2009/07/29

再出発

再出発にむけて、着々と準備が進んでいます。
マーカスは壊された車内をまた一から組み上げ
私は、また新たに勃発した通関の問題を解決すべく
セルゲイさんと奮闘する日々です。

一難去ってまた五難ぐらい、次々と問題が出てきます。

この問題たちと追いかけっこをしているみたいです。

8月24日が滞在期限。

どっちが追い越せるのか?

車は警察に置いてもらっていたんだけど、そこも安全の
保障はできないと言われ、今はアパートの下に停めて
夜はルーフテントを広げて寝ています、マーカスが。
24時間警備つきの駐車場とかあるんだけど、警察の
駐車場ですら安全じゃないこの町で、停める人など
いるのでしょうか?

アパートの下も下で、夜中になるとテクノガンガンの
車が集まり、若者たちのパーティーが始まります。

こんな所で、絶対寝る訳にはいかない。

だけど、車を離れるわけにはいかないので、マーカスは
外で寝て、私はアパートで寝ています。

昨日から、色々用事もあるので街中や郊外で車を
乗り始めてるんだけど、車を見た瞬間手を振って
くれる人や、クラクションならしてくれたりして
車が戻ったことをみんなが祝福してくれています。

今も家の下で車内を作りこんでいるマーカスに、毎回
食事を運んでくれる人や、電のこやドリルを貸してくれたり
電源を外までひっぱてきてくれたり、パーツをくれたり。

この悪い出来事の裏側に、沢山の人の優しさや暖かさがあります。
それも含めての事件のことは、やはり忘れられない思い出に
なるでしょう。

さてさて、シティライフもだんだん終わりに近づいてきました。
結局1ヶ月も住み着いてしまったイルクーツク。

今週中に通関の問題が解決すれば、早々に再出発します。
カザフの国境に近いオムスクは、ここからまた3000キロ以上
かかるそうで、10日ほどのロングドライビングになりそうです。

森の生活に戻れるのが、今から楽しみで仕方ないです。

2009/07/25

ランクル誘拐事件(完)結末の追記

約1ヶ月ぶりに、車が戻ってきました。
この取引の詳細は、ここでは書けませんが
今日は悪夢のような一日でした。

明け方、車がこの街のある所に乗り捨てられてました。

車はほとんど無傷だったけど、中身がひどい。
多分売ろうとしたんでしょう。
だから、車内に組み込んだ棚やら仕切りは
見事に崩れさり、物色され荒らされ終わった物たちが
むちゃくちゃに詰まっているだけでした。



食べ物がほとんど持ってかれた。
5個ずつ買った2種類のインスタント麺が、各2個づつ持ってかれたり
これは取られたでしょと思うものが意外にもけっこう残ってたりして
謎などろぼうです。

ほんと、言葉も出なかった。

今車は警察の駐車場においてあるけど、そこも信用できない。

とにかく、1日も早く出発できる状態に整えてこの街とはおさらば
したいところです。

誘拐事件、これにて完結。
しんどかった~



 追記 


あのあと、結局どうなったの?と聞かれることもあったりして
もう何年も前の話なのですが、お話ししても良いかと思うので
事件の結末を追記したいと思います。





今思い返せば、あの事件の黒幕であっただろうクホという人物。

連絡は不規則ながらも、私達に協力してもらっていたロシア人の友達とは
繋がっていた。

前出の記事にも書いたが、私達は出国の期限が迫っていたということもあり、
ランクルはもう諦めて違う車を買うことに決めていた。

ロシアのハイエース(と勝手に名付けたが)
UWASという、無骨でかっこいい四駆のワンボックス。

値段の交渉も終わり、週明けにお金を持って行くと約束して市場を後にした。

心機一転。

再出発に向けて気持ちを切り替えて、やっと前向きになったその日の夜。

しばらく連絡が途絶えていたクホから、友達の携帯に連絡があった。

「車が見つかったらしい。○○ルーブル払えば、返すと言っているが、
どうするか??」

この連絡にも驚いたが、さらに驚愕だったのが
さっき中古車屋で交渉した車の値段と、ランクルの身の代金の値段がまったく
同じだったことだ。

なにこれ。

みんなツルんでるの??

ザッツロシア、ってか?

こんな頻繁に車の盗難が発生する地域では、
中古車屋と窃盗団の関係はズブズブだろうし、そこにきっと警察までも
絡んでるだろう。

イルクーツクのその界隈では、私達のランクルのこと知らない人はいなかったと
思うし、 私達の支払い能力が中古車屋で見透かされ、クホが絡む窃盗団に
連絡が行ったとしか思えない。

金はもちろん3か所で山分けされるのが筋だろう。



また振り出しに戻ってしまった。

やっとの思いで別れを決意したあの子が、この町のどこかで俺を待ってるって?

