2013/11/20

熱いトルコ人

翌日も西へ西へと距離をすすめる。

途中、食事の為に立ち寄ったビンギョルという町では、旅人が珍しいのかイラン並みに
人々に囲まれる。

さっそく食堂に入ったら、忘れてはいけない値段確認。
ここの店の人は数字も英語で言えず全部筆談だったけど、そっちのほうが都合がいい。



これはトルコではおそらく一番安いファストフードの「ラフマジュン」

釜で焼き上げたパリパリの薄生地に、スパイシーなひき肉が乗っているシンプルな料理。
これでサラダを巻いて食べるんだけど、これがまたメチャメチャおいしい。

アイランという、塩味のヨーグルトドリンクとの相性も抜群で、3ユーロぐらいでお腹が
いっぱいになる。

食事をしている最中も窓の外から見物客が私たちを観察している。

 あんまり気分のいいものではなかったけど、田舎だから仕方が無い。

さっさと食事を済ませて、私たちはまた西へ西へとひたすら走ってゆく。

夕暮れも近づき、食料の買出しにその辺で通りかかったスーパーに入る。

チーズ、オリーブなどを買いたいんだけど、イランから来た私たちにとっては驚くほどの
物価の高さ。

下手すればドイツよりも高いものもある。

それでも必要なものを一通り買い求め、会計を済ませて外でアイスを食べていると
スーパーの中で見かけた子連れのトルコ人がドイツ語で話しかけてきた。

参考までに言うと、ドイツ(当時の西ドイツ)は戦後復興のあとの経済成長期に労働力不足の
補填にと、トルコから大量の移民を受け入れてきた。

だから、トルコに来るとドイツ語が話せる人がホントに沢山いるのだ。

ここで会った男性も、15年程前にドイツで働いていたことがあり、しかも壁が崩壊して
間もない頃の東ドイツの復興工事にも携わっていたらしい。

私が住む近くのライプチヒという町にも半年程住んだことがあり、当時の様子を懐かしそうに
語っていた。

「僕はドイツにいた時、ドイツ人にホントに世話になったんだ。
どこの国でも、人種や宗教や出身国など関係無しに、みんな仲良くするべきなんだ。
君がこの国にいる間は、この国の住人だと思って過ごせばいいよ。
僕もドイツではそうしてきたんだ。
困ったことがあったら絶対に誰かが助けてくれるから、いつでも誰かに助けを求めて
いいんだよ。」

15年ぶりに話すというドイツ語でありながらも、意思はちゃんと伝わってくる。

なんか熱いトルコ人が現れたぞ。

話は遡って3年前。

トルコを旅していたときに出会ったトルコ人からのドイツ人評判はいまいちで
「あんな冷たい人がいる国なんか、もう二度と行きたくない」とか
「10年住んでいて一度も家に呼ばれたことが無い」とか、
そういう会話を何度も聞いたことがある。

その時私はドイツ語が一言も分からなかったので、マークスに英語に通訳してもらっていたけど、
トルコ人が何でそんな事を言うのかいまいちピンとこなかった。

でもあの旅を終えてドイツで生活するようになって、 ドイツの中のトルコ人を目の当たりに
するようになった今、やっとあの時の言葉が理解できる。

ドイツ人の中には、断トツに多いトルコ移民を快く思ってない人がけっこういる。
それは右寄りな思想が特に無い人でも、トルコ移民は特にドイツ人の働き口を奪うからと
言って毛嫌いする人もいる。

そもそも、復興成長の為に欠かせないいわゆるガテン系の仕事をやりたがらなかったのは
当のドイツ人達で、その穴埋めに政府が移民を受け入れて、その人たちのお陰もあって
今のドイツがあると言えるのではないか?

