2016/12/31

ニッポン車中泊の旅 最終章

去年の旅日記の締めくくりもこんなだったな。

性格がもろに現れてる。

夏休みの宿題は、夏休みの最後の日にやるタイプ 笑

でも、なんとか年内に終わらせることができた。

別に期限なんかないけど、旅ブログも旅の一部なので、完結させないと何だか
気持ち悪い。

というのが、やり残したことはないかと自問する年末に浮上する案件の一つなのです。

とにもかくにも、最終章、いってみよう!


東京に戻る途中、山梨のキャンプ場でいつものメンバーとキャンプすることになっていた。

このメンバーは私が独身を謳歌していた時代から、ホントに良く遊んだ仲間たちだ。

男4人に女1人。

30過ぎの大人が、仕事帰りにアパートの一室でいっつもタムロして、夜な夜なお酒を飲んでは
色々語らい、最後にはグダグダで何が何だか。。。

みたいなのを、ずーっと繰り返していた気がする。

あれは、あれで、とても楽しい時間だった。

何が残っているんだろう言われると、あまり思い浮かばないんだけど(笑)、こうやって今も
私のこころの故郷として存在してくれてる心強い存在なのだ。


そんな彼らと、久々のキャンプ。




一之瀬キャンプ場はけっこうな山奥にあるところで、東京から好アクセスとはとても言い難いが
シーズンになれば混雑するような、ワイルドじゃないけどワイルドに近い感覚でキャンプできる
ところかな。

昼間っからのビールも最高。

みんなが揃ったのは4年ぶりぐらいかな?

夜な夜な色んなことを話したなぁ。



このメンバーは大体30代半ばの男たちなんだけど、話のメインはやはり仕事場での問題点
とかで、聞けば聞くほど日本の働き盛りの人達が心配になってきた。

ブラック企業がどうのと、今年も話題になっていたけど、ピンポイントで取り上げられるほど
珍しい話でもなく、これはもう日本人の労働環境の一つとして受け入れざるを得ないということを
思い知ったというか。

「絶対ありえない、辞めちゃえ、訴えちゃえ、転職、転職!」と私なんかは簡単に言えるけど
そんな気力もないぐらい、目の前の仕事をこなすのが精一杯で、最終的には病気にでも
ならない限り、そこから降りることは不可能。

一人を除いて、他の3人のうち誰かは病んでいる、もしくは病んでバラバラになりそうになり
転職したという話を、散々聞かされた。

本当に気の毒。

本当に。

楽しい思い出もそうだけど、心配事もまた残ったりのキャンプだった。


というとで、みんなとはここでサヨナラして、帰宅の途に就く。

山を下り、奥多摩湖沿いを走り抜け、1か月ぶりに戻ってきた東京。

近所の桜並木。
出発した時は咲いてなかった桜が、全て散り終え、新緑が芽吹いていた。

この1か月、あっという間だったなぁ。

2月から日本に滞在して約2ヶ月。

そろそろお暇する時が近づいていた。





日本車中泊の旅は、思っていた通り、快適だった。

道路事情、食事、公衆衛生、どれをとっても今まで旅した国よりも安心して安全に旅することが
できた。

宿泊も道後温泉の旅館での1泊、直島、京都の友人宅、この3日以外は結局車中泊だった。

もう少しオートキャンプ場とかを利用するのかなと思っていたけど、高くつくので
毎度おなじみの「その辺」で眠ることが多かった。

道の駅や駐車場での車中泊は多分5回ぐらいで、その他は川や湖の近くの空き地とか
そんなところが多かった気がする。

多分。。。。ダメなんだろうけど、どこにも「車中泊禁止」とか書いてないし。ね。



良かった点はやはり、銭湯、コインランドリー、公衆トイレが充実していること。

この3つは、まず他の国ではそう頻繁にお目にかかれない。
これがあるだけで、かなり快適な、そして綺麗な旅人でいることが出来た。
(普段どれだけ汚いのかって話だけど。。。)

道の駅がとにかく便利だったな。

反対に悪い点をあげると、やはり高速道路の料金がバカみたいに高い。
アウトバーン全線無料のドイツから来た人間からすると、有料ということに付け加えその金額にも
怒りさえ覚える。

