2016/11/30

ニッポン車中泊の旅_道後温泉

祖谷の秘境を後にした私たちが向かった先は、愛媛県の道後温泉。



本当は下って高知県に行こうと思ってたんだけど、高知でどうしても行きたいマーケットがあり
日数を稼ぐ為に予定を急きょ変更。

ずーっとずーっとまっすぐな国道をひた走る。

途中で立ち寄ったスーパーでは、瀬戸内産のハマチが12切れで298円という値段で売っており
すかさずご飯も勝手、即席ハマチ丼の昼ごはん。

すごいなー日本って。
スーパーに電子レンジとかあって、そこでご飯チンして食べられるなんて。



道後温泉に着いたのは夕方前だった。
久々目にする典型的な観光地で、交通量もそれなりで運転するのがちょっと怖かった。

せっかくこんなところに来たんだし、この日は旅館にでも泊まろうと思い、自宅兼事務所みたいな
観光案内所をドアをたたくと、おばちゃんが一人出てきた。

大体の予算を告げて紹介されたところは、観光客を沢山受け入れてる大きなホテルで
しっぽり旅館みたいなところは、それなりにお値段が張るみたい。

実は2、3日前からこの道後温泉の宿泊先はリサーチ済だったんだけど、いかんせん急に
来ちゃったもんだから、そこに空き部屋がないことも知っていた。

なんだけど、一応聞いてみようということで、さっそく向かった「道後や」さん。

旅館風ホステルで、値段も1泊1人6000円。ドミだともっと安いけど、個室に泊まりたかった。

案の定部屋は空いてなかったけど、明日なら泊まれるとのことで、さっそく予約を済ませ
この日は道後温泉本館の上の方にある無料駐車場で車中泊することにした。

いい選択だったし、寝るだけで3万円とか払わなくってよかったー。

泊まるところが決まれば、早速温泉町の観光だ。

ここに来てようやく桜が8分咲きといったところで、公園では花見宴会が至るところで始まっていた。

夕暮れ時、公園の横を走る道路には路面電車が走り、桜の下ではほんのり提灯が
揺れていた。









人々の笑い声が聞こえ、ろれつの回らないおじちゃんに絡まれ、屋台の焼きそばの香ばしい
匂いがした。

とてつもなく、アジアンチックなノスタルジー。

私が今住んでる国には、こういう雰囲気ってまずない。

花見っていう文化もまずない。

春がようやく来たのを、懐かしさと共にこんなところで感じることができて、とても嬉しかった。

坊とマーと言えば、歩く先々で声をかけられ、宴会に混じってみたり、ちゃっかりビールを
もらったりしていた。

そして、やはり愛媛ですから、ミカンも。




夕飯の時間になり、どこかでご飯を食べようと土産屋やご飯何処が乱立するアーケードを
行ったり来たり。

結局食べたいものがなかなか見つからず、そういえばさっき見かけた今夜寝るところの
駐車場の近くの小さな食堂に行くことに。

感じのよさそうなお姉さんが一人で切り盛りしてるようなところで、地元の人がよく来るような
そんな感じのお店。


愛媛のソウルフード「鍋焼きうどん」そして、シラス丼。

ここではこんな人達にも遭遇。



芸子さんかなんかと思いきや、イベントコンパニオンでこの日はこういう恰好を依頼されたらしい。

くり坊がこんなに着飾って、こんなにきちんとお化粧をしたお三方を見て固まっていたのが
面白かった。

 そんなこんなで、腹ごしらえの後は駐車場に戻り車中泊。

さっきまで満車状態だったのに、夜になったら私たちと、あともう一台車中泊組の車が
広大な駐車場のすみにポツンとあるだけだった。

2016/11/17

ニッポン車中泊の旅_祖谷溪谷(後)