移民を嫌う前に、国を憂うならば国の為に汚いキツイ低賃金の仕事でもやる気概が
ドイツ人にあればよかったんだよ。

と、こういう話になると夜が明けそうなので強制終了しますが、とにかくドイツの中のトルコ人
うまくやってる人もいれば、そうでない人もいます。

そしてこの熱く語る彼は、珍しくドイツ人をべた褒めする人でした。

アイスも食べ終わった頃、まだまだ話したそうだった彼は「良い旅を」と言って去っていった。

私達も車に戻り、今日の寝床でも探すかーと言って出発し、しばらく走っていると
さっきの彼が車で後ろから追いかけてきた。

そして窓を開けて、車を脇に止めてーと言って来たので、路肩に車を止めた。

駆け寄ってきた彼は「これも何かの縁、うちに泊まりに下さい」とのお誘い。

私達は2つ返事で彼の後をついていった。

大きな国道から逸れて、山がある方向にドンドン向かって行き、20分程で彼の自宅に
到着した。

庭でくつろいでる彼のお父さんや子供達は、突然やってきた私達をみてびっくりしている。
それでも、快く招き入れてくれて、みんなで切り株に腰をかけてまずはティータイム。

出会いはいつも突然に。
だから、こういう旅は本当に面白い。

今思い返せば、この男性との出会いも今回の旅で忘れられない程、思い出深いものに
なったのでした。



ネムルト山の天然温泉

さて、やってきたのは温泉が湧き出ているという湖。

私はてっきり、その湖全部が温泉だと思っていたんだけど、実際は湖のほんの一角に
湧き出ていて、そこが岩で覆われている。

2人入ったら満員ぐらいの大きさだけど、リウマチなどを治すためこのお湯を求めにくる地元の
人もいるみたいだ。

私たちはさっそく温泉の前の原っぱに車を止め、ご飯をたべたり本を読んだりしながら
夜になるのを待った。



夜になる前、試しに湯加減チェック。
この辺は東部の保守的なところなので、水着はやめて短パンで入浴。


お湯は最初のうちだけものすごく熱いけど、慣れたらいい湯加減。

泉温は日に日によってまちまちだけど、熱いときは70度近くまで上がるそうだ。

底は砂で、所々からメチャメチャ熱いお湯が噴出しているのが見える。

まさに天然の温泉。

昼間のうちは観光客がけっこう来て、温泉に足をつけて帰ってくんだけど
夜になればこれを独り占めできるという贅沢。

温泉つき車のお宿。

最高のロケーションだった。

 


翌日。

天気も良かったし、この旅に出て一度もトレッキングしてなかったので、せっかくだから山に登ってみようということになった。

高さはそんなにないけど、見た目ですでに急な山だというのは一目瞭然。

登りはいいけど、下りがキツそう。。。

まぁ、下ったら温泉があることがせめてもの救いかな。

急な斜面をぐんぐん登り、振り返ると自分たちがいた湖と、その後ろにある青い湖が
だんだんと姿を現してくる。


そして頂上から見えた湖がこちら。
登ってきてよかったー。







 しばらく頂上付近で休憩したあと、今度は恐怖の下山。

登りの急斜面から、下りの大変さは想像できていたけど、なかなかのものだった。
普通に歩いていたら、膝に負担が掛かりすぎて危ないので、ここは重心をどこにも掛けず
猛ダッシュで下ってゆく。