というか、外国人はみんな怒ってるぞ(笑)

私は日本人だけど、金銭感覚がもうドイツ人なので、高速料金たるものを旅の大部分を占める
支出にはしたくなかった。

結局は時間があるというのが最大の強みで、今回の旅で高速道路を利用したのは1回のみ。

深夜の走行で、6000円払ったのみだった。

日本に限らず、海外でも有料の高速道路はあるけれど、極力一般道を使いその国の
細部まで見渡せる道中というのも旅の醍醐味だと思っているので、日本でも「したみち」を
大いに利用して大正解だった。

あともう一点。

日本は公共の場でのゴミ箱が少なすぎる。

観光地のような所でも設置場所が少なく、「ごみは持ちかえりましょう」 の張り紙が多いのは
結構だけど、結局自動販売機のわざわざ空き缶しか入れられないようしてあるゴミ箱に
お菓子や弁当などのゴミが突っ込んで、溢れて、散乱していたり。


私達車中泊組は、いったいゴミをどこに捨てればいい?という話になる。

売って売って売りまくって買わせまくるくせに、ゴミの処理能力が乏しい。
出るごみの事を想定して、ゴミ箱を設置してほしいと思った。

まぁ、家庭内のゴミを公共のゴミ箱にあーだこーだとか、防犯面でどーのこーのというのも
分からないでもないが、私が子供の頃は色んな形のゴミ箱がそこら中にあったけどなー。

きっと、これも時代と共に変わっていったことの、一つだよね。


 旅の費用は、25日間で約30万円。

主な内訳は 車両代     110,000
        ガソリン代    36,000
        フェリー代    22,000
        高速代      6,000
          宿泊代     13,000
         食費       65,000
        観光費(入場料) 7,000
        温泉代       5,000
         雑費        30,000


こんなところです。

雑費はコインランドリーとか、車内の備品、お土産など。

3人で一人あたり10万円の計算です。

予算内で収まりました。

意外に高く着いたのが食費。
予算を立てていた当初は、1日1500円でやりくりできるかと思ったら無理でした。
1日2500円の計算になる。

ドイツに比べてやはり食材が高いのと、あとビールが高い。

ドイツで1日15ユーロの予算なんていったら、毎晩ご馳走になります。

今回日本で25日間30万だったけど、この金額で車中泊の旅ならシベリア経由3か月で
モスクワまで行けるぐらいかなー、という感じです。

やっぱ、日本は高かった。


最後に、旅の期間私達の自宅となった車内の様子をお見せします。
準備に2日しかなかったので、こんな感じ。

物、物、物。

 時間があったら、収納と住空間を上下に分けることもできたけど、レンタカーなのもあり
これが限界で。

カーテン代わりは百均の断熱シート+ガムテ。レンタカーなのでこれが限界。


ということで、そろそろ終わりにしましょう。

日本新発見、そして再発見。
とてもとても充実した刺激的な旅でした。

第二弾もする気満々で、今度は九州、奄美大島とかまで行くのが夢です。

そして、もう一度行きたいところは、熊野地方。
ここは近い将来、必ず。


2016年ニッポン車中泊の旅


2016/12/29

ニッポン車中泊の旅_京都~妻籠宿

直島からフェリーに乗り、本土の岡山県側には30分ぐらいで着いた。

その後走れるところまで行ってしまおうということになり、ライトアップされた夜の姫路城を
横目に見ながら、京都に到着したのは深夜1時過ぎ。

国道をひた走り、6時間ぐらいで着いた計算。


京都ガレリア亀岡という道の駅的なところで車中泊。

さすが京都だけあって、早朝6時でこの車中泊組の多さ。

ナンバーもバラエティに富んでいて、北海道ナンバーのキャンピングカー があったりした。

事前に連絡しておいた京都に住む友達一家を訪ねる前に、いつ行ってもどこからどこを見ても
いつの時代も絵になる「伏見稲荷」へ向かった。




 




