2009/05/29

South East Baikal


バイカル湖に着いた次の日、近くの温泉にいったんだけどまだ時期じゃないと
断られた。

観光シーズンは6月かららしく、少し早かったようだ。

そろそろ風呂に入らないとね~なんていって近くの村でバンニャ(ロシア式サウナ)を
探していたら、あるおじいさんにあった。
家の前で座っていたので、挨拶して少し話をした。
私が日本人だと知ると、自分は軍人だったころサハリンに3年いたとか北海道を知っている
など、親身に話し出し、家の敷地を案内してくれた。

左側にはけっこう大きなロシア民家、右側に車庫と倉庫らしき建物、その奥にバンニャ!!
ありました、バンニャ。
バンニャを借りれないかとたずねたら、薪がないから今日は出来ないと言われてしまい
泣く泣く家を後にする。
すぐさまバンニャ探しに戻りちょっとリゾート地っぽいところに行ってサウナはないかバンニャは
ないか聞くと、壊れてるだとかまだ早いと断られ、最後はいかにも金持ちリゾートみたいなところで
たずねたら1時間1000ルーブルと言われた。

約3000円。

払いたくはない。

また今日も川の水をかぶって終わりかぁとあきらめかけたそのとき、マーカスが
薪を持ってあのじいさんの所に行って頼んでみようと言った。

ナイスアイディア!

ということで森に行き、薪を集めにいった。

じいさんはまだ家の前にすわっていて、車に積んである大量の木を見せてバンニャを貸して
くれといったら、快くOKしてくれた。

準備に2時間かかるのは知っていたので、お礼がてらに
酒を買って庭で宴会がはじまる。

じいさんの名前はイワン。59歳だけど酒の飲みすぎか10歳は老けて見える。




イワンは大きい方の家をさして、
「この家は親父が建ててずーっと住んでいたんだけど、自分が腰を悪くしてあまり働けなくなってから
酒浸りになってしまい、家を維持できなくなって追い出された」と、寂びしそうに言った。

そう、イワンはこっちの物置みたいな方にすんでいるのだ。

さっきからこの大きい家に男の人たちが出入りしているけど、イワンや私たちのことを見向きもしない。

イワンもこの一家のことを良くは思ってないらしい。

酒に飲まれて人生を台無しにしてしまう人はどこにでもいる。

「こんなんじゃなかったんだよ。
昔はね、でっかい魚を山ほど釣ったことがあるし、バイカル湖の
あっち側の山で裸足で3ヶ月も暮らしたこともあるんだ。それに息子や孫もいてね・・・」