火山なので足元はやわらかいし、こけても痛くない。富士山みたいな感じ。

二人して、猿のように滑りながら走り無事下山。

行き2時間、帰り30分という、脅威の急斜面登山だった。




山を下ってからは、のどかな湖のほとりに一軒だけある東屋で一休み。

観光客を乗せたバスが、どんどん来ては湖で1時間ほど休憩して帰ってゆく。

外国人のバスなんか、その休憩してるそばからテクノミュージックをガンガン掛けていて
ツアーガイドの計らいなんだろうけど、みんなの迷惑そうな顔といったらなかった。


夕方5時ごろを境にぴったりと観光バスが来なくなり、湖にもやっと静寂が訪れる。

暗くなったら私たちは山登りの疲れを癒しに温泉につかり、のぼせたら湖で泳いでなんていう
またまた楽しい夜を過ごしたのでした。

2泊3日。
たまたま通りかかった町外れの、さらに外れた山奥の秘境トリップのお話でした。

2013/11/19

再トルコ二日目

トルコ再入国の翌日、私たちは行きに通ってきたイラン最大の湖「Van湖」を西沿いに
走ってゆき、湖の西端にあるタトゥワンという街にやってきた。
 


道中の山道では珍しいものを見た。

遠くから見たら人だかりのように見えたので、事故でも起きて野次馬が集ってるのかと思ったら
近づいていくうちに、それが鳥だということがわかった。

そのくらい大きい鳥、そして動物の死骸に集ってるところから見ると、これはハゲタカとかの
類だろう。


なんだか不気味だった。
沢山の鳥が寄って集って死んだ肉体を引きずって、つつきあっている。

先日行ったイラン、ヤスドの沈黙の塔のことを思い出した。

あの時は死んだら鳥に食べられてもいいかもなんて考えたりもしたけど、この光景を見て
絶対嫌だと思った。

鳥は近づくと、不気味な音を立ててバサバサと山の向こうへ飛んでいった。

こんな大きな鳥は、初めてみたなー。





さてさて、久しぶりにやってきたトルコの町。
イランでこのぐらいの規模の街があれば、そこは間違いなくカオスな風景。
人、バイク、車が無秩序に入り混じり、事故もそこらで起こっている。

だけどここはトルコ。
皆が交通ルールを守り、ウィンカーを出して走る車に投げキッスをしたいぐらいだ。

トルコに入国するのはこれで3回目だけど、いつ来てもなんだか安心感があってワクワクする国。

さっそくATMでお金を下ろして、トルコ料理で腹ごしらえだ!

車を止めて、初めに目に入ったロカンタに入る。
地方のロカンタはどこに行っても外れがないというのが、私の中の定説。

おいしい煮込み料理に、お馴染みのパン。
やさしいお店のおじさんは、笑顔で接客してくれる。。。が、会計時ぼられたっぽい。

まあいっか。
次からちゃんと値段も聞こう。
しばらくトルコにいるんだから、食事するときの単語と数字ぐらいまたトルコ語で覚えなきゃ。

そんな事を思いつつ、ちょっと残念な気持ちになりながらも次なる目的地ネムルト山に
向かう。


 街の外れ10分ほどの所に、この山に登れる入り口がある。
山の麓には美しい湖があって、その湖の一部には高温の温泉が沸き出ている。

「温泉と聞いたら行くしかないでしょう!」ということで、この日の予定がきまった。



 山をどんどん登ってゆくと、突然目の前が開けた感じになってきた。
この山は火山で、噴火でできた無数の火口や溶岩が複雑な地形をつくっていた。

そして、このあたりの観光名所となっているのが、その噴火でできたカルデラ湖で
大小色の異なる湖が、巨大な火山の窪みにひっそりとたたずんでいるのだ。

 

 途中湖の近くで放牧をしている遊牧民を見かけた。

ゆったりとした山の稜線、新緑の鮮やかさ、そこに無心で草を食べている無数の羊。

のどか過ぎてうれしくなって、思わず窓を開けて手を振ってみた。

 「メルハバー!(こんにちは)」

そう言って今度は車から降りて、乳搾りをしている人たちに近づいて行った。



 そして、マークスが乳搾りに初挑戦。

他のみんながすぐさまタンクをいっぱいにするのと同じ時間で、マークスはお椀をいっぱいに
するのが精一杯。

その様子をみてみんな大笑い。

人肌にあたたかく、細かく泡の立った搾りたてのミルクも飲ませてもらったけど、クセがなくて
意外とおいしかった。

それからしばらく遊牧民のみなさんと戯れて、温泉があるという湖へ向かうことにしたのでした。

おもしろい羊の習性。車にもぐった羊にまた羊がもぐり、その羊にまたもぐる羊の図。寄り添いすぎ。
 続

2013/11/13

さよならイラン、そしてまた来たよトルコ。

旅はトルコへと続く。。。

トルコへ向かう車でいっぱいのイラン側の国境ゲート。

陸続きに荷物を運ぶ輸送トラックのなんか、1キロぐらいの列を作っていたけど
それよりすごいのが、列を作らず早く行ったもん勝ちの一般車。

車は5センチぐらいの間隔でひしめき合い、一台車がゲートを通る度に一斉にエンジンがかかり
我が我がと進んでゆく。
進むというより、30センチぐらい前に移動する感じ。

私たちもそこに車を突っ込み、3、4時間ぐらい待つことを覚悟していたんだけど
30分ぐらい並んでいたころだろうか、スーツを着た偉い役人みたいな人がやってきて
車を後ろに移動するようにと命ぜられた。

せっかくちょっとだけ進んだのに、抜き打ち再検査か何かか??

