」を口ずさみながら、石畳の小道の隙間を彷徨い
歩いた。




そして通りかかった道から魚のいい匂いがしてきたので、 思わず足を止め、ついでに着席し、ビールを飲んで夕食の運びに。



シーフード!

イカ、エビ、ムール貝。。。。

大盛りプレートを二人で平らげる幸せ。

ますますいい所じゃない。

しかし、ここのレストランのウェイター。
どうやら葉っぱを吸いすぎのご様子で、最初見ていて愉快だったけど、調子乗りすぎていて
最終的には不愉快になったので、チップは払わず席を立った。

クロアチア、入国するときに薬物検査がものすごく厳しくて、特にアルバニアを通ってきた
旅行者は殊更厳しく調べるらしく、私たちも例外ではなかった。

それは出国の時も同じで後で詳しく書こうと思うんだけど、そんな事を取り締まるより
こいつらどうにかしてくれと思ったのでした。

別に薬物ではないけどね、仕事しながらじゃさすがにだらしがないし、見る人が見れば
不愉快極まりない。

まぁ、ご飯はおいしかったので良かったとしよう。

その後はまた混み混みのバスに乗って車に戻り、ビールを飲みながら久々に
メールをチェックする。

旅の期間は通信手段を極力断ち切っている私たち。
この旅に出て、実に4回目のメールチェック。

すると、ライプチヒの知人からこんなメッセージが。

「そちらの方は被害が大きかったようだけど大丈夫ですか?何かあったらいつでも応援に
駆けつけます。」

みたいな内容で、件名は「洪水」。

え、ドイツ洪水なの??と、ちょっと心配になってるその時に、マークスの実家と
スカイプが繋がり、ここであの6月の大洪水の一部始終を聞くことになる。

しかもそれはもう1週間ぐらい前の済んだ話だったという。
実家と自宅の被害はなかったけど、街の一部は川の氾濫で浸水したところも多く
大パニックだったらしい。

唯一気がかりだったのは、川の近くのガレージに停めてきた普段乗り用の車。

運悪ければ、沈んでるだろーなー。。。

そんな心配をしながらキャンプ場で一晩過ごした私たちは、この素敵な街を後にし
一路愛しの我が家へ急ぐのでした。

ドゥフロクニクの感想は、今となってはこんな旅ばっかりしている私でも、ここにはちょっと
小奇麗にして何日か滞在してみたいと思える街でもあった。

いつかもう一度来てみたい、出来れば冬に、マー抜きで(笑)

2014/01/22

ギリシャから旧ユーゴへ

ギリシャを越えて、マケドニア、アルバニア。

あんまり覚えてないんだよなー。

致命的だったのが、この旧ユーゴ地域の地図を持ってなかったこと。

持ってなかったというか、あったんだけど発行が1990年というどうにも使えなくて
だけど厚みだけは無駄にある図鑑みたいな地図はあった。

ドイツの壁が崩壊した数ヶ月後のものなので、まだDDR(東ドイツ)が違う国として
区切られており、そして当然ユーゴスラビアの国境も存在しない地図。

なんでこんなものを持ってくるかなー。。。

でもどうにかこうにかして先を行くしかないので、とりあえずクロアチアのドゥヴロフニクを
目指すことにした。

一応地図を頼りに進んでは行くんだけど、いきなり国境が現れたり、出入国のスタンプがあったり
なかったり、ここはもうクロアチアなはずと思って走ってたところがボスニアだったり。

