2009/10/19

Wahkan Valley II

ワハン渓谷3日目。
泊まらせもらったのは、山の中腹に住むワハン人一家の家。
最初この家のお父さんを畑で見つけて、その畑にの端っこに車を停めさせて
もらうだけのはずだったけど、結局家に招かれ夕食を頂き、プレゼントまで頂いて
しまった。
そして翌日、朝食はシールチャイ。
そういえば、前の日に立ち寄った家でもシールチャイだった。
家に招いてもらうのはホントにありがたいんだけど、シールチャイだけは頂けない。
キルギスの肉のもてなしの時のように。。。


一家とお別れをしてその日は「イシカシム」という村でやってるバザールに向かう。
タジキスタン、アフガニスタンの商人が一同になって週末市場を開催している所。
向かう途中、庭で育てたりんごやトマトをバザールに売りに行く女の子がヒッチハイクして
いたので乗せて行ってあげる。
首都デゥジャンべの大学に通っている彼女は、英語が話せる25歳。
一児の母でもある。
3ヶ月実家のあるワハンで過ごしていて、週明けにデゥジャンべの住んでいるところに帰るけど
今日は最後にお母さんの手伝いでバザールに行くと言っていた。

バザールはまさに国境線上行われている青空市場なんだけど、機関銃むき出しの
兵隊が所々に立っている。
門番にパスポートを預けて会場に入ると、アフガン人とタジク人でごった返していた。
アフガニスタンの商人はみんな民族衣装(?)のような服に、ターバンみたいな
格好で分かりやすかった。日本でもお馴染みのアフガンストールももちろん売っていた。
さっき道でひろった子グリャと一緒にバザールを練り歩く。すっかり仲良しになってしまい
デゥジャンベに行ったら必ず訪ねるからねと約束した。

       
        ≪川を渡ったところがバザール会場≫


一通り見終わって返り際、パスポートを返してもらいにいくとなんとそこに日本人のパスポートが2冊!
こんなところに他に日本人がいるなんて!
早速出てくるのを1時間ぐらい待ち伏せした。
ようやく対面したのは大阪から来ていた夫婦。
やすくんとかおりちゃん。
このあと同じ街まで向かうというので、ついでに車に乗ってもらいキャンプすることになった。
彼らは3月ごろ日本を出発して、タイから周辺の国を周り北上してパキスタン、中国、
そして中央アジアを巡っているところだった。
2年ぐらいかけて色んなところに行くらしい。
のんびーリ旅をしていて、マイペースで素敵なカップルだった。

宮大工の訓練校に通っていた彼の話やら旅の経緯やら色んな話を、
しかも日本語で話せた時間はホントに楽しかった。
しかもアフガニスタンの国境でね。
そして極めつけは彼らが持っていた「ゴールデンカレー中辛」。
涙もんだった。
日本のカレー最高!

そんな感じで楽しい時を過ごし、次の日は石灰棚に沸いた不思議な温泉
「ガラムチャシュマ」に行って、もう一泊共にして翌日大きな街ムルガーブに到着。
このあとアフガニスタンに行く彼らを、大使館の前で降ろしサヨウナラ。
ドイツできっとまた会えると思う。
フットワークの軽い彼らだからきっと訪ねてくるだろう。
メチャメチャいい出会いだった!!


ムルガーブのバザールで買い物を済まし近くの川で洗濯をして、そのままそこに泊まることにした。
翌日から私だけ激しい胃痛と腹痛と吐き気に襲われ動けなくなる。
腐ったトマトを食べてしまったらしい。
2日寝込んで回復した。

ムルガーブからデゥジャンベに向かう途中、ルシャンという村から東側に入っていくと
バータンバレーという美しい谷がある。
ロンリープラネットではミュージシャンがたくさん住む村と紹介してある。
村の途中で大きなくるみの木を見つけ、そこの下で一泊。
ハンモックをつるして、のんびりゆるゆるの1日だった。

子供たちが遊びにやってきて薪を一緒に拾ったり、山仕事を終えたおじさんと一緒にくるみを
拾ったり、久々ゆっくりご飯をつくったり。。。
この場所がすっかり気に入ってしまったけど、そうもゆっくりしていられないので翌日出発。
途中バターを探しに訪ねた村のある家でお茶に招かれる。
偶然にもそこは村長さんの家で、村の話やワハンの文化など色々教えてもらった。
英語の先生をしていたという近所のおじさんもいたので、色んな話を詳しく聞けた。

ワハンの人は今でも伝統的な暮らしをしていて、家の形も屋根がなく天井に小さな
窓が帽子のようにちょこっと乗っかっていて独特な形をしている。
土と石で出来た家が多い。
農業と畜産が主な収入源で、家畜の使い方や麦の収穫の仕方なども多分100年前から
変わってないんじゃないかというぐらい、機械の出番がほとんどない。
その代わり人がする仕事は増えるけど、生活して食べていくのに一家の老人から子供まで
それぞれにちゃんとした役割がある。
その毎日の仕事の中で伝統が言い伝えられ、文化がちゃんと守られる。
そのベースにあるのはイスラムの教えで、宗教観が大きく係わっている。

「私たちは貧しいけど、素晴らしい文化があるから幸せだよ」
村長が言っていた。
そしてそれを言い伝えていくのが彼の使命。
貴重な話を聞けて良かったな。
「いつでも鍵あけとくから、朝でも夜中でも又訪ねておいでね」
そんなお別れの挨拶。
 パミールやワハンでは当たり前らしい。
何なんだ、この神みたいな人達は!
 今日も素晴らしき出会いに感謝!

村長はからはくるみと桑の実をどっさりもらって、私達はこの村を後にした。


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