2015/10/06

東欧旅行記_ポーランド5 (Stutthof)

Danzigの後はまた海方面に向かい、マーはサーフィン、私と坊は砂遊びという1日を過ごし
翌日向かったのは、ナチス時代の強制収容所「Stutthof」。

戦時中は主にポーランド人が収容されていた小さな収容所で、後に拡張されてユダヤ人や
ソ連人が大量に送り込まれた所。

強制収容所なんて、行ってみたいと思ったことは1度もなかった。

負の世界遺産であるアウシュビッツも、うちからそう遠くはない所にあるし、ドイツの至る所に
収容所跡はあるわけなんだけど、あんな所に行ったらダークすぎて、トラウマを
抱えて帰ってくるだけじゃないかと思っていた。

怖いモノ見たさという言葉があるけど、私にとって「そこ」は、怖いモノを上回る好奇心などなく
ただただもう怖すぎて悲しすぎて、見たくないというのが正直なところだった。

それでも今回足を運んだのは、たまたま近くを通る予定があったから。

でも怖いので、軽い気持ちでは行けない。
前日まで悩んだけど、行ってみることにした。

気持ちはずっしりと、翌日ぐらいまで重かった。

8万5千人虐殺された収容所、Stutthof。






 



この施設に向かう道の数キロ前から、多分今は使われていないであろう線路が車道沿いに
ずーっと敷いてあって、なんとなくこの線路の行き先は収容所なんだろうかと思っていたら
本当にそうだった。

その線路はこの施設の端っこの方で途切れていた。

ここが終着駅。






かつては収容者たちが働いていた工場や牢屋のようなところも、今は資料館のようになっており、ここから生き延びた生存者たちの証言や、収容所の仕組みやSSがどのように機能していたかとか、パネルや実物書類などの展示物がたくさんあった。




見るに堪えない収容者たちの最期の写真の数々、そして怖すぎて悲しすぎて写真に収める
ことなど私には無理だった、何万足もの靴の山。

遺体の写真とか遺骨の山を見るよりも、ここで死んでいった人達ひとりひとりの輪郭が浮かび
上がってくるような展示物だった。

小さな女の子の革靴、私の息子がやっとはけるぐらいの大きさの靴。
幅の細いパンプス、先のとんがった紳士靴。

腹の底から何とも言えない怒りと、絶望感が込み上げてきた。

「人間が、なんでこんなことができるようになっちゃったんだろうか。」








       






これはユダヤ人の収容者名簿で、身体的特徴や宗教の有無などの他に、捕獲された理由が
書いてある。

「理由:環境整備の一環として」


一瞬目を疑ったが、本当にこんな時代があったんだなと。

まるで人間を、野良犬とかゴミのように扱い、そして「処理」していたという歴史。

たった70年前に実際にあった、地獄の現場。








いったん外に出て、ちょっと気持ちを落ち着かせてみる。

そして施設のちょうど真ん中にある一本道を辿っていると、ツーンと涙が込み上げてきた。

泣いたら恥ずかしいと思うも、止めどもなくあふれてくる涙を、うつむいて隠しながら
猛暑の中をトボトボと歩いた。


突き当りの建物は病棟で、隣にガス室と焼却炉



この道の終わりにあったパネルを見たとき、ここがガス室だと知った。

「最終処分所」

生と死の境目。

この先で殺されることが分かっていても、弱り果てて抵抗する力もない人々が次々と
ガス室に放り込まれ、そして燃やされていった。

ポーランド人達はフラッシュを光らせながら、ガス室の中の様子をバンバン写真に
納めていた。

まるで、ここが最大の写真スポットかのように。







 



