2013/07/31

天国に近い山

セミロンからシラーズへの道。

イランは高速道路がきちんと整備されているので、都市から都市へのアクセスが
非常に楽な国だ。

なんですが、私達はあえてそこは通らずローカルな道路を攻める旅なので
余程の事がない限り、高速道路は使わないようにしている。

そのおかげで、イランに限らず、今まで色んな国のローカルな人々との出会いが沢山
あった。

人との出会いこそ旅の醍醐味なんですが、たまーに高速道路に乗ってヒョイっと次の
街に行きたくなる私と、あくまで裏道を攻め続けるマークスとの間に亀裂が生じる
こともある。

旅をしていて、喧嘩になる時、もう帰りたいと私が愚図り始めるのはだいたいこういう時。

山道8時間ドライブとか・・・・・

セミロンを去ってから、進行方向にずーっと見えてる巨大な山脈。

この日は、この山を越えてみようの日だった。



 この季節で、あの雪の積もり方。

富士山級だな、こりゃきつい1日になるぞと思いながら横に目をやると、ウッキウキで運転
するドイツ人。

この人、雪山を見るとものすごくコーフンするらしく、気分上々鼻息フンフンで山に向かっていた。

山の入り口らへんに着くと、遮断機が道に差し掛かっていて、その周りには武装した男達が
わんさかいて、なにやら物々しい雰囲気。

「この山を越えて、あっち側の街まで出たいんだけど!」

言葉がまったく通じないので地図を見せて説明する。

しかし、その地図に載っている道というのは存在しないと言う。最新の地図なのに!

結局分かりやすい道に出る所まで案内してあげるといって、武装した男5人、バイク1台を
引きつれ、山道を登る事になった。

この山の中がすごかった。

そんな山の中にあるとは想像できない、キレイな集落があって、標高もかなり高いのに
雪解けの川が流れるせいか、りんごとか小麦とか栽培している。

秘境というか天国という名にピッタリの風景。

写真は絶対禁止と言われたので撮れなかったのが残念。

多分国立公園かなんかなんだろうけど、そんな場所に人は住んでいいのかとか
あそこは一体なんだったのか、未だに謎。

彼らは公園内を取り締まるレンジャーで、この山中に生息する絶滅危機種の動物を
不法なハンターから守る仕事をしているようだった。

その証拠に、私達の道案内そっちのけで、怪しい人物を見つけるとすぐさま車から武装男達が
出動し、ライフル銃を肩に掛けて忍者のように山を登っていった。

 

私達は2時間ぐらい崖っぷちに放置され、戻ってきたレンジャー達と来た道をまんま
戻って、ここを曲がって行けば道に抜けるよと説明された後、別れることになった。

こんな道、案内がなくてもこれたわ!という道路。
3時間が無駄になった。
言葉が通じないって、たまに痛いのね。。。。

さて、その先もけっこうな山道を行き、寝床探しの時間が始まる。

山脈の間の谷あいには、雪解けのころから放牧しにやってくる遊牧民たちのテントが
点在していた。

彼らはきっとイランの山の民、カシュガイ族だ。



遠くから眺めると、放牧の羊は蟻のように小さく、テントは海低に深く沈んだ船のように
見える。

そんな谷間を何度も何度も下ったり登ったりしながら、人がいない静かな場所を探す。

途中、道路工事をしていおじさんから、物凄く露骨にお金を無心された。

イランでそういう事があったのは、後にも先にもこの時一回きりだった。

何度か谷間を抜けたところに突如として現れた川。
りんごの木の合間に車を止めて、こんどこそ人が現れないことを願い就寝。



山道ドライブはけっこうきついけど、こういう所に限って物凄い感動の風景に出会ったりする
もんだから、文句を言いつつもやはり来て良かったと思う。

この世のものとは思えない風景、そこにある自然と共にちゃんと生活を営んでる人々。

どんなに文明が発達しても、どんなに人類が進化しても、人間はやっぱり動物。

自然があればどこでだって生きて行けるんだ。

自分が生きているところだけが世界じゃないというのは、実生活ではなかなか意識する
ことができない。

だからたまにはこういう旅に出て、この世のどこかの、だけどこの世のものとは思えない
でっかい何かに出合って、世界のほんの、毛穴より小さい、点にも満たないところで
ちっぽけに生きている自分を、私は励ましたい。