やめてくれーーーーい。

そんな野郎の心境だ。

心が掻き乱れ、髪の毛が逆立つぐらい怒りで震えた。

私達は数時間話し合い、車検証と車両の一時輸入の書類が絶対に返ってくること、
そして車の中身がちゃんとある事を条件に、買い戻しの交渉をすると伝えてもらった。

書類がそろってなければ、買い戻したところで、乗って出国できないのはおろか
車より高い税金を払う羽目になるのだ。

この際、自分たちの持ち物は一度すっぱり諦めたので、あればラッキーぐらいの
気持ちで、 なにはともあれ車体と書類。



次の連絡があったのは、翌日。

話は早かった。

書類もそろっているし、多分無くなったものもあるだろうけど、車の中身は
大体そろっているという。

金額も、悔しいけどあちらの要求通り払うことにした。

身代金はクホが直接アパートの下に取に来ることになった。。。。

って、オイ。

お前は何者だ。

警察がグルなのは、この事を聞いて確信に変わった。

だって、

私達が通報すれば、こんなヤツ一発で捕まえられるはずだ。

しかしこの男は、今回もそういう事には一切触れず、大金を取りに
来ると言うのだ。

私達の疑いはどこまでも果てしなく、心配事は尽きなかった。

もし、お金だけ持ってかれて、車が戻ってこなかったら?
車が戻ってきたとしても書類がなかったら?

その質問に、クホはこう答えた。

「お金を払ったからには、絶対に車が戻ってくることを保証する
 もし戻ってこなかったら、警察沙汰にすればいい」

つーか、もうこの瞬間が警察がらみの事件なんですけど???

もしくは、アンタが警察なのか?


私達はもう正常な思考回路では、この違和感だらけの事件を対処しきることは
できなかった。

もう、アホになるしかない。

分かったよ、金くれてやるよ。クソがああああああ!!!!



。。。命が、あるじゃないか。




 現金を用意するには3日掛かった。

ロシアではあまりにもの大金で、1日に取引できる金額をマックスで 引き出しても
それぐらいの日数が必要だった。

 しかも、1つのATMで取引できる限度額もあったりで、この3日でイルクーツク中の
あらゆるATMで これでもかというくらいの金を引き出した。

もう、途中から何をしているのか、訳が分からなくなってきた。

身の代金のお金を用意しておりますのだぞ!

ウソでしょ!

夢ですか、コレ?

恐ろしすぎる。。。



決戦の日。

ベットの上に札束を並べた。

こんなに苦労して手に入れた大金が水の泡になるかもしれない恐怖に
慄きながら、クホに連絡を入れてもらい、いよいよ取引の手筈が整った。



嵐の夜だった。

突風が吹き、激しい雨が窓を打ち付ける。

部屋には私達の他に数名が、緊迫した空気を携えながら床に座って居る。

怖い。

なんだけど、笑っちゃうほど、このシチュエーションが絵になりすぎている。

おい他人事じゃないんだぞ、と思いつつ、それでもやっぱり
映画のワンシーン並みに、完璧な演出じゃないか!

雷鳴ってるし、外で!!

そんなことを思ってる最中に、友達の携帯の音がついに鳴った。

(ちなみにこの着信音のメロディー、今だに覚えてる。
聞くとあの時のすべてがフラッシュバックするので、二度と聞きたくないけど)