一通り見終わって、来た道をまた歩いていると、マーと坊の姿が遠くに見えた。

敷地内に広がる青々とした芝生の上を、あれから70年経って生まれた我が息子が
無垢な笑顔で這いずりまわっている。

あまりにも平和な光景と、たった70年前にここで起こっていたことのギャップに唖然としながら
収容所を後にした。


その後しばらく数日間は、平和について、戦争について、そして命の重さについて
考えなくもなかった。

だけど、今回ここに足を運んだ結果、私の興味の矛先は、人類史上最悪の狂人ヒトラーに
向かうことになった。

これは意外な展開だった。

彼の一存で、何百万人という尊い命が断たれ、彼の一言で、救えることができたであろう
何百万という命があった。

たった一人の人間のとてつもない権力。

狂気の時代。

かつては愛くるしい無邪気な赤ちゃん時代があったはずの人間が、狂人になりゆく過程と
その思想とはどんなものだったのか、詳しく知りたくなった。

そして旅を終えて、帰宅後すぐに「我が闘争」を注文した。

ドイツではネオナチの聖典になるのを危惧し発行禁止になっているけど、日本語では
読めてしまうのだ。

ついでに、アウシュビッツの所長だった男の手記も手に入れた。

強制収容所跡。

こういう場所があることで、今を生きるドイツ人は狂気の歴史から逃げられない。

先祖が起こした後ろめたい過去。
この話題になると心のどこかであの時代を恥じているというのを、マークスを見ていてよく思う。

日本人とドイツ人とでは、戦争の歴史の受け止め方が全然違うことにもよく気付かされる。

収容所を出て、今日の事をもう少し何か話すかなと思っていたけど、二人ともなんだか
考え込んでしまい、口数がやけに少ない1日になった。

Stutthofの訪問は、想像よりも重かった。


2015/09/28

東欧旅行記_ポーランド4 (Danzig)


全然関係なくもないんだけど、日記の続きを書こうと思いきや、なぜかMisfits(というバンド)
映像を30分近く今まで見ていて、「ハッ」となったのです。

そうだ、日記を書くんだった。

というのも、この旅で訪れたバルト海沿いの港街「Danzig」

Danzig と言えばやっぱり、、、、

しょーもない話になるけど、その昔Misfitsという妖怪魔人ドクロベエみたいな恰好なのに
意外とキャッチーな音を出すハードコア・パンク的なバンドがあって、そのボーカルが
グレン・ダンジグという人だった。

