やっとこさ、久々の更新です。
今日は、今回の旅の中でもけっこう良かったなーと思った所のお話し。
場所は前回記事の砂丘があったウェバから北へ60キロぐらいだか下ったところにある
国立公園。
wikiから引用させてもらうと
゛カシューブ人(カシューブ語: Kaszëbi)は、ポーランド北部のポメラニア地方および移民先のカナダなどに住み、西スラヴ語群のカシューブ語を話す住民。ポーランドにおける現在の人口は50万人ほどといわれる[1]が、自らカシューブ人とする人は約22万9千人[2]、そのうち約5万人がカシューブ語を話す。カシューブ語はポーランド語に近く、ポーランド語と同じくレヒト諸語のひとつであり、現代標準ポーランド語を基準点にすればその方言とみなされる。゛
こんなような人々が暮らす土地に広がる公園内にはたくさんの湖があって、海岸沿いの雑踏
から逃れてきたドイツ人旅行者の憩いの場にもなってるように思えた。
私たちも久々にのどかな自然を満喫できたし、なんといってもここの地方の料理がおいしかった。
ポーランドの料理は、ドイツ料理に比べるといくらか繊細で、いくらか控えめな感じが
わたしには丁度よく、口に合うものばかりだった。
そして、値段もドイツの半分もいかないぐらいなので、そんなんだから殆ど毎日どこかで
外食していたな。
この地方に伝わる焼き物のミュージアムにも足を運んだり。
そういえば、北ポーランドって、ものすごい確率でコウノトリに出会ったり。
ある日は、公園内を自転車で一周してみたら、想像以上にハードな6時間の道のりで。。。
宿泊先は悠々広々のキャンピング。1泊7ユーロぐらい。
目の前にはきれいな湖が広がり、サイクリングの後に飛び込んだり、朝の沐浴をしたり。
今日は、今回の旅の中でもけっこう良かったなーと思った所のお話し。
場所は前回記事の砂丘があったウェバから北へ60キロぐらいだか下ったところにある
国立公園。
wikiから引用させてもらうと
゛カシューブ人(カシューブ語: Kaszëbi)は、ポーランド北部のポメラニア地方および移民先のカナダなどに住み、西スラヴ語群のカシューブ語を話す住民。ポーランドにおける現在の人口は50万人ほどといわれる[1]が、自らカシューブ人とする人は約22万9千人[2]、そのうち約5万人がカシューブ語を話す。カシューブ語はポーランド語に近く、ポーランド語と同じくレヒト諸語のひとつであり、現代標準ポーランド語を基準点にすればその方言とみなされる。゛
こんなような人々が暮らす土地に広がる公園内にはたくさんの湖があって、海岸沿いの雑踏
から逃れてきたドイツ人旅行者の憩いの場にもなってるように思えた。
標識もここに来るとポーランド語とカシュベー語両方の表記だった |
私たちも久々にのどかな自然を満喫できたし、なんといってもここの地方の料理がおいしかった。
ポーランドの料理は、ドイツ料理に比べるといくらか繊細で、いくらか控えめな感じが
わたしには丁度よく、口に合うものばかりだった。
そして、値段もドイツの半分もいかないぐらいなので、そんなんだから殆ど毎日どこかで
外食していたな。
この地方に伝わる焼き物のミュージアムにも足を運んだり。
そ、素朴すぎて。。。 |
そういえば、北ポーランドって、ものすごい確率でコウノトリに出会ったり。
途中イチゴ畑の山を抜け |
馬のお昼寝タイムを横目に走り抜け |
宿泊先は悠々広々のキャンピング。1泊7ユーロぐらい。
目の前にはきれいな湖が広がり、サイクリングの後に飛び込んだり、朝の沐浴をしたり。
キャンパーはここでも8割はドイツ人だったかな。
管理人もドイツ語しゃべれるひとだったし。
Dauercamperという長期滞在型のキャンパーもちらほらいて、夏の間1か月はここで暮らしてる
老夫婦もいた。
夜は、ここで出会ったドイツ人と一緒に火を囲んでご飯を食べたりしていたんだけど
彼らは東西ドイツがまだ分かれていたころ、西ベルリンに住んでいた西ドイツ人。
今でこそ壁はなくなったものの、東と西のドイツ人の違いというのは、はっきりしていて
普段東ドイツ人としか殆ど絡みのない私にとって、こういう機会というのはとても新鮮だった。
特に壁があったころ、西側の人々は東ドイツをどう見ていたのかとか、どんな暮らしを
していたのかとか。
当時の思い出を振り返りながら繰り広げられる会話は、ドイツ人じゃない私でも
聞いていて飽きない内容で、本当に興味深く面白かった。
東西ドイツの歴史というのは、両サイドの人間から聞かないとダメだな。
ということで、すごい地味だけどこの旅の中でベストな場所と聞かれたらここで、
またいつか来たいと思える場所でもあった。
ドイツ国内でどっかの近場を旅行するより、ちょっと足をのばしてポーランドのほうが
金銭的なお得感と、あとはご飯が美味しいので、私的にはこれからこっち方面を開拓したいと
そんなことを思ったカシュビアンでの数日だった。
続
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