翌日も西へ西へと距離をすすめる。
途中、食事の為に立ち寄ったビンギョルという町では、旅人が珍しいのかイラン並みに
人々に囲まれる。
さっそく食堂に入ったら、忘れてはいけない値段確認。
ここの店の人は数字も英語で言えず全部筆談だったけど、そっちのほうが都合がいい。
これはトルコではおそらく一番安いファストフードの「ラフマジュン」
釜で焼き上げたパリパリの薄生地に、スパイシーなひき肉が乗っているシンプルな料理。
これでサラダを巻いて食べるんだけど、これがまたメチャメチャおいしい。
アイランという、塩味のヨーグルトドリンクとの相性も抜群で、3ユーロぐらいでお腹が
いっぱいになる。
食事をしている最中も窓の外から見物客が私たちを観察している。
あんまり気分のいいものではなかったけど、田舎だから仕方が無い。
さっさと食事を済ませて、私たちはまた西へ西へとひたすら走ってゆく。
夕暮れも近づき、食料の買出しにその辺で通りかかったスーパーに入る。
チーズ、オリーブなどを買いたいんだけど、イランから来た私たちにとっては驚くほどの
物価の高さ。
下手すればドイツよりも高いものもある。
それでも必要なものを一通り買い求め、会計を済ませて外でアイスを食べていると
スーパーの中で見かけた子連れのトルコ人がドイツ語で話しかけてきた。
参考までに言うと、ドイツ(当時の西ドイツ)は戦後復興のあとの経済成長期に労働力不足の
補填にと、トルコから大量の移民を受け入れてきた。
だから、トルコに来るとドイツ語が話せる人がホントに沢山いるのだ。
ここで会った男性も、15年程前にドイツで働いていたことがあり、しかも壁が崩壊して
間もない頃の東ドイツの復興工事にも携わっていたらしい。
私が住む近くのライプチヒという町にも半年程住んだことがあり、当時の様子を懐かしそうに
語っていた。
「僕はドイツにいた時、ドイツ人にホントに世話になったんだ。
どこの国でも、人種や宗教や出身国など関係無しに、みんな仲良くするべきなんだ。
君がこの国にいる間は、この国の住人だと思って過ごせばいいよ。
僕もドイツではそうしてきたんだ。
困ったことがあったら絶対に誰かが助けてくれるから、いつでも誰かに助けを求めて
いいんだよ。」
15年ぶりに話すというドイツ語でありながらも、意思はちゃんと伝わってくる。
なんか熱いトルコ人が現れたぞ。
話は遡って3年前。
トルコを旅していたときに出会ったトルコ人からのドイツ人評判はいまいちで
「あんな冷たい人がいる国なんか、もう二度と行きたくない」とか
「10年住んでいて一度も家に呼ばれたことが無い」とか、
そういう会話を何度も聞いたことがある。
その時私はドイツ語が一言も分からなかったので、マークスに英語に通訳してもらっていたけど、
トルコ人が何でそんな事を言うのかいまいちピンとこなかった。
でもあの旅を終えてドイツで生活するようになって、 ドイツの中のトルコ人を目の当たりに
するようになった今、やっとあの時の言葉が理解できる。
ドイツ人の中には、断トツに多いトルコ移民を快く思ってない人がけっこういる。
それは右寄りな思想が特に無い人でも、トルコ移民は特にドイツ人の働き口を奪うからと
言って毛嫌いする人もいる。
そもそも、復興成長の為に欠かせないいわゆるガテン系の仕事をやりたがらなかったのは
当のドイツ人達で、その穴埋めに政府が移民を受け入れて、その人たちのお陰もあって
今のドイツがあると言えるのではないか?
