2015/11/26

東欧旅行記_ルーマニア


灼熱のハンガリー。

ハンガリーといえば壮大な都、ブダペストがある国なんだけど、そんな場所とは全く無縁の
むしろハンガリー人からも忘れ去られているんじゃないかというぐらい、なーんにもない
寂れた地域を国境に向けて走り抜ける。

途中暑すぎて、湖の近くのキャンピングで1泊することにして、さっそく湖水浴にむかう。

しかし、海に面していないここハンガリーでは、湖でさえ貴重な娯楽施設でもあるので
柵で囲われ、入場料がとられる始末。

キャンピングでは超チャレンジャーなボッタクリ爺さんにぼられそうになったけど、危うくマーが
ねじ伏せ、正規の値段だけを払って目指す先はいよいよルーマニア!


国境につくと、なぜかゲート付近で長蛇の列。

ここはEU加盟国のはずなのに、なぜに国境審査などあるのか。

ハンガリーに入ったぐらいから、ポーランドでは良く見たユーロナンバーのキャンピングカーが
激減していた。

ルーマニアまで来るキャンパーは余程の物好きと見られるのだろうか。

案の定怪しまれ、車を別の場所に移動させられて、審査が始まる。

ルーマニアといえば、やはりチャウシェスクの独裁時代と、あの世界にも悪名高い
セクリタテア(秘密警察)の恐ろしい印象が未だに抜け切れず、どうしてもそういうフィルターを
通してここの国境警察隊のことを見てしまう。

「怖いんだろうなー」

荷物を全部おろせと言われたらどうしようかと思ったけど、車のドアを開けて、まず警察管の
目に入ったのは、おむつ1丁で爆睡しているくり坊の姿。

それを見て、「ああ、もう行っていいよ。」と、すぐさま開放してくれた。

子連れパワーーー!!


そうして無事にルーマニア入り。

国境から50キロぐらいの、最初に通りかかった街で腹ごしらえ。

ここまで来ると、町にはジプシー系の人達であふれ、服装もまさしくボヘミアンスタイルな
女性をちょこちょこ見かけた。

本当にこういう人達がいるんだと、感動したものだ。


ジプシージプシー書いてるけど、ジプシーって近年では差別用語にあたるらしく、本当は
シンティ・ロマとか言わなきゃいけないのかな??

ま、でも私は響きが好きなので差別の意味は含まず、ここではジプシーと呼ぶことにします。


ヨーロッパにいると、多くの人がジプシーに対してあまりいい印象を抱いてないというのが
日常の至るところで感じられる。

それは彼らが流浪の民であり、どこの国にも馴染めず差別され、その結果犯罪に走る人が
多いからだったりする。

そういう側面はあるものの、やはり彼らの独自の文化、とりわけ音楽や踊りに関する才能は
本当に素晴らしいと思うし、だからいつかルーマニアを旅してみたいと思っていた。

ジプシーに限らず、ルーマニア独自の文化がまだまだ生活の一部に溶け込んでいるような
昔ながらの暮らしを、今ならまだ垣間見れるのではないか、と言う期待もあった。


さて、私たちはどうにもこうにも耐えがたい暑さの中、町を去り山方面に向かってひた走る。

そして山道を適当に逸れてみて、寝床探し。

遠くに教会を臨む、景色の良い静かな原っぱにて就寝。

長年あこがれていた、サプンツァの墓地まで、あと100キロというところまで来ていた。






2015/11/18

東欧旅行記_ハンガリー1

猛暑の中、キャンピングカーの中で休むこと2日。

体調も大分良くなったので、先を急ぐことに。

もうドイツに帰っても良かったんだけど、せっかくここまで来たんだから
ルーマニアに住む知り合いだけは訪ねて帰ろうということになった。

私も移動中の窓の外を眺めながら、そういえばポーランドから出たとたんに様変わりした
住宅地の様子や、あとは道行く人のフレンドリーさに触れる機会がいきなり増えはじめ
この先の事が少しばかり楽しみになってきたというのもあった。

