2015/09/28

東欧旅行記_ポーランド4 (Danzig)


全然関係なくもないんだけど、日記の続きを書こうと思いきや、なぜかMisfits(というバンド)
映像を30分近く今まで見ていて、「ハッ」となったのです。

そうだ、日記を書くんだった。

というのも、この旅で訪れたバルト海沿いの港街「Danzig」

Danzig と言えばやっぱり、、、、

しょーもない話になるけど、その昔Misfitsという妖怪魔人ドクロベエみたいな恰好なのに
意外とキャッチーな音を出すハードコア・パンク的なバンドがあって、そのボーカルが
グレン・ダンジグという人だった。

どうにかこうにかすると、ジム・モリソンの声に聞こえなくもないと、私はずーっと思ってる
このお方、現在60歳だって。

やっぱこの人はここで生まれたのかしら。。。。なんてことを調べたりしてたらYoutubeに
行きついてしまったという。

ああ、深夜の貴重な時間が・・・・・

ということでDanzig、 ドイツ語ではダンツィッヒのお話、行ってみましょう。








ここはポーランド最大の港都市。

ポーランドが世界に誇る街というだけあって、なかなか美しく見応えのある街でした。






そんなこの街も、第二次世界大戦では壊滅的な被害を受けたそうで、だけどこれをまた元の
通りに復元したポーランド人のパワーはすごいなぁと。













それにしても、こんなに人がいる観光地に来たのは何年振りだろう。
どこを歩いても人人人で、日本人の姿もちらほら見かけた。

午前中はあまり人がいなかったけど

一歩うらに入ると、地味なかんじに





写真には納めなかったけど、この川の対岸側には、お台場にあるようなキラキラの
観覧車とか、ゴーカート乗り場みたいなのもあった。

川にはパーティボートなるものが、酔っ払ってテンション高すぎるおじさんおばさんたちを
乗せ、クルクル回りながら流れてゆく。

せっかくの風景が台無しだったわ。







そして、ここで面白い人を発見。

彼はフランス人と日本人のハーフで、ポーランドに10年近く住んでるので、ポーランド語も
べらべらで。



「あなたのお名前、日本語で書きます」

というやつです。

筆を使って書いていたけど、なかなかお上手で、私たちが冷やかしで見物している間にも
3人ほどの名前を書いていた。

1枚1.3ユーロぐらいってとこかな。

なかなかいいお仕事のようだけど、最近はめっきりだと言っていた。

彼のお父さんの出身地が、私の地元に近く、家の近所の話で盛り上がったりした。



そんなところかな、Danzig。

とてつもなくにぎやかな観光地という印象。


最後にお寿司はいまいちだけど、味噌汁がイジョーに美味い寿司屋でお昼ご飯をたべて
街を去ったのでした。





東欧旅行記_ポーランド3

やっとこさ、久々の更新です。

今日は、今回の旅の中でもけっこう良かったなーと思った所のお話し。

場所は前回記事の砂丘があったウェバから北へ60キロぐらいだか下ったところにある
国立公園。


wikiから引用させてもらうと

゛カシューブ人カシューブ語: Kaszëbi)は、ポーランド北部のポメラニア地方および移民先のカナダなどに住み、西スラヴ語群カシューブ語を話す住民。ポーランドにおける現在の人口は50万人ほどといわれる[1]が、自らカシューブ人とする人は約22万9千人[2]、そのうち約5万人がカシューブ語を話す。カシューブ語はポーランド語に近く、ポーランド語と同じくレヒト諸語のひとつであり、現代標準ポーランド語を基準点にすればその方言とみなされる。゛


こんなような人々が暮らす土地に広がる公園内にはたくさんの湖があって、海岸沿いの雑踏
から逃れてきたドイツ人旅行者の憩いの場にもなってるように思えた。

標識もここに来るとポーランド語とカシュベー語両方の表記だった







私たちも久々にのどかな自然を満喫できたし、なんといってもここの地方の料理がおいしかった。

       


       


ポーランドの料理は、ドイツ料理に比べるといくらか繊細で、いくらか控えめな感じが
わたしには丁度よく、口に合うものばかりだった。

そして、値段もドイツの半分もいかないぐらいなので、そんなんだから殆ど毎日どこかで
外食していたな。


この地方に伝わる焼き物のミュージアムにも足を運んだり。



そ、素朴すぎて。。。





そういえば、北ポーランドって、ものすごい確率でコウノトリに出会ったり。







ある日は、公園内を自転車で一周してみたら、想像以上にハードな6時間の道のりで。。。

途中イチゴ畑の山を抜け

馬のお昼寝タイムを横目に走り抜け


宿泊先は悠々広々のキャンピング。1泊7ユーロぐらい。

目の前にはきれいな湖が広がり、サイクリングの後に飛び込んだり、朝の沐浴をしたり。








キャンパーはここでも8割はドイツ人だったかな。

管理人もドイツ語しゃべれるひとだったし。

Dauercamperという長期滞在型のキャンパーもちらほらいて、夏の間1か月はここで暮らしてる
老夫婦もいた。

夜は、ここで出会ったドイツ人と一緒に火を囲んでご飯を食べたりしていたんだけど
彼らは東西ドイツがまだ分かれていたころ、西ベルリンに住んでいた西ドイツ人。

今でこそ壁はなくなったものの、東と西のドイツ人の違いというのは、はっきりしていて
普段東ドイツ人としか殆ど絡みのない私にとって、こういう機会というのはとても新鮮だった。

特に壁があったころ、西側の人々は東ドイツをどう見ていたのかとか、どんな暮らしを
していたのかとか。

当時の思い出を振り返りながら繰り広げられる会話は、ドイツ人じゃない私でも
聞いていて飽きない内容で、本当に興味深く面白かった。

東西ドイツの歴史というのは、両サイドの人間から聞かないとダメだな。


ということで、すごい地味だけどこの旅の中でベストな場所と聞かれたらここで、
またいつか来たいと思える場所でもあった。

ドイツ国内でどっかの近場を旅行するより、ちょっと足をのばしてポーランドのほうが
金銭的なお得感と、あとはご飯が美味しいので、私的にはこれからこっち方面を開拓したいと
そんなことを思ったカシュビアンでの数日だった。