腰の神様があったり。




だるまさんも、進歩したこと。


京都は去年も来たし、メインは友達訪問だったので、観光らしい観光は今回はしなかった。

こちらは1年ぶりの再会。

また元気に会うことができてうれしかった。

京都左京区の庶民が暮らす住宅地も、なかなか魅力的なところです。


 1夜明け、桜満開直後の小春日和。

すぐ近所の平安神社まで散歩に出かけ、その後その友達が出店している手作り市へ。


そういえば通りすがりの美術館で春画展がやっていて、東京で見に行った友達の報告も聞いて
いたので見てみたかったけど、土曜日だったこともあり、ものすごい行列ができていたので
断念。

残念。

 





焼き菓子屋さんをやってる彼女たちは、今は店舗はないんだけど、こうやって毎週毎週
市場に出店して、生計をたてている。

旦那さんは自宅である古い町屋の内装をちょこちょこやりながら、たまにバイトもしながら
という感じで、どこまでも社会に縛られない生き方を選択している素敵な夫婦だ。

夏前に2人目の子供も生まれ、ますます賑やかな家族なったみんなにまた会いに行くのが
楽しみだ。
 


こちらも1泊。

束の間の滞在。

とりあえず、関東方面を目指す途中、琵琶湖があったの立ち寄ってみることに。


湖畔の住宅地を散策したり

夕飯作り


浜辺でその辺の子供たちとたくさん遊んでいたくり坊くん。まだまだ遊び足りず。

琵琶湖を夕方過ぎに出発して、どうしたんだっけ??

この辺の記憶が曖昧なんだけど、旅の最終日は長野県の妻籠宿にやってくる。

 中山道42番目の宿場として栄えた歴史があり、その街並みを今に伝えてる観光スポットだ。







まるで映画のセットの中に紛れ込んできたのかと思うくらい、すべてが当時の面影を残したまま
整然としている街並み。


こういうところに、道後温泉があったら良かったのに。。。









橋の上では子猫が昼寝していた。


一通り見終えたあとは、この妻籠宿からもっと上の方の山にある温泉へ。

 




ここではお湯が熱すぎて、パパとお風呂に入っていたくり坊が大泣きした。
客が私達だけでよかったけど。




山を下る途中に、公園のようなところでご飯を作って食べていたら、近くに住むおばあさんが
やって来て、色々とお話しをした。

最初はきっと警戒心をもってたに違いない感じだったんだけど、次第に打ち解けて
外なのに「ごめんねぇ、お茶も出さないで」というぐらい、心を開いてくれたのがうれしかった。

おいしい自家製のお漬物を頂いたり、そのうち孫もやってきて、くり坊と遊びだしたり。

今の時代に珍しい、というか、ここでは当たり前の光景というか、子供たちが数人あつまり
みんな長靴を履いて、竹の子獲りに出かけるんだといってはしゃいでいた。

その姿が、なんとも可愛らしかった。


この日は私達の1か月に及んだ車中泊最後の夜だった。

泊まったのは、どこかの川のほとりで、県道沿いだったからか、暴走族の音がうるさかった。

車の周りでガヤガヤやってたみたいだけど、眠くて眠くてよく覚えていない。


翌日友達と落ち合う予定だった、山梨県の一之瀬高原キャンプ場に向けて距離を
進める。
 
道の駅は山菜の宝庫だった。

 旅は次回で最終章。

 続

2016/12/28

ニッポン車中泊の旅_直島


香川の親切な青鬼くん。ははは。

優しいだなんて。





色々ルートを考えたのだが、結局またフェリーで向かった先は「直島」。

ここに来るまで、名前すら知らなかったんだけど、久しぶりに色んな縁が繋がったことがあって
初めて訪問することになった。



高松港から直島までは約1時間。
 

 

そう、直島といえばコレ。

これはアートに疎い私でも知っておりました。
草間彌生の、あれ。

ここにあったのね。

 

直島はアート作品の宝庫で、この草間彌生を始め、安藤忠雄のミュージアムやベネッセの
地中博物館など有名どころも多く、世界各国のアートファンがこの小さな島にひっきりなしに
やってくるらしい。

