地図を頼りに今日こそオシュに着くはずだった3日目。
その地図もあまり当てにならなく途中で道が途切れていたりで思うように
進まなかった。
途中で馬に乗った二人組を発見。
バックパックを背負っていたのでツーリストだと思い、話しかけてみた。
フランス人とイタリア人の彼らは、ヨーロッパからトルコやイランを経由して
中央アジアに突入したらしい。
旅歴5ヶ月。
キルギスに入って、馬で旅する事を思いついて予算をほとんど使い果たして
馬を手に入れ、この後カザフスタンまで向かうらしい。
馬で国境超え。いいね~。
いるもんだねーこういう人。
何がそうさせてしまうのか、会う人会う人みんな濃い旅人ばかりで、
ワクワクしちゃう。
一日3ドルの貧乏旅だけど、その辺の人がいつも助けてくれるから
特に困ったことは無いと、目をキラキラ輝かせながら言っていた。
こういう旅人に出会うと、ホントにハッピーな気持ちになる。
超汚くてぼろぼろな格好なんだけど、自分の旅を心から楽しみ、人生を
謳歌している人達。
毎回毎回とてつもなくいい笑顔と、パワーをもらってます。
そのあとは、なんとなく立ち寄ったきれいな川辺で休んでいると、馬に乗った
キルギス人のおじさん2人がやってきたので、お茶を出してあげて一緒に
お昼ご飯を食べた。
牛飼いのおじさんは、自分の暮らしが大好きだと言っていた。
いつでも好きな時に誰かの隣に座って話をきいたり、お茶を飲んだりする余裕というか、
それがおじさんのライフスタイル。
うらやましい人生だな。
今日はなんかいい人に出会うな~。
街中だとこういうチャンスは滅多にない。
ようやく山を下り終えたころには日も暮れだしたので、オシュの手前の
ジャララバードという街の近くのとうもろこし畑に車を停めて泊まった。
今日こそオシュへ!
街に近づくにつて段々交通量も増えだし警察もちらほら見かけるようになってきた。
私たちは自称優良ドライバーなので、制限速度は守るしシートベルトだって当たり前。
何かあったら面倒なので必要以上に気を使って運転しているんだけど、
この日、なんとスピード違反の検問で引っかかってしまった。
そして近づいてきた警察に、30キロ制限のところを66キロ出ていたので
罰金100ドルと言われた。
60キロなんて絶対出してないし、100ドルなんて狂ってる強気で言い返した。
するとやっぱ40キロぐらいだったかな~みたいな態度に豹変し、
それでも若造の警察が
「僕が罰金を取るんじゃなくて、あそこにいるボスの命令だし
キルギスのルールだから仕方ないんです」
と、カタコト英語で必死に説得してきた。
くわえて、ここでお金払えばこのまま見逃すけど、払わなかったら免許を取り上げる
とまで言ってきた。
マーカスは自動車の保険のことなど色々聞かれて面倒を起こしたくなかったので
悔しいけどこの場はお金を払って、丸く収めようとしていた。
だけど私の怒りは収まらない。
名前教えろ、写真取らせろ、大使館に連絡する、ボスの名前と手帳を見せろだの
散々ごねた。
が、相手の反撃もすごかった。
大使館に連絡したらボスが大統領宛に手紙を書いて、この国で運転できないように
処置をとるだの、名前は教えられないだのありえない事を言い出す始末。
じゃあ払うから領収書出せといったら、領収書出す場合は銀行振り込みで
罰金料が3倍になるとまでぬかす。
だからもう払っちゃいなよみたいな口調になってきて、もうらちがあかないので、
いくらか訪ねると、20ドルにまで下がっていた。
職権乱用。
完全に汚職でしょ。
ポケットマネーが底ついた貧しい警察が、外国人目当てに行う立派な犯罪だ!
ロシアやカザフスタンでは、自国のイメージダウンを嫌う大統領が
警察機関に一喝して、昔ほど不当な取締りが無くなってきているらしいけど、
中央アジア他の3カ国はまだまだこの腐った警察が幅を利かせているらしい。
結局20ドル払って別れ際
「今日あなた達は警察にも会わなかったし、お金も払ってないOK?」
と言われた。
あきれて物も言えず、奴らを出来る限りの軽蔑の眼差しでガン見してやって、
無言でその場を去った。
それでも今回2回目の罰金(賄賂)で、私たちはましな方なのかもしれない。
もっと搾り取られている人の話を何度も聞いたことがあるから、キルギスの
警察に対しての不信感は、旅人の間では有名なのだ。
やりきれないまま、ようやくオシュに突入。
気分転換のためにチャイハナ(中央アジア風喫茶店)で休むことにした。
2009/09/30
The way to osh
キルギスのオシュという街に向かい山を下ること2日目、途中で車が故障している人を
発見。
エンジンがかからないので、15キロほど離れた村まで牽引していくことになった。
車をつなぐロープがボロすぎて、途中で何度も結びなおしながら山道を進んでいった。
村に着き、引張ってきた30年前の4人乗りのポンコツ車から出てきたのは7人の大人と赤ちゃん一人。
屋根には200キロ分のりんごが乗せられ、トランクを開けると生きてる
羊が2頭ギュウギュウに詰め込まれていた。
これで山をくだってきたらしい。
すごすぎる。
助けてくれたお礼にお茶でもどうかということで、その車に乗っていた男の人の
家に向かった。
家にはなぜか沢山の人が出入りしていた。
聞くとその日は法事で、40日前に亡くなったその一家の次男を偲ぶために方々から
