2015/12/31

東欧旅行記_チェコ(クトナ・ホラ)

最終章は、寄り道の話。

ルーマニアを出てからは、またまた一目散でスロバキアにいるマークスの友人を訪ねる。
彼もドイツで働いていて、休暇でこのスロバキアの実家に戻っている最中だった。

ここでは3日間泊めてもらい、楽しい家族がいるお家でノンビリ過ごさせてもらった。
特にくり坊が、毎日クタクタになるくらい子供たちに遊んでもらっていて、大ハシャギだった。


スロバキアを出て次に向かったのはチェコ。

チェコと言えば見どころがいっぱいある国なわけだけど、私はとにかく家に帰って庭仕事を
したり、ゆっくり料理したり、フツーの日常がとにかく恋しかったので、帰路を急ぐのみ。

だけど、1か所だけ行ってみたかったところがあり、丁度通り道だったので立ち寄ってみる
ことにした。

その場所とは。。。

骨教会


 セドレツ納骨堂 

1万人分の遺骨で教会内が装飾されています。



天使とシャレコウベ

骨シャンデリア



ここまで骨だらけになるともう芸術で、オドロオドロしい感じは全くせず、むしろ人体標本を
眺めるかのごとく、骨の形なんかを観察するという感じ。

完全に観光地なので、人もわんさか、みんな骨と一緒に写真とりまくりだった。

でもよく考えてみると、すべての骨の背景には、人間として生まれ生きていた歴史があるわけで、
まさか将来自分がシャンデリアの一部になるなんて思ってなかったはずだとか思うと
とてもシュールな光景で、不謹慎ながらも、おかしくなってくる。

ということで、今回の旅の締めくくりは「骨」でございました。

通り道だったから来たけど、わざわざこのために出向いたかと言われれば、、、、ウーン。
という感じです。



それから私たちはここから70キロ程離れたプラハをフツーに通過し、途中のローカルな
食堂でチェコ名物のグラーシュとクネドリーキを食べ、ドイツに到着。

そのまま家に帰るには、結構な距離を走り疲れていたので、途中の原っぱにて就寝。

翌日、念願のHome sweet home.

予定より1週間ほど早めに帰ってきたのです。

今回の旅は何度も書いた通り、不完全燃焼で終わったという感じだったけど、
東欧はそれでも魅力満載だと思うので、絶対にまた回ってみたいと思う。

そのための下見だったと思えばいいかな。

1歳児連れのキャンピングカートリップも、思ったほど大変ではなかったし、来年、再来年は
もっと楽になり、もっと一緒に楽しむことができるはず。

そう思うと次の旅も楽しみです。

次からは、あてずっぽうの旅ではく、もうちょっと情報収集とかちゃんとしようと思う。
特に地元民との絡みがない旅では、そういうことがホントに大切だと痛感したから。


次回はいよいよ念願のあの国での旅日記になりそうです。
そう遠くない日に、またつらつら書けたらうれしいなー。

2015年東欧旅行記



2015/12/30

東欧旅行記_ルーマニア (ブクウィナ)

強引に最終章!その1

すっかり忘れておりました、旅日記。
年内に書き上げるぞと思ってたら、残すところ今年もあと1日!

実は3月から始まる新たな旅の構想を練ろうとしているところでして、「ああ、そういえば!」と
思い出したのであります。

地味ーに終わりますよ、東欧旅行記。

細々と覗きにきてくれたみなさん、ありがとう!



さて、灼熱のルーマニアを旅していた私たちは、最後北東部にある小さな町に住むある人を
訪ねるべく、ちょっと頑張ってロングドライビングの2日間。

その人というのは、かれこれ16年も前にマークスがバイク旅をしていた時に出会った人物で
その時は3日間ほど彼の自宅で過ごしたらしい。

彼は、失われつつあるルーマニアの伝統的な暮らしをしながら、森林エンジニアとして働いている。

そしていつだったかドイツのテレビで彼の生活を元に作られたレポート番組をたまたま見て
「よっしゃ、彼に会いに行こう!」というのが、ルーマニアに来るきっかけでもあった。

余談ではあるがこの番組では、電気も水道もなく昔ながらの伝統的な暮らしをしている彼の
友人のことも多く取り上げられていてた。

未だに炭火でアイロン掛けをする奥さんに、電気が欲しいとねだられ、一大発起して電気会社に
頼みに行くも、高すぎるので仕方ないから近所の電線から勝手に電気を引っ張ってくる
というのが結末だった。


しかし放送終了後、ドイツ人から彼宛にたくさんの寄付が寄せられ、その結果合法的に電気を
引くことができ、今ではテレビや洗濯機を持つまでになった。

いいんだか悪いんだか、彼らの暮らしは大きく変わってしまった。

そんな暮らしぶりも見てみたいなーと、そして何日かこの地方に滞在してトレッキングや
昔ながらの暮らしに触れられたら、なんて期待を胸に超特急で向かったのである。

しかし、しかし。

目的を持って、目的の人物に会いに行くわけだけど、肝心のその彼に、連絡というのをして
いない。

最後に連絡をとったのは、まさかまさかの16年前。

そこに今も住んでいるのかも、彼が果たしているのかもわからない。
わかっているのは、テレビで見たもん、ちょっと歳とってたけど、あの時いたおじいちゃんと
一緒にあの家が映ってたし、ということは、いるんじゃね??