地球はとてつもなくデカく、あらゆる物事の可能性や生き方の多様性は、自分で限度を
決めなければ無限大なのだ。

作意のない自然の力と美しさ、静かに生きる山の民を見て、沢山の勇気をもらう。

実生活では絶対に鳴らない心の鐘が、ガンガン鳴り響く。

生きている間はできるだけ沢山、この鐘の響きを聞きたいものだ。


2013/07/30

りんごの里に住む一家


りんご畑で出会ったおじさんのお家に到着。

こんな言い方をしたら失礼だけど、おじさんはかなりボロボロの身なりだったので
お家の方はいったいどんなんだ?と正直思ったりもしました。

しかし、そんな身なりからは想像つかないほど立派なお家に住んでいました。

こういうのは体裁を繕ってばかりの国からきた人間にとっては、ハッとさせられる瞬間です。

そして、出迎えてくれたのはおじさんの奥さんと息子、そしてその息子の美しいお嫁さん。

この息子は少し英語が話せる人だったので、なんとか意思の疎通ができたのでよかった。

分からない言葉は、スマートフォーンの翻訳機能を駆使したりと、こんなに小さな田舎町にも
普及しているんだと驚いたものだ。

しかし、情報閲覧の規制が厳しいイランでは使えない機能の方が満載なので、持っていても
あまり使えないと嘆いていた。


おじさんの奥さんは玉のようにマルっと太った明るいオバちゃんで、私達を家の中に通すなり
親戚やら友達に電話しまくっていた。

そうそう、イランの人はとにかく良く電話をする。
1日1回は親戚、親兄弟と連絡をとりあうし、私達が前に泊まらせてもらった家族からも、
毎日携帯に電話がかかってきていた。

郷に入れば郷に従えなんだけど、さすがにこれはきついので、携帯電話は極力電源を
OFFにしておいた。
そうでもしないと、毎日毎日「無事か?元気か?今どこにいる?何を食べた、誰に会った?」など
確認の電話が入るのだ。

そういう確認作業がイランでは習慣になっているんだと思う。

しかし、そんな習慣がない外国人にはたまったもんじゃない。
親切心から電話してくれるのは分かるけど、けっこうウンザリな出来事だった。

この日も、今日何度目になるのか、お母さんはシラーズにいるお姉さんの家に電話を
かけていた。

「今、外国人の人が家に来てるよ」

と、おじさんが私達に会い、ここに連れてきた経緯を大笑いしながら説明している。

そうして、こちらに電話を渡されれば、自己紹介がてら挨拶するのだ、覚えたてのペルシャ語で。

受話器の向こうには一人、英語が話せる女性がいた。

「シラーズに着いたら、絶対遊びに来てね」

ここでも嬉しいお誘いをうける。


夜も10時過ぎたところで、イランの遅い夕食が始まる。

今日はなにかな ?

夕飯はもう済ませてあるのに、何がでてくるのか密かに期待する私。

まだ、食べるんかい!




この日の夜ご飯は、キャベツのピラフに、ニンニクの酢漬け。
添えてある野菜は、激スッパなイランのピクルス。

私はぜったい食べられないけど、つわりの妊婦並に酸っぱいもの大好きのマークスは
イランの食べものでは、これが一番美味しかったと言っている。

だいたい、イラン人の酸っぱいもの好きは尋常じゃない印象があって、何がすごいって
まず青梅をそのまま食べる。
熟す前とかそういうレベルじゃなくて、青くて硬いカリカリの梅の実に塩をふって生で
食べてしまうのだ。

こどものおやつにも、もちろんこれが出てくる。

生食でいうと、ソラマメも皮を剥いて生で食べてたなー。

ドイツでは梅や豆など生で食べ過ぎると中毒を起こすからと、子供なんかには特に注意を払う
ようだけど、 イランではもう主食並みですよ、とくに青梅なんかは。

ああ、ビックリ!


