ここには「世界一陽気な墓地」と呼ばれるメリーセメタリーという墓地があって、小さな村なのに
この墓地を目当てに年間3万人もの観光客が訪れるらしい。
いつか来てみたいと思っていた場所。
その朝私たちは少し早起きし、日差しが優しい午前中の移動を試み、久々にワクワクしながら、100キロの道のりをひた走る。
そしてついに到着したサプンツァ村。
ちなみにここの情報は、私が家を出る直前に手帳に殴り書きした「サプンツァ村、墓」のみ。
だから、村に着いたはいいけど、どこに何があるか全くわからなかった。
しかし、観光名所でもある墓地の看板がないはずはない。
とりあえずなんか看板が出ているところに車を止めて、それらしき方向に歩いてみる。
しかし、そこにあったのは修道院だった。
この修道院は木造で高さが70mあるという、とてつもなく高い建物だった。
時刻はちょうどお昼頃で、ゆっくり歩いて見物しているだけでもダラダラ汗が噴き出てくるぐらいの
猛暑。
その猛暑の中で、大きな草刈り鎌を10分おきぐらいに研ぎながら、延々と草刈りをしている
おじさんが二人。
こんな広大な敷地の草刈りを手作業でなんて、1週間でも終わらなそうなのに、あくまで
鎌にこだわるのは、何か伝統とかなんだろうか。
実際、道端でも若者が大きな鎌を持ってトラックに乗り込むのを何度か目撃したし。
それにしてもかわいそすぎる。
でも、車の代わりに馬車がまだ多く利用されているぐらいの所だから、こんなのは当たり前なの
かもしれない。
とにかくものすごい暑さだったので、多分近くにあるであろう墓地に今すぐ向かう気にはなれず、
結局この修道院の駐車場に車を持ってきて、日差しが和らぐまで休むことに。
木陰に車を止めて私が昼寝をしている間、男衆二人は近くを流れる川を偵察しに行った。
そして、川に足をつけて2人で遊んでると、おもむろに拳銃を脇にさした警察らしき人が
近寄って来て、すぐさま川から上がれと警告されたらしい。
聞くと、ここは向こう岸はウクライナという国境を流れる川で、そんなところでのうのうと
遊んでしまっていたらしい。
パスポートを見せて、注意されて、それからその人は去って行ったらしいけど。
危ない危ない。危うく向こう岸に行くところだったって。
そんなこんなしているうちに、大分暑さが落ち着いてきたので、自転車に乗って散策がてら
墓地探しに出かける。
修道院からは自転車で10分ぐらいのところに、その場所はあった。
墓地の周りには、民族衣装やらお土産やカーペットを売る店が5,6件あって、観光名所の
雰囲気を漂よわせ、噂通り何の変哲もないこの小さな村のほんの小さな1角に世界中から人が
集まっていた。
この陽気な墓の発端は、1935年に村の彫刻家の青年が、遺族らが愛する者の死を
乗り越えられますようにとの願いを込めて、明るくカラフルに故人の生前の姿と詩を墓標に
刻むようになったのが始まりだそうで。
子煩悩なお父さんだったのかな? |
パンを焼くのが大好きでした |
溺れて亡くなった方 |
昼間は真面目な公務員だけど |
夜は酒のまなきゃやってらんなかった。。。 |
電車にひかれ。。。。 |
セクレタリアに殺された??? |
悩み多き人生だったのかも |
飲み過ぎで |
交通事故死。でもなぜかこれを読んでる人達は爆笑していた。 |
肉屋でした。 |
リンゴ狩りが大好きでした |
そして、彼こそがこの墓標の製作者。
2代目さんだったけな?
表 |
裏 |
ここは紛れもない墓地なんだけど、周りでは笑い声が聞こえ、故人とは全く関係のない人達で
賑わっている。
まるで死者の魂を笑いで弔っているかのように。
そういうことも想像していたのだろうか。
かつてその彫刻家が目指した明るく楽しい墓、まさしく「世界一陽気な墓」がここにあった。
もし私が死んだら、この墓標には何が刻めるのかな?
私の人生を象徴するものって、一体何なんだろうと考えてみたけど、これと言ってない。
と、自分では思っている。
寂しいなー。
死ぬまでに、やっぱり何かを極めたり、コレ!というものに出会いたいと、そんなことを思った
墓巡りだった。
数年来の夢も叶ったりで、ここサプンツァ村に来れて本当によかった。
それから私たちは村の寂れたスーパーでビールを買い、車に戻ってくり坊に水浴びをさせ、
熱帯夜の中、その修道院の駐車場で眠ることにした。
続
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