親戚が集まっているという。
お茶やお菓子を頂いてその後出発しようと思ってたんだけど、この一家の主に
「今日は親切に助けてくれたお礼に羊を一頭料理するので、食べてってね」と言われ
断りきれず翌朝出発することにした。
さっき見た羊はトランクから出され、家の敷地内に放されのんびりと草を食べている。
私はなんとなく、この子達を直視できなかった。
家にいたのは全部で20人ぐらい。
若い女たちが食事やお茶や子供の世話をするのに家中歩きまわっている。
その中に一人英語がちょっと話せる人がいたので色々聞いたりするのにすごく助かった。
彼女はビシュケクでナースをしていると言っていた。
年配の人や年寄りは座っておしゃべりをしている。
客人が来るたびにこの家の最長老のおじいちゃんが、亡くなった自分の息子に
イスラムの祈りをささげる。
おばあちゃんが子供のようにオイオイ泣き出したり、親族間で揉めはじめたり、
酔っ払いの一家の主に絡まれたり、どうしていいか分からない時間が刻々と過ぎ
夜になった。
「じゃ、そろそろ行こうか」
おばちゃんが首を切るしぐさをした後、見るんだよというジェスチャーを加えてこう言った。
表にでると黒い羊が1頭綱につながれ、まるでペットのように男の横によりそっている。
全員が家から出てきて、メッカの方に向かい祈りを捧げだした。
羊もメッカの方に向かい、空を見上げていた。
祈りが終わるとすぐさま羊はひっくりかえされ、外にある台所専用の建物のなかに
連れられて、首を切られて息絶えた。
羊を食べるといわれた瞬間から、このことは想像できていた。
特にキルギスでは羊をバラすことは日常茶飯事で、バラせない男は男じゃないといわれるくらい
ナイフ一本で見事に解体する。
動物でもなんでも、殺す瞬間なんて見たくも無かった。
そんなの見たらきっとかわいそうで食べられなくなるんじゃないかとも思った。
だけど意を決して最初から最後まで見て、ホントにホントに一つの命がこの世から
消されるんだというリアルを体験した。
私達の為に、死んだんだ。
当たり前だけど、物凄く苦しそうだった。
どんな理由であれ文化であれ、残酷なものは残酷だ。
解体を手伝えと言われ、泣きそうになりながらつかんだ肉がまだ温かかった。
肉を食べるということは、動物を殺すこと。
そうです、私達は殺された動物の肉を食っているのです。
この体験を通して、 思い知ることになった。
深く考えたらキリがないんだろが、そんなことを考えていつもモヤモヤしながら
肉を食べることになるのだろうか。
白いトレイにスライスされて売られている肉や、パスタに入ってる細切れのベーコンを
見て、動物が息絶える瞬間なんて想像も出来ないだろう。
だけど私は見てしまった。
これからは感謝の気持ちを一度添えて、肉を頂けるような人になりたい。
羊が肉の塊になって大きい鍋に入れられたのが9時ごろで、3時間煮込んで客に振舞うという。
その間若い女たちは見事な手さばきで分解された内臓を洗ったり、切り刻んだりして
色んな料理を作っていた。
料理担当の男は、切り離された羊の頭に棒をさし直火で焼いている。
この頭が、この日の主役に捧げられるという。
深夜12時過ぎになり料理し終えた肉が大皿に山のように盛られ、
その上にさっき直火で焼いていた頭が飾られている。
羊の頬肉を主人がそぎとって自分が食べ、そのあと長老たちに分け与えられる。
そして残りの部分は、亡くなった男の人の息子と兄弟の一人が耳や目玉を分け合いながら食べていた。
一番美味しいといわれる脂身も同じく年配の人たちに分け与えられ、
あとは適当に回ってきた皿から好きな部分をとって食べる。
ちなみにわたしは、肉がどうこうじゃなくてこの羊肉の匂いがどうしてもダメで
食べられなかった。
そのあとは腸詰、スープ、肉入りのうどんが次々と出てきた。
前菜、メイン、サイドディッシュが脂ギトギトの肉のフルコース。
約20人で羊丸ごとたいらげておりました。
匂いと人の多さに気持ち悪くなり、いつどうやって寝たのか覚えてない。
そして翌日言うまでも無く、昨日の残りの肉が朝の食卓に並んでいた。
さすがにマーカスも肉地獄だといって、しばらく食べたくないと言っていた。
出発間際は写真撮影大会。
こっちの人はほんと写真に取られるのが好きなんだなぁ。
どこかで現像して送ってあげたら喜ぶだろうな。
またまた思いがけない出会いから、フツーのキルギス人の家庭にお邪魔して
貴重な体験をさせてもらいました。
人との出会いは楽しみだけど、いったいいつになったら街に着くんだろう。。。
そんなことを思いながら、山を越え谷を超え山を下って行きました。
発見。
エンジンがかからないので、15キロほど離れた村まで牽引していくことになった。
車をつなぐロープがボロすぎて、途中で何度も結びなおしながら山道を進んでいった。
村に着き、引張ってきた30年前の4人乗りのポンコツ車から出てきたのは7人の大人と赤ちゃん一人。
屋根には200キロ分のりんごが乗せられ、トランクを開けると生きてる
羊が2頭ギュウギュウに詰め込まれていた。
これで山をくだってきたらしい。
すごすぎる。
助けてくれたお礼にお茶でもどうかということで、その車に乗っていた男の人の
家に向かった。
家にはなぜか沢山の人が出入りしていた。
聞くとその日は法事で、40日前に亡くなったその一家の次男を偲ぶために方々から