食事のあとは、お風呂に入って寝てしまうといういつものパターン。

個室にお布団を2枚敷いてくれて、なんだか日本の旅館を思い出す。

良きおじさんに出会えた今日の出来事に感謝しつつ、眠りにつく。

翌朝、この日はイランの休日の金曜日。
おじさんはお弁当を持って、ピクニックに出かけて行ってしまった。

私達もそのままおいとましようと思ったけど、お昼ごはんもご馳走してくれることになったので
お昼になるまで、近くの滝などに行って時間をつぶした。

滝の周りはピクニック客で大賑わい。


ガンバリ家の息子さんと


お昼時家に戻ると、またまたマルっと太ったかわいい女性が3人加わり、お母さんたちと
おしゃべりに花を咲かせていた。

私達見たさに集まった近所の親戚らしい。

ここの家の人たちはガンバリという苗字なんだけど、お母さんの旧姓もガンバリで
母方ガンバリ一族は、みーんな太っていると言っていた。

どうやら家系なんだそう。

世代にもよると思うけど、太った女性は冨の証として男性に人気なので西欧社会とちがい
オデブさんもそんなに悪いイメージじゃない。

よく食べて、よく肥えてる人は元気そのもの。
病的な肥満でない限り、大きい女性もかなり受け入れられている、そんな豊かな国なのです。

さてさて、お昼ごはんはおなじみのゴルメサブジ。

お嫁さんが作ってくれたけど、使った野菜が冷凍でした。
だけど、そういうのもありみたい。
多分時間がある時にたくさんストックを作ったのでしょう。

相変わらず美味しい料理です。

サブジの前にあるのが、御飯を炊くときに一緒に作るジャガイモのおこげ。


そんな感じで、前回同様お昼ごはんを頂いたあとは、サラッと笑顔でお別れ。

ありがとう、ガンバリ一家のみなさん!

シラーズの親戚一家のお家にもきっとお世話になりますと言い残し、りんごの里
セミロンという町を去ったのでした。


2013/07/24

りんご畑のおじさん

イスファハンの駐車場で車中泊。

道路に面したところだけど、夜中は車通りも少なく静かでぐっすり眠る事ができた。

しかし朝の6時から、この駐車場でサッカーの練習が始まっていて、若者達が大はしゃぎ。

元気だなー

って、ここ駐車場なんですけど、、、でも駐車場で寝泊りする自分たちこそアレかなんて思いつつ
外に出ると、昨日見かけたフランクフルトナンバーのキャンピングカーからおじさんが
すでにコーヒーとタバコで朝の一服 をしていた。

おじさんのところに行って色々話しを聞くと、彼らは最近定年退職したばかりの夫婦で、
500ユーロで買ったボロボロのキャンピングカーを直して、旅に出て来たそう。

ベンツだけど、かなり年季の入った車だ。

その車でイランからトルクメニスタンに抜け、中央アジアを周るらしい。
実はその前日にも他のドイツ人老夫婦にも会っていて、彼らも同じルートで中央アジアを
行くと行っていた。

ヨーロッパから中央アジアに行く旅人にとって、どうやらイランは重要な通過点のようだ。

こんな長旅なのに、本の一冊も持ってこなかったマークスは、彼らが読み終わった本を
何冊かもらって、ものすごく喜んでいた。


さてさて、楽しかったイスファハンを去る日。

けっこう大きな街だったので、また山道や畑が広がる風景に戻りほっとする。




次に向かう街はイランの南にある街、シラーズ。

けっこうな暑さだとは聞いていたので、その前に何日かのんびり山の方で涼んで
ゆっくりしようということになった。

そして、今日の寝床探し。

洗濯物がたまっていたので、川の近くで場所を探す。
川はないんだけど、灌漑用水のキレイな水が流れる水路があったので、適当にそれを
たどって行くと、りんご畑にたどり着いた。

人気のない静かな場所。

キレイな雪解け水で洗濯をし、夕暮れ前のさわやかな風に洗い立ての洗濯物を晒す。
 (あ、洗濯と言っても洗剤は使わない単なる水洗いです)

丘の上から撮影。見えますかな、車と洗濯物。

ああ、極楽気楽。

今日は久々に火でも起こして料理しようと思って、この旅始まって2度目ぐらいの
野外クッキング。

そういえば今回の旅は、焚き火どころか自炊もあまりしてないなー

火を起こしてお湯をわかしお茶の準備をしていると、りんご畑の向こうからバイクの
音が聞こえてきた。

ああ、見つかっちゃたか。。。。

そして案の定、農作業帰りのおじさんが木の隙間から現れた。

「サラ-ム、サラーム」

おじさんは胸に手を当てて、ニコニコと挨拶をしてくる。

「なにやってんの、こんな所で、焚き火?驚きだなー。どこから来たの??」

まぁ、ここでも全開でペルシャ語なんですが、おじさんにもお茶を出し、なんとなく言ってることを
想像しながら色々と話していた。

そして、また案の定と言ったらナンですが、お家に泊まりにおいでと誘ってくれた。

一昨日イスファハンで泊まらせてもらったばっかりだったので、もうちょっと間を
空けたいなーなんて思いつつも、イラン人農家のお宅はどんな暮らしをしているのか、
そんな興味も芽生えたりもした。