落合集落の絶景を眺めながら朝食を済ませ、日本三大秘湯の一つである「祖谷温泉」へ
向かう。

この日は天気もよく、ついでにハイキングでもしようかということで、本に載っていた「剣山」に
向かった。

峠まで出て、山の景色でも眺めて、のんびり降りて、午前中一杯3時間程度で終わる予定の
山歩き。

くり坊くんをキャリアーに入れていざ出発。



雪がまだ少し残ってる山道を、グングン登ってゆく。

 登り始めて1時間もしない頃だっただろうか、キャリアに入ってお籠の王子さま状態の
くり坊君が、突然ぐずり出して、大泣きが始まった。

そして一度キャリアから出ると、私のそばから離れようとせず、しがみ付いてくる。

しばらくしてもう一度キャリアに戻して出発を試みるも、どうしても入りたくないらしい。

ということは登ることもできないし、降りることもできない。

途方に暮れた私たちは彼の機嫌が直るまで待つが、キャリアは何が何でも拒否。

しかも、パパのおんぶも拒否。

相当眠かったご様子で。

仕方ないので覚悟を決めて、坊を背負って下山。危ないったらありゃしない。

こんな恐ろしい下山は初めてだった。

くり坊は爆睡

ということでハイキングは中断になり、向かった先は祖谷温泉。



とにかくこの付近「奥祖谷」エリアは、奥が付くだけあって山がどこまでも深く、谷底に流れる
清流が目が眩むほどずーっと下の方に見える。

こんな景色は生まれて初めてかも。

とにかく秘境以外の言葉が出てこないぐらいの絶景スポットも数々お目見えする。

祖谷渓






祖谷温泉へは行ってみたのだけど、入浴料が1700円という破格の高さ。

ケーブルカーで170m谷底の温泉に行き、川を眺めながら入浴するというものらしいが、
子連れでゆっくりできるわけでもあるまいしと言うことと、あとは「お高い」ので、入らなかった。

そしてマークスがすかさず
「地元の人が行く大衆向けの温泉がどこかにあるはずだ」というので、誰かに聞いてみる
ことにした。


そして、やはりありました。

谷底のキャンプ場で作業しているおじさんから情報を聞きだす。

このキャンプ場も営業が4月からだと言っていたっけ。

場所は渓谷から少し外れたところにある「松尾川温泉」。
宿泊施設も併設していて、入浴料は510円。

 これぞ庶民のための隠れた名湯。

湯治の宿とも利用されてるみたいで、連泊する客も多いのだそう。



この辺の記憶が曖昧なんだけど、結局このあと祖谷にはその辺の空き地や駐車場で
2泊程して、最後に「祖谷のかずら橋」、そして名物の「祖谷そば」をしっかり食べて
この秘境の地を後にしました。








2016/11/15

ニッポン車中泊の旅_祖谷溪谷(前)

四国に来たら絶対来ようと思っていたところに、祖谷(いや)溪谷というところがあった。

ここは日本三大秘境の一つでもあり、これまた日本三大秘湯である祖谷温泉というのも
ある。

秘境、秘湯。

そそられるキーワドばかりである。



初めて見る四国の山深さに感動しながら、山道をどこまでも行くと「かずら橋」の文字が
道案内の標識にお目見えするようになってきた。


この辺りは所謂「源平合戦」で敗れた平家の落人が逃げ込んできた土地であると伝えられて
いて、平家ゆかりの品々をなどを展示している資料館もあり、落人伝説についても色々
知ることができそうだ。

かずら橋とは、川の上にかずらを束ねてできた橋が架かっているところで、最初に辿り着いた
「二重かずら橋」というところは、こんなところに!という、まさに秘境のなかにひっそりとあった。

平家の落人をこんなところまで追ってくる源氏の討手から集落を守るため、襲撃される際すぐに
切り落とせるようにと、かずらで作ったそうである。





超人気スポットのはずなのに、人が一人もいない。
券売所みたいなところも閉まっていて、営業時間が終了したのかと思いきや、営業時間
どころか、冬季で休業している最中で、なんと来週から再開すると看板に書いてあった。

あら、1週間来たのが早かったのね。

ま、でもせっかくここまで来たんだから、しかもドイツから来たのだからこのまま帰るのも悔しい、
ということで入り口のロープをくぐり抜け、勝手にかずら橋観光しちゃいました。

あとで行ったもう一つのかずら橋は営業していて、そこは橋を渡るのに行列ができている
ぐらいだったので、シーズン中は繁盛するところなんだろうな。


かずら橋を後にし、途中で山水を汲んだりしながら山道をひた走る。




すると、するとこんな看板が目に飛び込んできた。

「祖谷かかし村」

 


遠くから見たら人が看板付近で作業してると思いきや、そこにいたのは人間と等身大の
人形だった。
しかも、めちゃめちゃリアルな作り。

「あああああ、これ知ってる!!!」

私は大興奮だった。

何年か前にこの村のことを報じたドイツのテレビ番組を見たことがあったからだ。

そこでは、この村の女性が元々畑にくる動物を追い払うために1体作ったのがきっかけで、
それからは人寂しさもあり、人形を作り続けていると報じられていた。





もしかかしがいなければ見落としてしまうぐらい、小さな小さな山間の村。
40人しか人が住んでいない村には100体以上のかかしが、 まるで村人の日常を再現
しているかのように、あちこちに置かれている。