親戚が集まっているという。
お茶やお菓子を頂いてその後出発しようと思ってたんだけど、この一家の主に
「今日は親切に助けてくれたお礼に羊を一頭料理するので、食べてってね」と言われ
断りきれず翌朝出発することにした。
さっき見た羊はトランクから出され、家の敷地内に放されのんびりと草を食べている。
私はなんとなく、この子達を直視できなかった。
家にいたのは全部で20人ぐらい。
若い女たちが食事やお茶や子供の世話をするのに家中歩きまわっている。
その中に一人英語がちょっと話せる人がいたので色々聞いたりするのにすごく助かった。
彼女はビシュケクでナースをしていると言っていた。
年配の人や年寄りは座っておしゃべりをしている。
客人が来るたびにこの家の最長老のおじいちゃんが、亡くなった自分の息子に
イスラムの祈りをささげる。
おばあちゃんが子供のようにオイオイ泣き出したり、親族間で揉めはじめたり、
酔っ払いの一家の主に絡まれたり、どうしていいか分からない時間が刻々と過ぎ
夜になった。
「じゃ、そろそろ行こうか」
おばちゃんが首を切るしぐさをした後、見るんだよというジェスチャーを加えてこう言った。
表にでると黒い羊が1頭綱につながれ、まるでペットのように男の横によりそっている。
全員が家から出てきて、メッカの方に向かい祈りを捧げだした。
羊もメッカの方に向かい、空を見上げていた。
祈りが終わるとすぐさま羊はひっくりかえされ、外にある台所専用の建物のなかに
連れられて、首を切られて息絶えた。
羊を食べるといわれた瞬間から、このことは想像できていた。
特にキルギスでは羊をバラすことは日常茶飯事で、バラせない男は男じゃないといわれるくらい
ナイフ一本で見事に解体する。
動物でもなんでも、殺す瞬間なんて見たくも無かった。
そんなの見たらきっとかわいそうで食べられなくなるんじゃないかとも思った。
だけど意を決して最初から最後まで見て、ホントにホントに一つの命がこの世から
消されるんだというリアルを体験した。
私達の為に、死んだんだ。
当たり前だけど、物凄く苦しそうだった。
どんな理由であれ文化であれ、残酷なものは残酷だ。
解体を手伝えと言われ、泣きそうになりながらつかんだ肉がまだ温かかった。
肉を食べるということは、動物を殺すこと。
そうです、私達は殺された動物の肉を食っているのです。
この体験を通して、 思い知ることになった。
深く考えたらキリがないんだろが、そんなことを考えていつもモヤモヤしながら
肉を食べることになるのだろうか。
白いトレイにスライスされて売られている肉や、パスタに入ってる細切れのベーコンを
見て、動物が息絶える瞬間なんて想像も出来ないだろう。
だけど私は見てしまった。
これからは感謝の気持ちを一度添えて、肉を頂けるような人になりたい。
羊が肉の塊になって大きい鍋に入れられたのが9時ごろで、3時間煮込んで客に振舞うという。
その間若い女たちは見事な手さばきで分解された内臓を洗ったり、切り刻んだりして
色んな料理を作っていた。
料理担当の男は、切り離された羊の頭に棒をさし直火で焼いている。
この頭が、この日の主役に捧げられるという。
深夜12時過ぎになり料理し終えた肉が大皿に山のように盛られ、
その上にさっき直火で焼いていた頭が飾られている。
羊の頬肉を主人がそぎとって自分が食べ、そのあと長老たちに分け与えられる。
そして残りの部分は、亡くなった男の人の息子と兄弟の一人が耳や目玉を分け合いながら食べていた。
一番美味しいといわれる脂身も同じく年配の人たちに分け与えられ、
あとは適当に回ってきた皿から好きな部分をとって食べる。
ちなみにわたしは、肉がどうこうじゃなくてこの羊肉の匂いがどうしてもダメで
食べられなかった。
そのあとは腸詰、スープ、肉入りのうどんが次々と出てきた。
前菜、メイン、サイドディッシュが脂ギトギトの肉のフルコース。
約20人で羊丸ごとたいらげておりました。
匂いと人の多さに気持ち悪くなり、いつどうやって寝たのか覚えてない。
そして翌日言うまでも無く、昨日の残りの肉が朝の食卓に並んでいた。
さすがにマーカスも肉地獄だといって、しばらく食べたくないと言っていた。
出発間際は写真撮影大会。
こっちの人はほんと写真に取られるのが好きなんだなぁ。
どこかで現像して送ってあげたら喜ぶだろうな。
またまた思いがけない出会いから、フツーのキルギス人の家庭にお邪魔して
貴重な体験をさせてもらいました。
人との出会いは楽しみだけど、いったいいつになったら街に着くんだろう。。。
そんなことを思いながら、山を越え谷を超え山を下って行きました。
2009/09/18
Mountain Kyrgyzstan
9/11 ビシュケクから「ソン・コル」という3000mぐらいの山中にある
幻の湖に向けて出発。
地図上ではそんなに遠くないんだけど、行ってみてびっくり。
なんとこの国94%は山から成っていて、どこに行くにも山を越えて
いかなきゃならない。
その数も高さももう忘れたけど、上下2000mを登っては下りを繰り返し、
1日で着けると思ってた所が結局4日もかかってしまった。
山で出来た国だから、山に道路を通すのは当たり前で、3000m超えても
まだまだ道は続く。
国の北側と南側を通す山道は、冬の間は雪で通れないんだそう。