どうにかこうにかすると、ジム・モリソンの声に聞こえなくもないと、私はずーっと思ってる
このお方、現在60歳だって。

やっぱこの人はここで生まれたのかしら。。。。なんてことを調べたりしてたらYoutubeに
行きついてしまったという。

ああ、深夜の貴重な時間が・・・・・

ということでDanzig、 ドイツ語ではダンツィッヒのお話、行ってみましょう。








ここはポーランド最大の港都市。

ポーランドが世界に誇る街というだけあって、なかなか美しく見応えのある街でした。






そんなこの街も、第二次世界大戦では壊滅的な被害を受けたそうで、だけどこれをまた元の
通りに復元したポーランド人のパワーはすごいなぁと。













それにしても、こんなに人がいる観光地に来たのは何年振りだろう。
どこを歩いても人人人で、日本人の姿もちらほら見かけた。

午前中はあまり人がいなかったけど

一歩うらに入ると、地味なかんじに





写真には納めなかったけど、この川の対岸側には、お台場にあるようなキラキラの
観覧車とか、ゴーカート乗り場みたいなのもあった。

川にはパーティボートなるものが、酔っ払ってテンション高すぎるおじさんおばさんたちを
乗せ、クルクル回りながら流れてゆく。

せっかくの風景が台無しだったわ。







そして、ここで面白い人を発見。

彼はフランス人と日本人のハーフで、ポーランドに10年近く住んでるので、ポーランド語も
べらべらで。



「あなたのお名前、日本語で書きます」

というやつです。

筆を使って書いていたけど、なかなかお上手で、私たちが冷やかしで見物している間にも
3人ほどの名前を書いていた。

1枚1.3ユーロぐらいってとこかな。

なかなかいいお仕事のようだけど、最近はめっきりだと言っていた。

彼のお父さんの出身地が、私の地元に近く、家の近所の話で盛り上がったりした。



そんなところかな、Danzig。

とてつもなくにぎやかな観光地という印象。


最後にお寿司はいまいちだけど、味噌汁がイジョーに美味い寿司屋でお昼ご飯をたべて
街を去ったのでした。





東欧旅行記_ポーランド3

やっとこさ、久々の更新です。

今日は、今回の旅の中でもけっこう良かったなーと思った所のお話し。

場所は前回記事の砂丘があったウェバから北へ60キロぐらいだか下ったところにある
国立公園。


wikiから引用させてもらうと

゛カシューブ人カシューブ語: Kaszëbi)は、ポーランド北部のポメラニア地方および移民先のカナダなどに住み、西スラヴ語群カシューブ語を話す住民。ポーランドにおける現在の人口は50万人ほどといわれる[1]が、自らカシューブ人とする人は約22万9千人[2]、そのうち約5万人がカシューブ語を話す。カシューブ語はポーランド語に近く、ポーランド語と同じくレヒト諸語のひとつであり、現代標準ポーランド語を基準点にすればその方言とみなされる。゛


こんなような人々が暮らす土地に広がる公園内にはたくさんの湖があって、海岸沿いの雑踏
から逃れてきたドイツ人旅行者の憩いの場にもなってるように思えた。

標識もここに来るとポーランド語とカシュベー語両方の表記だった







私たちも久々にのどかな自然を満喫できたし、なんといってもここの地方の料理がおいしかった。

       


       


ポーランドの料理は、ドイツ料理に比べるといくらか繊細で、いくらか控えめな感じが
わたしには丁度よく、口に合うものばかりだった。

そして、値段もドイツの半分もいかないぐらいなので、そんなんだから殆ど毎日どこかで
外食していたな。


この地方に伝わる焼き物のミュージアムにも足を運んだり。



そ、素朴すぎて。。。





そういえば、北ポーランドって、ものすごい確率でコウノトリに出会ったり。







ある日は、公園内を自転車で一周してみたら、想像以上にハードな6時間の道のりで。。。

途中イチゴ畑の山を抜け

馬のお昼寝タイムを横目に走り抜け


宿泊先は悠々広々のキャンピング。1泊7ユーロぐらい。

目の前にはきれいな湖が広がり、サイクリングの後に飛び込んだり、朝の沐浴をしたり。








キャンパーはここでも8割はドイツ人だったかな。

管理人もドイツ語しゃべれるひとだったし。

Dauercamperという長期滞在型のキャンパーもちらほらいて、夏の間1か月はここで暮らしてる
老夫婦もいた。

夜は、ここで出会ったドイツ人と一緒に火を囲んでご飯を食べたりしていたんだけど
彼らは東西ドイツがまだ分かれていたころ、西ベルリンに住んでいた西ドイツ人。

今でこそ壁はなくなったものの、東と西のドイツ人の違いというのは、はっきりしていて
普段東ドイツ人としか殆ど絡みのない私にとって、こういう機会というのはとても新鮮だった。

特に壁があったころ、西側の人々は東ドイツをどう見ていたのかとか、どんな暮らしを
していたのかとか。

当時の思い出を振り返りながら繰り広げられる会話は、ドイツ人じゃない私でも
聞いていて飽きない内容で、本当に興味深く面白かった。

東西ドイツの歴史というのは、両サイドの人間から聞かないとダメだな。


ということで、すごい地味だけどこの旅の中でベストな場所と聞かれたらここで、
またいつか来たいと思える場所でもあった。

ドイツ国内でどっかの近場を旅行するより、ちょっと足をのばしてポーランドのほうが
金銭的なお得感と、あとはご飯が美味しいので、私的にはこれからこっち方面を開拓したいと
そんなことを思ったカシュビアンでの数日だった。