的なノリ、いつもの。

そういつものこの人、マークス君、アポなし訪問はいつものことだけど、それにしても行くところが
遠すぎるよ。

まぁ、いればラッキー、いなければ。。。それはその時考えよう。

うん、そうしよう。

ということで、サプンツァ村から出発し小さなキャンピングで一泊した後、ものすごい山道を
1日で走り抜けて、やってきた訳であります。


クネクネ道を上ったり下りたりすること数時間。

ようやく目的地の町に到着。

住所なんて、わからない。

なので、彼の名前を書いた紙を通りすがりの人とかに聞いて回る。

少し迷ったけど、その場所が近づくにつれてマークスの記憶がよみがえってきて、やっと家を
見つけだした。

すっごい細い砂利道に、ドイツナンバーのキャンピングカー。
なんか、嫌な感じだなぁ。



そして、車を降りて16年前にここで3日間お世話になったという家の門を叩いた。





結果から言うと、ちゃんといたのです、そのおじさんは。

しかし、16年前、いや番組が放送された2年ぐらい前とはずいぶん状況が異なっていた。

まず、マークスも会ったことのあるおじいさん(彼のお父さん)は、放送直後に亡くなっていてた。

そのおじいさんというのが長年学校でドイツ語の先生だったので、今回会うことが
出来たご健在のおばあちゃんも少しドイツ語が話せ、坊にたくさんドイツ語で
話しかけてくれていた姿が、とても可愛らしかった。

そしておじさんは長年連れ添った奥さんと離婚して、まだ日が浅いのだと言っていた。

彼は退職してまだ間もないけど、今はこの辺の観光や森林ツアーのガイドとして生活
していて、そういうのもあってテレビで紹介されたらしい。
 
その仕事がうまくいってるのか、自宅の敷地内に2階建ての立派な宿泊施設を建設し
各国から客人を受け入れているらしい。



久々の再開。
16年前のこと、うっすらと覚えてくれていたらしいけど、今考えると、図々しいにも程があるよなー。

私と坊は初対面。

急な訪問にも関わらず快く招き入れてくれて、ここまで来た甲斐があったものだと胸を撫で下ろした。

なんだけども。。。

おじさんは宿泊施設も運営しているので、私たちはそこに泊まる客のような扱いをして頂き
こっちとしても気まずいったらなかった。

そんなつもりではなかったのに。。。

食事もおじさんがキッチンで用意してくれて、それを食堂のテーブルで私たちだけで食べたり
ベットルームも丁寧にも1部屋提供してくれたけど、そのあと「では、ごゆっくり」と言って
彼は同じ敷地内にある自宅に戻ったきり、次の朝まで会わなかった。


朝は起きたら朝食が用意してあって、それをまた食堂のテーブルで寂しく食べた。

やはり、招かざる客だったのか。

マー曰く、昔の彼はもっと陽気でお酒が好きな楽しいおじさんだったと。
そんなイメージだったから、今回もいきなり遊びに行って驚かせちゃおうみたいなノリだったん
でしょう。

だけど、ここ数年の父親の死や離婚などで、ウツ状態が続いたようなので
人柄もすっかり変わってしまったようだ。

そりゃあそうだよな、もし自分がウツで人にも会いたくないなんて時に、いきなりアポなしで
知らない人がやってきたら、私だったら「ごめん、ムリ」で済ますかな。

今回は完全にマーの読み違え。
 
普段空気が読めない彼でさえも、そんな空気を感じ取ったらしく、さすがに数日滞在して
周辺を連れまわしてもらおう計画は1日で変更。

これが旅の最後の楽しみだったわけだけど、そんなこんなでなんとなくテンションが下がり
この後行くはずだったトランシルバニア地方へも足を延ばさず、ドイツに帰ろうということに
なった。

私たちは2日かけて走った山道をそのまんまノンストップで駆け下りて、サプンツァ村の
修道院の駐車場に深夜たどり着き、そこで夜を明かすことにした。

翌日。

帰路の旅に出発した日曜の朝。

道を行く人々が、このあたりの民族衣装に身を包み教会に向かう姿が、国境に向かう間
ずーっと見られた。

ルーマニア正教の熱心な信者である人々は、日曜には正装をして教会に出向くらしい。

思っても見なかったことで、ちょっとテンションがあがる。
最後ルーマニアで、素敵なものが見れて良かったな。

通りかかった教会の外では日曜礼拝のセレモニー的なものが行われていたので、
柵越しに覗かせてもらった。







この日気温は40度を超える猛暑にもかかわらず、この衣装というのは見てる方はいいけど
着てる人達はかなり暑そうだった。

着物を着るときみたく、色々と決まり事とかあるのかな。

だけど、ひざ丈のスカートを履いてるお婆ちゃんたちの姿は、実に可愛かった。

もうしばらく居れば、踊りとか始まるのかとおもったけど中々始まらず、とにかく暑かったので
私たちはその先を急ぐべく、ルーマニアを後にした。

最終章2に続く 

2015/12/08

東欧旅行記_ルーマニア (サプンツァ)


