2013/12/12

ギョレメの谷で焼きうどん

モフリスの家を去り、その夜はジャンダルマ様に見つからないよう用心して車中泊。

しかし、通りかかった人に通報するぞと言われ、もう眠りかけてる所だったのに移動を
余儀なくされる。

結局どこだかも分からない真っ暗な空き地に逃げ込み就寝。

朝起きたら、何かの工事現場だった。

作業員がやって来る前に再び移動して、私たちはトルコの一大観光地カッパドキアに向かう
ことにした。

ここには以前来た事があったので、別にスルーしてもよかったんだけど、通り道から
20キロぐらい遠回りすれば行けるような所だったので、お昼休憩もかねて行って見るかと
言うことに。





久々にやってきたカッパドキア。

何度見ても、その迫力に度肝を抜かれる。

こんなものが、何千年もかかったとはいえ自然にできるってすごいよなー。

ただただ感動。すんげーーなーー。

 


お昼時になりお腹も空いてきたので、絶好のロケーションでお昼ごはんをつくる。

こんな時に、こんなところでサクッと料理できてしまうのも車旅のよいところ。
前回ここにきた時は、テント泊したし。


 この日もお気に入りのギョレメの谷の上の木陰にハンモックをぶら下げて、マーは運転疲れを
癒し、私は中華なべを振って焼きうどんを作った。

炎天下だったからか観光客の姿も見えず、奇岩が群がる谷底に私が刻むキャベツの音が
響いたかは定かではないが、カッパドキアまで来て焼きうどんを作る日本人なんて
多分世界中で私だけだろうなと思うと、なんだかちょっとだけ、多分3秒ぐらい誇らしくなった。

食事を終え、お茶を飲みながら2人でだらだらハンモックに揺られていると、爆睡して動けなそう
だったので、なんとか重たい腰を持ち上げ移動することに。

途中でアイスでも食べて帰ろうかと立ち寄ったギョレメの町は、恐らくこの旅で見た中でも
最大の観光地で、故に観光客が沢山いる。

8割は白人で、オープンエアのレストランなんか、ヨーロッパのどっかの町にあるそれと
何ら変わりない。

シャレオツなリゾート地の典型。

駄目だ、こういうところ。

ここは、トルコであって、トルコじゃない。

ものすごい違和感。極めて居心地が悪い。

なので、即刻退散!!!!

アイスはしばらくお預けにし、1時間ぐらい走っていった小さな町の
売店に駆け込み、やっとアイスにありついた。

その後は、カッパドキアとはまたぜんぜん違った風景が広がる、緑が生い茂る田舎道を
通過し、湖のほとりに到着。

今日はここで寝よう。

散歩にやってきていた通りがかりのおじさん達3人にお茶を入れてあげて、
芝生の上で束の間のピクニック。



それから2日ほどは、こんな感じでだらだらとした日を過ごしつつゆっくりと距離を進め、
私たちはブルザという町にたどり着いた。




2013/12/11

準備5時間、食べるの10分


早速魚を持って帰ってからは、この何百匹もある魚の下ごしらえ。

切り株に腰をかけて3人の男たちが、まず魚の頭を捥いで、指でお腹を開けて内臓を
取り出すという作業。

これを延々2時間ぐらいやっていた。

昨日の料理の準備もそうだったけど、ものすごい細かい作業に時間をたーっぷりかけながら
家族と一緒に黙々と作業する。

親子三代が毎日一緒になって料理をする姿。
今ではなかなか見られない光景だと思う
食べるのなんか一瞬だけど、時間は惜しまない。

前にどこかの家で食べさせてもらった物に、しその葉よりも小さいブドウの葉っぱに
米を詰めて巻いたトルコ料理のドルマというものがあった。

仕上がりは2センチぐらいのロールキャベツみたいなもの。
これを何百個も作り煮込み料理に入れるという、なかなか手の込んだ料理っだった。

これも2時間ぐらいかけて準備した記憶がある。

トルコの料理は食の世界遺産だかなんだかに登録されているけど、多分味だけではなくて
こういった文化的な背景も登録される理由になったのではないかと思う。





おじさんたちが作業している間、女たちは魚と一緒に食べるパンを焼く。

この家にはちゃんと近代的なキッチンもあるんだけど、料理するのはもっぱら野外。
煮炊きもできる専用の小屋があって、今でも毎日そこに火をくべて料理するのだ。

なぜかと理由を訪ねると、やはり焚き火で料理したほうがおいしいからだそうだ。

わかるわー、その気持ち!



あー、しかしなんてのんびりな生活なんだろう。
毎日がピクニックみたい。

妹とお母さんは慣れた手つきでパンを焼きあげると、お次は魚の調理にとりかかる。

これももちろん焚き火の上で。

              


魚はシンプルに、骨ごとじっくり揚げて、こんな風にして頂きました。


焼きたてのユフカにカリッっと揚がった小魚と、ネギたっぷりのすっぱいサラダを巻いて
頂きます。

シンプルだけど、めっちゃ美味い。
ここでもまた自給率100パーセント。(レモンは私たちの持ち込み品)

