2020/07/15

2020年東欧トルコ車中泊の旅_①トルコまでの道のり

2020年6月18日。

予定より1日遅れたが、
行く先をトルコ経由のグルジアということにして、いざ出発。

いつもなら何の気なしに通り過ぎてゆく国境でも、今回に至っては歓声があがる。

思えば数週間前までは、国内はおろか、自分の住んでいる州からも出られなかったわけだから
他所の国に行くなんてもう、開放感が尋常ではない。

やっと自由。
なのか?
いや、まだ世界中がコロナ禍であることは間違いない。
だけど、そんな中でも旅する自由はあるはず。
自己責任、はい百も承知しております。
コロナ印籠にひれ伏す日常から、ちょっと抜け出したいだけです。

そんな思いで出てきた訳だけど、やはり
どこにいてもコロナ様の目は行き届いております。

まず最初に通ったチェコでは、ドイツ同様マスクの着用は義務化されているようだった。
だけど、地方のレストランではウェイターは丸腰だったし、客席の距離も特別保たれている
様子もなく、通常営業そのものだった。

翌日はスロバキア、ハンガリーを経て、いよいよEU外のセルビアに入国。
必要以上にドキドキするも、あっさり入国。

深夜友人が住むノヴィ・サドに到着。
東方への旅の際は必ず立ち寄る友人宅で、これで3度目。
初めて会った時、まだ5歳ぐらいだったひとり娘のアニャは、身長が180cmの17歳。
英語がベラベラの立派な娘っ子に成長していた。

しかも幼いころドイツに住んでいたので、ドイツ語もベラベラでトワとも良く遊んでくれた。

ここには3日滞在したんだけど、トワが庭で遊んでいたら近所の子供たちがワラワラと
やってきて、芸大の講師である奥さんがテラスで工作ワークショップを開くという展開に
なった。

普段まったく接点がない子供たちで、どこの家からやってきたのかも知らないが
外国人の子がいると話題になったんだろうか。

トワはその中の一人の女の子と仲良くなり、身振り手振りでコミュニケーションをとり
二人でブドウを食べながら、夕日を眺めたりしていた。

明日も遊ぼうと約束したらしいけど、翌日は誰一人として子供たちは集まらなかった。

家の中からトワが庭で遊ぶ様子を見ている子もいたので、きっと親御さんたちが、
禁じたんだと思う。

理由があるとしたら、やはりコロナだろう。

トワはあの女の子にさよならも言えなくて、残念そうだった。

友人宅を去り、色々寄り道をしつつブルガリアを目指す。
滞在時もひっきりなしに降り続いた雨のおかげて、地方では洪水が起きて大変な事になっていた。

途中で立ち寄った山奥にあるナントカ渓谷。
毎度名前がわかりませんで。(調べる気ゼロ)
こういう所。

ここで一泊して、渓谷を望む丘で暫しハイキングした後車に戻ったら、ドイツナンバーのトラックキャンピングカーがやってきた。
こんな時期にこんな所に来る物好きがいるもんだなーと思っていたら、何と彼らはドイツに帰る途中との事。

去年の秋に旅に出て、グルジア、イラン、オマーンを旅して、トルコに入った時にコロナでロックダウンがおき、7週間滞在先に閉じ込められていたそう。

ようやく国境が開き、晴れて国へ帰れると
喜んでいた。

飛行機なら話は分かるけど、陸路で自力で帰る事も出来たはずなのに、それすらも認められないって、そんな大変な思いをした人もいたんだな。

彼らからの情報によると、トルコもブルガリアも国境は普通に解放してるとの事でホッとした。

トルコへと向かうべく距離を進め、再びEU加盟国のブルガリアの国境。
セルビアは難なく出国できたのだけど、なんとブルガリアで難癖つけられた。


ドイツパスポートがある夫と息子の入国は問題ないけど、日本国パスポートを持つ私は
入国できないという。

え、っと、私もEU市民だし、ドイツの永住許可書添えてるんですけど、どゆこと?

そんなおかしな話があってはならない。

入管の職員は、ブルガリアには入国できるけど、トルコでは日本人を受け入れていない。

みたいな、なんとも不確かで不誠実な理由でもって、なかなかスタンプを押してくれない。

いやでも、私日本から来たんじゃなくて、ドイツ在住の日本人ですから!

はいはいそれは分かってます、だけどね、、、、

っていう、その顔。

なぜ、渋る必要があるのかね、君!

結局ほかの職員と話し合った結果、スタンプを押してくれた。

しかも

「3日ぐらいで、素早く出国してください、チャオ」

と、吐き捨てよった。

だから、理由はーーーーーー!!!???

いいさ、ブルガリアなんて元々トランジットで駆け抜けるつもりでいたんだから、とっとて出てゆくわい。

その前に、一箇所だけお目当ての場所に立ち寄ることにして、あとはひたすら東を目指した3日間だった。


0 件のコメント:

コメントを投稿