2011/09/29

山に逃げろぉーーー


謎の一家とも別れを告げ、ナドールを出て南下してアトラス山脈を目指す。

それにしても熱い。

アンチ・エアコン派の私達は窓を全開で走っても、風が熱風すぎて
車内が涼しくならない。

街の温度計には、45度と表示されている。

未体験ゾーンだぞ。

雲ひとつ無い青空。

太陽の光が、窓越しだけど突き刺すように入ってくる。

熱い。痛い。汗ダラダラ。

外に手をかざすと、熱風がドライヤーよりも熱い。

アフリカ大陸でのドライブとは、こういうものだったのか!

暑さで頭が痛くなってくる。

だから水をガンガン飲むけど、飲んだそばから汗に変わって
滝のように流れていく。

まさに、サウナ状態。

運転手のマーカスもさすがにくたばってきて、道沿いにあった
大きな木の下で、2時間ぐらい休憩した。

昼間の運転は危険だ。

知らないのは私達外国人だけなのか、そういえば車をあまりみかけない。

ラマダン中だというのもあるのかもしれないけど、確かに水も飲めないのに、
この暑さの中出かけるのは自殺行為だ。

日が落ち着いて来た頃、もうちょっと頑張ってさらに標高の高いほうに
距離を進めて行ったら、大分涼しくなったけど、その日の夜は
2人とも頭が割れそうに痛くなって大変だった。

翌日からは、もうちょっと山の中に入っていったこともあり快適だった。
8月山篭りプランは、どうやら間違ってはなかったようだ。




ある日、山の中腹にきれいな湖を見つけた。

ついでに、釜みたいなのを見つけ久々に火の上で料理をした。

この湖では、ほんとに静かできれいな休みらしい休みを満喫した。

気持ち良さついでに、もう1泊した。



                 なぜ、こんなところに釜が?!


夜になって、ラマダンを終えてリラックスしている若者達の焚き火の
輪に混じってお茶を飲んだりした。

「あー、今日も1日終わった。良かった良かった」

と言って、みんなハシシやらジョイントを吸い出した。

「ザッツ モロカンシガレット!酒は呑まないがコレは吸うよ」

もちろん悪びれた様子などない。彼らは不良でもなんでもない。

彼らはただの釣り人だ。

そして、ここではモロカンシガレットなのだ。

アフリカのビタミンCと言ってる人もいた。

モロッコの大麻事情はあまりにも有名で、北部に裕福なひとが多いのも
「RIF山脈産」の大麻が、ヨーロッパに止め処もなく流通しているからだと
言っていた。

そういう意味では悪名高いRIF山脈。

その山のお膝元からバカンスでやってきた彼ら。

昼はラマダンを実践しながら、持参したマイカーペットを
砂利の上に敷いて、欠かさずメッカに向かい祈りを捧げるような若者である。

だけどこんな敬虔なイスラム教徒が、今日の締めくくりにガッツリ吸うのである。


私達が去った後も、グナワミュージックを大量に流して夜中まで歌ったり
叫んだりしていた。


              RIFから来た釣り人たち


2日ほど泊まったきれいな湖ともおさらば。

もうちょっと居てもいいくらい、居心地がいいところだった。

           



                ハンモック持参は基本です






さて、山もだんだん険しくなってきて、集落もまばらになってきた。

ここには、ベルベル人と呼ばれる先住民族が沢山暮らしている。

アトラス山脈は、中・高・小アトラスが合わさった山脈のことで
どの地域に行っても、景色や雰囲気や人とかがとにかく独特で、
ほんとに面白かった。

ひとつの国で、こんな違った表情を見れるのって珍しいと思う。

モロッコには、海もあって、山もあって、砂漠まである。

この三つのうちの一つ、「山」のどこかに私達はいて
これからどんどん変わってくるであろう日々の景色や人との出会いに
ワクワクせずには居られなかった。
         
                ハイアトラスに突入!(合成じゃないよ)

2011/09/28

ほんとだったらすごい話(長いよ)

この後3日間過ごした一家の主であるモハメットは、時間が経ち
お互いちょっとずつ慣れてきた頃から、だんだんと言動がおかしくなってきた。

慢性的に落ち着きがない人っているけど、彼は更に気分の浮き沈みが激しくて
見た感じ「躁鬱病」を伺わせる行動が目立つようになってきた。

夜になると薬でも飲んでいるのか、落ち着きを取り戻して
優しくて陽気なモハメッドがちゃんといるんだけど
昼間の間は事あることにモロッコ人の悪口を言い出しては
止まらなくなり、彼がどれだけ酷い目に遭ったかを、
殆ど1日中聞かされる羽目になった。