と、これからもずっと日が差すことがなさそうな寝床に連れて行かれ
見せてもらった写真は、どれもイワンがまだ立派だったころの写真や
孫や死んだ奥さんの写真だった。

「ま、昔のことだけどね・・・」

なんでこうなっちまったんだか。。。

何ともいえない残念そうな表情を浮かべたと思ったら、
気を取り直して、また表に出てグイッと呑んで、今度は陽気に踊りだす。

イワンはきっと、昔はすごく強い男だったんだろうな・・・

・・・そんなこんなで時間が過ぎて、バンニャも終わって外で帰りの支度をしていると
例の隣人たちが、マーカスと話をしだした。

彼らは釣り人で、バイカル湖で獲れた魚を明日スモークするから、取りにおいでと
言ってくれた。

意外にもいい人たちで、明日また来る約束をしてイワンの元を去った。



彼らは案の定、イワンのことを呑んだくれのロクデナシだから相手にすんなと言っていたそうだ。

その呑んだくれから受けた最後のキスの嵐はヒゲが刺さって痛かったけど、
こんなにも親切にしてくれて私はありがとうの気持ちでいっぱいだった。

そして、翌日食べた魚の味は超絶品。
なかでも、バイカル湖名物のオームリという魚は格別においしかった。

ロシアに来ると釣り人が多く、というか私達が川とか湖にいつもいるので釣り人に
会う確率が高いだけなのだろうか、とにかく、釣り人と縁がある。

そして、彼らは決まって魚を分けてくれる。

この1ヶ月でおすそ分でもらった、名前も知らない魚を色々食べたけど、
このオームリは今のところ一番美味しい。

釣りが好きな人、魚が好きな人にとってはここロシアは天国だろうな。




バイカル湖に来てそろそろ1週間がたちますが、来てから今日が初の晴天。

昨日は雪がパラついたんだけど、今日はだいぶあったかいです。

だから今日は久々テーブルを広げて、湖畔で夜ご飯にします。

これまた絶景。プライベートな楽園です。

こんな奥地のパラダイスに、パソコンの電波が届く不思議な世の中。

このブログを書いてる傍らで、マーカスは全裸で大きい石をいくつも焼いてブルーシートで
作ったサウナに入って汗だくです。

楽園の焼き魚定食


@aiko コメントありがとう!元気かい?実家長いこと帰ってたんだね。ゆっくり出来てよかったね。
個展はどうだった?ベランダバイバイ展。こっちは元気でやってるよ。先のことはあまり考えず。
アイコにロシアの教会をみてもらいたいと思ったよ。超コショだよ。たまねぎのやつ。
ヨシキンの家にマトリョーシュカはなかったよ。次に行く大きな町で買おうと思ってるんだけど
意外に高いもんなんだね。
3日に一回ぐらい、なんでここにいるんだろうと一瞬考えるときがあるよ。
あたしもまだ不思議な感じ。でも絶対にまた会えると分かってるから寂しくないと思ったり
思わなかったり。。。いい仕事が見つかるといいね。

2009/05/22

35 km to Ulan Ude

あっという間に1ヶ月がたちました。
ここしばらくは移動移動の日々だったけど、ようやく定住(­?)出来る
バイカル湖までやってきました。
定住というか、これから1ヶ月はここら辺で寝泊りしようと思います。

ダークなシベリアゾーンを抜けて、人々が生活しているのを見ることができるので
印象も以前と比べ大分変わってきました。

一つ目の目的地であるチタという町に入る100キロぐらい手前で、カフェを営むタジキスタン人の
家族に会いました。
すばらしくいい人たちで、さっそくここでバンニャ(サウナ)を拝借しその後はウラジオストク以来の外食。
久々にテーブルについて、ビールを飲んでタジク料理を堪能しました。
中央アジア名物、プロフ&ラグマン

チタという町は、ガイドブックには載っていないんだけど、すごくいい町で今まで見たロシアの
大きな町の中でも1番気にいりました。
ただ古いだけでも新しいだけでもなく、趣味の悪い現代風の娯楽場から、ロシアの小説にでてそうな萎びた酒場
まで、新旧の建物や雰囲気がうまいこと混在している素敵な町。
チタの酒場

次に2日かけて着いたウランウデという所は、モンゴルの国境からそう遠くない町。
ブリヤート共和国(といっても、ロシアの一部だが)の首都でもあり、ブリヤート人と
呼ばれる、モンゴル系もしくはモンゴル×ロシア系の人たちが多く住む町です。

モンゴル人は日本人と顔は違うんだけど、やはり黒い髪に黒い瞳をもつ同じ系統の人種なだけに
1ヶ月ぶりにオリエンタルビューティを見た瞬間なぜかほっとして嬉しかったな。

ここではロシア人とモンゴル人のカップルがたくさんいて、不思議な感じでした。
そうして出来た国なんだろうけどね。。。

国境の町ならではの、人種や文化がミックスされた感じに魅了されました。

こういうエリア大好きです。

人口37万人とそんなに大きい町ではないけど、やっぱ町だからね。

それなりにおしゃれな人や、きれいなお姉さんがいっぱいいるんです。

私といえばちょっと前までシベリア街道一筋だったので、服とかどうでもいいし
薄汚い。

何から何まで、全てが汚い。

そんなんで町を歩けば、そりゃみんな振り向くし。

まあ、旅人なんでそんなこといちいち気にしていられないいんだけど・・・

その日は天気もめちゃめちゃ良かったので、久々町でビールでも飲もうかという話になり
さっそくビールを買って、ソヴィエト広場というところに行きました。
ロシアに着てからもう何体ものレーニン像を見てきたけど、ここにはそのレーニンの
顔だけの像があり、しかも大きさ約8メートル。
8メートルの顔だよ。