後ろにびっちりとくっついている他の車に「道を開けろー!」と言って手荒く私たちの
車を誘導するおじさん。

方向転換をして、来た道をゆっくり戻ると役人の人が
「こちらからどうぞ。グッド ジャーニー」
 と言って、役員専用の出入り口と思われる所から私たちを出してくれた。

出国の手続きはまだ終わってないけど、国境は続いているので、トルコ側に車だけ乗り入れて
体の移動だけで手続きできるという有難さ。

何の特権もない私たちに、こんなにも粋な計らい。

イランは最後の最後まで私たちを喜ばせてくれる国だった。

イランの人たちは自分たちの国の評判が悪いことを常に気にしているので、
せめてこの国に来た旅行者には いい印象を刻んで帰ってもらおうと思っている。

この思いは一般者だけでなく、役人にまで浸透しているんだという事が
この件でわかったような気がする。

そういえば、警察がいる検問所でも一度も止められたことがなかったし。

 トルコの国境を前にして、急激にまたイランが恋しくなった。

イランというか、イラン人。

またいつか、きっと来るよイラン!
それまでどうか、平和でありますように。

そんな熱い思いを胸にトルコ側のゲートに差し掛かると、 ゲートを開けた向こう側から
やってきたのは、ドイツナンバーのワンボックスカー。
やっぱりまたドイツ人だ!

若いカップルで、助手席に座ってる女性は国境を越えた瞬間なのでスカーフを慌しく頭に
被せようとしていた。

私はすれ違いざまに窓を開けて、「GUTE REISE!!(良い旅を!)」
と一言だけ言って、大きく手を振った。

運転席の彼は、親指を立てにっこり笑って去っていった。




さて、トルコ側の国境ゲートは2重になっていて、イラン側とは比べ物にならないくらい
殺伐としている。

なんてったって軍人の数が桁違い。
桁違いというか、イラン側は0に対しトルコ側は1ゲートにつき5人は武装した兵隊が銃を
構えて立っている。

さっき車内検査も終えてなんの問題もなかったのに、最後の最後でまた念入りに車を
検査された。

この辺、トルコの東部はクルド人が多く住む地域で、クルド人の独立国家を望む過激な
武装集団がトルコ人との間で度々闘争を繰り広げてきた地域でもある。

それは今でも続いていて、数年前には外国人旅行者が誘拐される事件も起きている。

そんなエリアであるから、軍隊の見回りが半端じゃない。

国境、検問所、いたるところにいるのは警察じゃなくてイランの軍隊「JANDARMA」

実は私たち数年前のトルコ旅で、このJANDARMAに捕まったことがあって
べつに悪いことはしてないのだけど、関わるとやっかいな人たちだというのは知っていたので
トルコ東部は特に、なるべくひっそりと旅をしようと心掛けていた。


そんな心構えもあったので、今日の寝床探しは事のほか慎重だ。


昼間の間は、遊牧民が山間にテントを張ってのどかな光景が見られるけど、夜になると
一層警備の目が厳しくなる。

その辺で車中泊しようものなら、すぐさまJANDARMA様に見つかってしまうし、
逆に夜になったら車のライトで目立ってしまう。

どこかの街に行って宿を探すには遅すぎて、暗い山道を運転する気力は
残っていなかった。

結局限界まで運転し、川の近くでエンジン音が響かないところを見つけたので、
星の明かりを頼りに、ライトを消して寝床を確保。

トルコの国境を目指し出発してから、10時間近く経っていた。
長い長い1日だった。



2013/11/07

イランてこんな国だった(2)