 「あ、こんにちは。今着いたので、あなた一人で降りてきて下さい。」

電話を受けている彼女の表情が凍り付いていた。

私達が渡しに行くべきだったけど、これはクホからの要求だった。

彼女は意を決して外へ出てゆき、無事に任務を遂行した。

帰って来た時は顔色がもっと悪くなり、腰が抜ける勢いで床に崩れ落ちた。

私達は一斉に彼女の元に駆け寄り、みんなで抱きしめてあげた。

もう、申し訳けないやら、怖いやら、気持ち悪いやら、いろんな思いが
とッ散らかってどこにも収まらず、気絶するかと思った。


少し落ち着きを取り戻した彼女から、今後の展開が告げられた。

まず、今から24時間以内に犯人はこの町のどこかに車を乗り捨てる。
その連絡がクホに入ったら、クホは彼女に連絡すると約束した。

場所を特定できたところで、車を一目散で取りに向かう。

この24時間で運命が決まる。

金も持ってかれ、車も戻ってこない



車が手元に戻ってくるか。


 うわーーーー

思いだしただけで、バクバクしてきた。

泣いても笑っても今日が最後。

もし戻ってこなかったら、私はとにかく色々忘れ休息する為に

日本に一旦帰るつもりでいた。


「電話だけは繋がるようにしといてね」

彼女はそう言うと自分の家へと戻って行った。

そして帰り際、こんなことも言っていた。

「こんな事件に巻き込まれるのは二度とゴメンだけど、さっきの一件で
私は今まで生きてきた中で、最高に自分に勇気があると思った瞬間だった。
あたし、今、最強!」

確かにそうだよ、ナジャさん。
 あなたは、私が出会ったロシア人女性の中でも、ダントツで最強だったよ。



それから数時間後。

電話が鳴ったのは、翌朝の4時だった。

寝付けそうにない時間と格闘した後、やっとウトウト眠りに入れるかと
思ったまさにその時だった。

「電話があったわ!
今からタクシーですぐそっちに向かうから。5分で外に出てて!!」

タクシーはすぐにやって来て、私達は犯人が車を乗り捨てたという通りに
向かった。

まだ薄暗い、朝もやの中。

道を走っているのは、私達が乗ってるタクシーだけ。

昼間だったら、バス通りにもなるだろう比較的大きな道に差し掛かった。

そして、進行方向の先に、不自然に止まってる白い車を 見つけた。

私はもうすでに、タクシーの中で泣いていた。



1カ月ぶりに対面した、私達のランクル。

鍵はかかっておらず、エンジンがまだ温かかった。

ほんの数分前に、誰かがこの場所にこの車を乗りつけてきたんだ。

そんな事を考えただけで、吐き気がしてきた。

 マーはすぐさまダッシュボードに入っていた書類を確認し、安堵の表情を
浮かべた。

ナジャともう一人付き添いで駆けつけてくれた友人は、乗ってきたタクシーで
また家へと帰ってゆき、私たちは再会したランクルと共に、その足で
警察署へ向かったのだった。

というのが、車を取り戻すまで数日間の回顧録です。

今思えば、すべて思い出話として処理ができるが、この最後の数日間は特に
刺激が強く、けっこうなレベルでしんどい日々だった。


そういえば車の鍵は、開錠のプロがやったんでしょうね。
自分たちが持ってる鍵がもう使えなくなってしまった。


それと、車上荒らしにあったりした場合のリスク軽減として
現金で10万円ほど、5か所ぐらいに分散して隠しておいたんだけど
それら見事に全部無くなってたから、ホント全部ひっくり返して、
剥がして、解体して、隅々まで見たんだろうね。

たとえば、救急箱の中にあるバファリンの箱の中とか、分厚い辞書の
間とか。

 それらをいちいちまた元に戻して行く作業が、本当に気持ち悪かったし
悲しい気持ちでいっぱいになった。


正直、この事件は話のネタにはなる。

私の人生の中で起きた様々な事件の中でも、トップクラスの大ネタだ。

ドイツでも新聞社の取材を受けたことがあるぐらい。

だけど、こんな経験二度としたくない。

以上


2009/07/23

WAITING・・・・・

事が複雑にこんがらがってます。

車はまだ手元にはありません。

あと、今の所詳細はひかえたほうがよさそうなので
この事が解決したときに、又いろいろお知らせします。

心配してくれてる方々へ
まずはご報告。

今はただ待っているだけです。

2009/07/19

決断!!


                          ≪買おうとしていた車≫

いつまでたっても、どうなるか分からいことだらけなんですが
とにかく、今分かってるのは滞在期間が8月24日までという事と、
車を買って再出発すること。

この2点を軸にできる事だけを優先的に考えて、どうやったら
また楽しく旅が続けられるのか。
マーカスとじっくり話し合いました。

まず税金の件は2週間駆けずり回って色々な書類を揃えたものの
免税の確認は今だとれず、結局言われたのが
「出国の際は、なにも言わないで黙って知らんぷりしてください。」
だって。

黙って国を出ようとして高い税金払うはめになった人がいるから、
どうすれば良いのか聞いて、書類揃えたっつーのに。

まったくどうなるか分からない。

しかし誰もいない部屋をノックし続けるほど、こっちもヒマじゃないので
もう、これはイチかバチか。

黙って出ることにする。

そして、なんか言われたら書類をみせる。
一応しかるべき所(と言われてるところ)に根回しはしておいた。

私たちがランクルで上陸したことを出国する場所の役人が気付かず、
尚且つ新しい車ですんなり出国できる。

これができたら万々歳。

もし、ばれたら書類をみせる。

それでだめなら、170万払うか、払えないなら車没収で強制送還?

もう、なるようにしかならない。できることは全部やった。

後は、ホントに運まかせです。

それとこれは最後まで揉めた事なんだけど
タダでさえ出国するのにリスキーな状況なのに、なんでまた車を買って
旅を続けようと思うのか、マーカスに何度も問いただした。

買う車だって安い車じゃなく、またオフロードでガンガンいける
丈夫な奴を買おうとしている。

そんな金があるんなら、帰って無くなったものの穴埋めをしたほうが
いいじゃんとか思う。

マーカスの最終的な答え

「うまく説明できないけど、なんかここで帰るのはヘンな気がする」

ヘンだからって。。。それだけ?