雪がなくても、簡単とはいえない山道なので、人の行き来がそう頻繁ではなく、
首都がある北側と山の反対南側では、文化も町並みも違うように感じた。
南側はなんというか、まだ開発されていない感じ。
でも、そのままでいいと思う。
ソンコルに着く手前の村では、牛飼いの若い一家に招かれ、お昼ご飯を
ご馳走になった。
ショルポというキルギス料理でうどんのようなもので、美味しかったなぁ。
こっちの人は写真に撮られるのが大好きみたいで、家族や子供の写真を何枚もとった。
ソンコルに近づくにつれ、山が険しくなってくる。
途中鉱山があり、空気がすごく悪くなったり川の水が泥水になったりするところが
あったけど、3000m付近で森林限界も超え一気に草原のような景色に変わる。
この草原を利用して、夏の間羊や牛を飼っている遊牧民がユルタ(キルギスのゲル)を
立てて生活している。
そんな風景を通り過ぎながら、ようやく目の前に広がったソンコル。
言葉で表現できるような風景ではありません。
こんなところになんでまた湖があるのか、なんでこんなところに
自分が居るのかも不思議でならなかった。
湖のほとりでは、ユルタに泊まれる家族経営のゲストハウスを発見。
山の上で風もかなり強かったので、今日はここに泊まることにした。
一人1泊5ドル。
この旅に来て、宿泊施設に泊まるのはその日が初めてだった。
ユルタ内はまさに夢のような空間。
中にはちゃんと薪ストーブもあって、全然寒くない。
むしろ暑いぐらい。
床や壁面は、キルギス伝統の敷物や壁掛けがびっしり敷き詰められていて
その色も、模様もとにかくすばらしい。
そして、なんといっても丸い!
丸いものの中にいるとホント幸せな気持ちになるのはなぜだろう。
角がない暮らしっていいだろうな~。
最高に居心地がいいので出るに出れず、ゴロゴロしながら
もし自分がユルタに住んだら家具の配置をどうするかとかを、
ずーっと考えていたらあっという間に日が暮れてしまった。
ユルタが欲しい。10万円だって!
どうしよう。。。
そして、ここにもいましたドイツ人。
久々に出合った旅人と色々情報交換が出来てよかった。
夕食はユルタで出来た食堂で、魚を食べる。
ここに来て魚を食べれるとは思わなかった。
湖の近くだから当然か。。。
夕食が済みみんなで色々話をしていると、この一家のお婆ちゃんが歌を
歌いだした。
それにあわせて隣に座っていた娘と義理の兄も歌いだした。
多分民謡のようなものなんだろう。
どこかチャイニーズでどこかアラビックな音階に乗せられら歌は、
美しく優しい歌だった。
今度はドイツ人の番。
そこに居合わせたドイツ語圏の人間5人が共通で歌える曲がなかなかなくて、
それでも何かみんなで歌い始めたけどもうグダグダで、なんかせっかくの雰囲気が
台無しになった。
気を取り直して、またキルギス人の番。
これまた素晴らしい歌で場を持ち直した。
お次は私、日本人の番。
だけど、困ったことに私も歌詞を通して覚えてる曲が見当たらない。
サザエさんの、お魚くわえたドラ猫しか思いつかない。
これを歌ってまた雰囲気をぶち壊したら相当気まずいと思ったので、歌わなかった。
だけど、寝る前にサザエさんでもドラえもんでも歌っておけばよかったと
ものすごーく後悔した。
人間、物事を行い失敗した後悔よりも、行わなかった方がよっぽど悔やまれるとは
良く言ったものだ。
次の日ほぼ一日中、日本の歌ってなんだろうって考えてた。
キルギスでは親から子へ、孫の代まで一緒になって歌える歌が
今も家族の中でちゃんと受け継がれている。
日本にそんな歌ってあったっけ?
翌朝、出発する前に馬に乗って一人でその辺をぶらついた。
湖を眺め、草原で馬に乗ってる自分。
夢でも見ているような、不思議な気持ちになる。
泣く泣くユルタホテルを出発し、山を下りオシュと言う街にむかう。
これもまた1日ぐらいで着くんじゃないかと思ったら、3日かかってしまった。
とにかく山なんだな。
ずーっと山。
でもその景色は本当にスバラシイ。
原始時代にドリップしたみたい。
マンモスの大群が遠くから走ってきたり、鼻に骨を通してデカイ肉の塊を
食いちぎってる原始人がウホウホ言って近づいてきそうな、
そんなことがあってもおかしくないような所。
夕方になって川沿いで寝床を見つけて焚き火の前にすわり
そんな古の風景を眺めながら、なんとなく出てきた歌
何にもない 何にもない 全く何にもない・・・・
はじめ人間ギャートルズの歌。
なぜかこの歌が最初から最後まで歌えた。1番だけ。
星が一つ暗い宇宙に生まれて
何にもない大地に ただ風が吹く
自分たちが今まさに、そのままの世界の中にいた。
一番星が一番に輝いていて、その他にはなんにも無かった。
これからなにかあったら、この歌を歌おうと思う。
・・・・・お伝えのとおり、山岳国家なので電波状況がよろしくなく
ブログもかなり遅れているんですが、今日今現在タジキスタンの
国境にいまして、明日タジキスタンに入国します。
ここもすでにその一部なんだけど、パミールハイウェイという今回の
旅の山場に突入します。4000mの所に車道がありまわりは7000m級の
山に囲まれた、世界の屋根と呼ばれる場所です。
2週間ぐらいは音信普通になると思います。
キルギスの続きもまだまだたくさん面白いことがありました。
続きは後ほど。10月ごろ。
ではでは行ってきます!!