困ったことに彼は相当なストーリーテラーで、信じられないような話でも、
彼の話のテクニックにかかると、現実味を帯びて頭にも心にも響いてくる。

彼の生い立ち、同じ国の人たちから受けたその悲惨な体験。

そこからどう立ち直ったかの話に、私は涙する寸前だった。

掻い摘んではなすと、こんな具合である。

敬虔なモスレムである彼は、ある日いつものように金曜の礼拝に
モスクへ向かった。

そこで真剣にアッラーに祈りを捧げている間に、壁にかけておいた
ジャケットから身分証明書が盗まれた。

どこかの男がモハメッドの身分証明を使って彼に成りすまし、
テロを行うため爆弾を製作していた。

どうにかこうにかなって、ある日モハメッドは逮捕された。

その後真犯人が逮捕されて彼は釈放されたが、

偽モハメッドがしでかした数々の悪行は、その後の本物モハメッドの生活に支障を
来たし、ついに彼は名前を変えざるを得なくなってしまった。

名前を変えてから、まるで人生が変わったように動きだし
彼は大金持ちになった。

オランダでキャバレーを経営し、高級車に乗り、贅沢三昧の生活。

そのあいだ色々な貧しい人々を助けたけど、その恩も裏切られすべてを
根こそぎ持っていかれた。

こういうことが、年に1度はあったそうだ。
(盗みにあう確率がこんなにも高い話、初めて聞いた。
とにかく、いつもどこかで全部持ってかれたらしい)

そうして人が信じられなくなり、我も見失いヘロインにおぼれてしまい、
すべてを失うことになった。

ある日、お母さんが死んだと電話口で聞いた瞬間にその場に倒れ、
そこから9ヶ月の昏睡状態に落ち入った。

その後も何回か昏睡状態に落ち入ったけど、今は2度目の結婚をして
静かに暮らしている。

兄弟も親戚も近所の人も信用しない。
だから自分に友達など一人もいない。
信じられるのは妻と息子だけ。

お金で幸せなんか手に入らない。お金など信用してない。

心が豊かなのが1番。

この世は金金金でクレイジーだ。

モロッコ人なんて世界で一番信用できない。
フランスに住むのはモロッコ人が怖いからだ。
そしていつか妻と子どもと一緒にフランスで暮らすのが夢だ。

大筋はこんなところ。

こんなに人を信用しない人が、なぜ知り合ったばかりの外国人を
家に迎えるのかも、信じられない話だ。

とは言え、話の間にある細かい心情や風景が彼の天才的語り口で表現され、
私もマーカスは映画でも見ているような気分になり、
彼の身の上に起こったことにいちいち驚いていた。

「でも、ウソっぽくない??」と疑う瞬間もあったんだけど、
こんな細かいことをウソで表現できるはずがないと、認めざるを得なくなる。

ある日の朝は、朝食の時間から話し出し、そして止まらなくなった。

頭が破裂しそうになったので、私達は逃げるように海へ出かけて行った。

「出かけるんなら、財布もパスポートも全部ここに置いていきな。
モロッコ人はみんな泥棒だから、絶対に盗まれるよ。」

一瞬迷ったけど、今考えると持って出て行ってよかったと思っている。

金曜の午前中。

金曜礼拝があるせいか、普段人だらけの海水浴場には誰もいない。
ガリ痩せの犬が三匹居ただけで、完全に無人だった。


「ええ~、いいのぉ???」
とは言いながらも、完全プライベートビーチで泳ぎまくった。

そんな感じで海へ行ったり、近くの山へ行ったり、市場へ行ったり
ラシーダと料理したりして、あっという間に時間が過ぎていった。

モハメッドには大変世話になった。
殆どの時間、楽しく過ごすことができた。
頼まれていた大量の買い物リストがあったんだけど、
ぼったくられないようにと一緒に買い物に行ってくれたり
頼んで買ってきてもらった物もあった。

だけど、それでもなんとなくぼったくられてる気がしてならない物もあって、
もしかしたらモハメッドが1枚噛んでるのかも、と疑いたくもなった。

こんないい人そうな人が。。。。

こういう気持ちでいることは、実に気分の悪いものなので、
3日目の夜に明日おいとましょうと決めた。

出発する前、マーカスと買い物に出かけたモハメッドは

「100ユーロ貸してくれ」

と、言って来たそうである。

もちろん貸さなかったけど、なんとなく彼の素性が確信的になりつつあった。

やっぱ、うそなんじゃん??
だまされた??