でも、私もうまく説明できないけど、すっかりこの言葉が腑に落ちた。

そう、今帰ったらヘンなのよ。

負けてらんないとか悔しいとか色々思いはある。

だけど車が盗まれてからというもの、当たり前だけど車やお金のことばっかり
考えていて、旅してる事をすっかり忘れてしまっていた。

ここで終わりしたら、この旅はランクル盗難事件がメインの出来事になってしまい、
今まで過ごした2ヶ月の色んな思い出や、すばらしい出会いがこのクソみたいな
事件の陰にスッポリ隠れてしまう。

そんなのぜったいヘンだし、いやだーーーーー!

ランクル事件は旅の途中の、ある日の出来事にしなきゃだめなんだ。

そのためには、続きが必要なんだ。

私たちはまだまだ旅の途中にいる。

こんな騒々しい街のど真ん中。

ピカピカのアディダスショップの上の豪華アパートで旅を終わらすわけには
いかない。(人の好意でずっと泊まらせてもらってるんですが。。。)

まだまだ少し気分の浮き沈みこそありますが腹はきめました。

今日から本格的に準備にとりかかります。

出国予定は8月10日

モンゴル行きは却下。

ここからまた3000キロくらいはなれたオムスクという街で
ビザを取って次はカザフスタンに入国します。

絶対ロシアから脱出してやる!

2009/07/16

たらいまわしの日々

まだまだまだまだ・・・・・・

脱出できそうにはありません。

毎日のように警察、移民局を行ったり来たり。
移民局は毎回言ってることがちがくて
昨日は滞在登録を2ヶ月延長できると言ったかと思えば
今日は1ヶ月になり、明日行けばまた違う答えに
なるのかと思うと、怖くて行く気にもならない。

今は運良く、住んでいるところの近くに日本情報センターという所があって
そこのセルゲイさんという人に色々協力してもらっている。

彼は日本で何年か勉強していたともあってか、気の使い方や段取りの仕方や
連絡の取り方など、まさにニッポン人の私にはとても分かりやすく、
不条理なことがあっても他のロシア人みたく、ザッツロシアと吐き捨てることなく、
ちゃんと説明してくれるので(それでも納得いかないことはたくさんあるけど・・・・)
幾分か気が楽だし、言葉が通じるだけで私ができることが格段と増える。

だから今は、少しずつではあるけど何とか解決に向かってるような気がする。
だけど、油断はできない。今日あってることが、明日には間違いになることが
大いにあるから。

税金の件に関しては、回答に役所の人も困っている。
誰に何を聞いても、確かな答えが返ってこない。

ほんとにクタクタです

精神的にも、かなりやられている。

先週ぐらいまでは、まだ車があるかもしれないという望みがあったけど
もう今となっては戻ってこない。

その事実をちゃんと受け止めることができなくて、しんどい。

ジワジワと痛みが増してくるみたいな。

今のほうが、何倍もキツイな・・・

もう全部投げ出して、帰っちゃおうかなとか思ったりもする。
だけど国をちゃんと出れるかどうかもわからない。

超頑丈で気丈なマーカスも、さすがにくたびれています。
ホントにかわいそうになってくる。

私なんかより、何倍もこの旅に対して思い入れがあったから。。。

だからこそここで終わっちゃいけない。

そういう思いでやってはおりますが・・・・
 

2009/07/13

脱ロシア計画

車の一件は、解決しそうもありません。
週末の様子を見て、この先の身の振り方を考えていたのですが
また新たに、ビザの期限の問題が!