「もうちょっと、がんばろう。。。」


スロバキアをサクッと通り過ぎ、ハンガリーにやってきた。

ここからハンガリー



国境辺りから徐々に、ジプシー系の人々の姿が多く目に留まるようになってきた。

道沿いに立っている古い家の色や形にに統一感がなく、苔むして歪んだ屋根がどこまでも続く。

そんなのを見て、やっと外国に来たという実感がわいてくる。

ハンガリーは温泉大国で、事前に色々調べた熱々の湯につかりに行きたかったんだけど
あまり彼方此方をめぐる気力が残っていなかったので、通り道でだったミシュコルツの
洞窟温泉にやってきた。

ここは、野外のプールもあり、40℃を超える暑さと来ては、もうイモ洗い状態。


洞窟温泉は鍾乳洞のような洞窟の中に、四方八方に流れるプールみたいな水路があって
脇に反れるといくつかの静かな浴場にアクセスできるようになっている。

水温は37度ぐらい。

この静かな空間で浸かっているカップルがみんな、もう水の中で足を絡ませてベロベロベロベロ
チューしまくりで、気まずいったらなかった。

この国の若者にとって、温泉ってそういうところなんだろうか。



お水が大好きなくり坊は大はしゃぎで、キャーキャー言いながらパパの背中につかまって
プカプカ浮いていた。

私は源泉の滝にしばらく打たれながら、旅の疲れをいやした。






夕暮れ時、プールから上がってアイスを食べながら車に戻った。

肩車されているくり坊とマーの姿を後ろから眺め、何とも言えない懐かしさみたいなのが
込み上げてきて、胸がキュンとなった。

その夜。

泳ぎつかれたし、おなかいっぱいだし、その日は気持ちよく寝れそうだったんだけど
ここにきて、くり坊くんの就寝時必須アイテム「オシャブリ」がない。

彼が寝る時間はとっくに過ぎていて、眠さもあり、でもオシャブリなくちゃ寝れないで、次第に
機嫌が悪くなり、大泣きし、パニックになって大変なことに。

駐車場には何台かのキャンピングカーが止まっており、ガラーンとした空間にギャン泣きが
1時間近く響き渡る。

こんなのホント久しぶり。

たかがオシャブリ。されどオシャブリ。

結局見つかり、チュパっと咥えさせたら、ものの3秒でコテっと眠りについた。

恐るべし。

そして疲れ果てた私たちも、すぐさま深い眠りについた。

2015/11/09

東欧旅行記_スロバキア


何だかんだ言いつつ1か月近く滞在したポーランド。

すごく旅行しやすい国だと思う。

高速道路など、北部は通ってないところが多いけど、国道はちゃんと整備されていたし
原則的に、例えば路上や公園などで車中泊ができないとは聞いていたけど、全然できたし
そういう点では、ドイツなんかよりも緩い。

キャンプサイトはドイツ程の設備や清潔感には欠けるものの、私は十分だと思ったし
長期滞在型のキャンパーたちのマナーも良い。
ただしシーズン中の週末は、パーティーガヤガヤでうるさかったけど。
受付の人なんかは、ドイツ語を話せる人もが多かった。

物価面は言うことなし。

ドイツ系のディスカウンターや大型スーパーなどもあるんだけど、ポーランドにおいては
ちょっと割高スーパー位置づけなので、私たちは「ビエトロンカ」というてんとう虫マークの
全国チェーンのスーパーでいつも買い物していた。

食事もドイツよりもチョイスの幅が広く、安くておいしくて、文句なしだった。

ポーランドではBIO製品を買うのに苦労した。
ドイツではディスカウンターでも自社のBIOブランドがあるくらいBIO先進国なので、それに
比べるとお隣ポーランドでは、まだまだ一般市民の認知度も低いんだと思った。

ワルシャワとかの大都会にしかオーガニックショップはなかったし、いわゆる紀伊国屋のような
外国食材を扱うスーパーなどには、ちょろっとBIO商品が展開されているだけだった。