いくら尊敬しててもデカすぎるでしょと思いつつ、そのデカイ顔の前でスケートする少年を
眺めながらダラダラ飲む。

暑さのせいもあり二人で超酔っ払ってしまい、酔いがさめるまで
待って、その後本来私たちがいるべき場所を探しに出かけました。

ま、森か川か湖のどれかなんだけど。

しばらくして町から離れたところに川を見つけ、そのほとりで停泊。

川についてからすぐさま、まず足を洗いに行きオイルで念入りにマッサージをして
良いにおいのするクリームをたっぷりつけて、足をツルピカに仕上げました。

さっき町で見た美しいブリヤートの女性達と超汚い自分がぼんやり脳裏に浮かぶ。

ごめんよ、自分。

ピカピカの足で迎えた次の日は、近くにあるチベット仏教のお寺に行くことにした。
ここは、ロシア国内でのチベット仏教の総本山でモンゴルからも多く信者たちが参拝に
来ている。ダライラマもこの寺に来たことがあるんだそう。
ここではチベット式の健康診断をやっているというので来て見たんだけどあいにくそういったものは
なかった。


だけど一人英語が話せる僧侶の部屋に連れてってもらい、色々な話をしてもらった。
話の内容もそうだけど、この人のかもし出す優しさ、強さ、気高さといったら、今思い出すだけでも
鳥肌もんで、もう一度会いに行こうと思っています。

寺の中の世界感、意外な開放感の中での静けさ、空気感、色んな要素がその人の発する言葉の一つ一つに
優しく深い重みを持たせ、しっくりと心にジワーっと染みわたって来るような感覚。
それと何といっても、この人の瞳。
何も恐れていない、まっすぐな視線。

こんな人に会ったのは生まれて初めてだ。
慈悲深い人とはこういう人のことをいうんだろうな。

ここが世界で一番安心できる場所のように感じた。

チベット仏教のお経も初めて聞いた。

ラッパや太鼓が時々織り交ぜられ、しかも体を揺らして唱えている人がいたりと
なんだかちょっと楽団っぽい感じがしました。




そして最後に、日本は地震が多くて危ないからここに引っ越しておいでと言われました。
仏の道へのお誘いも兼ねてです。

ロシアでこんな出来事に触れられるとは思っても見なかったです。

そういうのもまた旅の醍醐味。

雨が降ってきました。

洗濯物を取り込むので続きバイカル湖編はまた明日書きます。
また面白いことがあったので。。。

@6さん。。。いつもコメントありがとう。君にメールを送ったけどアドレス違いみたいで戻って
きたよ。正しいアドレス(HOTMAILの)を携帯にでも送っておくれ。色々と大変だねきっと。

@中西さん。。。ここまでくるのに1ヶ月かかりました。今のところ困ったことはなにもなく
警察へのワイロもなく快適な旅です。ただこの先がたいへんそうだけど。。。
ロシアはイルクーツクで終わりで、次はモンゴルです。楽しみです!

2009/05/19

GO TO CHITA


先週の月曜日からチタという所へのロングドライビングが始まりました。
例のヨシキンが住むハバロフスクからチタまで2000キロ!!
距離表示のある看板に 「Chita 2000km」って書いてありました。
2000キロって距離が標識に存在するデカイ国に来たんだと実感しました。
でも2000キロ行っても、まだモスクワまでの距離の半分以下だし。。。


勉強不足なもんで、ロシアの端から端が何千キロなのか分かりませんが、
じゃあ「日本の45倍」っていわれても、どこをどう45回掛ければこんなデカイ国に
なるんだかおよその見当もつかず、何かと比べることはかえって頭ん中でロシアがドンドン
デカクなっていくだけなので、2000キロを想像するのはやめにしました。

1週間たった今日、チタまであと300キロまでのところに来ました。
今まで来た道の半分がいまだに工事中のジャリ道で、まったく同じ風景が100キロぐらい
ずーっと続く。

今日も明日も明後日も同じ風景、そのまた次も・・・

完全にループ状態で、時間が止まったんだか、もしくは何処かに戻って
しまったような錯角に陥ります。

まあ、でもそのうち着くのでしょうね。



景色の9割以上は両サイドに白樺と針葉樹の森。
あとはモリモリ雲と、近くても50キロごとにポツポツ見つける小さな集落。
今日やっと、森から大地系へと風景が変わりました。