2009/09/14
Kyrgyzstan
キルギスタンに入国!
3カ国目。
この旅でビザ代が一番高い国なんじゃないかな。
$140。一週間待ちは$65。それでも高いよな。
ちなみにこれはドイツ人の値段。
日本人はタダですぞ!!!
申請した2日後にビザを受け取り、アルマトゥイから国境を目指す途中
チャリンキャオンという、カザフのミニグランドキャニオンと呼ばれる所に行った。
何万年もかけ削られ出来た天然の造形物はミニとは言えども
充分に見ごたえがある所だった。
そしてここに来てようやく旅人に出くわした。
アルマトゥイまで飛行機で来て、ここから自転車で北京まで行くという
ドイツ人の中年夫婦。
キャンピングカーでヨーロッパを南下し、トルコ、イラン、パキスタン、インド
ネパールなどグルっと周り、今からフランスに帰る途中だというカップル。
そのキャンピングカーにお邪魔したんだけど、もう天国そのもの!
多分大分古いんだと思うけど、キッチンも水道もシャワーもあって、
食卓もあり、ストーブで車内がぬくぬくだった。
2年の旅もこれなら快適なだろうな。
もう一人、川沿いで朝ごはんを食べていると、またチャリンコライダーが
やってきた。
聞くと、旅歴なんと七年目のスウェーデン人の男の人だった。
彼はクリスマスシーズンの2ヶ月だけスウェーデンに帰ってクリスマスツリーを
売り、あとの10ヶ月は自転車で世界各地を周っているんだそう。
ツリーを売るのは先祖代々の家業で、2ヶ月で1万8千本もうるらしい。
物価安の国で10ヶ月過ごすのに、スウェーデンなら2ヶ月の給料で充分だと
言っていた。
そしてこれから北の方に行くよといって去って行った。
その後もこの国境付近でちょこちょこ見かけたチャリンコライダー。
きっと彼らの憧れのルートかなんかなんでしょう。
キルギス国境までの峠を越える途中、車のタイヤがパンクして立ち往生
している人がいて、隣町までタイヤを持って行ってパンクを直すのを手伝った。
酷い事に道行く車に2時間も助けを求めたけど、誰も止まってくれなかったらしい。
無事修理が済んで、お礼に羊を食べさせてあげるから家に来ないかと
言われたけど、肉が食べられないと言って断った。
私はベジタリアンではないんだけど、健康上の理由で肉を食べたり
食べなかったり。
実際月に二度か三度食べれば充分なんだけど、中央アジアでは朝昼晩の
お肉三昧なので、私みたいな人はかなりきつい。
せっかくのお誘い、行きたいのは山々なんだけど「クシャチ、クシャチ」と
断ってるのに自分の皿に肉がてんこ盛りに盛られるのは目に見えて
いるので、怖くて行けない。
お茶だけと言う訳にもいかないのが辛いところ。
お酒が飲めない人が無理やり誘われ飲め飲めと言われる人の気持ちが
ようやく分かった気がする。
峠を超えて最後の街で寄った食堂でぼったくられ、やりきれないまま
国境まで向かう。
国境はロシア→カザフスタンのような騒々しさは全くなく、キルギス側からの
車が4台通過待ちをしているだけでふつうに高速の料金所みたいな
ところだった。
カザフ側の出国手続きをして、その先のキルギス側で入国スタンプを押して
もらい、無事入国。
相当暇な国境なのか、税関の職員は酔っ払っていて
お土産はないのかと30分ぐらい絡まれた。
最初は「イケバナ」をくれと言われ、イケバナは物じゃないと言うと
今度はキモノをくれと言われた。
キモノもないというと、今度はオリガミ、サケと知ってる日本の物を
言いたいだけ言っても満足できず。
もうめんどくさいからりんごとこの前カザフでもらった馬の背中の脂肉をあげたら、
ようやく黙って開放してくれた。
とにかく何でもいいから、欲しかったらしい。
子供みたい。
車に戻り、ゲートを開けてもらいくぐりぬける。
さっきいた酔っ払いの職員が両手を広げ相当いい笑顔で
「WELCOME TO KAZAKHSTAN!!」
いやいや、キルギスタンだってば・・・・・・
キルギス初日、国境からそう遠くないイシク・クルという湖まで行くはずだったん
だけど、なんだか疲れてしまったので通りかかった牧場の空き地に車を停める。
翌朝その牧場の主がやってきて、勝手に寝泊りしたので怒られるのかと
思ったら、その逆でとても愛想のいいおじさんだった。
また羊を食べてくかと誘われたけど、同じ理由で断った。
残念だな。
イシク・クルは1600mの山間にあって、チチカカ湖に続く世界で二番目に
高いところにある湖。
透明度も世界で2番目だそう。
一位はバイカル湖。
天山山脈という7000m級の山々が湖のバックにそびえ立つ神秘的な所
だった。
幻の湖と呼ばれていただけのことはある。
この湖には沈んでしまった集落があるらしく、水中撮影をすると今でも集落跡が見えるらしい。
なんで沈んじゃったんだろう?