400kmぐらいの間に4つも国境があるなんて、そうそうないですよ。
道は極めて簡単なんだけど、その間の国境検査が面倒で仕方なかった。


さて、さくっと行きます。

まずはマケドニア。

とにかく山が多いという印象。
そして物価がとても安い。

途中立ち寄ったレストランからの風景。
山の斜面に沢山の家が立っている。

そして、結構どこでも英語がちゃんと通じる。

チーズがおいしかった。2人でいろいろお腹いっぱい食べて10ユーロ弱。

お約束のビール。ギリシャのより美味しかった。

この日はその沢山ある山のどこかに車を止めて車中泊。




翌日はまた山道を走り、国境を越えてアルバニアに入る。








山道が長く過酷すぎて、こんなきれいな山村の風景にも微動だにしない私の心。

ほんと疲れてました。

アルバニアはイスラム教徒が多い国で、それ故なのかは分からないけど住民が
みんなオープンでフレンドリーで、トルコやイランを思い出させる国民性。

ちょっと国境をまたいだだけでこのちがい。

そういえば、ドイツとポーランドもそんな感じだな。

それとこの国を走る90%の車は、ベンツかアウディーというぐらい、とにかくこの高級車が
田舎の山道とかでも全然普通に走っている。

20年落ちぐらいのモデルなんだろうけど、みんなきれいに乗っているのには驚いた。


国境が近くなってきたところで撮った、道にあった地図の写真。



予想では、アルバニアを越えたらアドリア海に出るんだから、そこはもうクロアチア??
なんて思ってたら大間違い。

その間にモンテネグロがお目見えするのです。

ギリシャからはこんな感じのルート。

しかし、山道とはちがって海沿いのドライブはなんとも気持ちの良いもので、昨日からの
ローテンションから打って変わり、一気に機嫌がよくなる。

それっぽくなってきた!



海沿いに出てからは、ヨーロッパナンバーのキャンピングカーをもの凄く見かけるようになった。
多いのは、イタリアかドイツ。

海岸沿いにも、キャンピングカーなど車専用の宿泊施設がとても充実していた。

そうしてお目見えしたのはこちら。



ドゥブロフニクだ。



2014/01/16

ギリシャの海、夏休みの始まり


トルコの旅を終えて、ギリシャ入り。

イラン、トルコが随分と楽しかったので、もう旅する気力が残っていないというか
とにかく家に早く帰るのが楽しみで、ギリシャからドイツへ向かう1週間は単なる
帰り道。

撮った写真の少なさからも、手書きの日記の内容の薄さからもそんなことが伺える。


ここからはヨーロッパ。

イスラムの国のように、気軽に人の家に招かれることもまずなく、最後1週間は
久々にぶっ通しで車中泊、自炊の旅ができたのは良かった。

この帰り道で通った国。9カ国。

ギリシャ→マケドニア→アルバニア→モンテネグロ→ボスニア・ヘルツェゴビナ
→クロアチア→スロベニア→オーストリア

ユーゴスラビアが解体されたあと、その国境の線引きは非常に複雑で、なぜここで区切ったか
みたいな、面倒なと場所もちらほら。
それは後ほど。

まずはギリシャ。

入っていきなり、こんなものを見た。




遠くのほうで、百匹近い鳥の群れが上へ上へと旋回している。
まるで何かの儀式のようで。

 近づいてみると、それはなんとコウノトリの群れだった。



何の意味があるのかわからないが、自分の上の周りをコウノトリが空高くグルグル
まわってるのをみて、 なんか縁起を担いだような気がした。



この日は猛暑で、早々に運転を切り上げて海でゆっくり休むためアレクサンドロポリス近くの
ビーチへと向かう。

この地名いかにもギリシャで、なんか有名っぽい響きではあるが、ギリシャの情報など
1つもなく、しかも帰り道なのでスルー。

私たちは、とにかく海へ向かって走り、海沿いをしばらく走って迷い込んだ小さな村沿いの
ビーチに車を止めた。


真っ青な空、透き通る水。
水はしょっぱい、正真正銘の海、エーゲ海だ。

ドイツでの湖水浴とは質がちがう。なんという開放感!

 しかも人っ子一人おらず、プライベートビーチ

イスラムの国を旅していて禁酒していましたが、さすがにここはビールが飲みたくなりまして
とはいえこの辺には売店とかないし。。。とか言っていると、さすがは図々しいマークス。

ちょっと村人にビール持ってないか聞いてくると言って、どこかへ歩いて行った。

しばらくしたら手ぶらで戻ってきたけど、声をかけたおばさんが自宅に招待してくれたとの事で
今度は2人でその家に向かった。

 家は海沿いにある小さな別荘地の一角にあり、テラスでタバコをふかしたおばさんが
パンやら何やら用意して待っていてくれた。

片言の英語を話すおばさんは、フラペチーノなんていう洒落た飲み物を作ってくれて
旦那さんと4人で、通じてんだか通じてないんだかよくわからない会話をしながら
暑さが去るのを待った。

