Danzigの後はまた海方面に向かい、マーはサーフィン、私と坊は砂遊びという1日を過ごし
翌日向かったのは、ナチス時代の強制収容所「Stutthof」。
戦時中は主にポーランド人が収容されていた小さな収容所で、後に拡張されてユダヤ人や
ソ連人が大量に送り込まれた所。
強制収容所なんて、行ってみたいと思ったことは1度もなかった。
負の世界遺産であるアウシュビッツも、うちからそう遠くはない所にあるし、ドイツの至る所に
収容所跡はあるわけなんだけど、あんな所に行ったらダークすぎて、トラウマを
抱えて帰ってくるだけじゃないかと思っていた。
怖いモノ見たさという言葉があるけど、私にとって「そこ」は、怖いモノを上回る好奇心などなく
ただただもう怖すぎて悲しすぎて、見たくないというのが正直なところだった。
それでも今回足を運んだのは、たまたま近くを通る予定があったから。
でも怖いので、軽い気持ちでは行けない。
前日まで悩んだけど、行ってみることにした。
気持ちはずっしりと、翌日ぐらいまで重かった。
8万5千人虐殺された収容所、Stutthof。
この施設に向かう道の数キロ前から、多分今は使われていないであろう線路が車道沿いに
ずーっと敷いてあって、なんとなくこの線路の行き先は収容所なんだろうかと思っていたら
本当にそうだった。
その線路はこの施設の端っこの方で途切れていた。
ここが終着駅。
かつては収容者たちが働いていた工場や牢屋のようなところも、今は資料館のようになっており、ここから生き延びた生存者たちの証言や、収容所の仕組みやSSがどのように機能していたかとか、パネルや実物書類などの展示物がたくさんあった。
見るに堪えない収容者たちの最期の写真の数々、そして怖すぎて悲しすぎて写真に収める
ことなど私には無理だった、何万足もの靴の山。
遺体の写真とか遺骨の山を見るよりも、ここで死んでいった人達ひとりひとりの輪郭が浮かび
上がってくるような展示物だった。
小さな女の子の革靴、私の息子がやっとはけるぐらいの大きさの靴。
幅の細いパンプス、先のとんがった紳士靴。
腹の底から何とも言えない怒りと、絶望感が込み上げてきた。
「人間が、なんでこんなことができるようになっちゃったんだろうか。」
これはユダヤ人の収容者名簿で、身体的特徴や宗教の有無などの他に、捕獲された理由が
書いてある。
「理由:環境整備の一環として」
一瞬目を疑ったが、本当にこんな時代があったんだなと。
まるで人間を、野良犬とかゴミのように扱い、そして「処理」していたという歴史。
たった70年前に実際にあった、地獄の現場。
いったん外に出て、ちょっと気持ちを落ち着かせてみる。
そして施設のちょうど真ん中にある一本道を辿っていると、ツーンと涙が込み上げてきた。
泣いたら恥ずかしいと思うも、止めどもなくあふれてくる涙を、うつむいて隠しながら
猛暑の中をトボトボと歩いた。
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突き当りの建物は病棟で、隣にガス室と焼却炉 |
この道の終わりにあったパネルを見たとき、ここがガス室だと知った。
「最終処分所」
生と死の境目。
この先で殺されることが分かっていても、弱り果てて抵抗する力もない人々が次々と
ガス室に放り込まれ、そして燃やされていった。
ポーランド人達はフラッシュを光らせながら、ガス室の中の様子をバンバン写真に
納めていた。
まるで、ここが最大の写真スポットかのように。
一通り見終わって、来た道をまた歩いていると、マーと坊の姿が遠くに見えた。
敷地内に広がる青々とした芝生の上を、あれから70年経って生まれた我が息子が
無垢な笑顔で這いずりまわっている。
あまりにも平和な光景と、たった70年前にここで起こっていたことのギャップに唖然としながら
収容所を後にした。
その後しばらく数日間は、平和について、戦争について、そして命の重さについて
考えなくもなかった。
だけど、今回ここに足を運んだ結果、私の興味の矛先は、人類史上最悪の狂人ヒトラーに
向かうことになった。
これは意外な展開だった。
彼の一存で、何百万人という尊い命が断たれ、彼の一言で、救えることができたであろう
何百万という命があった。
たった一人の人間のとてつもない権力。
狂気の時代。
かつては愛くるしい無邪気な赤ちゃん時代があったはずの人間が、狂人になりゆく過程と
その思想とはどんなものだったのか、詳しく知りたくなった。
そして旅を終えて、帰宅後すぐに「我が闘争」を注文した。
ドイツではネオナチの聖典になるのを危惧し発行禁止になっているけど、日本語では
読めてしまうのだ。
ついでに、アウシュビッツの所長だった男の手記も手に入れた。
強制収容所跡。
こういう場所があることで、今を生きるドイツ人は狂気の歴史から逃げられない。
先祖が起こした後ろめたい過去。
この話題になると心のどこかであの時代を恥じているというのを、マークスを見ていてよく思う。
日本人とドイツ人とでは、戦争の歴史の受け止め方が全然違うことにもよく気付かされる。
収容所を出て、今日の事をもう少し何か話すかなと思っていたけど、二人ともなんだか
考え込んでしまい、口数がやけに少ない1日になった。
Stutthofの訪問は、想像よりも重かった。
続