でも、やっぱり今日はここで寝るのでご心配なくと言って、丁寧にお断りした。

それならばとおじさん、近くにキレイな山の水があるから汲んで来てあげるといって
私達の空になった水用のタンクをバイクに積んで、ブイーンと去っていった。

日が完全に落ち、焚き火を囲んで食事をしていると、おじさんがまた戻ってきた。

そして、一緒にお茶を飲み、言葉が通じない私達はほぼ無言のまま火を見つめていた。

            


なんともいえない時間が流れ、何かに思い更けていたおじさんが、突然元気になった。

「やっぱ、家へおいでよ。ここでもいいけど、家に行けば家族もいるし、これから御飯の
時間だよ。」

おじさんはどうしても私達を連れて帰りたいらしい。

家に電話して、何言ってるか分からないけど、奥さんの声を聞かせようとする。

うん分かった。もう行きます!

私達は食器を片付け、半乾きの洗濯物を車の中に放り込み、おじさんの後を付いて
家まで向かった。

そして、そのりんご畑から車で30分ぐらい走ったところで、おじさんが住むSemironという
小さな町にたどり着いた。



2013/07/18

夜のイマーム広場@イスファハン


駐車場に車を置き、すぐ後ろにある公園のベンチで読書&人間観察。
通る人みんな、笑顔で挨拶をしてくれる。

こんな所で私は、司馬遼太郎の忍者小説を夢中に読み耽っており、伊賀の郷に
思いを馳せたりしていた。

ミスマッチすぎる。

きれいなバラの向こうに上がっている噴水の水しぶきが、とてもすがすがしい。

この池の上を、忍者だったらどうやって歩くのか。。。。とか、そんなこと考えてる場合じゃないよー

ここは、イランだよー

あーー、イランいいとこだなー。
きれいだよなー。



そう、イランてメチャメチャきれいなのです。

公園などの公共の場所はもちろんなんだけど、通りとかバザールの脇の歩道とかでも
ゴミとか全然落ちていない。

アスファルト車道の砂利さえも丁寧に掃き掃除をしている人もいるくらい。

イランもアジアの一国なんだけど、例えば東南アジアの国のようなカオスッぷりはある。

だけど、路地裏に漂うおしっこ臭とか、昼から酔っ払って騒ぐ人や、うつろな目の物乞いとか、
羽目を外して調子こいてる外国人旅行者とか、それにくっついてまわるだらしのない
地元民とか、そういうのが一切ない。

もう、それだけで好感度は上がるいっぽうだし、こんな旅がしやすい国ってなかなか
お目にかかったことがないんだよなー。

毎度褒めすぎなんだけど。


日が暮れだして、お腹が空いてきたので大通りに移動。

なんとなく、イランのファストフードってどんなものなんだろうと思って、何を血迷ったか
ケンタッキーとマック風のメニューが看板に踊っている店に入ってみる。



 イランは肉の質が高いから、ファストフードだって美味しいのではないかと、高をくくったのが
間違いだった。

味は、マックなみに不味いです。

そりゃそうよね、だってそれをまねして作ってるんだから。

不味すぎて全部食べられなかった。
忘れよう、この事は・・・・

さて、夜のイスファハン、イマーム広場。
こういう場所は夜が絶対!

イランの真珠、やっと意味がわかった眺めでした。

先ほどのお目汚しのハンバーガーは忘れて、こちらの写真をどうぞ。













レーザービームショウとかやってなくて良かった!

夜風に吹かれながら、ちょっぴりロマンチックな気分で広場を散歩をする。

あー、イランに来てるんだなー、いい旅だなーと、幻想的に浮かび上がるモスクを遠くに眺めながら
そんな思いをしみじみと噛締めていた。

で、そんな良い気分に浸っているところに、全身黄色のおじさんが登場。

帽子、めがね、携帯、時計。。。。。

とにかく全部黄色だった。

虫が寄ってこないか心配。

               

「oh!ジャパニーズ?この愛用の時計G-Shockだよ。探すの大変だったんだから!」

レイバンの黄色フレームめがねとか、特注なのかな?

なぜ、こんなに黄色??

