さてさて、これ以上引っ張る必要もない旅日記。
最終回でございます。
ドゥブロフニクを出てからは海岸沿いをひたすら走り続け、確かスロベニアのどっかにある
小さな池のほとりで1泊し、翌日の深夜まで走り続け愛しの我が家へ到着。
最後ひとつだけ、国境越えのお話を。
ドゥブロフニクから北上すること数十キロ、いきなり別の国の国境が現れます。
地図上の矢印で示したとおり、この海岸沿いのほんの10キロにも満たない部分が
実はボスニアヘルツェゴビナの領土で、この部分を通過するだけで入国、出国の
手続きが必要。
前回の記事にも書いたけど、クロアチア国境の薬物検査は異常なまでに執拗で
まず、車の中の隅々まで調べられることは当たり前で、手持ちのカバンの中身や
さらには、所持している薬、持病の薬や頭痛薬の中身まで全部見せろと言ってくる。
このチェックはクロアチアに入国したときにもされて、かなり面倒だった。
そしてやっとこの国を出られたと思ったら、今度はその先10キロにまたクロアチアの
国境があるという予想外の事態が。
そんなことよりここにボスニアがちょこっとだけ割り込んでくるという、変な線引き。
美しいアドリア海をちょっとお裾分けしてあげた、クロアチアの優しさの現れなのか?
今更地図を見て、そんな事を思ったりした。
クロアチア出国ゲート。
ヨーロッパナンバーの優雅なキャンピングカーはほぼノーチェック状態で通過しているにも
拘らず、私たちはいつも止められて検査される。
キャリアに薪とか積んでるからいけないのか??
とにかくここでも車を脇に誘導され細かいチェック体制に。
あーこれ、昨日もされたんですけど。。。。
国境の警察官は、麻薬捜査犬のごとく車内を嗅ぎまわるように細かくチェック。
私たちの救急箱までも持ってこさせ、ひっくり返す始末。
いったい何を探してるのかと聞くと、処方箋のない、もしくは処方箋に書かれている以上の
量の抗ウツ剤や、大量に服用することである程度飛べるクスリ。
はい、ご苦労さんです。
そんなもの、どう考えても持ってる人の方が少ないでしょう。
こんなところで、パラノイアの薬物患者が他にクスリはないのか嗅ぎまわってるような真似は
やめて、ドゥブロフニクのあのホゲホゲウェイターを取り締まったほうが世の為だよと思った。
そして、だいぶ機嫌をそこねた私はこの人に、
「頼むから10キロ先のクロアチアの国境でまたチェックしないように、連絡つけといてくれ」と
お願いした。
その甲斐あってか、次の入国審査は難無くスルー。
その後は快適な海岸線ドライブ。
真っ青な海に浮かぶ無数の島々がとても綺麗だった。
だけど、もう帰りたいので走りに走り続けて、翌日オーストリアを通過しドイツにあっさり入国。
ただいまドイチュランド!
お昼ごはんに立ち寄ったトラックドライバー御用達のインビスで、久々にドイツ料理を食べる。
シュニッツェルに焼きソーセージにステーキ、そしてビール!
お肉三昧、予想通りの大味。
いいぞ、それでこそドイツだ!
そこから先もひたすら運転。
途中レーゲンスブルグだったかその辺りで、洪水の影響で高速が封鎖されていたり
橋が沈んでしまったりで道が大渋滞していて、大変なことになっていた。
そして深夜1時ごろ、無事帰宅。
静かに門を開けて家の中へ入ってゆく。
2ヶ月前殺風景だった庭の木や畑が緑に色づいて、この2ヶ月の時の長さを実感した。
それからしばらくは旅の余韻に浸るというよりは、新しい生活に心が弾む毎日だった。
締めくくり的なことを書くと、この旅での最大の思い出はやはり、道中で偶然出会った人たちと
過ごした色々な日々に尽きる。
出会いに多少期待をして旅に出ても、短期間でこれほどまでに人に恵まれた旅というのは
これが初めてだと思う。
たくさんのやさしい人たち。
なーんの損得感情もなく、お互いそのままの自分で、そこにあるいつもの日常を共有する。
こんな殺伐とした世の中。
テクノロジーが混入しすぎて生身の人間とのコミュニケーション能力が退化する一方の私たちだけど、
この世界には、ものすごく原始的で、そしてめちゃめちゃ無垢な心でもって正面からぶつかって来る丸裸の「THE人間」がたくさんいる。
人との出会いや人間関係を築いて行く過程で、複雑なことなんか一切ないと
見せ付けてくれるこの人たちは、祖国を離れて暮らす私に、何かとても大切な事を
教えてくれているような気がした。
そして、彼らから受けた優しさや恩というのは、今度は私が別の形でもって誰かに返すものなんだろうな。
彼らの心使いが私を巡って別の誰かに受け渡されて、そしてその誰かもまた次の誰かへ
渡し循環させていけばいい。
そうすれば、またいつか素晴らしい出会いが巡ってくるのだと思うから。
次、いつまたこういう旅ができるか分からないけど、子供が生まれてからも可能な限り
こういう世界を見せてあげたい。
そのつもりで、車改造と長期休暇を取る計画が、マークスの頭の中でもうすでに
始まっているようです。
今度はまたいつか、どこか違う国でのお話を書けることを楽しみにして
イラン旅日記、長々と続きましたがこれで終了します。
のんびり更新にもかかわらず読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
完
最終回でございます。
ドゥブロフニクを出てからは海岸沿いをひたすら走り続け、確かスロベニアのどっかにある
小さな池のほとりで1泊し、翌日の深夜まで走り続け愛しの我が家へ到着。
最後ひとつだけ、国境越えのお話を。
ドゥブロフニクから北上すること数十キロ、いきなり別の国の国境が現れます。
地図上の矢印で示したとおり、この海岸沿いのほんの10キロにも満たない部分が
実はボスニアヘルツェゴビナの領土で、この部分を通過するだけで入国、出国の
手続きが必要。
前回の記事にも書いたけど、クロアチア国境の薬物検査は異常なまでに執拗で
まず、車の中の隅々まで調べられることは当たり前で、手持ちのカバンの中身や
さらには、所持している薬、持病の薬や頭痛薬の中身まで全部見せろと言ってくる。
このチェックはクロアチアに入国したときにもされて、かなり面倒だった。
そしてやっとこの国を出られたと思ったら、今度はその先10キロにまたクロアチアの
国境があるという予想外の事態が。
そんなことよりここにボスニアがちょこっとだけ割り込んでくるという、変な線引き。
美しいアドリア海をちょっとお裾分けしてあげた、クロアチアの優しさの現れなのか?