移民を嫌う前に、国を憂うならば国の為に汚いキツイ低賃金の仕事でもやる気概が
ドイツ人にあればよかったんだよ。
と、こういう話になると夜が明けそうなので強制終了しますが、とにかくドイツの中のトルコ人
うまくやってる人もいれば、そうでない人もいます。
そしてこの熱く語る彼は、珍しくドイツ人をべた褒めする人でした。
アイスも食べ終わった頃、まだまだ話したそうだった彼は「良い旅を」と言って去っていった。
私達も車に戻り、今日の寝床でも探すかーと言って出発し、しばらく走っていると
さっきの彼が車で後ろから追いかけてきた。
そして窓を開けて、車を脇に止めてーと言って来たので、路肩に車を止めた。
駆け寄ってきた彼は「これも何かの縁、うちに泊まりに下さい」とのお誘い。
私達は2つ返事で彼の後をついていった。
大きな国道から逸れて、山がある方向にドンドン向かって行き、20分程で彼の自宅に
到着した。
庭でくつろいでる彼のお父さんや子供達は、突然やってきた私達をみてびっくりしている。
それでも、快く招き入れてくれて、みんなで切り株に腰をかけてまずはティータイム。
出会いはいつも突然に。
だから、こういう旅は本当に面白い。
今思い返せば、この男性との出会いも今回の旅で忘れられない程、思い出深いものに
なったのでした。
続
途中、食事の為に立ち寄ったビンギョルという町では、旅人が珍しいのかイラン並みに
人々に囲まれる。
さっそく食堂に入ったら、忘れてはいけない値段確認。
ここの店の人は数字も英語で言えず全部筆談だったけど、そっちのほうが都合がいい。
これはトルコではおそらく一番安いファストフードの「ラフマジュン」
釜で焼き上げたパリパリの薄生地に、スパイシーなひき肉が乗っているシンプルな料理。
これでサラダを巻いて食べるんだけど、これがまたメチャメチャおいしい。
アイランという、塩味のヨーグルトドリンクとの相性も抜群で、3ユーロぐらいでお腹が
いっぱいになる。
食事をしている最中も窓の外から見物客が私たちを観察している。
あんまり気分のいいものではなかったけど、田舎だから仕方が無い。
さっさと食事を済ませて、私たちはまた西へ西へとひたすら走ってゆく。
夕暮れも近づき、食料の買出しにその辺で通りかかったスーパーに入る。
チーズ、オリーブなどを買いたいんだけど、イランから来た私たちにとっては驚くほどの
物価の高さ。
下手すればドイツよりも高いものもある。
それでも必要なものを一通り買い求め、会計を済ませて外でアイスを食べていると
スーパーの中で見かけた子連れのトルコ人がドイツ語で話しかけてきた。
参考までに言うと、ドイツ(当時の西ドイツ)は戦後復興のあとの経済成長期に労働力不足の
補填にと、トルコから大量の移民を受け入れてきた。
だから、トルコに来るとドイツ語が話せる人がホントに沢山いるのだ。
ここで会った男性も、15年程前にドイツで働いていたことがあり、しかも壁が崩壊して
間もない頃の東ドイツの復興工事にも携わっていたらしい。
私が住む近くのライプチヒという町にも半年程住んだことがあり、当時の様子を懐かしそうに
語っていた。
「僕はドイツにいた時、ドイツ人にホントに世話になったんだ。
どこの国でも、人種や宗教や出身国など関係無しに、みんな仲良くするべきなんだ。
君がこの国にいる間は、この国の住人だと思って過ごせばいいよ。
僕もドイツではそうしてきたんだ。
困ったことがあったら絶対に誰かが助けてくれるから、いつでも誰かに助けを求めて
いいんだよ。」
15年ぶりに話すというドイツ語でありながらも、意思はちゃんと伝わってくる。
なんか熱いトルコ人が現れたぞ。
話は遡って3年前。
トルコを旅していたときに出会ったトルコ人からのドイツ人評判はいまいちで
「あんな冷たい人がいる国なんか、もう二度と行きたくない」とか
「10年住んでいて一度も家に呼ばれたことが無い」とか、
そういう会話を何度も聞いたことがある。
その時私はドイツ語が一言も分からなかったので、マークスに英語に通訳してもらっていたけど、
トルコ人が何でそんな事を言うのかいまいちピンとこなかった。
でもあの旅を終えてドイツで生活するようになって、 ドイツの中のトルコ人を目の当たりに
するようになった今、やっとあの時の言葉が理解できる。
ドイツ人の中には、断トツに多いトルコ移民を快く思ってない人がけっこういる。
それは右寄りな思想が特に無い人でも、トルコ移民は特にドイツ人の働き口を奪うからと
言って毛嫌いする人もいる。
そもそも、復興成長の為に欠かせないいわゆるガテン系の仕事をやりたがらなかったのは
当のドイツ人達で、その穴埋めに政府が移民を受け入れて、その人たちのお陰もあって
今のドイツがあると言えるのではないか?
移民を嫌う前に、国を憂うならば国の為に汚いキツイ低賃金の仕事でもやる気概が
ドイツ人にあればよかったんだよ。
と、こういう話になると夜が明けそうなので強制終了しますが、とにかくドイツの中のトルコ人
うまくやってる人もいれば、そうでない人もいます。
そしてこの熱く語る彼は、珍しくドイツ人をべた褒めする人でした。
アイスも食べ終わった頃、まだまだ話したそうだった彼は「良い旅を」と言って去っていった。
私達も車に戻り、今日の寝床でも探すかーと言って出発し、しばらく走っていると
さっきの彼が車で後ろから追いかけてきた。
そして窓を開けて、車を脇に止めてーと言って来たので、路肩に車を止めた。
駆け寄ってきた彼は「これも何かの縁、うちに泊まりに下さい」とのお誘い。
私達は2つ返事で彼の後をついていった。
大きな国道から逸れて、山がある方向にドンドン向かって行き、20分程で彼の自宅に
到着した。
庭でくつろいでる彼のお父さんや子供達は、突然やってきた私達をみてびっくりしている。
それでも、快く招き入れてくれて、みんなで切り株に腰をかけてまずはティータイム。
出会いはいつも突然に。
だから、こういう旅は本当に面白い。
今思い返せば、この男性との出会いも今回の旅で忘れられない程、思い出深いものに
なったのでした。
続