聞くと、彼が命を掛けて愛しているサッカーチームのチームカラーが黄色らしい。

とにかくめちゃめちゃハイテンションの彼。
写真を撮ってくれ、ムービーを撮ってくれとサービス精神(?)も旺盛。

そんな彼の職業は、心理学者。

ハチャメチャなテンションの割には、唄いだすと哀愁たっぷりの故郷の歌というのを
聞かせてくれた。

あー、面白かった、そして美しかった夜のイマーム広場@イスファハン。

そしてこの夜は駐車場で車中泊。

深夜の駐車場にもう一台止まっていた、外国ナンバーのキャンピングカー。

もちろん、ドイツ人です。

2013/07/17

イラン、お袋の味?ゴルメサブジ

さてさて、お母さんと娘と一緒にお昼ごはん作り。

こういう時間というのは、私が旅で一番楽しみにしている時間。

こういう時間が欲しくて旅していると言ってもいいくらい、世界の台所事情を覗き見ることは
とても楽しいことだ。

今日のお昼御飯は「ゴルメサブジ」。

イランで最もポピュラーな家庭料理なんだと思う。
前回お世話になったケルマンシャーのお母さんのところでも出てきたし。

ゴルメサブジは、野菜のシチューで何種類かのハーブとか野菜と豆とお肉を
圧力鍋で煮込む料理。

まずは八百屋さんでどさりハーブを買ってきて、痛んでる葉や汚れを取り除く作業。

5種類ぐらいの葉っぱの中でコリアンダーぐらいしか私はわからなかったけど、
他はイラン独特のセリ科の野菜だったり、ほうれん草のようなものだったり。



この作業をしている間は、もちろん女子トークに花が咲く。(お母さんちょっと英語、娘100%ペルシャ語)

そして、人の噂話に発展し、悪口大会になったりするのは、この国だけの話じゃないはず。

そういえばイラン人も日本人に似た所があって、「本音、建前」みいたいなのがあったりする。
謙遜もするし、遠慮もするし、物を差し出す時は両手を使うのが丁寧だったり。

ほんのちょっとの言い回しや仕草に、共通点が見られる瞬間があって面白い。

この日の悪口の標的は、息子の嫁。

昨日、橋の袂で初めて話しかけてきてくれた、きれいな新妻さんだ。

そして、この家の娘はこの義理の妹が気に入らないらしい。

「なんで嫌いなの?」と聞くと、以前アゴが長いとバカにされたことがあるらしい。

「あいつ、あたしのアゴを貶したのよ。だから言ってやったわよ、このぺチャパイって!」

それからというもの、2人の関係は悪化の一方をたどっているらしい。

ワーッハッハーーーー

もう、どうでもよすぎて面白い、こんなの子供の喧嘩みたいなの。

お母さんは、「もう酷いでしょ、この子ったら」と困った顔をして、私はお嫁さんもかわいいし
あなたの事も好きよと、口の悪い娘をなだめていた。

そうこうしているうち野菜の選別も終わり、娘は化粧品を買いにいくと言って
真っ黒詰めの服に着替えて出かけて行った。

お母さんと私は準備し終わった野菜を切り刻み、ゴルメサブジ作り。

こんな食べ物です。

お袋料理の決定版、ゴルメサブジ

 お肉ホロホロ、レモンが入っていたりして、美味。

これを、イランの美味しいお米と一緒に食べるのだ。

イラン産のお米は高級らしく、一般的にはパキスタンのお米が多く出回ってる
みたいだけど、ここはお金持ちの家なのでね、普段使いのお米もイラン産。

お米は、少しの塩と油とレモン汁を加えて炊くんだけど、最後におこげを作るのがポイントで
このカリカリのおこげが一番美味しいとされ、争奪戦になる。

お米の下にジャガイモを敷いて、それを焦がすなんていうのもある。

私達はゲストだったので、おこげを1番最初に丁寧に分けてもらったけど、それもまた
もてなしの流儀だったりするのかもしれない。

1時ぐらいになり、大学で働く息子や現場に出ていた主人とマークスも戻ってきて、
みんなで楽しいお昼御飯。

ここの息子がそこそこ英語が話せる人で、色々話を聞くことができて面白かった。

主に話していた内容は

「なぜ、あなた達はこんなに金持ちなんですか?」

について。(笑)