2015/08/28

東欧旅行記_ポーランド2

グダンスクまで向かう海沿いの数日間。

キャンプサイトを避けた旅となると、またいつものようにその辺で車中泊ということになる。

今までのようなお気軽ランクル二人旅は、どこかの山とか川とか湖地帯にグングン入って行って
人気のない静かなところで、気に入れば数日滞在することも珍しくなかった。

だけど今回は、6mという図体だけは異様にデカいけど、異常にノロい年代ものキャンピングカー。

停泊地を探すのは、けっこう苦労した。

行けるところも限られてくるし、へたに奥地へ入って車に何かあるぐらいだったら、その辺の
ガソリンスタンドの駐車場で寝た方がましな時もあった。

キャンピングカーはどんなところに行っても車の中は家の状態なので、どんな場所でも
快適と言えば快適なんだけれども。


そういえばこの海沿いの数日というのは、殆どが雨だったような記憶がある。

雨の海で出会った孤独なドイツ人キャンパーのオジサンは、話し相手がやっと見つかった
嬉しさか、ずーっとずーっと、聞いてないふりをしても、ずーっとベラベラ話していた。

私たちが住む同じ州出身で、デッサウに住む人なんだけど、それはそれは酷い訛りで、聞くに
堪えないドイツ語だった。

と、これまた癖のあるドイツ語をしゃべる私に、言われたくないだろうけど。

なんつー記憶も同時に蘇ってきたり。



ついでに。

ポーランドの海沿いには、どこに行っても無料の仮設の公衆トイレがある。

こういうトイレって大体ものすごく汚いものなんだけど、3日程滞在したとあるビーチは
朝の6時に毎朝新しいトイレをボックスごと入れ替えて、綺麗さっぱり。

しかも驚くことに、トイレットペーパーまでついている。

これって、どこでもトイレ無料の日本ではなんてことないと思うけど、ヨーロッパに住む一市民から
すると、これは驚くべきことなんです。

というのも、ドイツではトイレに行くのもお金がかかるので。

お金払ってる分、清潔で安全なトイレを使用できるけど、そんなピカピカトイレでなくてもいいから
無料の公衆トイレ、ドイツにもたくさん設置してほしいわ。


そういえば、何とかという街にはこんなものまであった。




          

街の真ん中にある広場の横に設置されていた、犬用のトイレ。

犬が用を足す為この場に駆け込むとは思わないけど、糞を処理する袋とゴミ箱が
設置されていた。

そして、犬をつないでおく杭も何本か地中に埋まっていて、これはもしや、

「街に糞を放置するぐらいなら、ここに犬をつないで人間だけで観光しろや」

というメッセージなのかもしれない、とか思ったり。

うん、でも確かに、ポーランドの路上で犬の糞を見た記憶がない。

これはドイツ、見習わなくっちゃね。


さて、約1週間ぶりにキャンプサイトに行こうと決めた私たち。

ちゃんとシャワーも浴びたいし、洗濯もしたい。

そして、何よりもヨーロッパで1番大きい砂丘があるスウォビンスキ国立公園に行きたい。

ということで、ここにアクセスするための最寄りのHalligalliタウン、ウェバにやってきた。

人気スポットなだけに、キャンプサイトの密度が今までになく高く、外側からグルっと眺めた
だけで、もうゲンナリした。

おまけに週末だったため、絶対にドンチャン騒ぎが始まるわけで、寝られそうにもないし
砂丘はあきらめて静かなところに行こうと、この町を10分で退散した。

そして、町を出てしばらくして窓の横を眺めていると、行くはずだった砂丘が遠くのほうに
うっすら浮かんでいるのが見えた。

これはやっぱり、行ってみたい。

1日だけ、あのサディーン缶キャンピングで我慢すればいいことだ。

私たちは来た方向をまた戻り、さっき下見したキャンプサイトへ行った。

そしてシャワー、洗濯をさっさと済ませ、自転車で15キロぐらい森を走り、砂丘へ向かった。













この砂丘は「さまよう砂丘」としてバルト海では有名なところで、毎年何センチかずつ移動
している。

かつて森だったところも、長年かけてじりじりと砂で覆われゆき、その結果何十メートルもあった
はずの木のてっぺんが、今足元と同じところにあったりと、異様な光景が広がっていた。






甚平くり坊@砂丘



空飛ぶ赤いお子



来てよかったな。
来なかったら、絶対後悔してただろうな。

なんか変わり映えしない海沿いの日々から、大分違う風景をみることもできたし
なにしろくり坊が大興奮で、砂の上をハイハイで這いずりまわっていた。

そして、この日ぐらいから一人で立つことも覚え、大喜びのにやけ顔を沢山見せて
くれるようになった。



立ってる!その辺の子供に歩み寄り遊ぶ人(左)