それは、以降訪れた別の東欧諸国でも同じだった。


人に関しては、ロシアでも感じた事がある、一種の冷たさを感じずにはいられなかった。

無関心というか、不愛想というか、プライドが高いのかなんだかしんないけど、今回の旅で
ポーランド人とは、殆ど絡みようがなかった。

前に電車でちょろっと旅をしたときは、人々のやさしさに感激したんだけど、土地によって
違うのかしら。

まぁ1か月しかいなかったけど、感想はざっとこんなところ。

でも、さっきも書いたけどすごく旅しやすい国なので、また来ようと思う。


旅の続き。

タトラで登山を終えた私たちは、少し車を走らせて山の反対側スロバキアに突入した。

ここから私たちの計画は、スロバキアをちょっと通り、ハンガリーを経由してルーマニアに
向かおうということに、一応なった。

旅に出て1か月。

ちょっとくたびれていた私は、あと1か月は続く旅路に、ほんのちょっと嫌気がさしていた。

ポーランド道中は、旅の快適さはあったものの、そこにいる人間との接点がなく、文化に触れる
機会が全くと言っていいほどなかった。

そんな毎日は、くり坊がいたからまだ気が紛れたものの、それでもいつもの旅に比べて
面白みは断然に欠けていた。

だから、ちょっと小出しに帰りたいモードを出しつつあったある日、ついに色んな意味で
色んなものが炸裂して、大変なことになった。


スロバキアやハンガリー。

このあたりの食文化に欠かせないパプリカやサラミをしこたま買い込んで、川辺でマーが
料理してくれたその日。

それはそれはおいしいレッチョー(という料理)を作ってくれて、一休みした後寝床を探しながら
南へ距離を進める。

その日は確か、どっかの山の裏にあった廃駅の前で1晩過ごすことになったんだけど
夜になり、なんだか機嫌も悪くなり、「帰りたいな、チェッ」と悪たれを付きながら眠りについた。

そして深夜になり。。。。

いきなり吐き気をもよおし外に出ると、びっくりするぐらいの勢いで吐き、そしておなかも
下っていた。

続いてマーも起きだし、同じような状態に。

特に吐き気がひどく、多分こんなに酷い食あたりは生まれて初めてだっただろう。
吐いても吐いても、昼間食べたパプリカが止めどもなく出てくる。

そして鼻からパプリカが出てきた時、ついに泣きながらマーにブチ切れた。

あの尋常じゃない吐きっぷりに、ちょっとパニクってたし、実際怖かった。

吐きすぎてなんだか寒くて、ガタガタ体を震わせなから

「もうやだ帰る、明日からドイツに向かおう。」

そんなことを、げっそりしているマーに明け方まで訴えつづけた。

そのころクリ坊君はというと、スヤスヤと夢の中。

大人と同じものを食べる歳じゃなかったのが救いだった。

何が原因だったのか、未だわからず。

20分ぐらい火を通した料理で、材料もその日買ったものだったのに。

当然この日を境に、パプリカがしばらく食べられなくなった。

見るのもだめ、臭いにも嫌気がさした。

スロバキア初日での出来事。

翌日、近くの畑に移動し休みつつ、ろくにご飯も食べられない日を2日ほど過ごした。

しかもそんな日に限って、ヨーロッパを千巻していた猛暑の熱波がここスロバキアまでも
及んでおり、暑くて暑くてグダグダで、もう腐ったぬか漬けのようにくたばり果てていた。

移動中。暑すぎて男衆はパンイチ。坊は移動中は爆睡。

2015/11/04

東欧旅行記_ポーランド11(Tatra登山)


翌朝。

天気が悪かったけど、せっかくなので予定通りの山に登ることにした。

雨が途中で降ったりしたけど、久々の山登り。

最高に気持ち良かった。

私は高さとか難易度とかはどうでもよく、色んな景色が楽しめて、色んなストーリーがある山が
好き。

この日登ったタトラの山は、果てしなく続く松林や、苔むした脇道、激流の雪解けの
川など、日本の山を彷彿とさせる風景はとても新鮮で、また日本の山の魅力を
再確認するような、そんな山登りだった。