それからまたビーチへ戻り、泳いだり、砂浜で読書したりしているとすっかり日が暮れて
ギリシャ1日目が終わった。

家の前には、こんなかわいらしいギリシャ正教の教会が建っていた。

翌日も海沿いをひた走り、目指すはマケドニア。

途中立ち寄ったフランス系のスーパーで、ビールとか食材を買いあさる。
物価はドイツより安く、なんてったって魚介類が豊富だ。

そうして、買い込んだイカを炭火で焼いて食べたいがため、海でもう1泊することにする。

この日の食卓。

特等席!!


イランで買ったケバブ用の大きい串にイカをさして焼きーの

トルコ名物グリルパプリカを添えて、ビールと一緒に。


 海沿いにきてから、旅が一気に夏休みっぽくなった。

実はこの時点で帰りのルートは決まってなかたんだけど、どうせなら夏を満喫するために
海沿いをずーっと走って帰ろうという事になり、翌日はマケドニア、アルバニアを越えて
アドリア海へ向けてひた走ったのでした。



2014/01/14

トルコ旅、温泉で〆る


ブルザを後にしてやってきた小さな町「ギョネン」

町外れの山間にある隠れた温泉地で、湯冶の場所としてちょっと知れた存在だとか。

しかし、温泉リゾートと言うわけではなく、森の中に温泉施設が一つあるだけで、
あとは宿泊客用のコテージやアパート、食堂が1件という、休養するに
ふさわしい所だった。


山道を走っていると小さな村が点在していて、その村の家々がブルガリアやギリシャにも
似たような佇まいで、住民の顔立ちや髪の色もヨーロッパ人ぽくなってきている。

国境に近い場所って、こういうのが見られるから面白い。

昔の領土問題はよくわからないが、その昔ここはトルコではなかったんだろうな、、、
なんてことを思ったりする。


温泉に到着して、さっそくチケットを買う。
ここの温泉も男女入れ替え制で、2時間おきに順番が周ってくる。

まずは男湯時間。

たっぷり2時間は待たなきゃいけないので、駐車場に停めた車と近くにある木の間に
ハンモックを吊って本を読んでいたら、いつの間にか爆睡していた。

気づいたらマーが戻ってきたので湯加減を聞くと、まあ丁度良いとの事。

彼は温泉場でドイツ語がペラペラなトルコ人おじさんのグループに出くわしたらしく
聞くと、彼らは30年以上ドイツで労働していた人たちで、退職後はドイツからもらう年金暮らし。
故郷に戻って大変豊かに生活しているそうだ。

さて、女湯ではどんな出会いがあるかしら???

水着に着替えて温泉場に入ると、そこには10人ぐらいしかいなかった。
お風呂と言うよりは10m四方の室内プールみたいなところで、足がつかないくらい
深さがあるので、みんなプールの淵につかまってお湯につかるという体勢。