魚を獲りに行ってから、それが料理になって口にするまで5時間ぐらいはかかってるけど
チャイを飲みながら、みんなでゆーっくりと準備をして、そしてみんなで食べる。

幸せだなーと、しみじみ。。。

モフリスは私たちをゲストだから厚くもてなすというより、ありふれた日常にすぃーっと
引き入れてくれる、そんな感覚がものすごく心地よかった。

だから、彼の仕事も手伝いに行ったし、子供たちを連れて散歩にでかけたり、食料を
調達しにも行った。



 何よりも、彼が子供のように嬉しそうにして話すドイツ時代の思い出話が、とても面白かった。

こんな純粋な大人というのは、久々に見たなー。

翌日、私たちは出発することにしたが、その別れをモフリスは惜しむことも無い様子で

「またいつでも遊びにおいで、僕たちはいつでも君たちを待ってるからね」

と、またいつか絶対に会えることを確信しているかのように、スッキリした笑顔で私たちを
見送ってくれた。

出発する前には、妹とお母さんが私の大好物のトルコ料理「ギョツレメ」を作ってくれて
最後にみんなで食べてお別れした。





ある日偶然に出会った、小さな村に暮らすトルコ人一家。

 こういう人たちの出会いが、私たちの旅では何よりも思い出深いものになる。

そして、1度会ったきりもう2度と会うことがない人でも、強烈に胸に焼き付いてる人が
今まで訪れた国には何人かいて、その人と過ごした日々の事や、もしくはほんの一瞬の出会い
だったとしても、何年経っても鮮明に覚えている。

名前だって覚えている。

モフリスは間違いなく忘れられない人になるだろうな。

そういえば、彼の家に水筒を忘れてきてしまったので、それを理由に、と言うかそうじゃなくても
また会いに行きたい。

トルコにはそんな家族が結構いたりします。

そして、私の距離感も今では大分おかしな事になってきているんだけど、トルコぐらいまでだったら
毎年車で遊びに行ける所という感覚です。

トルコなんて、近い近い!

2013/12/04

モフリス家、自給自足の一家

スーパーの前で偶然出会った、ドイツ語が話せるトルコ人、モフリス。
誘われるがまま彼の家にお邪魔することになった私達は、のどかな山里の村に到着。

切り株に腰をかけながらお茶を飲んで、家族を紹介される。

同居しているのは彼の家族(嫁、娘、息子と赤ちゃん)と両親、そして、妹と弟という9人の大家族。

お父さんも30年ぐらい前にドイツで働いていたことがあり、カタコトながら多少のドイツ語を話す。
娘の旦那も現在ドイツで働いていると言っていた。

モフリスはドイツで肉体労度を長いことして、その後はピザ屋で調理人として働いていた。

けっこうお金も稼いだらしく、彼らが住んでる家もこの辺では一際目立つ大きくてきれいな家だった。

トルコに帰ってきてからは、自給自足の父親と共に放牧や小麦の生産で生計を立てている。

モフリスがマークスを連れて放牧している牛を連れ戻しに出かけたので、 私はさっきから給仕に
バタバタとしている女性軍の様子を伺いに、家の中へ入って台所へと向かった。

そこにはこの家の女性が3人集まって料理をしていた。

ライ麦のような荒い粉を水でこねて、親指の先ぐらいに小さい団子をひとつずつ作っている。

この作業だけで、2時間近くやっているというから驚き。

モフリスの妹は少しだけドイツ語が話せる。

これは少しばかり悲しい話で、ドイツで働いている彼女の夫はいずれは彼女をドイツに呼び寄せて
一緒に生活するから、その日が来るのを心待ちにしてトルコで2年間ドイツ語を勉強した。

しかし、彼の愛は冷めてしまったらしく、彼女がドイツに行く事もなくなってしまった。

「私にはなんにもない。ここにいても毎日毎日同じ日々で、男たちの給仕をして
お金を稼ぐこともできず、そうやって一生を過ごすんだわ・・・」

暗いなーー。。。。

ストレスも相当溜まっているのだろうか。
初対面でいきなりこんな話をいろいろ聞かされたけど、なんと言っていいのかわからなかった。


さて、待ちに待った夕食の時間。

トルコの典型的な夕食の風景。




 この家では、男女食べる場所が別だった。
私はゲストなので例外だったけど、トルコにしては珍しいんじゃないかな?

この日の夕食で自給してないものといえば、多分煮込み料理のトマトソースぐらいで
あとは全部自家製だ。

トルコでは欠かせないアイラン(ヨーグルトドリンク)も、全部お手製。

BOSCH製の立派な冷蔵庫を見せてもらったんだけど、中身は全部乳製品だった。

牛から絞った乳で作ったヨーグルト、バター、チーズ以外はほとんど何もない。
買ったものがないのだ。

べつにこれは珍しいことではなく、田舎の方に来ればよく見られる光景だそうだ。

3年前にお世話になった地中海沿いのトルコ人一家も、その近所もこんなような
生活をしていた。

経済成長が目覚しく、近代化が続々と進むトルコにも、まだまだこういった昔ながらの
生活を普通にしている人たちがたくさんいる。

だけど、仕方が無いから自給自足をしているわけではなくて、そうやってこれまでも生きてきて、
きっとこれからもそれが続いてゆくだけのことなんだとおもう。

そしてこの家族、お魚も近所の川で調達します。

翌日、天気も良かったので子供たちと一緒に魚を獲りに行った。

おじいさんが運転するトラックの荷台に乗って、ガタガタの山道を走り川へと向かう。

そしてこの日の夜ご飯になる10人分もの魚を、ものの1時間もかけずで釣り上げて終了。

その魚釣りとはこちら。




石の下に小魚が無数にいて、そこに網を投げて下から煽って網に引っ掛けるというもの。
 1度に15cmほどの小魚が30匹ぐらい、面白いほど取れる。

 網から魚を外す時は、1匹ずつおなかを押して卵があるか確認。
卵があったら押し出して、川に戻す作業もしていた。

 この投網を10回ぐらい繰り返して、10キロぐらいになったところで終了。




さてこの魚、どんなふうにして、どうやって食べるのでしょうか?


続きは次回。