このイシク・クルで人が居なさそうな寝床探しをしていると、カザフの国境からずーっと
見かけていたチャリンコライダーを発見。
最初見た時からマーカスは絶対日本人だと言い張っていたけど、私は違うと思っていた。
だけど近づいて話しかけてみたら、日本人だった!若い男の子。
彼は3ヶ月前に中国の西安を出発して、今は中央アジアそしてヨーロッパまで行くらしい。
居るもんだね、こういう人!ワクワクしちゃうよ。
だから色々話をしたくて、いっしょにご飯食べようとかキャンプしようと誘ったんだけど
あまり人と関わりたくないオーラが出ていたので、その場で別れた。
たった一度イルクーツクで会った日本人に次ぐ出会いだったのに、なんだか残念。。。
またどこかで会えたらいいな。
湖で泊まり、翌日200キロ程はなれたキルギスの首都ビシュケクに向かう。
ここもまたBIGCITY。
だけどアルマトゥイほど嫌な感じはしなかった。
お金の匂いがあまりしないからだと思う。
だけど相変わらず狂ったドライバー多し。
街の近くの畑で寝て、翌日超早起きして大使館に向かったけど、タジクの
独立記念日で休みだった。1日無駄にしてしまった。
そして翌日の今日、ビザをGET!
即日発行で100ドル。3日待てば50ドルだけどこの街の周辺で車で
寝泊りできそうないい所がないので、仕方なく倍払って今日受け取った。
と、まぁキルギスに来てまだ数日ですが、相変わらず人々はフレンドリーで
いろんなところで話しかけられたり写真を撮られたり。。。
明日からキルギスの真ん中らへんにある湖を目指し、そのあとは
オシュという国境付近の街まで進み、そこからタジキスタンに入国です。
3カ国目。
この旅でビザ代が一番高い国なんじゃないかな。
$140。一週間待ちは$65。それでも高いよな。
ちなみにこれはドイツ人の値段。
日本人はタダですぞ!!!
申請した2日後にビザを受け取り、アルマトゥイから国境を目指す途中
チャリンキャオンという、カザフのミニグランドキャニオンと呼ばれる所に行った。
何万年もかけ削られ出来た天然の造形物はミニとは言えども
充分に見ごたえがある所だった。
そしてここに来てようやく旅人に出くわした。
アルマトゥイまで飛行機で来て、ここから自転車で北京まで行くという
ドイツ人の中年夫婦。
キャンピングカーでヨーロッパを南下し、トルコ、イラン、パキスタン、インド
ネパールなどグルっと周り、今からフランスに帰る途中だというカップル。
そのキャンピングカーにお邪魔したんだけど、もう天国そのもの!
多分大分古いんだと思うけど、キッチンも水道もシャワーもあって、
食卓もあり、ストーブで車内がぬくぬくだった。
2年の旅もこれなら快適なだろうな。
もう一人、川沿いで朝ごはんを食べていると、またチャリンコライダーが
やってきた。
聞くと、旅歴なんと七年目のスウェーデン人の男の人だった。
彼はクリスマスシーズンの2ヶ月だけスウェーデンに帰ってクリスマスツリーを
売り、あとの10ヶ月は自転車で世界各地を周っているんだそう。
ツリーを売るのは先祖代々の家業で、2ヶ月で1万8千本もうるらしい。
物価安の国で10ヶ月過ごすのに、スウェーデンなら2ヶ月の給料で充分だと
言っていた。
そしてこれから北の方に行くよといって去って行った。
その後もこの国境付近でちょこちょこ見かけたチャリンコライダー。
きっと彼らの憧れのルートかなんかなんでしょう。
キルギス国境までの峠を越える途中、車のタイヤがパンクして立ち往生
している人がいて、隣町までタイヤを持って行ってパンクを直すのを手伝った。
酷い事に道行く車に2時間も助けを求めたけど、誰も止まってくれなかったらしい。
無事修理が済んで、お礼に羊を食べさせてあげるから家に来ないかと
言われたけど、肉が食べられないと言って断った。
私はベジタリアンではないんだけど、健康上の理由で肉を食べたり
食べなかったり。
実際月に二度か三度食べれば充分なんだけど、中央アジアでは朝昼晩の
お肉三昧なので、私みたいな人はかなりきつい。
せっかくのお誘い、行きたいのは山々なんだけど「クシャチ、クシャチ」と
断ってるのに自分の皿に肉がてんこ盛りに盛られるのは目に見えて
いるので、怖くて行けない。
お茶だけと言う訳にもいかないのが辛いところ。
お酒が飲めない人が無理やり誘われ飲め飲めと言われる人の気持ちが
ようやく分かった気がする。
峠を超えて最後の街で寄った食堂でぼったくられ、やりきれないまま
国境まで向かう。
国境はロシア→カザフスタンのような騒々しさは全くなく、キルギス側からの
車が4台通過待ちをしているだけでふつうに高速の料金所みたいな
ところだった。
カザフ側の出国手続きをして、その先のキルギス側で入国スタンプを押して
もらい、無事入国。
相当暇な国境なのか、税関の職員は酔っ払っていて
お土産はないのかと30分ぐらい絡まれた。
最初は「イケバナ」をくれと言われ、イケバナは物じゃないと言うと
今度はキモノをくれと言われた。
キモノもないというと、今度はオリガミ、サケと知ってる日本の物を
言いたいだけ言っても満足できず。
もうめんどくさいからりんごとこの前カザフでもらった馬の背中の脂肉をあげたら、
ようやく黙って開放してくれた。
とにかく何でもいいから、欲しかったらしい。
子供みたい。
車に戻り、ゲートを開けてもらいくぐりぬける。
さっきいた酔っ払いの職員が両手を広げ相当いい笑顔で
「WELCOME TO KAZAKHSTAN!!」
いやいや、キルギスタンだってば・・・・・・
キルギス初日、国境からそう遠くないイシク・クルという湖まで行くはずだったん
だけど、なんだか疲れてしまったので通りかかった牧場の空き地に車を停める。
翌朝その牧場の主がやってきて、勝手に寝泊りしたので怒られるのかと
思ったら、その逆でとても愛想のいいおじさんだった。
また羊を食べてくかと誘われたけど、同じ理由で断った。
残念だな。
イシク・クルは1600mの山間にあって、チチカカ湖に続く世界で二番目に
高いところにある湖。
透明度も世界で2番目だそう。
一位はバイカル湖。
天山山脈という7000m級の山々が湖のバックにそびえ立つ神秘的な所
だった。
幻の湖と呼ばれていただけのことはある。
この湖には沈んでしまった集落があるらしく、水中撮影をすると今でも集落跡が見えるらしい。
なんで沈んじゃったんだろう?
