朝7時に船が到着し、ウクライナに上陸。
面倒くさい入国と通関手続きは、行きと変わらず。
腹立つことが多いのも想定内だったので、流れに任せてあとは待つ辛抱のみ。
未だに良く分からないシステムだけど、無事入国。
その足でお昼ご飯でも食べに行こうと、オデッサの湾岸公園へ向かったのだけど
ランチ時間はとうに過ぎていて、食堂も売店も全部しまっていた。
なので、駐車場でお昼ご飯を作って食べて、再び移動の日々が始まった。
そういえば、オデッサの街を出てすぐぐらいの大きな通りで、警察に止められた。
そこは警察署がある通りの検問所だった。
身元確認するため、免許とパスポートを渡せと窓越しに言われるが、
忘れちゃいけない、ここはウクライナ。
東欧で警察に扮した輩の詐欺など、いくらでもある。
こういう場面で瞬時に気転がきくマークスは、渡してもいいけど俺を一緒に
連れて行けといって、警察署の建物にの中に警官と共に消えていった。
10分ぐらいして戻ってきた彼は、携帯電話を持ち出してまた署へと戻った。
中ではこんなことがあったらしい。
車のライトが点灯していないから、とりあえず罰金払えと。
換算すると15ユーロぐらいだったっけな?
私達は外国人で、今日船で上陸したばかり。
ここまで来る間に、昼間のライトの点灯義務を表示してある看板など
一つも見なかった。
ちなみにグルジアでは 、船から降りた車が一般道に出る最初のゲートのそばに
グルジア独自の交通ルールが示されてる看板が掲げてあった。
ヨーロッパでも車で国境を越えた瞬間には、まずこういう看板がお目見えする。
なのに、この国にはそれがなかった。
だからそんな点灯義務など、どうやって知ればいいの?
他にも点けてない車、沢山いるよ?
しかも罰金15ユーロなんて、バカじゃないの?
不屈の男は、こういう所でもガンガン行くものなのです。
しかし、規則は規則だと、あちらも引くはずもなく。
じゃあ、そのライト無点灯の罰金が15ユーロと記述してある文書を
見せてみろ。
その写真を撮ってあとで大使館に連絡をとって、それが本当なら払わなきゃ
いけないのかもね。
と言って、携帯電話を取りに返って来たのである。
ついでにその警察官の名前も聞いて、写真も撮っていい?と
訪ねたところで、警察ギブアップーー。
もう行っていいよと手で追い払われ、無言で帰されたらしい。
しかし、夫よ。
君にそういう不屈の精神があることは知っているのだが、
よーく考えたらね、悪いのは君だよ。
よその国で運転するなら、その国の交通ルール調べとかなきゃいけなかったのは
君だよ。
それ、立派な逆切れだから。
と、一応言っておいたら、「だよねーーー」だって。
君のその剛毛が生えてる心臓の、一欠けらでいいから分けてくれと思った。
まあでも、警察も警察。
私達は経験上、こういう警察が世の中にはまだまだいる事を知っている。
くやしいけど、同じような場面で払わらざるを得なかったこともあった。
だからこの件は、いつぞやの悪徳警官への仇討ちというとで、スッキリ!!
初っ端から挫かれそうになったものの、運よくスル―することが出来
私達は一路、国境の街を目指す。
ロシアと同じ佇まい |
ひと月前通った道を、まんま戻って気付いたんだけど
道にどんどんアスファルトが敷かれ、足元がすこぶる良くなっていた。
1カ月で道路工事ってこんなに進むものなのね。
驚きだった。
1日目はその辺の湖のほとりで1泊し、さらに西へ西へ。
そしてたどり着いた国境近くの街、リヴィウ。
ここには、グルジア滞在中にお世話になったゴチャのアトリエで絵を書いていた
ウクライナ人のアーティスト、セルゲイが住んでいて、帰り際に訪問させて
もらう約束をしていたのだ。
リヴィウなんて街、初めて聞いたけど、旧市街はヨーロッパの中世の雰囲気
そのもの。
なんだけど、所々やはり「東欧」を感じさせる廃れ具合がどうにもこうにも目につき
それがかえって、私的にはたまらない街でした。
そしてなんと言っても物価の安さ。
例えて言うなら、東南アジアよりも安い。
セルゲイのおススメで、 街の中心の修道院の地下にある上品なレストランで
お昼ご飯を食べた。
雰囲気抜群で、使ってる器がどれも素敵。
ここでビールとか自家製のクヴァスを飲んだり、メインディッシュ的な物を
何品か頼んでも3人で15ユーロいなかいぐらい。
こういう所でこのレベルなので、郊外の食堂は国営か何かなのかと思うぐらい
もっと安かった。
そしてこのレストランでは、手作りビアジョッキが素敵すぎて、
3つ購入させてもらった。
(レストランの上のギャラリーで買える)
1つ7ユーロぐらいだったかな。
食事の料金と比較するとお高い気もしたんだけど、吹きガラスのビールジョッキ。
ドイツで買ったら3倍はすると見た。
自分への良いお土産っつーことで。
街の歴史的区域は世界遺産に登録されているらしく、観光客や修学旅行の学生たちで
賑わっていた。
広場のお土産屋台には、プーチンのトイレットペーパーが。
そうだよね、ロシアとの間には色々ありすぎるもんね。
奥さんの洒落たアトリエや、ハナレにはサウナがあり、庭では家庭菜園やってたりと、
とてもとても素敵な暮らしをしていた。
しかも私より4つぐらい年上で、画家として生計を立てて、しかも家まで建てて
2人孫がいるって、どれだけの器量がある人なのか。
「絵」を描いてる人は周りにちょこちょこいるけど、それだけで
生計を立ててる人に、初めてお目に掛かった気がする。
アトリエに伺ったこの日も、ストックから1枚絵が売れていた。
セルゲイ、いったいウクライナではどんな存在なんだろう。
アトリエにあったものすごく素敵なベスト。電子レンジの隣だなんて。 |
夜は彼曰く「近所の変わり者が集まって居るパーティー」に参加させてもらった。
ウクライナには私が大好きな「Dakhabrakha」 というバンドがいるんだけど
彼女たちのミュージックビデオにで出て来そうな素敵な民族衣装に身を包んだ人々が
庭でウォッカを飲んで歌ったりしていた。
世界観がまるでDakhabrakhaで、私は一人で感動していた。
セルゲイにそれを伝えると、あのバンドも有名になっちゃったからなー、と
何か言いたそうだったけど、それ以上は言わなかった。
そうか、ウクライナではそういう感じになっちゃったらしい。
それにしても、何の集まりだったんだろう。。。
翌日は自宅でサウナに入ったりしてのんびり過ごした。
夜は旅の最後にまた素敵な思い出ができたことに感謝の気持ちを込めて、
得意の巻き寿司を作った。(基本、巻きすは持参😁)
そして 出発の朝。
国境越えのアドバイスをもらい、いつの日かの再会を誓って、リヴィウを後にする。
ウクライナ、正直行きも帰りも通り道程度にしか考えていなかったけど、
こうやって知り合いが出来たりもしたし、あの謎の集会でウクライナの土着の文化に
ついても興味が湧いてきた。
ウクライナ料理も奥深いだろうし、音楽にももっと触れてみたい。
あの国境を超えるのはすごく面倒くさいけど、いつかゆっくりまた、
この国を訪ねてみようと思った。
次回でやっと最終章。
続
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