私たちが取った1年のマルチビザは、一年滞在できるものでは
なく、一年の間の180日、さらにその180日の中の3ヶ月に限り
出入国が可能と言うものだったらしい。

マーカスは知ってたみたいだけど、私は先週までこの事を知らなかった。

人任せにするからいけないんだ。

今月の24日で、その3ヶ月の期限がやってくる。

言ってもあと10日しかない。

車を探すのもおろか、新たに車を買って準備する時間もない。

こっちで短期滞在の外国人が車を買うのは、至難の業。

それならば、

まず知ってる子に車を買ってもらって、他人が運転する許可取ってもらって、
それを私達が国外に持ち出して、保険に入って旅を続ける、

ってやっても、

ここで買った車はドイツでは登録できない。

ドイツまで乗って行っても、その後は当然廃車にしなきゃいけないけど、

廃車手続きをするには
ここイルクーツクに車をまた持ってこなきゃいけないという。

どうにかこうにか車を買うことができても、中古車マーケットは
土日しか空いいない。

日曜日。

その市場に二人で出かけたけど、その日に即決で買えるもんでもない。

通訳してくれる人もいなかったから、値段の交渉や手続きの仕方も
分からない。

そして今、大問題なのが車の関税のこと。

本来、海外から車を乗り入れるときは、車の輸入税がかかるのだが
 一時的な旅などで乗り入れる場合は、この税金が免除される。

そして当然、出国の際はこの車と一緒じゃなきゃいけない。

車がなければ、営利目的で輸入したとみなされ、税金を払わなきゃいけない。

車を盗まれたことでテンパってて、そんなこと考えもしなかった。

今年の一月からロシアの自動車輸入税が30%もアップしたこともあって、
私たちに課せられる税金も半端じゃない。

その額約170万。車の値段と一緒って・・・・

払えるわけないじゃん。

領事館に電話してどうすれば良いのか聞いてみた。

日本人で車盗難にあった人が過去にいたらしく、その人もやはり
税金を払うはめになった。

車を無くした、もしくは乗れなくなった原因が天災レベルのものでないと
例外なく払うことになるらしい。

ネットでも色々調べたけど、他の外国人も盗難の被害にあったが
やはり、払わざるを得なかったらしい。

車を盗まれた上、税金まで払わされるなんてありえない。

ロシアのマフィアに寄付しに来たんじゃないんだから!

今、最優先することは、とにかく税金を払うことなく、無事に国を出ること。

絶対に抜け道はあるはず。

すでにいくつか情報を集めたけど、どれも言ってることが違うので
どれを信用していいのか分からない。

とりあえず、時間をかければなんとかなりそうなので今から
イミグレーションに行って、ビザの延長願いを出してきます。

2009/07/08

ランクル誘拐事件(4)

事件から三日目、ある男から電話があった。

「KOX(クホ)という男に電話をかければわかる」

それだけ言って切られてしまった。

何だよこれ、火曜サスペンス劇場かよ。

まったく見当もつかないので、警察にどういうことかと尋ねたら
KOXのことを知っているという。

そして、電話番号を教えてくれた。

一体何者なのか?

友達が恐る恐るKOXに電話をすると、今自転車に乗ってる最中だから
10分後にかけなおしてくれと言われた。

電話を切ったその友達の顔がなぜか驚きの表情だった。

なぜならその電話の相手はとても親切な感じで、教養がありそうで、
とても印象の良い話し方だったからだ。

KOXは盗難車絡みの小さなビジネスをしていて、もし何か情報が
あったらすぐに連絡をするとのことだった。

とにかく彼は、役所かどっかの人じゃないかってぐらい、超丁寧な
対応だったらしい。

事件から3日後に重要と思われる情報が2つも見つかったので
少し気分を持ち直し、前向きに待つことにした。

翌日は市場で会ったあの男から電話があった。

車があったらしいけど6000ドルじゃないと渡さないと犯人が言ってるらしい。

いきなり値上げ?

きっとこいつが1000ドル上乗せして仲介料をとる魂胆なんだろう。

でも、確実に戻ってくるなら6000ドル払うと伝え、犯人と思しき人物との
交渉を続けてもらうことにした。

数分後、かけ直してきた男が一言

「車違いだったらしい、ランクル黒じゃないよね?」

一同ズッコケ。

頭の上からタライが落ちてきたぐらいの衝撃発言だった。




週末になり、友達が気分転換に郊外へ出かけないかと誘ってくれた。

出発する前に、KOXに電話をしてみたが、相変わらず情報はないという。

だけど、テレビの文字ニュースの連絡先を自分の(KOXの)電話に変えたら
どうかと提案され、私達はそうすることにした。

そして月曜日になったらテレビ局に出向くと伝え、久々息抜きに出かけることにした。




都市部に住むロシア人は「ダーチャ」呼ばれる週末過ごす小さな家を
持っている。

この日出かけたのも、友達が所有しているダーチャ。

イルクーツクからバスを乗り継いで約3時間。携帯の電波も届かない
森の中にある。

ダーチャにはソーセージみたいにパンパンに太った犬と、83歳になる
バブーシュカ(おばあちゃん)が待っていた。

バブーシュカの手がける農園はとても広く、所狭しに色んな野菜を育てて
いた。

畑の水まきをしたり、野菜を摘んでサラダを作ったり、一瞬でも車の
ことから離れられた、楽しい週末だった。

月曜日になって、警察に行った。

車の情報、今やり取りをしているKOXという男について訪ねると
とんでもない答えが!


なんとKOXはこの辺の車窃盗グループを仕切るボスだったのである。

しかも、逮捕暦もある。

だけど、なんで警察は捕まえないのか?

