ニコ・ピロスマニ。
死後100年余り経った今も尚、グルジアで愛され続けている伝説の画家。
彼が生まれたのは、カヘティ地方の小さな村ミルザアニ。
ザクロの木が沢山植わっている敷地の中に、彼の生家と作品が展示されている
ミュージアムがある。
今回のグルジア旅は、私の中でピロスマニを巡る旅というテーマもあり
彼の故郷ミルザアニに出向くのを、非常に楽しみにしていた。
ピロスマニの生家 |
ピロスマニを知ったのはいつだったか、そして何でだったか忘れたが
とにかく初めて見た彼の絵に心奪われ、アートに疎い私のくせに本を買ったり、
映画を見たり、ピロスマニ熱というのは、ずーっとあった。
なにがそんなに私を虜にしたのか。。。
彼の絵は、人物や動物、生きて居るものの輪郭がはっきりと描かれていて
生き生きとしているにも関わらず、背景がそれに伴わないというか。
ん?何かがおかしいぞ。
何か、スッキリしないぞ。
例えば一つの絵の中にも、きっとこの部分は丸一日かけて描いたのではないかと
言うぐらい繊細な部分と、10秒で書き足しただろう的な部分が共存しているものが
いくつかある。
でもそれを狙ってやってるわけじゃ絶対なくて、なんかヘンテコなコントラストが
ちょいちょいあると言うか、 こそばゆい違和感の世界みたいなのが、
私の琴線に触れたとでも言いましょうか。
どうしてこれでもって、完成としたのか、とか
頭の中をちょっと覗いてみたい、とか
そんなのがきっかけだったと思う。
それから本を読んだりもして、様々な情報を得た後のフィルターを通すとなおさら
どの作品を見ても、闇が滲み出ているというか。
どうしても彼の生い立ちなんかが重なり、それを思うと楽しいはずの作品も、
なんだかモヤっと霞む。
いつ見ても、どうもすっきりしないし、暗い。
そして、うまいのか、ヘタなのかもわからない。
そもそも彼の絵の魅力を、言葉にするのは難しすぎるのだけれど、
何故だか強烈に心を鷲掴みにされた 画家の一人なのだ。
興味深いのは彼の描く絵だけではなく、彼の生い立ちにもある。
ピロスマニは、一時期は才能が認められたものの、彼の作品が世に出るごとに
それを酷評する人も現れ、それに傷つき表舞台からは去ることになった。
その後は、画材を持ち歩き旅に出ては、酒と食事を引き換えに店の為に絵を書いて
その日暮らしをずーっと続けた。
人は彼を「放浪の画家」と呼び、死ぬまで孤独を貫いたという。
映画の中の一コマ |
最期は、酒場の地下の物置小屋のような所で暮らすようになり、50歳を前に
ひっそりと息を引き取ったそうだ。
このオリジナルを見たときは、鳥肌が立った。 |
辛くなる絵もあれば、心がほっこりするような絵も実はあることに気づいた。
私が大好きな3mぐらいの大きな絵を見たときは、なんだかピロスマニにやっと会えた
気さえした。
ここまで来た甲斐があったなぁ。
ミュージアムは、彼の素朴な画風とはそぐわない、コンクリートの要塞みたいな
佇まいで、「ザ・ソ連」な感じ。
のどかな風景と実にミスマッチだった。
なんでこんな建物にしたのか、不思議でならない。
そしてこんな田舎の片隅に 、ケバケバしいロシア人観光客がどどどどどーーーっと
バスで乗り付けてきて、とりあえず至る所で写真を撮りまくり、ものの15分で
去って行った。
そんなハードスケジュールの中でも、観光コースに組み込まれているということは
ピロスマニがやはり国民的画家なんだということが覗える光景だった。
そしてこの後何の導きだか、グルジアでとても重要なピロスマニ愛好会を
取り仕切る人物と出会う機会に恵まれ、旅がまた新たな展開を迎え始めたのであった。
続
0 件のコメント:
コメントを投稿