私がこの旅に出る前に気になっていたイラン風紀委員会について。

風紀委員なんて、そんな言い方をしている訳がないけど、国が女性の格好や服装を
いちいちチェックするなんて、「校則」の名の下で生徒を管理するアホらしい日本の
学校教育みたい。

イランも他のイスラム国家やイスラムを重んじる国と同様に、女性は髪の毛を隠し、顔や手、
足先以外の肌は見せてはいけないし、体のラインが表れる服も着てはいけない。

そしてイランにおいてはただの外国人旅行者だってこのルールを守らなければならない。

地方に行けば行くほど保守的で、女性は黒づくめのチャドルをまとい、影のようにゆらゆらと
通りを歩く。




そうでない人でも一応外ではルール通りの格好をするけど、家に入れば私たちと同じように
どんな格好でもいいし、むしろ普段の規制の反動で妙にセクシーに着飾る人もいたりする。

風紀委員については私は出会わなかったけど、実際抜き打ちで検査をされて罰金を払わされたり
する人もいるみたいだ。

たとえば、化粧が濃いとかマニュキュアの色が派手だとか、ジーンズの細さや襟ぐりの
深さまで指摘されてしまう。

男性も例外ではなく、たとえばタンクトップとかはもちろん、Tシャツや短パンも基本的には
禁止されているようだ。

これには、これといった基準がヒジョーに曖昧で、大体はその取締りをしている警察官の
気分次第でつかまって搾り取られる時もあれば、お咎めなしの時もあるらしい。

首都テヘランまで来ると、規則がゆるいと言う訳ではないと思うけど、ギリギリのところで
がんばってる女性が結構いて、それはそれで微笑ましかった。

特にテヘラン滞在時は、大統領選を控えていて、穏便に過ごしたい警察たちのあらゆる物に
対する監視の目が緩いからといって、ものすごいケバケバの格好をしている人が
いたりした。

選挙が終われば、また元通りになるから、今のうちやっとけと言わんばかりに。

そういえばイランは整形ブームだった。

街を歩けば、鼻整形の後で白いテーピングをした若者をよく見かける。

手術はだいたい日本円で15万円ぐらいでできるらしいけど、イランの平均月収が3万円ぐらい。
これがいかに高額なのかわかるし、手術できるのは金持ちの家の子供たちだ。

私がお世話になったお金持ちのイラン人一家の兄弟も、とっくに整形済だった。

「だって、鼻が変だと顔全体がおかしくなってしまうから」と、親の勧めで手術したらしい。


  そして驚きのイランのオイル事情

石油原産国であるイランの燃油はメチャメチャ安い。
他の物価も安いけど、燃油だけはズバ抜けて安いです。

ガソリンでいうとなんとリッターで15円ぐらい。
ディーゼルなんかは10円ぐらいだったかな。

それでも国民は、高いと文句を言っている。
水みたいに湧き出てきてるものに、何で払わなきゃいけないんだと。
実際、水より安いかも。

世界のガソリン価格の相場を見てから、そんな事言えっつーの。

給油所は国営で、値段はイラン国内どこでも均一。
国民は給油カードを持っていて、基本的にはこのカードがないと給油できない。
外国人が自家用車でイラン国内を旅行する際は、700ユーロ分ぐらいのプリペイドカードを
買わなきゃいけない、買わなきゃ入れないという情報もあったけど、無くても大丈夫だった。

私たちはカードがないので、まずスタンドに行って店員の人にカードを借りて給油をしていた。

外国人用のプライスもあって、これは大体店員の言い値だ。
国民価格と多少誤差はあるものの、そんなにぼったくられたりはしないです。

お隣トルコはヨーロッパの中で1番ガソリンが高い国で、6月の時点で1、78ユーロとか。
ドイツの安い日と比べたら50セント程高い。

原油が湧き出る国が隣にありながら、なんでこんなに高いのか??
なぜならトルコは国を挙げて、新しい道路をあちこちに作っているからだそうです。

私たちがトルコに入るときも、周辺のディーゼルが安い国で常に補給して満タンの状態で
入国した。

それでもトルコでは2度ばかり給油したけど、最後の方とかもうメーター振り切れるぐらい
ギリギリのところまで走ってイラン入りした。

そして帰りもイラン、トルコ国境沿いの最後の最後のスタンドで満タンにして、イラン入り。

260リットル満タンにして、5000円弱。

それでトルコを横断しきったという。

石油原産国万歳。。。。だけど、この国の人たちは石油だっていつか枯れてなくなることを
知っているのだろうか?