日本の山は、やっぱすごくいい。

と、違う国の山に登ってるのに、結局いつも
「あー、日本に帰ってまず山に行きたい」とか言ってる気がする。

いつも日本の山と比べるのもどうかと思うけど、私はダントツで日本の山が好き。


と言いつつ、ご覧いただくのはポーランドの山です。






最後1時間ぐらいはけっこうエグい急斜面の岩場をのぼり、目的地の湖へ到着。

ここでお昼ご飯でもたべてのんびりしようと思ったけど、雨だったので来た道をまたすぐに
引き返し、森林ゾーンへと急いだ。

くり坊はお籠の上のお殿様。

終始ご機嫌、人生初の山登りでした。

ちなみにマークスは、4歳の時にはすでに2000メートル級の山に登らされていたらしく
私と彼の子であるくり坊にも、そんな日がくるのは遠くない気がする。




下山後。




下ってきたら天気もよくなり、川辺で一休み。

けっこうな筋肉痛になったけど、思い出に残る家族三人の初登山だった。


夜は、駐車場の隣にいたキャンパーと酒盛り。

フランス人とスペイン人のカップルで、フランスの真っ赤な救急車をキャンピングカーに改造して
1年近く旅をしているという面白いカップルだった。

話の中で印象的だったのが、フランス人の彼のおじいさんが戦時中、共産党員というだけで
捕獲されアウシュビッツに送られて、そこで亡くなったという話。

彼はどうしてもこの目でその現場を確かめたく、ポーランドを旅のルートに入れたらしい。

そこで分かったのは、おじいさんはナチスがガス室を導入して「最終手段」で大量虐殺する前に
亡くなっていたらしく、それを知った彼は少し胸をなでおろしていた。

それでも十分酷い話だけど、そういう話をポーランドでドイツ人に淡々と話しているという
目の前の場面に、ちょっとバツの悪さを感じた。

だけどその話がきっかけで、戦争や平和や人種差別や世界経済にまで話が及び、
そこでちゃんと議論しあえるヨーロッパ人の教養みたいなものを、ちょっとうらやましいと
思いつつも、メンドクサイなーと正直思ってしまった。

まぁわからないでもないけど、今日初めて会って、この時間しかないという人達と真面目な
話をする余力は、私にはなかった。

なので私は、スペイン人の彼女とワイン飲んでタバコ吸って「パエリアさいこー」とか言ってる
だけだった。笑


結局3時ぐらいまで飲んでいただろうか。


昨日の夜がいかに楽しかったか、翌日捨てに行ったワインやビールの空き瓶を見れば
一目瞭然だった。

そんなわけで彼らとは1日きりのご縁。

たのしい夜をありがとうと言って、彼らは北へ、そして私たちは南に向かい旅を続けたのでした。





東欧旅行記_ポーランド10(Tatra登山)

クラクフから山方面に向かう1本道は、休暇シーズン真っただ中ということもあり、この旅で
初めての渋滞にハマった。

タトラ山脈。

ポーランドとお隣スロバキアにまたがる山脈で、ポーランド随一の山リゾート。

麓の街ザコパネは登山客や観光客でにぎわっており、ここにもものすごい密度で人がいた。

宿泊施設も充実していて、レストランやバーもどこも満員だった。


私たちはまずキャンピングで一息つき、洗濯やシャワーを済ませた後、1キロほど離れた
街に向かい、腹ごしらえ。








街の裏通りにあった定食屋。

とにかくポーランド語がわからないので、適当に注文したけど、まあどれもこれも美味しいこと。
しかもこれで大体4ユーロぐらいなので、ハズレだとしても文句は言えまい。

ポーランド人からしてみたら、ごくごく普通の家庭料理の食堂ってところ。

次の日も一人でここに来たけど、満席で入れなかった。


この山エリアで作られてる手作りチーズ。しょっぱいけど美味。

やはり、ポーランドといえばピエロギ。餃子にビールの感覚で昼間っから一人でひっかけに来た。


あああ、食べ物のことばっか。

いいえ、タトラに来たからには、ちゃんと山登りもしてきました。

私は2日目は具合悪しで行けなかったけど、3日目は家族3人での初登山。



初日は父と子のみで。お籠に背負われる子。


良く道が整備されてたハイキングコースだったらしい。

多くの人がこの湖を目指す。

私はこのころ麓の街にいたけど、大雨だった。山の上は常に晴れ

1日目の登山を終え無事に帰ってきたところで、明日登る山の近くに移動することにした。