バス停で待つ人々、農作業をする人、軒先でおしゃべりしてる人、小屋で作業する人。

それらすべてがかかし。






このお方には、「すみませーーん」と本気で話しかけてしまった。






最初は物珍しさと感動とで写真をバンバン撮っていたんだけど、気づくとここには私たちしか
おらず、村人にも会うことはなかった。

人の気配は至るところであるのに、動きがないというのが段々怖くなってくる。

なんだか、自分だけが取り残されているような感覚。

そして「夕焼け小焼け」の5時のチャイムが誰も居ないこの村に響きだし、その怖さが一段と
増してきてしまった。

良く言えばノスタルジー。

だけど、とてもとても切なくて、そして少し気味が悪い、そんな印象が残ってしまった。

人形を1体1体見れば、それは愛らしくてユーモラスで、衣装にもこだわりがあって、一つとして
同じものもなく、作り手の愛が感じられた。

マイケル??

 かかしの里を後にして向かったのは「落合集落」


この祖谷という地域では山の斜面を切り開いて集落を作るところが多いらしく、その中でも
最も大きいとされているのが落合集落。

ここはマークスが持参していた10年前の日本版ロンリープラネットで見つけた場所。

集落の反対側からある展望台からの眺めは、最高だった。


藁ぶきの古民家は国の重要文化財に指定されている。


まさに日本昔話の世界というか。

私も日本人だけど、ここに住んでいる人達も又日本人なのかーとか思うと、不思議な感じ。

写真で見るとなおさら、どこかの国のどこかの民族が住んでいそうな、おとぎ話に出てきそうな
風景。

だけれども目を凝らして見ると、洗濯物を干してるおばさんがいたりして、こんな場所でも
ちゃんとした日常が営まれている。

遠くに見えるこの家々の一軒一軒を訪ねてみたいと思った。

以前旅をしたアゼルバイジャンという国にも、山肌にへばりつくように暮らしている人達がいて
そこの暮らしを是非覗いてみたいと思った私たちは、全然知らない人の家に行き、泊まらせて
くれないかと門を叩いたことがあった。

そこでは見ず知らずの私たちなのに、手厚くもてなしてくれた人達との温かい思い出がある。

 そういう事って、日本でしたらどうなるんだろう?

今になってやってみれば良かったと後悔。。。

いつかまた行ってみて、今度は村の内部までを体験したいと思った。

この日私たちは、山村と反対側にある見晴らしの良い展望台の駐車場にて車中泊。

駐車場といっても車が2台しか停められないようなところだけど、観光客も多いせいか
併設のトイレの充実感ったら。

 車いすの方も使用できるバリアフリーで、清潔に保たれていた。





  そして、展望台のベンチにあったお約束のかかしさん達。

かかしの村でもそうだったんだけど、くり坊くんは子供のかかしっ子に何度も何度もチュー
していた。笑


祖谷溪谷のお話し、後半に続く。

2016/11/01

ニッポン車中泊の旅_紀伊半島から四国へ

紀伊半島から四国入り

とれとれ市場でお腹いっぱいになった後、このままフェリーが四国は出る港まで行ってしまおう
ということになった。

本当は和歌山市から大阪・神戸を経て明石海峡大橋を渡り、淡路島から四国入りという
ルートも良かったんだけど、カーナビでフェリールートとの運賃・時間の比較をしたら
フェリーで行った方が早く着き、運賃も高速使うよりもちょっと高いぐらいだった。

フェリー代 車1台と大人2人で11600円也。

この旅で唯一誤算だったのが、レンタカーが4ナンバーの商用車だったということ。
中型のバンでも4ナンバーになったとたん、高速や橋を渡る運賃が上がってしまうのだ。
それに深夜割引などの適用範囲も少なく、お得感があんまりなかった。

ということで、フェリーで一気に四国入りを決めた私たちは、南紀白浜から和歌山市の港までの
一般道をひたすら走り続け、着いたのは午前1時ごろだったかな。

始発の船は6時ごろから出るらしく、それまで待機することに。

船着き場近くの空き地にて車中泊。

近くにあった公衆便所が末恐ろしくて仕方なかった。

今までいろんな国を旅してきて、墓地の駐車場で寝泊まりしたり、山奥の真っ暗なトイレに
懐中電灯を持って行ったり、そういうことがけっこうへっちゃらになったんだけど、日本の夜の
公衆便所だけはどうしても入れない。