彼を釈放してからも毎日のように窃盗事件が起こり、
彼の手元に現金が流れていくという。

多分相当頭がいいか、警察を買収しているとしか思えない。

捕まらない自信があるから、正々堂々と自分の名を名乗り
そういえば、警察に行ったかどうかなんて聞かれなかったし
自分の番号をテレビで流せとまで言えるんだ。

そして警察は犯人かもしれない奴の電話番号を被害者の私たちに
教えて、自分たちで勝手にやってくれと言ってるようなもんだ。

「THATS RUSSIAN CRIMINAL、彼のビジネスだから立ち入れない」
みたいなことまで抜かす。

立ち入ろうよ、警察なんだから!

警察のプライド全くなし。

昼間木陰にパトカー停めて、昼寝してるやつもいるぐらい。
信用度が低いのも納得だ。

今一番私たちに必要なのは、マフィアの友達だ。
そっちのほうがよっぽど早く解決しそうな気がする。

マフィアは悪い人たちだけど、曲がりなりにもマフィアの法の下
それを守って生きている。

役人は国家の法の下で、いとも簡単に国民をも欺く。

警察よりマフィアのほうが絶大な信頼を得ている都市もあるそうだ。

実際会ったら怖いんだろうけど・・・

・・・・週明けから今日まで、有力な情報は無い。

ただ、日に日に街で声を掛けられる率が高くなってきている。

昨日は幸運を祈ると言うおじさんから、犬のぬいぐるみまでもらってしまった。
そろそろこの街にいるのも、気まずくなってきた。

旅を続ける決意は固まりました。

やはり夢だし、まだ2ヶ月しか経ってないのにここで終わりにしたら
もったいないし、何よりも悔しい。

たくさんの物を失ったけど命がちゃんとある。

今助けてくれてるたくさんの人々や、日本で応援してくれてる家族や友達にも
もっともっと、旅の楽しいところをを伝えたい。

なので今週中に車が見つからなかったら、新しい車を買って再出発します。

2009/07/07

ランクル誘拐事件(3)

モスレムキャップを被った男は中央アジアのどこかの出身の
顔立ちで、決して悪そうな人には見えない。

とにかくロシア語が分からないので、確実ではないけど
マーカスが単語を拾って男の言うことを解釈すると

「車を盗んだかもしれない奴を知っている。
タクシー代を払えば、そいつの所にに連れて行く。
もしそこに車があれば、その場で金を払い車は返してもらえる。
ただし、夜に限る」

との事だった。

そんな危ないことできるはずがないし、こっちの要求を譲るつもりはない。

「昼間人通りがあるところに車を持ってくれば、お金は払う」

これが私達が提示する条件だ。

交渉は難航気味。

1時間ぐらいその場で待たされ、戻ってきた彼が一言

「5000ドルで買い戻せるってよ」

それが払えなければ、車は売り飛ばすということ。

まさに車誘拐だ。

相手の言い分は分かった。

だけどここで全ての交渉をするのは危険だと思い、考える時間と
通訳が必要なのでいったんそいつと別れて、後で連絡することに
なった。

彼はその交渉していた場所の、目と鼻の先に住んでいて

「俺はここに住んでるから、いつでも来ていいよ。
寝るとこなかったら泊めてあげるよ」

といって家の中に入っていった。

なんともフレンドリーな奴。

この状況、ますます訳が分からなくなった。

今さっき犯人らしき人と話していた奴が、自分の携帯番号を
教え、家まで案内して、警察に言うなとか一言も言わず
いつでも電話しきてね・・・なんて

いったいこいつは何者なんだ?

犯人の一味なのか、タダのからかいなのか。。。

とりあえず、友達を呼んですぐさま警察に連絡してもらった。

すでに一度会っている警察が私服で駆けつけきた。

そして状況を説明し、さっきの彼の所に行へ向かった。

彼の家のチャイムを鳴らすと、妻らしき人が出てきて
彼は今は留守で市場にいるとの事だった。

市場に向かう。

男の店に着き、警察の事を通訳だといって紹介すると
彼の顔つきが一瞬で変わってしまった。

警察の人も、もっと普通の人らしく挨拶の握手をして
普通に話しをすれば良いものの、その光景はまさしく
取調べ。

市場を出て、男が何をいっていたか訪ねると
「車の場所など知らない。探すのを手伝うと言っただけだ」と
さっき言ってた事と、まるきり違うことだった。

この使えない警察のせいで、交渉が台無しになってしまった。

マーカスはこの事に腹をたて、でも絶対知ってるはずだからと
今度は警察抜きで男に会いにいった。

すると男はやはり、さっきのは警察だと疑っていたらしく
今度はちゃんと話してくれた。

ウソかホントか分からないけど、昔そいつの弟の車も
盗まれ、警察に頼んだけど一向に戻ってこなくて、ある人から
窃盗グループの番号を聞きだし、警察抜きで交渉したところ
お金をはらって車が戻ってきたらしい。