出発することになった昼下がり。

彼は寂しすぎると言って、息子と妻の前でも恥を惜しまず涙を流した。

号泣だった。

なんなんだ???一体???

沢山の謎が残った。

正直、ちょっと疲れてきてもいた。

だけど大量に買ったスパイスやらオイルは持って周れないし、
どの道また船が出るこの町に戻ってくるので、預かっておいてもらうことにした。

戻ってくる頃には、モハメッドはフランスに帰ってしまうというから
これで会うのは最後だ。

出発間際、寂しいから送らないよと泣いていたモハメッドが家から出てきた。

お土産に、袋いっぱいのイチジクを持たせてくれて
泣き笑いで手を振って送ってくれた。

この人がもしほんとにいい人で、あの涙が本物だったら、疑ってる私達って
相当罪な人間だよね。

だけどこれがもしウソだったら、こんなに見事にウソをつく人を
後にも先にも見ることは無いだろうと思った。

それは、その時点ではどっちなのか分からなかった。

わからなくてモヤモヤしたまま、今度こそ本格的なモロッコの旅が
始まったのだった。

2011/09/27

最初の一歩でモハメッド

船が着いたナドールという港から、ちょっと外れたところにあった
市場街に車を止め、探索してみることにした。

街のあちらこちらにあって、普段おじさんたちの社交場になっているカフェは、
ラマダンの為ガラガラだった。

たまに席についてる人を見かけても水すら飲んでなくて、
ただただ暑さにうな垂れていた。

私達は通りをぶらつき、さっそくぼったくられたであろう買い物を済まし、

「ま、こんなものか。これで、ひとつお勉強したことにしよう」

と言って街を出るため、床屋さんの前に泊めてある車に戻った。

車に乗り込もうとしたとき、一人のおじさんがドイツ語で声を掛けてきた。

「ハロー、ドイツから来たんでしょ?これからどこ行くの??」

「いやー、わかんないけどとりあえず東のアルジェリアの国境
近くまで行って、ガソリン満タンにしようかな、なんて・・・」
(アルジェリアはガソリンが激安なので)

予定もないのにマーカスがそんなようことを言っていた。

「時間があるなら、うちに来ない?
今、ここで息子の髪を切っていて、終わったらその辺で買い物してる嫁を
タクシーで拾って山の上にある家に帰るから、付いておいで。」

てきぱきした口調で話すおじさんに、ふたつ返事でYESと言って、
そのまま着いていくことにした。

初日から出ました!
モスレマンホスピタリティー!(←と、私は勝手に呼んでいる。)