そして、もしこの国から石油がなくなったらどうやって生き残っていくんだろう、、、、

ちなみに、両国の国境チェックは厳しいです。

燃油は輸出禁止。

タンクに入ってるものはいいけど、キャニスターでの持ち込みも禁止。

中にはトランクに入ってるスペアタイヤの空気を抜いて調べられている人もいました。


よしよし、そんなところでまだまだイランの観察日記はいくらでも続けられそうなんですが
次に進みたいのでこの辺でイラン旅のことは終了~

とにかく今まで行った国の中で、イランは1番良かったです。

先日友達の紹介でうちに遊びに来たイラン人も、私のイラン好き加減を聞いて非常に
喜んでました。

イランという国は聞いただけではあまりいい印象がないので、誤解されがち。

うちの近所にも、中東全域危険地域で戦闘地域で、みんなイスラム過激派だと思ってる人が
山ほどいますから。

 こういう人たちには迷わず言いますね。

イランはドイツよりも、もしくは東京なんかより安全なところだと。

百聞は一見に如かず。

実際行って見て、「あーあ。。。」となった前回のモロッコ旅に比べると、この旅は大大満足の
旅なりました。

満足すぎて、お腹がいっぱいで、気持ち悪くならないうちにイランを出なきゃという感じで
私たちは次なる国、トルコに向かったのでした。



2013/11/05

イランってこんな国だった(1)

イランに来る前に、イランについて知っている事といえば、なんだったっけ?

反米のイスラム教国家で、女性がけっこう虐げられていて、30年前はイラクと戦争を
していた国。

そして新しいところで言えば、核兵器開発疑惑がもたれてる国。

そんな程度のイメージしかなかったけど、イランを旅する人たちのこの国の印象は
すこぶるよいもので、いつか行ってみたいと思ってました。

今回イランを旅したことでよくわかった事といえば、素顔のイランとでも言いましょうか、
とにかくいろんなベールに隠されていたこと、いろんなフィルターが被さっていて
よく見えなかった部分が、人懐っこいイラン人の皆さんたちと寝食を共にすることで
見えてきたことかな。

この旅で5週間イランに滞在したんだけど、うち計2週間はどこかしらのお宅にお招きに預かり、
楽しい時間を共に過ごしました。

その時間で、私がなるほどこれは!と思った気づきを、いくつか書いてみようと思います。

まず、イラン人は反米で熱心なイスラム教徒なのか???

これに関して、少なくとも私の見解はNOです。

確かにそういう人もいます。

だけど私が出会ったイラン人はの殆どは、アメリカに個人的な恨みなどもっていないし
国が掲げる反米政策に同意する人は殆どいません。

その政策で国交が断絶されたり、経済制裁で輸入や輸出の規制があり、通貨が暴落して
物価がどんどん上がってきている。

この煽りをもろに受けているのが、一般の市民であり、私たちをもてなしてくれた
あの人達だって、例外ではない。

生活が追い詰められるよりも、一刻も早くアメリカと仲直りして安定した暮らしがしたいと
言うのが本音ではないでしょうか。

一方で、人種差別とも受け取れるほどのアメリカ嫌いの人がいるのも事実です。

露骨に何人だとマークスに聞いてきて、ドイツ人だというと態度がいきなり変わったり
アメリカかイギリス人だったらお金取るけど、ドイツ人は歓迎!という料金所の徴収係りも
いたり。

