2015/12/30

東欧旅行記_ルーマニア (ブクウィナ)

強引に最終章!その1

すっかり忘れておりました、旅日記。
年内に書き上げるぞと思ってたら、残すところ今年もあと1日!

実は3月から始まる新たな旅の構想を練ろうとしているところでして、「ああ、そういえば!」と
思い出したのであります。

地味ーに終わりますよ、東欧旅行記。

細々と覗きにきてくれたみなさん、ありがとう!



さて、灼熱のルーマニアを旅していた私たちは、最後北東部にある小さな町に住むある人を
訪ねるべく、ちょっと頑張ってロングドライビングの2日間。

その人というのは、かれこれ16年も前にマークスがバイク旅をしていた時に出会った人物で
その時は3日間ほど彼の自宅で過ごしたらしい。

彼は、失われつつあるルーマニアの伝統的な暮らしをしながら、森林エンジニアとして働いている。

そしていつだったかドイツのテレビで彼の生活を元に作られたレポート番組をたまたま見て
「よっしゃ、彼に会いに行こう!」というのが、ルーマニアに来るきっかけでもあった。

余談ではあるがこの番組では、電気も水道もなく昔ながらの伝統的な暮らしをしている彼の
友人のことも多く取り上げられていてた。

未だに炭火でアイロン掛けをする奥さんに、電気が欲しいとねだられ、一大発起して電気会社に
頼みに行くも、高すぎるので仕方ないから近所の電線から勝手に電気を引っ張ってくる
というのが結末だった。


しかし放送終了後、ドイツ人から彼宛にたくさんの寄付が寄せられ、その結果合法的に電気を
引くことができ、今ではテレビや洗濯機を持つまでになった。

いいんだか悪いんだか、彼らの暮らしは大きく変わってしまった。

そんな暮らしぶりも見てみたいなーと、そして何日かこの地方に滞在してトレッキングや
昔ながらの暮らしに触れられたら、なんて期待を胸に超特急で向かったのである。

しかし、しかし。

目的を持って、目的の人物に会いに行くわけだけど、肝心のその彼に、連絡というのをして
いない。

最後に連絡をとったのは、まさかまさかの16年前。

そこに今も住んでいるのかも、彼が果たしているのかもわからない。
わかっているのは、テレビで見たもん、ちょっと歳とってたけど、あの時いたおじいちゃんと
一緒にあの家が映ってたし、ということは、いるんじゃね??

的なノリ、いつもの。

そういつものこの人、マークス君、アポなし訪問はいつものことだけど、それにしても行くところが
遠すぎるよ。

まぁ、いればラッキー、いなければ。。。それはその時考えよう。

うん、そうしよう。

ということで、サプンツァ村から出発し小さなキャンピングで一泊した後、ものすごい山道を
1日で走り抜けて、やってきた訳であります。


クネクネ道を上ったり下りたりすること数時間。

ようやく目的地の町に到着。

住所なんて、わからない。

なので、彼の名前を書いた紙を通りすがりの人とかに聞いて回る。

少し迷ったけど、その場所が近づくにつれてマークスの記憶がよみがえってきて、やっと家を
見つけだした。

すっごい細い砂利道に、ドイツナンバーのキャンピングカー。
なんか、嫌な感じだなぁ。



そして、車を降りて16年前にここで3日間お世話になったという家の門を叩いた。





結果から言うと、ちゃんといたのです、そのおじさんは。

しかし、16年前、いや番組が放送された2年ぐらい前とはずいぶん状況が異なっていた。

まず、マークスも会ったことのあるおじいさん(彼のお父さん)は、放送直後に亡くなっていてた。

そのおじいさんというのが長年学校でドイツ語の先生だったので、今回会うことが
出来たご健在のおばあちゃんも少しドイツ語が話せ、坊にたくさんドイツ語で
話しかけてくれていた姿が、とても可愛らしかった。

そしておじさんは長年連れ添った奥さんと離婚して、まだ日が浅いのだと言っていた。

彼は退職してまだ間もないけど、今はこの辺の観光や森林ツアーのガイドとして生活
していて、そういうのもあってテレビで紹介されたらしい。
 
その仕事がうまくいってるのか、自宅の敷地内に2階建ての立派な宿泊施設を建設し
各国から客人を受け入れているらしい。



久々の再開。
16年前のこと、うっすらと覚えてくれていたらしいけど、今考えると、図々しいにも程があるよなー。

私と坊は初対面。

急な訪問にも関わらず快く招き入れてくれて、ここまで来た甲斐があったものだと胸を撫で下ろした。

なんだけども。。。

おじさんは宿泊施設も運営しているので、私たちはそこに泊まる客のような扱いをして頂き
こっちとしても気まずいったらなかった。

そんなつもりではなかったのに。。。

食事もおじさんがキッチンで用意してくれて、それを食堂のテーブルで私たちだけで食べたり
ベットルームも丁寧にも1部屋提供してくれたけど、そのあと「では、ごゆっくり」と言って
彼は同じ敷地内にある自宅に戻ったきり、次の朝まで会わなかった。


朝は起きたら朝食が用意してあって、それをまた食堂のテーブルで寂しく食べた。

やはり、招かざる客だったのか。

マー曰く、昔の彼はもっと陽気でお酒が好きな楽しいおじさんだったと。
そんなイメージだったから、今回もいきなり遊びに行って驚かせちゃおうみたいなノリだったん
でしょう。

だけど、ここ数年の父親の死や離婚などで、ウツ状態が続いたようなので
人柄もすっかり変わってしまったようだ。

そりゃあそうだよな、もし自分がウツで人にも会いたくないなんて時に、いきなりアポなしで
知らない人がやってきたら、私だったら「ごめん、ムリ」で済ますかな。

今回は完全にマーの読み違え。
 
普段空気が読めない彼でさえも、そんな空気を感じ取ったらしく、さすがに数日滞在して
周辺を連れまわしてもらおう計画は1日で変更。

これが旅の最後の楽しみだったわけだけど、そんなこんなでなんとなくテンションが下がり
この後行くはずだったトランシルバニア地方へも足を延ばさず、ドイツに帰ろうということに
なった。

私たちは2日かけて走った山道をそのまんまノンストップで駆け下りて、サプンツァ村の
修道院の駐車場に深夜たどり着き、そこで夜を明かすことにした。

翌日。

帰路の旅に出発した日曜の朝。

道を行く人々が、このあたりの民族衣装に身を包み教会に向かう姿が、国境に向かう間
ずーっと見られた。

ルーマニア正教の熱心な信者である人々は、日曜には正装をして教会に出向くらしい。

思っても見なかったことで、ちょっとテンションがあがる。
最後ルーマニアで、素敵なものが見れて良かったな。

通りかかった教会の外では日曜礼拝のセレモニー的なものが行われていたので、
柵越しに覗かせてもらった。







この日気温は40度を超える猛暑にもかかわらず、この衣装というのは見てる方はいいけど
着てる人達はかなり暑そうだった。

着物を着るときみたく、色々と決まり事とかあるのかな。

だけど、ひざ丈のスカートを履いてるお婆ちゃんたちの姿は、実に可愛かった。

もうしばらく居れば、踊りとか始まるのかとおもったけど中々始まらず、とにかく暑かったので
私たちはその先を急ぐべく、ルーマニアを後にした。

最終章2に続く 

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