しばらく忘れてた、この感じ。
これだから旅はスバラシイと思う瞬間に、最初の1歩で出会ってしまった。


おじさんの名前は、思ったとおりモハメッドであった。

彼の家は街から20キロ離れた山の上の集落にあり、
家の庭にはどっさり実をつけたイチジクの木が3本もあった。

家に着くなり、捥ぎたてをこれでもかというくらい、手のひらいっぱいに
盛ってくれた。

とれたてのイチジクは、めちゃめちゃおいしかった。

                  モハメッド宅


家の敷地内を案内され、とりあえずお茶でも飲んで一息つこうということで
居間らしきところに通された。

ラマダン中じゃないの??と思ったんだけど、心臓に病があるモハメッドは
ラマダンをしなくても良いらしく、食事も普通にとると言っていた。

奥さんのラシーダはラマダン中なのに、不意の来客のために
自分は飲めないお茶や、お昼ご飯の準備までしてくれて、
少し申し訳ない気持ちになった。

モハメッドは50過ぎのおじさんで、以前7年ほどフランクフルトに
住んでいたらしい。

その後はオランダに移住し、今はパリに住んでいて、年に1度1ヶ月だけ
家族のもとに帰ってくるのだと言っていた。

最初はとても穏やかだったモハメッド。

お互いのことを少しずつ話していくうちに、どこかの瞬間から彼の
様子が急に慌しくなり、モロッコ人の悪口を言い出した。

「モロッコ人はうそつきで、低脳で、犯罪者だ。
 そして超危険だ!うそじゃないよ。
それに私は人種差別者でもない。私は散々な目にあったんだから。」

鼻息を荒くして大声でこう話す当の本人こそ、モロッコ人。
そこに招かれたあたし達って一体・・・・・

どうか彼自身が口にしているようなモロッコ人ではないことを、
心の片隅で祈りつつ、この先3日間をこの家族と過ごすことになった。

この日の午後は、車で10分ぐらい下っていったところにある
地中海のビーチに、息子君のヨセフと、そのいとこを連れて
泳ぎに行った。

思ったとおりビーチにいる人間の殆どは、男性か子どもだった。

髪も肌も隠しておかななきゃいけないイスラム教徒の女性が、
水着になることなんて、ここのビーチではありえない。

気温は40度を超えているぐらいの暑さなのに、ビーチでもひたすら
肌を隠して、ただ海の方を見ているだけの女性の後姿を見て、
心の底から気の毒だと思った。

しかし、そんな女性達を尻目に、そして少しの罪悪感を纏いつつも
私は泳ぎまくった。

海はきれいで最高に気持ちよかった。

初日から慣れない暑さでヘトヘトになりかけていた体が、
一瞬でリフレッシュ!

気分も一新、生まれ変わったところで家に帰ると、ラシーダが
例のハリラを作って待っていてくれた。

                イフタール。真ん中は生イチジク。左下の黄色い実はサボテンの実。

とは言え、日が暮れる7時のアザ-ン(お祈りの合図)まで
ラシーダは食べることも飲むことも出来ない

最後の1時間は彼女にとって、一番つらそうだった。

10分おきに、「今、何分??」と聞いてくる。

この暑さの中、水の1滴も飲まないその強靭な忍耐力には頭が下がる。

腹ペコは慣れるらしいけど、水分を取れないのが実は一番厳しいらしい。

真夏のラマダンがなおさら地獄なのは、言葉にしなくても辛い気持ちが伝わってくる。

日が沈み、7時のアザーンが聞こえてきたところで
まず真っ先に彼女は台所に駆け込み、ものすごい勢いで水を飲んだ。

彼女の顔に正気がもどり、私も少しホッとして
さっきよりもっとリラックスできるようになってきた。

ラシーダがほっと一息ついたところで、イフタールの時間が始まる。

イフタールとは、英語で言えば「BREAKFAST」。

つまり断食を断つ食事のことを意味する言葉で、
この日も定番のハリラやらナツメヤシやらが、中庭に出したちゃぶ台に
運び込まれてきた。

ハリラをゆっくりすすった後、ミントティーをのみながら夕食の時間を待つ。

ああ、なんてゆるりとした時間なんだろう・・・・・

夜になって涼しい風が吹き始め、熱くて厳しい1日の終わりを告げていた。

そして、夕食の時間がやってきた。

今日はクスクスだ。



旅の初日でもうこの感じ!

知らない国のどこかで初めて会う人たちと大皿に盛られた料理を分け合って食べる。

私が旅で一番楽しみにしている瞬間。

ああ、なんて幸せなんだろう。。。。

「いい人は、いい人を呼び寄せるんだよ。これもアッラーの思し召し。
イン・シャ・アッラー!」

優しい目をしたモハメットが、満面の笑顔でこう言った。

私もこの瞬間はこの偶然の出来事を、心の底から感謝していた。



しかし、こういう気持ちのままで終わらせてくれないのが
モロッコだったなぁというのがこの旅の感想、
私が会ったモロッコ人に対しての印象かなぁ・・・

その辺のこともボチボチ書いてゆきます。


               大きなイチジクに木の下で

2011/09/26

帰ってきました

おひさしぶりでございます。
金曜日に無事に戻ってきました。

片付けもひと段落したので、ブログ再会しまーす。

この1ヶ月半、パソコンを開いたのはたったの1度だったので
前の旅日記みたくタイムリーではないんですが、旅の思い出が色あせないうちに
何回かにわたって書いてみようとおもいます。

旅日記を書くことも、旅の楽しみの一つだもんね。

さてさて
今回の旅は、ドイツ発。
フェリーで車を運んで、モロッコの面白そうなところを周ってみて、戻ってきて
走行距離約7000キロ。
1ヶ月ちょいだったけど、結構走ったねー