このイシク・クルで人が居なさそうな寝床探しをしていると、カザフの国境からずーっと
見かけていたチャリンコライダーを発見。
最初見た時からマーカスは絶対日本人だと言い張っていたけど、私は違うと思っていた。
だけど近づいて話しかけてみたら、日本人だった!若い男の子。
彼は3ヶ月前に中国の西安を出発して、今は中央アジアそしてヨーロッパまで行くらしい。
居るもんだね、こういう人!ワクワクしちゃうよ。
だから色々話をしたくて、いっしょにご飯食べようとかキャンプしようと誘ったんだけど
あまり人と関わりたくないオーラが出ていたので、その場で別れた。
たった一度イルクーツクで会った日本人に次ぐ出会いだったのに、なんだか残念。。。
またどこかで会えたらいいな。
湖で泊まり、翌日200キロ程はなれたキルギスの首都ビシュケクに向かう。
ここもまたBIGCITY。
だけどアルマトゥイほど嫌な感じはしなかった。
お金の匂いがあまりしないからだと思う。
だけど相変わらず狂ったドライバー多し。
街の近くの畑で寝て、翌日超早起きして大使館に向かったけど、タジクの
独立記念日で休みだった。1日無駄にしてしまった。
そして翌日の今日、ビザをGET!
即日発行で100ドル。3日待てば50ドルだけどこの街の周辺で車で
寝泊りできそうないい所がないので、仕方なく倍払って今日受け取った。
と、まぁキルギスに来てまだ数日ですが、相変わらず人々はフレンドリーで
いろんなところで話しかけられたり写真を撮られたり。。。
明日からキルギスの真ん中らへんにある湖を目指し、そのあとは
オシュという国境付近の街まで進み、そこからタジキスタンに入国です。
2009/09/05
The last day of kazakhstan
アルマトゥに行く途中、たまたま立ち寄ったアラ湖という湖は
意外や意外、バイカル湖に次ぐ楽園スポットだった。
地図に載っているけど、行くまでの道が載ってない。
道らしき道も見つけられなかったので、強行突破。
湖を目指して草むらを掻き分けて進んで行った先にあったのは
エメラルドグリーンの美しい湖。
人が行き来している形跡があまりなく、乾燥した牛やら馬やらの
糞が所々に転がってるだけ。
結局3泊もしてしまったけど、一人にも会わなかった。
完全プライベートビーチ。
バイカル湖にいた時期と違って今は夏なので、
泳げたりするのがうれしい。
しかもこの湖、あったかくて超軟水で肌にもいいらしく皮膚病の
治療に訪れる人もたくさんいるらしい。
裸人間のマーカスは、終始全裸で過ごすつもりでいたらしいけど
私がそれを咎めると、「僕の自由を奪わないでくれ」と最初はご飯
食べるのも、本を読むのも、お湯を沸かすのも全て全裸でこなして
いたけど、さらに私が咎めると最後は寂しそうにパンツだけ穿いた。
なんだか自分がすごくいやな奴に感じた。
でもいやなものは、いやだ。
1日中全裸の男にうろちょろされるのなんて。
彼はそういうのが許される環境で育ったのかもしれないけど、私は違う。
でもここはやはり、彼の文化を尊重するべきなのか。
かといって、また脱いでいいよと言うのもバカらしくて、そのまま気まずい
空気が流れてしまった。
パンツの話になっちゃった・・・
開放的だと言いたかっただけです。
とにかくこの湖では、本を読んで泳ぎに行って、ギターを練習して
泳ぎに行って、、、夕日が沈む時間にご飯を食べて月が昇り始めたら
寝るという日々だった。
久々にのんびりしたなぁ。
そして再びアルマトゥに向けて移動を始める。
何度も山を越え峠を超えて街にだんだん近づくにつれ、道端に
りんごの木が沢山あることに気づいた。
車から出るとりんごの匂いが香るぐらい、どこもかしこもりんごの木。
アルマトゥとはなるほど、「りんごの里」という意味らしい。
バケツいっぱいのりんごを並べて売るおばちゃんや、あとはスイカやメロンを
トラックに山積みして売るおじちゃん達をのんびり眺めながらアルマトゥ市内に入っていくと、
そこはまさに別世界。
毎度の事ながら、大きな街にくると人や車や店の多さに吐き気がするぐらい
いやな気分になる。
都会なのにピカピカに磨かれたオフロード車が溢れ返り、何をそんなに急いで
いるのか、車一台に道を譲る3秒ぐらいの時間も待てない狂ったドライバーが
我が物顔で狭い道を運転する。
クラクションが響きわたる。
街に入って、たった40分の間で正面衝突してグチャグチャになった車を3度も見た。
ベンツ対ベンツ、ベンツ対BMW、ベンツ対トヨタ。
アルマトゥに限らずだけど、カザフスタンでは右ハンドルの車の輸入に規制があり、
日本車が蔓延るロシアと違い、この国では左ハンドルの高級車が目立つ。
走ってる車の半分はベンツ、アウディなんじゃないかな。
中古車が主ですが。
いい車乗って、いい服着てればれば偉いと思ってる本人も、
それを偉い奴と認める人間が沢山いる社会の有り様はどこの国でも同じだな。
特に都会と呼ばれるところ。
ステイタス、金、えぐいな。
遅れをとり輪から外れるんじゃないかという恐怖、恐怖を隠すための欲。
自己顕示欲。
自分を自分以上のものに見せようとする人間が中心の社会。
その社会が作り上げる国っていったいどんな方向に向かってしまうのか?