人によりけり。
だけど、世論は過激なものとは程遠いものです。

そして、彼らの宗教観。

イランは国を挙げてイスラム教を国教としている、イスラム教国家。
だから、政治や社会秩序はすべてイスラム法に基づいて国が成り立っている。

ということなので、さぞかし国民も信仰熱心なんだろうと思いきや、全然でした。

たとえば、お酒や豚肉が禁止とか、女性の身なりなどは他のイスラム教徒が多い国と
変わりません。建前は。

だけど、それは目に見えてわかる物事の規制であって、信仰心までコントロールできてない
というのが私の印象です。

イランは私が今まで旅したイスラム教の国では、ダントツで信仰心が薄い人が多いです。
それは一般のイラン人がお祈りをしたり、礼拝に行く回数で気づきました。

してないんだなー

これは、とてつもなく意外でした。

彼らにとっての神を侮辱したり、否定する言葉こそ出てはこないけど、だからといって
神に感謝して、神の恩恵に与るために生きるという人は、私が出会った人の中では
覚えてるだけで、1人だけです。

マークスがこれを、彼が生まれ育った東ドイツという当時社会主義だった国に例えて
こんな話をしてくれました。

東ドイツは、国民は皆平等で国に属し、国の繁栄のために働き、
社会主義を賞賛した。
そして、すべてはうまく行っている、国民も国に対して忠実で、
皆堅実な労働者だというのが建前だったけど、実際国に忠誠心を誓う人なんて
微々たる数。

労働して生活を営む。

これは生きてゆく上で欠かせない事だけど、政治理念まで植えつけることなんて
不可能なわけで。

イラン人の宗教観もそれと同じようなものだと言っていた。

強制されるものに、人々の心なんかついてこないんだと。

イランは、79年のイスラム革命でさらに厳格なイスラム教国家になったものの、実際には
その後イランではとても生き辛くなったと嘆く人が後を絶たない。

イランを旅して、誰かと知り合いになったら、かなりの確率でこんなことを聞かされると思う。

「革命前の方がよかった。イランはもっと自由でのびのびしていた。ホメイニはだめだね」

(ホメイニ師:イランの国家最高指導者。大統領の選出も法の改正も結局この人の一存で全てが決まる)

革命前がどういう風に良かったのかは分からないけど、少なくともイスラム国家になって
いい事などない。
国家の中でも亀裂を生むし、国際社会からは孤立して行くばかり。

その煽りが自分たちの家計まで及ぶとなると、単純すぎるけど「ホメイニ=イスラム」が悪い
という構図が出来上がるわけ。

だから、イスラム教というものを軽視している人が、実に多いという印象を受けたのです。



 ちなみに私たちの旅は、フツーのイランの人々と触れ合う日々だったのでこんな感想ですが、
イラン中部の街QOMなんかにはシーア派の聖地があったり、しかる場所に行けば、
敬虔なイスラム教徒はいくらでもいるのであしからず。

もののついでに書いておこうと思うんですが、さっきみたいな単純な構図で、イラン人が、
というかイスラム教徒がドイツ人に友好的な理由というのがあります。

イスラムの国に来るとマークスはドイツ人だからというだけで、よく歓迎されます。

なぜなら、パレスチナのイスラム教徒たちが、イスラエルのユダヤ人に迫害され続けて
いるからです。

おわかりでしょうか?

その憎きユダヤ人を迫害し続けたのがドイツ人だから、マークスは良い奴となるわけです。

超単純。。。

 たまにものすごく真面目に「ヒトラーは真の英雄だ」とか言う大バカ者もいたりします。

それを言えばマークスが喜ぶと思う人もいれば、 どこで覚えたのかナチスの敬礼までする
人もいます。

マークスはそのたびに怒り心頭で、それは間違ってると、そんなのドイツで言ったりしたら
捕まるぞと、言ってることの重大さを説く場面を何度も見たことがあります。

ついでに言うと日本人も同じ。

日本人というだけでコロッと態度を変える人がいます。

イランでは道を歩けば「チ-ン チーン(中国人)」と、人の顔を見て堂々とからかう
人がものすごく沢山いるんだけど、自分がもし中国人だったらそりゃ腹が立つけど
日本人なので、言われたらその場で「ジャポーン ジャポーン」と言い返します。

