続いて向かったのは、トゥヘティ地方の小さな小さな町、クヴェモ・アラバニ。
ここは、旅のルートには入っていなかったんだけど、先日会ったルッツおじさんの
友達が住んでるというので、訪ねてみる事にした。
その友達の名はゴチャ。
ドイツ語が話せて、面白いグルジア人。
前情報はそれだけだった。
町に着き、電話で一報入れて、自宅に向かう。
そして、初めての対面。
ガタイが良くて、とてもワイルドな風貌。
パっと見は、猟師とか木こりに見えなくもない。
ちょっと近寄りがたい感じなんだけど、話すととても気さくで
聞いていた通り、ドイツ語が上手なおじさんだった。
家の敷地内には、よく手入れをされている家庭菜園の畑と
とても可愛らしい石造りの母屋と、もう一つ同じく石造りで二階建ての
大きなアトリエがあった。
そしてそのアトリエで、大きな幌みたいなのに絵を書いているウクライナ人の画家。
庭ではクルミの木の下で、石をトンカチしているドイツ人の彫刻家。
何なの、この素敵な空間!
そうここは、芸術家が一定期間滞在しながら作品を作る
「アーティスト・イン・レジデンス」のアトリエだったのだ。
そして、驚くことに
この時進行していたプロジェクトというのが「begegnung mit pirosmani」というもので、
ドイツやグルジアのアーティストたちがピロスマニをテーマに作品作りをしていて、
10月にはティビリシで展覧会を開くとのことだった。
絶対に林業従事者だと思っていたゴチャも実は画家で、ドイツではベルリンを
拠点に活動していた時期もあったらしい。
何と言う巡り合わせ!
この人達に出会えた事で、 ピロスマニを巡る旅というテーマにも、
十分すぎるほど花を添えてもらった感があったし、このテーマを共有できる
人々に出会えた事が何よりもうれしかった。
そして 見ず知らぬの日本人が、ピロスマニの本を持ってグルジアを旅していること、
ここに辿り着いたことに、彼らも驚いていた。
で、なぜだか、その本の紙の質にもとても驚いていた。
ごく普通の紙なんだけど、なんでそんなに感心していたのかは今だに謎。
私達が到着したころは丁度お昼時で、敷地内に住んでいるゴチャのお母さんが
お昼ご飯を出してくれた。
マツォニス・スピ。カスピ海ヨーグルトの温かいスープ。お袋の味。 |
当然のごとく昼間からワインやらチャチャ(グルジアのウォッカ)が振る舞われる。
飲み方もグルジア式で、小さなグラスにワインを注ぎ、その都度その都度
乾杯の音頭を取りながら、何杯も何杯も飲む。
理由なんてなんでも良いのだ。
「愛する芸術に」
「ピロスマニに」
「愛と平和に」
「素晴らしき出会いに」
「トワの将来に」
ガウマルジョス!!!かんぱーーーーい。
グルジア人的には、ちょっと長めの昼休憩をワインでも飲んでゆるりと行きましょう
という感じで、終わったらサクッと作業に戻れるんでしょう。
だけど、そんな習慣がない国からやってきた人達にとっては、たまったもんじゃない。
ウクライナ人の画家は、これはもう立派な「酒盛り」とも言える
昼間のワイン休憩が続くので、1週間も滞在してるのに作品が1つも仕上がって
いないと嘆いていた。
ドイツ人の彫刻家は、飲み過ぎで手が震えて作業が一向に捗らないと言っていた。
待てよ、これ。
なんか、聞き覚えがあるぞ。
そう、それはまさしく9年前のわたくし。
昼から酒を飲むグルジア人のミーシャ、そしてその仲間たちと1週間近く
生活を共にしたある日の朝、震える手が止まらず驚愕した覚えがある。
でも、それを見たミーシャの友達でもあるお医者さんが
「コニャックを飲めば治るよ」と、優しく教えてくれた。
短期間でアル中になれる、不思議な国。
とにかく飲み方が半端じゃないのだ。
別に強制されている訳ではないし、断ればいいだけなんだけど、
ここのお宅でテーブルワインとして飲まれているのが
自家製のオーガニックアンバーワイン(グルジア独特の琥珀色をした極上ワイン)。
そこに毎回、お母さんのスーパー美味いグルジア家庭料理が何品も野外の食卓に
運ばれてくる。
誰かが歌いだしたり、踊りだしたり
お母さんはギター片手に、トゥシェティ地方の民謡を唄ってくれたり。
雰囲気も解放的で、異国の宴ともなれば、酒が進まぬ訳がない。
断るなんて、もったいない。
ほぼシラフだったのは、コップを死守し続けるマークスだけで、息子をだしにして
「それじゃあまた明日」と、早々に切り上げ寝床に向かう。
ディフェンスゆるゆるの芸術家2人と私は、気付いたら潰れてるパターン。
こんな雰囲気で芸術を語り合うだなんて、持ってかれるに決まってるし。 |
私達はここに3泊したのだけど、昼間の酒も抜けきらぬまま
毎晩こんな感じで、また酒盛りの本番に突入した。
しかし私には前例があるので、ここはしっかりと、子供連れなんだし、
自分のペースを守って!と、肝に銘じるも、結局グダグダになっておじさん達と
深夜まで語り合う日が続いた。
情熱的で喧嘩っ早いグルジア人は、酒の席で言い合いになることもしばしばで、
芸術対談で気持ちが高ぶったウクライナ人の画家と、口論になる場面もあったり。
グルジア語、ロシア語、ドイツ語、英語が飛び交う深夜のテラス。
あの雑踏間、異国感、
この旅で、特にグルジア情緒を味わい、忘れがたい日々になったのは間違いない。
そんな思い出を残してくれたお礼に、私達は翌日
ゴチャの一族がワイン作りの為のブドウの収獲作業があるというので
お手伝いを買って出て、一緒に連れて行ってもらうことにした。
続
0 件のコメント:
コメントを投稿