彼は今そこと連絡を取り合ってる最中だという。

さっき嘘をついたのは、警察だと疑っていたことと妻と子供3人も
いるので今は捕まりたくないからという事だった。


一日が超長い。

体を動かして駈けずり回ってるときはいいけど、ふと我に返ると
今起きてる事の大きさに打ちのめされる。。

気分の浮き沈みが半端じゃない。

待つことが苦手な私にとっては、この日々はまさに拷問だ。


長い一日が始まる朝がやってくる。

1日の始まりが、最悪な気分の毎日。

 しかし明日もこの朝は、必ず時間通りにやってくる。

そして。

この日の翌日、事件から3日後に、またありえない状況に
遭遇することになった。

2009/07/06

ランクル誘拐事件(2)



ロシアに来て間もないころのブログにも書いたけど
こっちで走ってる車のほとんどが日本車で、中でも
ランクルの人気はすさまじい。

後で調べて分かったけど、ランクル専門の窃盗団も
いるらしく、彼らの活動範囲は日本まで及ぶことも
あるそうだ。

ウラジオストクで付けた防犯センサーは、サイレンはもちろん
ある所のヒューズを抜けば、車の電気系統がすべてストップして
エンジンがかからないようになる。

盗まれた日もそうだけど、30分以上駐車するところでは
昼夜を問わず、どこでもこのヒューズは抜くことも徹底して
とにかく用心していた。

犯行時間と思われるのは、深夜2時~朝の6時ごろ。
まさに泥棒が一番活気付く時間帯。

これも後で分かったことだけど、プロの窃盗団は防犯
センサーがあっても、いとも簡単に掻っ攫っていくそうだ。

私たちの車も、ガラスの破片だとか金属片だとかタイヤの
跡など犯行を物語る証拠はいっさい残さず、きれいさっぱり
持ってかれた。

クレーンで吊り上げて、トラックに載せたとしか考えられない。
くやしいけど、ホントお見事。

警察の届け出については相当悩んだ。

というのは、ロシアの警察の信用度は2~3%にも
満たないぐらい、ありえない低さ。

裁判官や政治家の信用度も低い。

国家の大黒柱となる人々すら金で買ったり、買われたりするのが
当たり前だそうだ。

賄賂が国家予算を上回るときもあるというから驚き。

この国では金で買えないものはないという。

もし私がロシア人だったら、まず警察には行かなかったと思う。

それは、この事件がおきてからいろいろ調べて分かったんだけど
まず、警察までもがグルになってるケースがあるということ。

後で触れるが、私たちのケースもどうやらこの例にもれず的な
匂いすら感じられる。

全てがつながってるかもしれない。

もちろん元締めはマフィア。
警察がマフィアに買われることなんてこの国ではザラにある。

取調べを受けた警察の所長そのものが超マフィアの風貌で、腕に刺青、
ティアドロップのサングラス。

マフィアの天下り先が、警察とかだったり??

ありえる。

だって、ここロシアだもん。

何を信じていいのか分からない。

警察が言うには、とにかく犯人からの連絡を待つしかないと
いうこと。

だから、ビラを作って、犯人専用の電話を買って
テレビ局に行って、流れるニュースを作ってもらったりした。

テレビ局の食いつきが、これまたすごかった。

最初は流れるニュースだけお願いするつもりだったけど、私たちの出会いから
この旅の経緯や事件のことを詳しく説明しているうちに、これはネタになる
と思ったのか、オフィスを出るころにはカメラマンとインタビュアーが
外で待っていた。

そして、なんの断りもなくかカメラが回り
「そこの柱に二人でビラをはって、悲しそうに歩いてきて」とか
「肩を寄せ合って話しをして」とか、軽く演技指導までされてしまい、
笑いをこらえながら、かわいそうな旅人を演じた。

仕方あるまい、車を、というか家を取り戻すためには、NOと言う選択肢など
なかった。

最後にカメラを目の前にまえにして、マイクを向けられインタビュー。

できれば日本語で、自分の言葉で感情を伝えたかったけど
英語で言うしかなかった。

車も大事だけど、もっと大事なものがたくさんあの車には詰まっている。

きっと車を盗んだ人たちにはどうでもいい物かもしれないけど
結婚祝いでもらった物、手紙や旅のお守り、そして結婚指輪!!