すると、手のひらを返したように擦り寄ってくる。
「ソーリー、チャイニーズ NO GOOD、ジャパニーズ GOOOOOOOOOOD!」
とか言うもんだから、あきれて相手にもしたくなくなる。

友好的なのはうれしいけど、その背景に人種差別があったりするとがっかりなのです。

仮にマーがアメリカ人で私が中国人だったとしたら、こんな旅はできるのだろうか疑問です。

イラン人はものすごく優しかったけど、これがもし人種によりけりだったら残念だなー。。。

パート2に続く

2013/11/04

イラン最終日 キャンドヴァ-ン村

タブリーズのバザールから寝床探しもかねて、イランのミニカッパドキヤとも言われている
キャンドヴァ-ン村に向かう。

町を抜け、住宅地を抜け、小さな村をいくつか通り過ぎるとちょっとした山道に入り
しばらく行くと、人里離れた山のふもとに小さな村があった。

この村は、あのトルコにある世界的観光名所のカッパドキアのようなニョキニョキの奇妙な
岩に囲まれている。

しかし山肌の一部だけというだけで、 本物とはとても比べ物にはならない。

だけどこれはこれで、この村のシンボルみたいな感じでいいんじゃないでしょうか。

しっかりと観光地にもなってるみたいで、村に入る前に通行料も取られる模様。
私たちは取られなかったけど。

 


村に入り、きれいな川沿いの道を行くと左手に洞窟ホテルなるものが見えてくる。
これは、多分あの奇岩に似せて作った人工の建物。

イランの最後ぐらい、ホテルにでも泊まろうかと思ったけど意外に高くて、しかも着いたのが
夜遅く、寝るだけのために払うにはもったいないので、結局村のはずれにある川辺で車中泊。


翌朝

すがすがしい朝を迎え、車の外で朝ごはんを食べていると向かいの山の上から
羊を連れたおじさんがやってきた。





同時に背後の道からは、ドンキーに乗ったおばちゃん達が続々と現れ、その後ろにも
数百頭の羊の群れ。




朝の通勤ラッシュ。お勤めご苦労様でございます!


 川の向こう岸に集結した羊たちは、ぎゅうぎゅうに一まとめされ、そこにおばちゃん達が
もぐりこみ、せっせと乳搾り。



500頭ぐらいはいる羊の群れと、乳を搾るおばちゃんたちを眺めながら、たまに手を振ったり
するんだけど、みんな私たちを見て見ぬ振りをしている。

そういえば、さっきから通りかかる村人にも挨拶をするが、9割の確立で無視されるか
そっけない返事が返ってくるばかり。

この村はきっと、観光客があまり好きではないんだろうな。

岩とその周りのレストランや商店を除けば、ここはフツーのイラン人が住む小さな村だ。

そんなところに、1泊100ドルもするホテルに泊まりにくる外国人や金持ちイラン人に
嫌気がさすのもなんとなくわかる気がする。

それと対照的だったのが、ここで商売をする人たちの愛想の良さ。

観光客の恩恵に与かっているのは、こういった商売人だけなのかもしれない。









 この奇岩のエリアは、岩の洞窟を利用して小さなお店や観光案内のオフィスなどが
あちらこちらに散らばっている。




 そしてこんな観光地のお土産屋さんでも、売っていたキリムの値段はもちろんおじいさんの
正直価格。

ここでも1枚お買い上げ。


その後は一路国境への道。
1ヶ月前イラン入りした、オールミエ付近の国境に近づくにつれ、帰りたくないような。。。。
というのはウソで、違う国に行ける喜びと期待で満ち溢れていました。

最後オールミエのバザールでいろいろ買い物し、イランで何回食べたかわからない
チェロウ・ケバブを食べ収めして、トルコに向かう。


そして、国境に一番近いガソリンスタンドでディーゼルを260リットル満タンに!
イランの驚きのオイル事情については、次から書くイランのまとめにでも書きます。


ということで、私たちの35日に及んだイラン5000kmの旅は終わったのでした。

しかしイランを出ただけであり、私たちの旅は今度はトルコ人の手厚いホスピタリティーとともに
まだまだ続くのでした。