赤線の向こうはチェチェン共和国。 |
国境の要塞シティー、ムツォ。
シャティリ同様、同じ理由で要塞式の居住地域。
こんなものが修復はされているものの,ほぼ当時のまま山奥にゴロゴロと
残っていること自体に感動する。
シャティリもそうだけど、このエリアはコーカサストレッキングの人気スポットで
何日もかけて尾根伝いに山歩きをしている欧米人が沢山いて、しかもドイツ人
多しな印象。
このムツォもユネスコ入りを目指しているのか何なのか、石造りの要塞を大規模に
修復している最中だった。
修復し終わったらこんな所に、というかまさか、この要塞の内部に
宿泊施設や食堂ができてしまったりするのだろうか。
なんだかそんな事が予定されてるかのような、手の入れ方のように思えた。
こんな絶景を眺めるテラス席とか、今後どうなるのか。 |
5年後に来たらすっかり様変わりしているのかなー。
だけど本当に、世界遺産になれるぐらいのポテンシャルは十分にある所だと思う。
途中で遭遇した、まさかの人骨。
ここ一帯は、斜面が多いところなので、もしかしたら墓地と言うものができなくて
こうやって穴に葬っていたのかな。
という予想。
それにしても、おもむろすぎる。
わざわざそんなところに置かんでおくれ、シャレコウベ。
息子はというと、実は人生で2回目のリアル人骨。
死んだらみんな骨だよ。
分かったんだか、分かってないんだか。
恐る恐る、写真をとっていたっけ。
石積みの教会ももちろんあります。 |
このムツォの要塞から、さらに奥へ10分ぐらい行ったところにも、また要塞集落が
ある谷があって、ここはハイキングに絶好の場所だった。
日中は人っ子一人にも会わなかったけど、こちらもシーズン中なら登山者やらの
ベースキャンプにもなりそうな所で、テント泊や焚火の形跡が沢山見られた。
ここにはちゃんと墓地があった。 |
半日のトレッキングを終え、この日は川辺で寝る事にした。
ご飯を作っていた時、デリカバンが観光客を乗せてやって来て、
私達からそう遠くない場所でキャンプの準備を始めていた。
夜になり、彼らが焚火をしていたので挨拶がてらに近づくと 、スイスから来た
カップルとグルジア人ガイドの3人だった。
聞くと彼らは、このガイドと一緒に2週間でグルジアを周るツアーに参加しているらしく
観光地など希望するところに、どこでも出向いてくれるらしい。
ティビリシなどでは、1泊2日とかの秘境ツアーのオファーも多く見かけたので
多分そういうのを利用して、こういう所に来る人も多いんだろう。
だけど、テント泊するには装備がペラッペラで、心配だったので毛布とか貸してあげた。
それでも翌朝、寒くて全然寝れなかったと言って、ゲッソリした様子で帰って行った。
私達も山を下りるべく、まずは2日前に立ち寄ったシャティリの要塞前食堂を目指す。
お昼ご飯のヒンカリを頂き、それとは別に少しお金を払ってシャワーと洗濯機を
お借りし、天気も良かったので、敷地内で洗濯物を干させてもらった。
こんな秘境の絶景前で、自分たちの洗濯物をなびかせてしまって、申し訳けないやら
でも、なんだかちょっぴり嬉しいやら。
車旅の不自由さと、自由っぷりを同時に味わう瞬間は、こういう時に突然
やってきます。
その日も洗濯物が乾かなかったので、もう一泊ここで過ごし
結局、のんびりしすぎて山を下るのにも3日かかり、気付いたらこの山岳地帯に滞在して
1週間が過ぎようとしていた。
明日には下界かなーとか言いつつ
走れど走れど、山がモリモリ脈をなし、着くわけがないと悟る。
そういえば、このエリアにはあちらこちらにこういう水汲み場があって
必ずと言っていいほど、誰かの墓石のような物が一緒にある。
まあ、でも、お水はありがたく頂戴いたします。 |
この墓石の主が、水汲み場の建設者ではないんだなと思ったのは、ある時3人一緒に
刻み込まれている墓石を見かけた時。
そう多分、滑落して亡くなった人々の事故現場付近に、慰霊碑兼水汲み場を
建設したものと思うのです。
そして、相当の水汲み場があるという事は、この山道はそういう所なのです。
羊が虫の様に小さくて |
近づくと、立派な羊さん達 |
最後は下界の30キロ程手前の川辺でキャンプ。
外食が多いグルジア旅だけど、この1週間は焚火クッキングを大いに満喫できる
原始生活の日々だった。
行って良かったシャティリエリア。
天然のグルジアに触れた感が満載の、秘境トリップだった。
その後私達が目指したのは、首都ティビリシの先にある街、ルスタヴィ。
まずは下界に降りて一目散であのレストランで腹ごしらえをし、
ウクライナからの船中で出会ったルッツおじさんを、いよいよ訪ねる事になった。
続
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