二日に一回見掛けるのは親指を立てて道の右サイドに立つ白いパンツの彼。
ヒッチハイクで横断を試みているのでしょう。
拾ってもらっては、降りてまた乗ってを繰り返している彼に今日二日ぶり3度目の
再会。
毎度見掛けるたびに乗せてあげられないのが何とも心苦しいです。
(座席がないもんで・・・)

このシベリアという地はどうしようもなく広大で、なんと言ったらいいいのか
静かすぎて、不気味さを感じる。

春が訪れているんだけど、さわやかな感じににも靄がかかる。

どんなに荒々しい風景や川や森を見ても、春だから咲くんであろうかわいい花を見ても
なんだか、すべてがとっても暗い。

どんなに天気が良くても、どんなに川の水面がキラキラ光っていても、表面のみが
取り繕ろわれてるような。

考えすぎか。

疲れているのかな。

空気がそう思わせる。

何かが染み付いているような感じ。

見たことないけど、このシベリアという土地が絶対に避けて通れない
長くて深い冬、そしてあまり詳しく知らないけど、この国の暗くて残酷な
歴史のオーラみたいなものが、私が見る風景のほとんどを暗く重いものへと
変えてゆくようです。


私が今いるところの近くまで、戦時中日本兵が出兵してきたらしい。
こんな遠くまで、よく来たと思う。

そういうのもあって、マーカスと戦争や歴史の話をする。
ドイツ人もかなりひどい目にあったらしい。

さらに今日は雪が降った。暗く寂しい一日だったな。

なんか、やっぱ疲れてるな。

シベリアは私の想像以上にやっぱりシベリアだった。

深い、暗い、静止の大地。



そんな暗い日々でしたが、うまくいけば明日チタにつきます。
久しぶりに大きな町で、どんな人と出会いがあるのか楽しみです。

あと、携帯電話そのまま旅行中は解約せずに使うことにしました。
なにかあったら、携帯に連絡ください。
今のところ意外と普通に使えます。

あと、このブログはメールで記事書いて更新してるんだけど
この前実際の画面みたら字が超でかくて、文とか飛び飛びで
すごいことになってるね。
なんでかわかんないけど、気にせず読んでやってください。
コメントもらえると、ヒジョーに嬉しいです。

それと、以下GPSで記録してある泊まったところです。
実は全ルートと、停泊地点をパソコンに記録してあります。
興味があったら、GOGLE MAP で見てみてね。

ダスヴィダーニャ またねー!!

N 53.33073°, E 126.15925°
N 53.53639°, E 119.48116°
N 53.53639°, E 119.48116°
N 52.18051°, E 116.27874°

(これをコピペするだけだよ)

2009/05/12

yoshikin kot

なかなか充実した旅が続いております。
先週はとある町のセメント工場で囚人の集団になぜか出くわして囲まれたり
トラを飼育している人を訪ねたら、地獄の動物園みたいなところで
サイズの合わないゲージに入れられた熊が、発狂寸前で自分の手首を
噛みながら、トラクターのような声で小刻みに泣いていて、ほんとに
ほんとにブルーな気持ちになった。

熊って泣くんだ。。。

でも、その日に見た夢の中でその熊は檻から逃げ出したので、少しは気分が
良くなった。

ウラジオストクから北上すること700キロあまり、ここにハバロフスクという
きれいな町がありまして、傍にはアムール川というでっかい川が流れています。

土曜日にこの町に着いて例のごとく川沿いで寝床みつけて、ビールを飲んでいたら
超ゴッホ似のおじいさんがやってきて、噛みあわない会話を交わしていた。

するとちょっと離れたところに連れのおじいさんが寝っころがっていて
「ハローフレンド、プリーズ」と、寝っころがったままその場に招待され
宴会が始まった。

しばらくすると、川辺の草むらの中から魚釣りに失敗し寒さに震えた少年が二人現れた。

焚き火の前に座るや否や、いきなりタバコを吸い出した。

まだ10歳ぐらいの子供で名前はローマとゴーシャ。
ローマは寝っころがったじいさん(名はアリョーシュカ)の孫で、酒まで飲み始めた。

すでにオッサンの貫禄。




まあ、ホントにワイルドな子供たち。

しばらくするとベロベロに酔っ払ったおじさんが車でやってきて、いきなり
怒鳴られた。多分怒ってるんじゃないんだろうけど、目とか完全に行っちゃってて
顔から10センチぐらいのところでなにか怒鳴ってる。

