山岳トリップはまだまだ続く。
軍用道路を下って下界に降りて、間髪入れず反対側の山岳エリアへ。
途中までは舗装されているけど、目的地までの8割方がダートの山道です。
こんな感じの道なき道というか、単に山を削っただけ、断崖絶壁のデスロードもあり
スリル満点の道中。
安定のランクルのおかげで、素晴らしき山道ドライブ。
途中の川辺で一泊し、のんびり山を登ってゆきました。
この先は電波が一切ないので、ここでみんな電話をしたりしていた。 |
道中では、ヒッチハイクしている欧米人のカップルに会った。
行先が同じだったけど、あいにく座席がないので、断ったのがとても心苦しく。
このエリアは首都のティビリシからツアーバスが出てると思うんだけど
この若者はあえて徒歩とヒッチハイクでこの山道を行くらしい。
歩きだして2日だと言っていたっけ。
で、翌日またこの二人に出くわした。
道の両側別々に座って6時間も車を待っているというのを聞いて、いてもたっても
いられなくなり、どうにかこうにかして車に乗せてあげた。
ロシア人の彼とウクライナ人の彼女は、ヒッチハイクでグルジアを旅して
1カ月程になると言っていた。
二人はタイのプーケットでロシア人観光客のガイドや通訳をして暮らしており
夏休みで帰省するついでに、グルジアに立ち寄ったらしい。
この彼はなかなかのツワモノで、数年前にはモスクワのもっと北の方にある
自宅から、ヒッチハイクでプーケットまで行ったというから驚き。
そんなんだから、この日の待機時間6時間なんて、たかが知れてるんだろうな。
3日捕まらないこともザラだとか、笑いながら言ってたから。
車に乗せてあげたのはいいけど、ちゃんとした座席が無い中での山道ドライブは
きつそうだった。
そして、たどり着いた最初の目的地、要塞集落シャティリ。
この地域のいくつかの建物は、あの「復讐の塔」の変形バージョンのような建造物の
集合体で要塞を形作っており、今はほぼ廃墟となったまま佇んでいる。
中にも入り込んでゆくことができ、この時は空いてなかったけど、写真の要塞には
カフェと小さいミュージアムみたいなのもあった。
ここはチェチェンとの国境を有する山岳地帯で、今でもどこか一歩間違った道を
行ったら、チェチェンに入ってしまうというギリギリゾーン。
そういうのもあって、村自体が要塞を模って武装しなくてはならない地域だったの
でしょう。
しばし周辺を探索したのち、要塞前にあった食堂でお昼ご飯。
お約束のヒンカリ。
「山のヒンカリ」はお肉がたっぷり入ってて美味しかった。
ちなみに下界で食べる「シティーヒンカリ」はハーブが沢山使われるんだよと
教えてくれた。
街でも山でも、ヒンカリはどこ行ってもハズレのない鉄板メニュー。
ヒッチハイカー二人を乗せて、シャティリよりもう少し先にあるムツォという
要塞集落に向かう途中で、この日はキャンプ。
国立公園の中のような特別保護区域でもあるので、キャンプや焚火禁止の看板が
出ているにも関わらず、そんなものは存在しないかの如く、その看板の目の前には
堂々と焚火の爪痕がいくつも残されている。
ドイツでは絶対にしないけど(見つかったらえらいことになる)
ここにいる旧ソ連組がいいと言ってるので良しとしよう。
焚火で焼いたホットサンドウィッチと、数日前にその辺のオジサンからもらった
手作りワインを飲みながら、二人は息子にある物を作ってくれた。
それは、すでに道中でパパが作った木彫りの人形。
左はウィリー、右はバレリーという名前がすでにあって、ヒッチハイカーの二人も
この子らの友達を制作してくれたのです。
ブレぶれなんですがね。。。 |
朝ごはんをみんなで食べて、その後はサクッとお別れ。
彼らはまた来た道をヒッチハイクで戻り、山を下ったら東部のカヘティ地方で
ワインの収穫を手伝うと言っていた。
私達はチェチェンとの国境スレッスレの秘境トレッキングの為、ムツォに
もう一度向かった。
続
0 件のコメント:
コメントを投稿