悪い見本が沢山あるのに、なんでそこを目指すのか。
すばらしい文化、習慣がたくさんある国なのに。。。
アルマトゥの都市開発、建設ラッシュ。
国にお金があるのかな、オイルマネー?
とにかくその建物一つ一つが派手すぎる。
出来上がりは近未来都市みたいになるのかな?
セレブの金もちっぷりも半端じゃない。
そしてその態度も。
かわいそうになる。
もっとさりげなく出来ないものか。
久々にこんなに大きな近代都市を見て、ムショーに腹がたった。
自分の今の生活がとても極端だから、余計に過剰な文明社会にもキャピタリズムにも
嫌気がさすんだろうけど、もとの生活に戻ってもエグいものとは
無縁の人生を送りたい。
カザフスタン、1ヶ月弱の滞在だったけど車でグルーっとまわってみて色んな土地の
色んな生活を見ることが出来た。
ステップの大地で馬400頭と暮らす、カザフスタンカウボーイ。
隣近所が30キロ離れた羊飼いの家族しかいないと言う一家の奥さんは、
人恋しいのかニコニコと寄ってきて無言で手をつながれ、
そのままなーんにもない草原を、一緒に歩いた。
この遊牧民ツアーを勝手に企画してくれた、アルマンとカナット。
ごくごく一般的なカザフ人の彼らには、庶民の生活、家族の風景を見せてもらった。
適度にハイテクで、だけど昔ながらの習慣や暮らしの知恵が今の生活の中に
ちゃんと残っている豊かな暮らし。
自分もそんな暮らしをしてみたい。
山のふもとのユルタに住み、馬乳酒を売って暮らす女たち。
街より物価が2倍も高いけど、今もアルタイ山脈の山間の村に住み続ける人たち。
そして最後に、ここアルマティで出会った家族。
街の野良電波でインターネットをしていると、おじいさんが
車の窓を叩いてきて、目の前に住んでるからお茶でも飲んで行きなさいと
お誘いを受ける。
そのままお家にお邪魔すると、建物の外観とは全くちがうピカピカのデザイナールーム
みたいな部屋だった。
73歳のおじいさんと、60歳の奥さん。
息子夫婦に子供2人と、嫁の母親までもが暮らす一家だった。
家の中は日本の電化製品で溢れかえり、全部の部屋の壁に液晶テレビが
設置され、プロジェクターやカラオケ設備があって、食事の最後には
モーツアルトの音楽を4つのスピーカーで大音量で聞くのが習慣だと言っていた。
そのまま夕食までご馳走になったんだけど、準備をしている最中にお嫁さんが
帰ってきた。
私は愛想よく挨拶をしたのだけれど、彼女はサングラスを外すこともなく、
どうもと一言だけ言われ別室に行ったきり出てくることはなかった。
その後帰ってきた子供には、素通りされた。
食卓にはピカピカに磨かれたワイン用、ブランデー用、水用のグラスがそれぞれに3つずつ
用意された。
青いテーブルクロス。銀のナイフに赤いナプキン。
きっと昔は、羊の頭を丸ごと茹でたりする料理で客をもてなしていたんだろうな。
いつからそれをしなくなって、いつから今みたいな生活がいいと思うように
なったんだろう。
都会のど真ん中にすむ、ハイソなファミリー。
挨拶もろくに出来ない母親と子供。
おじいさんと奥さんのもてなしは、とても有難かった。
帰りに食べ物をどっさり持たせてくれた。
だけど、やっぱ大草原に住む遊牧民の家族と大きい丸いテーブルを囲んで
デカイさらに盛られた料理をみんなで分け合って食べる食事のほうが私は好きだな。
そんな感じで、行った所とかより人との出会いがとても印象的だったカザフスタン。
こういう出会いを通して、色んな考えやへんてこなルールみたいなのが
スパッとなくなったり、またある部分での自分の信念がより強く信じられるものになったりと、色んな化学反応が自分の中で起きていてます。
ほんとに、いい旅だなぁ。。。と、しみじみ。
明日は運がよければ3カ国目、キルギスタンに入国します。
ビシュケクという街に着いて、また電波を探してできたら写真をアップします!
最近天気が悪いのがちょっと残念。そろそろ冬が始まるそうです。
たしかに寒くなってきた。
ダスヴィダーニャ!(さようなら)
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