3人ぐらい連れがいれば別だけど、いろんな怖い話を瞬時に思い返したりしてしまって、
あんなとこ入るぐらいなら漏らした方がましだとか、未だに思ってしまうのだ。

そしてその話をマーに話したら、大笑いしていた。

それはさておき、朝の6時。

フェリーの切符を買いに出かけると、そこにはもう沢山の人が集まっていた。

四国にお遍路巡りをしに行く白装束のおばちゃん達や、中国人のツアーバスやら。

出港30分前には車をフェリーに乗り入れ客室に向かうと、もう陣取り合戦が始まっていて
壁際や角という角では、多分この船の常連であろうトラックドライバー達が、完全に寝に入って
いた。

これまでいろんな国を船で渡ったり移動したことはあるけど、日本のこういう客船に乗るのは初めてだった。
もちろん、他のどの国の船よりも快適だった。

船にもそれぞれお国柄が現れるというか、私が乗った船は半分が座敷になっていて、靴も
ちゃんと脱ぐところがあり、ゴロゴロ寝そべったりできた。
売店、自動販売機、ネットができるスペースがあるのはもちろん、授乳室、トラックドライバー
専用の仮眠室、はたまたスロット台まで完備していた。



たった2時間移動するぐらいの短距離客船でこのフル装備。

長距離客船なんて言ったら、もっともっといろんな物があって快適なんだろうな。

船の中ではおばちゃん達が朝からハイテンションでおしゃべりに花を咲かせていた。
その間を縫うようにちょこまかウロウロしていたくり坊君は、大阪のおばちゃんの「あめちゃん」
ばりに、和歌山からのおばちゃん達からはミカンをもらっていて、船を降りるころには、
色んな種類のミカンでビニール袋がいっぱいになっていた。




そうしていよいよ徳島に到着し、念願の四国入り。

徳島市を抜けて向かった先は神山町。

なんの変哲もない山里の小さな町なんだけど、近年都会からの移住してくる若者が多いことや
IT関連企業のサテライトオフィスが相次いで進出している。

私自身ドイツの田舎町に移住してからというもの、過疎で退廃している町でいかに楽しく生きて
ゆけるかという、自分の課題と重ね合わせるように、町おこしや町づくりに関心が向かうように
なるまで、そう時間はかからなかった。

そうゆうこともあり、こういったテーマの本や記事を読むことも多く、この町のことはドキュメンタリー番組で見たことがあり、いつか行ってみたいなーと思っていたところだった。



「アーティスト イン レジデンス」という、国内外から芸術家を招致する活動も行われていて
この山里の環境に魅せられて海外からの移住者もちらほらいるんだとか。

減る一方だった人口も回復してきていて、移住希望者も後をたたないらしい。

興味深いのが、ただただここに移住したい人達を受け入れるのではなく、移住支援をしている
NPO団体が、こんな人に住んでほしいという条件を予め提示しておいて、それにそぐう人達が
優先的に受け入れられているということ。

移住者を選んでいるのだ。

例えば、ここで見込める収入とか、家族連れで子供は何人とか、将来的に子供を作る予定で
あるかどうかとか、今だけの活性化活動ではなくて、数十年後の希望の人口から逆算して
今の移住者を募っているとのことだった。

そうなると必然的に現時点での年齢、家族構成などの条件が限定されてゆくのだ。

これはとても面白い取り組みだと私は思うんだけど。

前置きが長くなったけど、早速町を探索。

確かに普通なら年配の方しかいないような集落だけど、古い古民家などに今どきの
若者が出入りしてる姿もちらほら見れた。

そしてそういう人達は、変な言い方かもしれないけど「他所から来たんだろうな」というのが
一目でわかる。

地元の人達と、こういう移住者との関係もまた興味深いところである。


 もう少し見て回りたかったけど、こんな時に限ってくり坊君が珍しく激しくぐずり出し、どうにも
こうにもならなかったので、早々にこの町を引き上げる。





 地元のおじいちゃんおばあちゃん含め、みんな笑顔で挨拶してくれる姿がとても印象的だった
そして、道の駅の販売物が大充実だった神山町。


まあ、また四国には絶対来ると思うので、その際にはもう一度ゆっくり立ち寄りたいと思う。

そして向かうは、秘境も秘境、祖谷溪谷へ。

続。