まぁそれでも湯加減は温すぎず熱すぎず丁度いいといった具合で、気持ちよかった。

ここでもまた、おばちゃんのマッサージをしたりされたり、水掛合戦に混ざったりして
イランの温泉を思い出させるような、人々の温かさに触れさせてもらった。

心も体もほっこり温まったところでお湯から出て、楽しみにしていた腹ごしらえ。

施設内に一件だけある食堂で、オススメだというキョフテのグリルを頼む。


キョフテは羊肉の肉団子。
それをトマトソースで煮込み、たっぷりのチーズを乗せて釜で焼き上げる。

かなりコッテリ目の料理だけど、美味。

風呂上り。
すきっ腹の隅々までのこのコッテリが行き渡り、もうこれ以上の幸せはないくらいの
満足感と共に、そのまま車のベットでまた爆睡。

翌朝は森の中で目を覚まし、目指すは隣国ギリシャ。

軽く朝ごはんを済ませ、途中フェリーで車ごと移動したりしながら国境へ向けて走り続ける。

イランからの帰り道、休暇期間を10日残したところで、トルコ10日間の旅が終わった。

 続

2014/01/07

ブルザ、楽しい街歩き

 新年明けましておめでとうございます。
体調不良でしばらく放置していた旅日記ですが、ぼちぼち再開します。

・・・・さて私たちがやってきたのはブルザ。


 ブルザという街は、マルマラ海を挟み北にイスタンブルがあり、南に位置するのが
このブルザ。

帰り道イスタンブルにも寄って行こうかという話にもなったんだけど、先日滞在していた
モフリスの家のテレビで、痛々しいデモの様子が1日中流されていたのを思い出す。

そう、記憶に新しいタクシム広場のデモである。

このデモで、旅行プランが台無しになったと怒り狂う観光客の姿も映しだされており
これは避けたほうが懸命ということで、マルマラ海を南に迂回してトルコを出国する
ことにした。

さて、ブルザ。

トルコで最後になる買い物をするためと、出湯の町としても有名らしく
温泉につかろうということでやってきた。

まずはバザール近くで宿をとる。

2009年版のトルコのガイドブックを持参していたんだけど、日本のガイドブックはホントにすごい。

宿の場所、その近くの駐車場、周辺にはなにがあるか、そこでの食事はどんなものが
お勧めが、一通りみっちり書いてある。

だから、無駄なくリスクなくキッチリくまなく周れるという、時間のない日本人短期旅行者には
打ってつけの1冊だ。

本をなぞりながら旅行するのが好きな人がいれば、それを毛嫌いする人もいる。

私は別に本人が楽しめればいいと思ってるので、そんなのはどっちでもいい。

物は使いよう。

ということで、街歩きにはガイドブックが大いに役立つ。

 この日もその本に載っていた、オスマン様式の古民家ホテルで一泊。

ホテルの向かいに源泉を引っ張ってきているというハマンがあったんだけど、この日は
男性の日だったので、私は仕方なくあきらめる。

マークスは熱々のお湯を楽しんだようだった。

ハマンの値段も8ユーロぐらいになっており、西に来るにつけ物価が上がってきていることを
実感する。

 



翌日、モスクの周りをぐるりと囲むように広がっているバザールで買い物。

バザールは、いつ来てもテンションがあがる。

スモールイスタンブルとも呼ばれるベルリンに、トルコマーケットという週2回開催される
トルコ食材やら日用品の市場があるんだけど、そこと比べると何十倍もの規模。

本場のトルコバザールは、悪く言えばドイツのように衛生管理が徹底してないけれど
よく言えば、それがいかにもバザールらしい。

アジアの活気あふれるバザール。








 この日は、スパイスやら石鹸やら、残りの旅路用の食材、それにトルコの調理器具など
いろいろ買ったなー。

一番のお気に入りは、ギョツレメ用の鉄板。



火の上に直接乗っけてユフカを焼く用の鉄板です。

この鉄板欲しさに金物屋に立ち寄ったら、向かいにあったケバブ屋に呼び止められ
まずはお茶を頂き、そしたらついでにお店自慢のチキンケバブとアイランをご馳走してくれた。

そんなに観光客が珍しいところでもないのにね。

何なんだろうと思う、トルコ人の優しさ。

前にも書いた通り、ドイツにはトルコからの移民が沢山いるんだけど、なんでこんないい国を
去る必要があるのか、私には謎だ。

そりゃどこの国にも影の部分と言うのはあるだろうけど、特に今トルコは経済発展も目覚しく
ユーロになんか加盟しなくったて十分やってゆけるぐらいの豊かさがある。

しかも、そんな近代化してゆく中でもトルコ式のホスピタリティー、人情というものが都会でも
山村でも満遍なく残っているというのが私の印象だ。

西洋並みの経済基盤がありながら、アジア人の精神がちゃんとある国。

完全に西洋化されてないのもまた魅力。

ていうか、されるわけがない。
国民の愛国心の度合いがはるか違う、例えば日本やドイツと比べると。

うすうす分かっているのは、きっとわたしドイツよりトルコの方が合うかなと言うこと。

いつかトルコに移住、、、、、なんてことにはならないか。。。。

まぁ、これも人生ね。

トルコ褒めも程々にしておいて、次に私たちが向かった先はモフリスのお父さんに
教えてもらったオススメ温泉がある街、ギョネン。

今度こそ温泉!