だけど、アリョーシュカが歓迎してるんだよと言ってくれて一安心。

まぁ、凄いやつがきたぞ。
ずっと叫んでるし、軍歌みたいなのを歌いだしたり言葉というより体の全部を
使って何かを搾り出すように話しかけてくる。
パワーが有り余って仕方なくて、煙がプシューッと出てきそうな勢いで。。。



言ってることが一切わからないのに、何かをずっと言われてて、頭が痛くなってきて
ほんとに参った。

しかも多分10秒ぐらいの間隔とすべての言葉の語尾に「ヨシキン コッ」という言葉を
使い、聞くと意味はあまりないけど強いて言えば彼の口癖で「good」のような感じで
付け加えているのかな。

まあ、存分に叫んだ挙句彼はまたベロベロになりながら車で去って行きました。

その後はアリョーシュカが魚のスープを作ってくれました。
ロシアでは魚のスープを「ウハー」といいます。
アムール川で摂れた魚をアムールビールを飲みながら、アムール川のほとりで
赤い月夜に照らされながら食べる。

少しリスクはありますが、それと引き換えにこういう贅沢な時間が与えられる旅のスタイルは
悪くないです。今のところ・・・

さて、次の朝8時ごろからまたヨシキンおじさんがやってきました。
朝からエンジン全開で、ウォッカを飲み干してきたようです。

さすがに、あさからヨシキン連発はきついので、去るまでテントの中で待って会わずに
済んだんだけど夕方アリョーシュカの家に行ったら、また会ってしまいそのまま拉致られて
家に連れてかれた。

しかしけっこう立派な家で「バンニャ」というロシア式サウナを用意してくれたり
至れり尽くせりで、奥さんの家庭料理まで付いてきて、ベットまで用意してくれた。


   ≪ルースキーバンニャ≫
こんないい奥さんのダンナがこの飲んだ暮れのヨシキンだとおもうと、少々
気の毒と思いきや、家に帰ったヨシキンは着くなり引っぱたかれてて、
ロシアの母ちゃんもまた強し!!あっぱれでした。

濃い週末の締めくくりは、ウルルン滞在期さながらにお礼の一品味噌汁を作って
ヨシキン家を去りました。

最終的には、いいおじさんだった。
ボディーランゲージの世界大会があったら確実に優勝するでしょう。

お別れの言葉もヨシキンコット。
すこし寂しそうに、充血した目を泳がせながら見送ってくれました。


   ≪ヨシキン家のみなさんと≫

2009/05/07

yaponski

5/5

どうも、ヤポンスキィの古都美です。
日本人という意味です。
ちなみに、ドイツ人はニメツキィ。

昨日からロシア語のレッスンを始めました。
移動中にパソコンにあるプログラムから流れてくる仕組みです。
一日30分ぐらい。

英語が世界の共通語なんて誰が言い出したんだ?

そりゃ話せるに越したことはないけど、英語を母国語にしている国なんて
数カ国だけじゃない?

その国にいったら、その国の言葉で話すほうがよっぽど喜ばれる。

通じるとかは別にして、言葉だけで会話を交わすよりもお互い
持ってるすべてを駆使して伝えようとし、また理解しようとするから
通じ合ったときの嬉しさっていったらない。

これから先に行く中央アジアの国々にも、ロシア語を話す人がけっこういるので
少しづつ覚えて、色んな人と話をしてみたいな。

さてさて、ここ数日はまるで楽園のようなところに滞在していました。

ウラジオストクから北に200キロぐらいのところにハサン湖という
でっかい湖を地図で見つけて、たどっていったらこれまたすごいところ
だった。

右手に海ほどのでっかい湖があり、左手には砂漠の国の何処かのオアシス
みたいなところで、なんでこの二つが同じところにあるのか??