砂丘を後にし、来た道をまた戻る。

往復で30キロ余りサイクリングしていたんだけど、森を突き抜ける1本道がとても気持ち良かった。

心地よく疲れた体にビールが染みわたり、心配していた夜のドンチャン騒ぎに邪魔されることなく
深い眠りに落ち、気付いたら朝になっていた。

2015/08/26

東欧旅行記_ポーランド1


7月31日

旅に出てから4週間弱。

今初めてパソコンを開いたところ。

私たちは現在ポーランドにいて、毎日元気に過ごしています。

今回の旅はチビ付なので、いつものようなワイルドジャーニーとは違い
さらにゆるりと、そしてものすごくのんびりとした毎日。

こんなのんびり旅なのに、いつもなら毎日書いてる旅日記を書くこともなく
1日があっという間に過ぎてゆきます。

というのも、この旅は特別な出会いとか、特に感動することとか、まだまだ
全然ないからだと思う。

書くことが特にないのだ。

まあ、それでも旅の日常を忘れないうちに思い出しながら書いてみよう。

4週間前。

出発間際は毎度のごとくバタバタで。
今回は「2ヶ月で東ヨーロッパの何か国かを周る」ということしか決まっておらず、
今日にしようか明日にしようか、、、で、結局7月に入り1週間経ってからの出発になった。

あの週は35度を超える猛暑続きで、避暑地へ急ぐ感じで出てきたんだけど、
「暑い、暑い、海海海ーーーー」の文字が支配する頭でパッキングをしていたもんで
持ってきた服がペラッペラのものばかり。

実際ポーランド側のバルト海に着くと。。。。サブイ、、、、

失敗したー。

おまけに寒くて海にも入れない。
いや、寒いというか、水温が冷たいだけなんだ。

北の海は冷たく、海水浴日和なんて滅多にないバルト海。

日本の夏の海など想像していた私が間違っていたみたい。
みんな風よけの幕を張って、その中でゴロゴロしてるんだな。

しかしそんな風吹く冷たい海でも、カイトサーファーのマーは大喜び。

私とくり坊は、彼のサーフトリップに付き合ってるのか?と思う程、連日風と波に乗っていたマー。
途中でヤバイと気づいたらしく、あんまりしなくなったけど。

最初の2週間は、バルト海沿いのキャンピング、パーキングを利用しながら、ひたすら海沿いに
距離を進めた。

ポーランドの海のすばらしいところは、どこを通っても森林の向こう側に海が広がっていて
直接海沿いにホテルがたっていたり、アスファルトの道路が走ってるところがない。

森を抜けると海みたいな、ホント絵になる光景が広がっている。

しかし、森の手前、つまり車が行き来する道や宿泊施設が立ち並ぶ方では、この時期特に人で
ごった返していて、歓楽街の賑わいを見せていた。

趣味の悪い土産屋や、酒場、レストランが乱立し、週末ともなればキャンプサイトの中で
朝までクラブミュージックがガンガンかかっている。

知ってたらこんな所泊りに来なかったのに。。。。と思ってるドイツ人キャンパーたちが、
朝になると真っ先にそのクラブ会場から少しでも離れようと、大移動が始まっていた。

マーに言わせると、ポーランド人は国内旅行が大好きな国民で、特にバルト海は大人気の
一大観光地。

同じ国の、端の端っこからも、この海めがけてみんなやってくる。

日本は海に囲まれた国なので、100キロ、200キロも走ればどこに住んでる人でも海に出るから
あまり想像できないかもしれないけど、ドイツでもこの時期のバルト海沿いは、遠方の
車のナンバーを良く見かける。