そして全然知らなかったんだけど、ちょうどこの時瀬戸内芸術祭というのが開催されていて
瀬戸内の各島々を周遊しアートを鑑賞するというイベントらしく、直島もそのうちの一つだった。

なので、いつもよりは人がいたのかな、 外人さんもけっこう沢山見かけた。


そのご縁というのは、遡ること日本で暮らしていた時代。

私は東京のとある町で古着屋を経営していた時期があって、この直島に住んでる友人というのは
その時代の古着屋仲間とでもいいましょうか。

主に50年代のアメリカ古着を扱うお店を、私の店のすぐ近くで彼らはやっていて
よく遊びに行っては、買い付けの話とか色々したものだった。

私が店を売却し、旅に出てドイツにやって来た、丁度その年だったかな。

彼らは東京のお店をたたみこの直島にやってきて、親戚の持ち家だった古民家で50sスタイルの
ダイナーを始めたらしい。
 


ドイツに来てからは、一度も連絡したことがなかったんだけど、共通の友達を介して連絡が
ついたというわけで、久々の嬉しい再会。





日中は一緒に散歩に出かけたり、海辺でノンビリ過ごしたり。

 

 

 

岩の間からはかすかに瀬戸大橋が見える


瀬戸大橋を臨む海岸から

 夜は、お店のすぐ隣の銭湯「アイラブ湯」。
じゃりおじさんでお馴染みの大竹伸朗プロデュースのアート銭湯。


 



相変わらずすばらしいトークと、絶妙な下ネタは最高に面白く、なんか今までの足りてなかった
何ががすっかり埋まった感じだった。

もーー、お腹がよじれるほど笑いに笑い、美味しいごはんも沢山食べさせていただき。


炭火焼きのリブアイステーキ。んまーーーー!!!
           
楽しい夜が更けてゆきました。


翌日はせっかくなので、直島アート巡りで欠かせない「家プロジェクト」というのを見て回った。

これは古民家を利用して、数々の建築家や芸術家が「作品」を展示する空間。
ある所は「光」だったり、またある所は「暗闇」だったり。

芸祭期間なので人が多く、おまけに雨で、昼時で坊が愚図ったりと、なかなかゆっくりは
できなかったけど、焼け板張りの外壁が連なる裏小路をグルグル迷いながらの散歩は
なかなか面白いものだった。







この家プロジェクトで一つ面白かったのが、「南寺」というところ。

真っ暗闇で本当に何にも見えない空間に、10人ぐらいが壁伝いにぞろぞろと入って行き
椅子に座り、暗闇を見つめること数分後、目が慣れてきて「一筋の光」が見えてくるというところ
だった。

入ってきた時は、なにも見えない。

私は坊を背中に背負った状態で中に入って行ったけど、ほんの数秒で泣きだしてしまったので
退場することに。

他にも怖くなって出て来てしまった女性が一人いた。

 とにかく、そのくらいの真っ暗闇。

なんだけど、暗闇で目が利く マークスは、なんと入って間もなくその光がが見えてきてしまった
らしい。

彼はある色においては色弱なんだけど、暗闇では猫かというぐらいとにかく目が利く。

通常は10分ぐらいかけてぼんやり見えてくるらしいけど、彼は退場時間になるまで時間を
持て余してしまったというから驚き。

そんな出来事が印象的だった。




束の間の滞在。

お別れの時。

奥さんが、お弁当を持たせてくれた。





 およそ7年ぶりの再会だったけど、東京のころからのマイペースっぷりは、この直島でも
健在で、こんな小さい島で暮らしていても大事な軸の部分は少しもブレずに、でもけっこう
適当に暮らしている姿を見て、なんだか私も頑張ろうと思った。

とにかく、好きなことしかしない。

気持ちの良い程偏ってるところは、そこそこマネなんかできない生き方だ。

ここに移り住んだのも、子供たちと沢山の時間を過ごしたいという願いもあったそうで。

とてもとても何かが触発されて、すごくポジティブな気持ちでドイツに帰ってきたことが
昨日の出来事のように今甦ってきた。


楽しかった、そして本当に嬉しかった。

きっとまたいつか、遊びに行こう。

その日まで、さようならなのだ、直島。