美し過ぎて笑っちゃうところです。




ついたその日に、同じ浜辺のちょっと遠くの方にいたロシア人に明日の天気を
聞きに行ったら、その人たちもカイトサーファーですっかり気が合いそのまま夕食をごちそうしてくれて
次の日の昼ごはんまで面倒見てくれて、親切この上ない人たちと出会った。




またある日の夕方、先日手に入れたいくらで寿司を作ろうとしていたら若い青年が
やってきて、話をしているうちにすっかり楽しくなってきちゃって今度はこちらが
夕食に招待した。

23歳のロシア軍の将校さんで、この湖の半分は中国の領地なので国境を警備して
いるという。

寿司より、味噌汁に感動してました。

次の日、ロシア軍駐屯地内の彼のうちに水を汲みに行かせてもらった。

ちなみに彼らは英語はほとんど話せなく、95%カタコトのロシア単語と
あとはジェスチャー。辞書にイラスト。

どうにかなるもんなんです。

この湖は通りすがりにマーカスがサーフィンするはずだけで寄ったんだけど
結局人との出会いもあり4日滞在した。

日の出の太陽から、日が沈む太陽をなんにもさえぎるものがなく
ゆっくりと動くのを初めて見た。

雲が遠く遠く伸びていて、千切れた先のその先までもがずーっと見渡せる
ぐらいのすぱーーーっと抜けた大地。

にんにくの形をした、虫みたいな鳥がヒラヒラとへんなスピードで飛んでいる
不思議な楽園。

でっかい歯の子供から買った獲れたての魚を、グチャグチャに料理してしまい
マーカスに怒られた浜辺。

そこもまた楽園。

これ以上長くいたら、動けなくなってしまうので今日は泣く泣く移動してきました。

明日は近くにアムールタイガーがいるらしいので、行ってみようと思う。

2009/05/04

30th april

滞在五日目。
まだ五日かぁ〜

きのうでお世話になったロシア人とお別れ。
通関の値段のことで少し仲がこじれてしまった。

先に値段を聞いておけばよかったんだけど、通常現地の会社などに
頼んだ場合の金額に、少し気持ちを乗っけて1万円ぐらいで十分だろうと
思いきや、最終的に昨日200ドル払えといわれた。

どうやら、へんな荷物がいっぱいのせてある外国人の車の通関を一発で一日で
やるにはワイロをはらうしかないらしく、彼に言わせると100ドル渡したらしい。

こっちはそんなの聞いてないし、もし先にワイロを渡すのを知っていれば断って
時間かけてでも自分たちで手続きしたのに・・・

時間はたっぷりあるのだからさ。

100ドルなんて安いし払える金額だけど、ビジネスとしてやるんだったら先に
交渉させてくれれば、こんな嫌な気持ちにならなかったのに。。。

気持ちの問題ね。

少々気まずい別れ方をしたけど、お金の話が絡むまで超いい人だった。

彼らは英語が話せない。
ドイツ人とロシア人が日本語で会話してるのとかなかなか面白かったな。
カタコト同士で通じるものがあるらしい。

ちゃんとコミュニケーションもとれていたのにね。
最後の最後で残念な出来事でした。

ま、お金の問題から開放されて今は気分もすっきり。

いよいよ旅の始まりです。

今日は近くで見つけたローカルのマーケットに買出しに行きました。

野菜をたくさん買いたかったんだけど、想像通り種類が少なくて困って
います。
根菜はいっぱいあるんだけど、葉っぱものが全然ない。
キャベツ、ねぎ、レタス、白菜ぐらいじゃないかな。
これにはほんと困りました。

その代わりハーブがいっぱいあるので、料理がいっそう楽しくなります。

マーケットは中国系の人々が店を連ね・・・ということは中国産じゃないのかい?

困ったぞ。

もう少し田舎のほうに行って、ましな野菜に出会えるのを期待しよう。

今日ウラジオストクから脱出して、今は小さな川のほとりにいます。

ここ連日キャンプしているところは、崖っぷちだったり森の奥だったり
する。
人の入った形跡がいつもあって安心はするんだけど、とにかくゴミだらけ。

ちょっとよさそうな場所があったらすでにそこはゴミの山。

周りの環境は最悪ですが、ルーフテントが最高。

家で使ってた布団一式そのまま搭載してあるので、我が家の寝床と
まったく一緒で超快適。

日が落ちるのが、夜の10時ごろなのでちょっと時間の感覚がおかしいん
だけど、1日が長いく感じて得した気分。

明日から、720キロ先のハバロフスク目指してロングドライビングです。