今更地図を見て、そんな事を思ったりした。
クロアチア出国ゲート。
ヨーロッパナンバーの優雅なキャンピングカーはほぼノーチェック状態で通過しているにも
拘らず、私たちはいつも止められて検査される。
キャリアに薪とか積んでるからいけないのか??
とにかくここでも車を脇に誘導され細かいチェック体制に。
あーこれ、昨日もされたんですけど。。。。
国境の警察官は、麻薬捜査犬のごとく車内を嗅ぎまわるように細かくチェック。
私たちの救急箱までも持ってこさせ、ひっくり返す始末。
いったい何を探してるのかと聞くと、処方箋のない、もしくは処方箋に書かれている以上の
量の抗ウツ剤や、大量に服用することである程度飛べるクスリ。
はい、ご苦労さんです。
そんなもの、どう考えても持ってる人の方が少ないでしょう。
こんなところで、パラノイアの薬物患者が他にクスリはないのか嗅ぎまわってるような真似は
やめて、ドゥブロフニクのあのホゲホゲウェイターを取り締まったほうが世の為だよと思った。
そして、だいぶ機嫌をそこねた私はこの人に、
「頼むから10キロ先のクロアチアの国境でまたチェックしないように、連絡つけといてくれ」と
お願いした。
その甲斐あってか、次の入国審査は難無くスルー。
その後は快適な海岸線ドライブ。
真っ青な海に浮かぶ無数の島々がとても綺麗だった。
だけど、もう帰りたいので走りに走り続けて、翌日オーストリアを通過しドイツにあっさり入国。
ただいまドイチュランド!
お昼ごはんに立ち寄ったトラックドライバー御用達のインビスで、久々にドイツ料理を食べる。
シュニッツェルに焼きソーセージにステーキ、そしてビール!
お肉三昧、予想通りの大味。
いいぞ、それでこそドイツだ!
そこから先もひたすら運転。
途中レーゲンスブルグだったかその辺りで、洪水の影響で高速が封鎖されていたり
橋が沈んでしまったりで道が大渋滞していて、大変なことになっていた。
そして深夜1時ごろ、無事帰宅。
静かに門を開けて家の中へ入ってゆく。
2ヶ月前殺風景だった庭の木や畑が緑に色づいて、この2ヶ月の時の長さを実感した。
それからしばらくは旅の余韻に浸るというよりは、新しい生活に心が弾む毎日だった。
締めくくり的なことを書くと、この旅での最大の思い出はやはり、道中で偶然出会った人たちと
過ごした色々な日々に尽きる。
出会いに多少期待をして旅に出ても、短期間でこれほどまでに人に恵まれた旅というのは
これが初めてだと思う。
たくさんのやさしい人たち。
なーんの損得感情もなく、お互いそのままの自分で、そこにあるいつもの日常を共有する。
こんな殺伐とした世の中。
テクノロジーが混入しすぎて生身の人間とのコミュニケーション能力が退化する一方の私たちだけど、
この世界には、ものすごく原始的で、そしてめちゃめちゃ無垢な心でもって正面からぶつかって来る丸裸の「THE人間」がたくさんいる。
人との出会いや人間関係を築いて行く過程で、複雑なことなんか一切ないと
見せ付けてくれるこの人たちは、祖国を離れて暮らす私に、何かとても大切な事を
教えてくれているような気がした。
そして、彼らから受けた優しさや恩というのは、今度は私が別の形でもって誰かに返すものなんだろうな。
彼らの心使いが私を巡って別の誰かに受け渡されて、そしてその誰かもまた次の誰かへ
渡し循環させていけばいい。
そうすれば、またいつか素晴らしい出会いが巡ってくるのだと思うから。
次、いつまたこういう旅ができるか分からないけど、子供が生まれてからも可能な限り
こういう世界を見せてあげたい。
そのつもりで、車改造と長期休暇を取る計画が、マークスの頭の中でもうすでに
始まっているようです。
今度はまたいつか、どこか違う国でのお話を書けることを楽しみにして
イラン旅日記、長々と続きましたがこれで終了します。
のんびり更新にもかかわらず読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
完
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