着いた当初は特にルートは決まってなかったんだけど、まぁなんとなく
気温にあわせて移動していこうということで

8月中旬~後半→猛暑時期なのでアトラス山中にこもる

8月末~9月上旬→気温がちょっと落ち着いてきたころに砂漠方面にいって、
そのままアトランティックの海沿いに移動し、ゆっくりと海岸を沿って北上

9月中旬→少しは涼しくなってるはずだから、街歩きが出来るほうへ移動

こんな感じで大まかに予定を立てて、あとは風まかせ。

ずっと憧れだった未知なる国、モロッコ。

実際行ってみて、印象がガラリとかわりました。

初のアフリカ大陸。
熱かった。
そして、しんどかった~

ではでは、旅日記はじまりです。
相変わらず、長くダラダラ書くと思うけど
しばらく、お付き合いくださいまし。



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はじまり

8月12日 21時

長い間夢見ていたモロッコへの旅。

準備万端!! BAMOS!!!!!!!
(3回ほど忘れ物取りに帰ったけど)

夜のオートバーン。

走れる所まで走って、1時ごろ就寝。

今回はどこでも宿仕様のランドクルーザー。
初の車中泊は、なかなか快適だった。

翌日は友達が住むスイスのBERNまでロングドライビング。

久々の再会もつかの間、1泊だけさせてもらい、翌朝早くフランスの
モンペリエ方面に向けて出発。

10時間ぶっ通しドライビングの末、マルセイユに住む友達と
船が出る港町「SETE」というところで落ち合う。

翌日は船が出る夕方まで、ビーチでのんびり過ごし
夜7時、友達たちに見送られ船は定刻通りSETEの港を出港した。





船の中はすでにもう、モロッコだった。

モロッコというか、モスレマンの世界。

さっきまでラフな洋服姿だった男達は、ジュラバ(体がすっぽり隠れ、
くるぶしまである男版ワンピースみたいなもの)に着替てる人がたくさん
いた。

夕食の時間になり食堂へ向かうと、お祈りの合図が大音量で
流れているにも関わらず、がつがつ食べてるおじさんたちがたくさんいた。

ラマダンの1日が終わったのだ。

ラマダンとは、モスレムが年に1度行う断食月のことで、日の出から、
日の入りまで食べ物、飲み物、タバコも一切絶つという習慣だ。

今回の私達の旅の半分はこのラマダンの月にあたり、モロッコの
人たちがどうやってこの苦行ともいえる日々を過ごすのか、興味深い
ところでもあった。

そして、この旅の始まりのその日から、興味津々な場面を目の当たりに
することになる。

夕食はハリラという豆のスープに丸いパン、ナツメヤシにゆで卵といった
とてもシンプルな食事だった。

もちろん、たっぷりの水も大切な食事の一部。

ラマダン中は、どこにいってもこれが定番らしい。

長いこと空っぽだった胃に初めて流し込まれるのは、
生温く体に優しいスープだというわけだ。

旅行者である私達にも、同じメニューが配られた。

ちょっと物足りない気はするけど、普段なかなか食べられるものでは
ないので、ちょっと得した気分。

食事が終わりお腹が満腹になった人たちはラウンジに向かい、
今日初めての一服やチャイやコーヒーをこころゆくまで楽しんでいた。

このあと、この人たちは夜の12時にもう1度本気の食事をして、
そのまま寝てしまい、また断食の長い1日を迎えるのだという。

果たしてこれがほんとに体にいいのかは謎だけど、空腹を極限まで
体験することで貧しい人の気持ちを知り、その後の食事で食べ物に
本当に感謝することができる。

そういう気持ちを忘れないために、世界中にいる何億人というイスラム
教徒達が、同じ時期にみんな腹ペコになっているかと思うと、
尊敬せずにはいられない。

しかもこの暑い中。。。。

私達はラマダン実践者ではないけど、人前で飲食するの極力控えた。

そんな決まりはないんだけど、なんとなく申し訳ないよう気がしてきたからだ。

そうして腹ペコな人たちと2日間、のんびりすぎる時間を過ごし、
予定より1日遅れてモロッコへ到着。

どんだけ遅れるんだって話。

まー、着いたからいっか。
って、自分達の時間の感覚も、すでにユルユルになっていた。

到着後は車内の点検もなく、あっさりと簡単に上陸。

港のゲートを出たところで、早くも勝手に誘導して金くれボーイや、
たかってくる人達がいた。

モロッコって、そういう所だというのは聞いていたけど、めんどくさいなー。
ま、あまり相手にせず、これも旅の一部だと思うことにしよう。

そうでもしないと、この先が持たないや。

ということで、行き先もはっきりしないままとりあえず近くの街まで出て
パンでも買いに行こっか。。。。という感じで、
久しぶりに痛いまでの日差しを浴びながら、
モロッコの旅が、なんとなーく始まった。