たとえば、湘南の海に大阪ナンバーの車が列をなしていたり
青森に住んでる人が海水浴したいがために、平塚あたりにわざわざ来たり。

そんな感じ。

ここにしか海はないから、ものすごい密度で人がいるわけです。

海辺の静かなバカンス的な事を少し期待していた私は、この人の多さに連日ノックダウン。

3,4日で大体この辺の様子がわかってきたので、これはもう人がいない穴場を探すしか
ないと思い、なんとなく迷い込んでみた小道の先にあった海水浴客用の駐車場。




先客はもちろんドイツ人キャンパーで、私たちが入ってきて、そのあとも何台か入ってきたのも
ドイツ人キャンパー。

みんな、考えてることが一緒! 笑

そもそも休暇の過ごし方というのが、ドイツ人とポーランド人とでは違いがありすぎる。

この浜辺の駐車場で結局3泊し、ある程度の距離を保って駐車している別のキャンパーたちを
こっそり観察してみたけど、そこのドイツ人達は果てしなくノンビリしていた。

2時間、3時間、椅子に座って空を眺めてボーっとして、ご飯作って食べてボーっとして
浜辺にいってボーっとして、車に戻ってごはん作って、夜は焚火にあたりながらワイン飲んで
おしゃべりして。。。。

とことん日常からかけ離れた日々を満喫しているようでもあり。

そんなような毎日を過ごすことを目的に、年に何十日もある休暇を楽しみに生きているんだろうな。

ポーランド人はどうだろう。

まぁ観光地に集まる人の休暇の過ごし方を見ただけなので、一概には言えないけど
ドイツには少なくとも、こういうケバケバしいアミューズメント尽くめの海というのはナイ。

だけどキャンピングのポーランド人のみなさんは、どんなにうるさかろうが、どんなに人口密度が
高かろうがお構いなしに、その場所に何日も滞在していた。

私たちは2日でギブアップしたけど。

と言うことで、ドイツ国境にまだまだ近いほうのポーランドで出会ったドイツ人たちは
この「Halligalli(ごちゃごちゃガヤガヤ)は、参ったもんだねー」と、皆口を揃えて言っていた。

そして私たちも、なるべく人ごみを避けてまずはポーランド最大の港町グダンスクを目指したの
でした。

2015/08/25

2015年東欧キャンピングカー旅行


7週間の旅を終え、再びドイツへ。

予定では8月いっぱい休暇のつもりが、途中で旅する気力が失せてしまい、少し早目に
切り上げて帰ってきちゃった。

そのいきさつは、追々書くとして。。。

今回の旅、結果から言うと、とてもとても面白みに欠けていた。
長い割に、薄っぺらいと言うか。。。

それはヨーロッパをキャンピングカーで旅をするという時点でわかっていたことだけど、
車一つ、国一つ違うだけでここまで内容が変わってくるものなのかと。



旅の内容はともあれ、この7週間親子3人で本当に濃密な時間を過ごせたことが何よりの
思い出かな。

毎日みんなで同じ時間に起きて、同じ時間にご飯食べて、たくさん遊んで、同じ時間に
眠っていた。

育児休暇という名のもとの旅なので、それが本望と言えばそうなんだけど。


きっと今までしてきた旅というのが、特別すぎたんでしょう。

今回のような、人との出会いがない2か月の旅というのは、どうしようもなく長すぎて
暑さも重なり、正直途中で苦痛になってきていた。

いつもなら日課になっている手書きの旅日記も、せっかくノートを新調したのに1ページも記録が
ない。

そして、そんな時間を淡々と過ごした結果、改めて自分が旅に求めるものというものを
再確認したような気がする。


だけど、道中それはそれで楽しまなきゃもったいない!

ということで、旅というよりは「旅行」という視点に切り替えて、いつもならどうでもいい街観光とか
外食とか結構したなぁ。

そういう旅行的なものというのは、短期間でバスっと思い切り楽しんで散財して、サクッと家に
帰るのが一番。

ダラダラしてたのがいけなかったんだな。

今回の旅日記、あまりストーリー性のない超普通な旅行記になりそうですが、どうぞお付き合い
ください。

まずは、一度だけパソコンを開けて書いてみたけど、途中で眠って、そして今まで放置していた
ものの続きから、書いてみようかな。

続きはまた明日。