ルーマニア北西部、マラムレシュ地方のサンプツァ村の事をテレビで見たのはいつだっただろう。

ここには「世界一陽気な墓地」と呼ばれるメリーセメタリーという墓地があって、小さな村なのに
この墓地を目当てに年間3万人もの観光客が訪れるらしい。

いつか来てみたいと思っていた場所。

その朝私たちは少し早起きし、日差しが優しい午前中の移動を試み、久々にワクワクしながら、100キロの道のりをひた走る。


そしてついに到着したサプンツァ村。

ちなみにここの情報は、私が家を出る直前に手帳に殴り書きした「サプンツァ村、墓」のみ。
だから、村に着いたはいいけど、どこに何があるか全くわからなかった。

しかし、観光名所でもある墓地の看板がないはずはない。

とりあえずなんか看板が出ているところに車を止めて、それらしき方向に歩いてみる。
しかし、そこにあったのは修道院だった。










この修道院は木造で高さが70mあるという、とてつもなく高い建物だった。

時刻はちょうどお昼頃で、ゆっくり歩いて見物しているだけでもダラダラ汗が噴き出てくるぐらいの
猛暑。

その猛暑の中で、大きな草刈り鎌を10分おきぐらいに研ぎながら、延々と草刈りをしている
おじさんが二人。

こんな広大な敷地の草刈りを手作業でなんて、1週間でも終わらなそうなのに、あくまで
鎌にこだわるのは、何か伝統とかなんだろうか。

実際、道端でも若者が大きな鎌を持ってトラックに乗り込むのを何度か目撃したし。

それにしてもかわいそすぎる。

でも、車の代わりに馬車がまだ多く利用されているぐらいの所だから、こんなのは当たり前なの
かもしれない。



とにかくものすごい暑さだったので、多分近くにあるであろう墓地に今すぐ向かう気にはなれず、
結局この修道院の駐車場に車を持ってきて、日差しが和らぐまで休むことに。

木陰に車を止めて私が昼寝をしている間、男衆二人は近くを流れる川を偵察しに行った。

そして、川に足をつけて2人で遊んでると、おもむろに拳銃を脇にさした警察らしき人が
近寄って来て、すぐさま川から上がれと警告されたらしい。

聞くと、ここは向こう岸はウクライナという国境を流れる川で、そんなところでのうのうと
遊んでしまっていたらしい。

パスポートを見せて、注意されて、それからその人は去って行ったらしいけど。

危ない危ない。危うく向こう岸に行くところだったって。

そんなこんなしているうちに、大分暑さが落ち着いてきたので、自転車に乗って散策がてら
墓地探しに出かける。

修道院からは自転車で10分ぐらいのところに、その場所はあった。

墓地の周りには、民族衣装やらお土産やカーペットを売る店が5,6件あって、観光名所の
雰囲気を漂よわせ、噂通り何の変哲もないこの小さな村のほんの小さな1角に世界中から人が
集まっていた。














この陽気な墓の発端は、1935年に村の彫刻家の青年が、遺族らが愛する者の死を
乗り越えられますようにとの願いを込めて、明るくカラフルに故人の生前の姿と詩を墓標に
刻むようになったのが始まりだそうで。



子煩悩なお父さんだったのかな?


パンを焼くのが大好きでした

溺れて亡くなった方



昼間は真面目な公務員だけど

夜は酒のまなきゃやってらんなかった。。。
電車にひかれ。。。。

セクレタリアに殺された???





悩み多き人生だったのかも

飲み過ぎで


交通事故死。でもなぜかこれを読んでる人達は爆笑していた。


肉屋でした。

リンゴ狩りが大好きでした



そして、彼こそがこの墓標の製作者。
2代目さんだったけな?




ここは紛れもない墓地なんだけど、周りでは笑い声が聞こえ、故人とは全く関係のない人達で
賑わっている。

まるで死者の魂を笑いで弔っているかのように。

そういうことも想像していたのだろうか。
かつてその彫刻家が目指した明るく楽しい墓、まさしく「世界一陽気な墓」がここにあった。

もし私が死んだら、この墓標には何が刻めるのかな?

私の人生を象徴するものって、一体何なんだろうと考えてみたけど、これと言ってない。
と、自分では思っている。

寂しいなー。

死ぬまでに、やっぱり何かを極めたり、コレ!というものに出会いたいと、そんなことを思った
墓巡りだった。

数年来の夢も叶ったりで、ここサプンツァ村に来れて本当によかった。


それから私たちは村の寂れたスーパーでビールを買い、車に戻ってくり坊に水浴びをさせ、
熱帯夜の中、その修道院の駐車場で眠ることにした。