こういうものを失ったショックのほうが実は大きいという事を、必死に
訴えた。

「私たちの家を返してください。そして旅を続けさせてください。」

数時間後、どうにかこうにか編集されローカルとロシア全国ネット
両方でこの映像が流れたらしい。

しかもタダで流れるニュースも作ってくれて、その日行ったもう一つの
テレビ局も同様、タダで私たちのニュースを取り上げてくれた。

何なんだ、このシステム。

言うまでもなく、翌日から街を歩けば皆が振り向き、励ましの声を
掛けられ、見つかったかどうか訪ねられたり、ちょっとした時の人に
なってしまったようだ。

そんな中でビラを張るために、中国や中央アジアの人たちが
店を連ねる市場へ出かけた。

あっという間に人だかりになった。

その人だかりの中の女が、ビラをくれと言ってきたので1枚あげた。

数分後、市場を出たところでこの女と、女が連れた男に会う。

「この人たちよ、ほら」

ロシア語ではない言葉で男に話しかけ、そして呼び止められた。

「車、いくらでなら買い戻す?」

いきなりの事で、面をくらった。

こんなにも早く、犯人と接触?

この早すぎる展開に相当驚きをかくせずタジタジだったのだが
冷静に交渉を始めることにした。

2009/07/01

ランクル誘拐事件(1)


話のいきさつはこうです。

まず先週1週間はホントにすばらしい日々だった。

マーカスの親と合流して、ここイルクーツクから200キロ離れた
ブリヤートの村に泊まり、そこから20キロ離れた所まで馬で移動し
さらに2000m馬で登山した。

4日間も馬に乗ってれば慣れるもんで最初は怖かったけど
最終的には3rdギアの状態で乗ることができた。

このホーストリップについてはいずれ報告します。

この馬旅から帰って来たその日、モンゴル領事館にビザを
取りに行った。

翌日にはモンゴルに向けて国境まで行く予定だった。

こっちで知り合いになった子のうちでパソコンを使わしてもらい
洗濯して、日本食を作りその日の夜は近くの駐車場でルーフテントを広げて寝た。

翌日、買い物をすまして出発しようと思ったんだけど、そのお家に
色々な旅人が訪れ長々と話し込んでしまい、出発するには遅い時間になってしまったので、
その夜は、寝袋と歯ブラシセットだけ車から取り出して、そのお家に泊まらせてもらった。

車はマンションの真下にある駐車場に泊めた。

事件発生当日、朝食を済まして他の旅人たちにお別れをして駐車場に向かった。

でも車がない。

「あれ?ここに泊めなかったっけ?」

一瞬ゾクっと鳥肌がたった。
そんなはずはないと思い見回ったけどどこにもない。

「いやいやいや、うそでしょ、駐車違反とかで持ってかれた?」

ロシアで駐車違反の取り締まりなんてありえない。

やっと状況が飲み込めたのは、数分後。

やられた・・・

お互い言葉が出ない。

わたしはその場でヒザが崩れ、マーカスは頭を掻きむしり、立ちつくしていた。

放心状態とはまさにこういう事だ。

なんだかよく分からない状況の中、さっきお別れしたはずのみんながいる場所に
戻った。

もう混乱しすぎて、あまりよく覚えて居ないのだけど、ここに居た人たちの
協力体勢が迅速で、ありがたいったらなかった。

ロシア語が話せて手が空いてる人が数名ヘルプを名乗り出てくれて、
1時間後には彼らと共に、警察の取り調べ室にいた。



警察の態度は超傲慢で、ホント腹が立ったけど怒りを抑えて取り調べに
応じた。

何箇所もたらいまわしにされ、何箇所もサインをして4時間ぐらいの後
開放された。

警察が言うに、車を一番手っ取り早く見つける方法はビラを町中に
張ることと、テレビの文字コマーシャル(画面のしたにテロップが
流れるやつ)に連絡先をのせて、犯人からの連絡を待つとのことだった。

そして、車はちゃんとあるからとにかく焦らず待てとのこと。

ロシアでは頻繁に起こる「車誘拐」。
どうやらこの罠にはまってしまったみたい。

手伝ってくれてる二人と、明日の予定をたてて別れるが家ごと盗まれた為
今夜泊まるところがない。

二人で途方にくれたが、寝床も手配してくれた。

白いズタ袋のようなマーカスの寝袋の袋に自分たち持ち物を詰め込んで、
手伝いの一人が紹介してくれた他の友達のお家に行く。

ほんと、みんな良い人たちだ。

私たちが歩く姿は、ロシアでホームレスになったサンタクロースと
その妻みたいだと後で人に言われた。

「サンタクロースと結婚した覚えはないでしょ?」

なんてうまい冗談を言われるが、笑えない。

夜寝る前に、無くしたものはなんだっけってずーっと考えてた。
あれも、これも、それにあれも・・・・・・・・・・・・
気が狂いそうになる。
冷静に考えられる事なんかでは決してないんだけど
今持ってるもの以外、全部なくなった。

これが答え。