えげつなーーーい。

いいの、いいの。
イランの人だってお構いなしに年収いくらかとか、聞いてくるんだから。

まぁ、でもそんなリッチなイラン人にお招きされるのも貴重な体験だった。

みんな気さくで、良い人ばかりだった。


お昼ごはんの後は、おなじみのお昼寝タイム。

そして、最後にお父さんが入れてくたお茶を飲んで、おいとまの時間となる。

あっさり1泊2日のお宅訪問。

こういう風にただただ楽しい時間だけを共有して、サクッっとお別れできるのも、
イランホームステイの素晴らしいところだ。

その後は、またイスファハンの駐車場にもどる。

車を乗り入れると、管理人の兄ちゃんが駆け足で寄ってきた。

「マークーーース!待ってたよ。さっき電話したんだよ、どうしたのかと思って。」

彼は帰りがちょっと遅いのを心配したらしい。

まぁ、電話してくれてもペルシャ語一切わからないから、どうしようもないんだけど、、、

「マークス最高!もう大好き、俺のアニキだもんねー!」

そう言って肩を組むく彼ら。

帰ってきたのがよっぽど嬉しかったらしい。

 私達もそんな彼にまた会えて、とてもうれしかった。

 イスファハン最終日。

夜のイマーム広場のお話に続く。

2013/07/16

宮殿の住人

イスファハンの橋の袂で出会った一家。

深夜12時を過ぎていたけど、お招きいただいたお家がこれまた超豪華な
宮殿のようなお家でびっくりした。

家には彼らの息子2人が王様の腰掛みたいな椅子に座り、超でっかいソニーの
プラズマテレビで映画を見ていた。

いるんだなー、こういうお金持ち。

もうみんな眠いはずなのに、なんか色々食べ物を用意してくれたり、寝床を整えて
くれたりで 、4日も風呂に入ってないみすぼらしい私達を、こんなにも手厚くもてなして
くれて大変恐縮してしまう。

とりあえず私は、こんな時間にまたお腹いっぱいになり、そして久々に熱々シャワーで
すっきりしたあと、爆睡させてもらった。

だから、太るってばよー。。。。

翌朝、家族と一緒に豪華なキッチンのテーブルに座って朝食を頂いた後でおいとましようと
思ったんだけど、お昼ご飯も食べていってと言われたので、マーは宮殿の主と一緒に
仕事に出かけ、私はお母さんと一緒にお昼ご飯を作ることになった。

この宮殿の主は、イランでは高給取りと言われる建設会社の社長で、この宮殿も11年まえに
自分達のデザインで建てたそうである。

宮殿と言っても宮殿仕様であるだけで、写真の部分はリビングルーム。
そのほかはイランの典型的ともいえる家の作りで、リビングルームが家のまんなかに
ドーンとあって、そっから低いカウンターを隔ててすぐにキッチンがあり、そのほかの部屋は
そのリビングからドアを隔てて続いている。

家族、親戚同士の絆を大切にするイラン人にとって、大勢が一度に会せるこういう空間は
家の中で一番大事な場所で、外観がどんなにボロい家でも、この場所だけは例外なく
広々と、整然としていたのが印象的だった。

このお宅はすごすぎるけどね。

たとえば、ドイツで買えば1枚50万円ぐらいする、ナイン産のペルシャカーペットがドーンと
2枚敷いてあったり、家具とかいちいち特注品で豪華だったり。




 そして、こんなお家でも、トイレはイラン式だったりするもんだから、またそのギャップも面白い。

イラン式トイレとは、日本の和式便所みたいなもので、紙の代わりに手で洗浄します。

あまり、想像しないでください。

あ、でもイランではトイレットペーパーを置いてるお家がけっこうありました。

さて、主人達も仕事に出かけ、近所に住む娘もやってきて一緒に昼食の支度をすることに。

年の離れた10歳の息子は、今日は私達がいるからという理由で学校を休んでいた(!)
 ちなみに長男は30歳。

家の中は女性だけになったので、まずはお母さんがスカーフをとる。

娘はなぜか、ピッチピチのセクシーなキャミに着替え、しかも何回かお召し変えをして
化粧も厚くなっていた。

な、なんのアピールですか?

どういうリアクションをしていいのかも分からないので見てみぬふりをしていたら、
彼女のほうから

「ねぇ、この服どう?かわいい?わたしの体って、そんなに悪くないわよねっ。」

とか言って、私のまえでモデルのようにクルっとまわったりする。

ますますどうしていいか分からない。

うーん、その体どう考えても。。。。。という体です、参考までに。
(でもほら、イランでは太ってる女性はいい女性の象徴と言うしね)

そしてお母さんはスカーフとったら、金髪だし。。。。

これがイラン人女性の解放なのかしら?

普段は隠して隠して生活しているわけだから、見せられるチャンスがある時は
超大胆に見せたい。

そういえば、バザールで見る下着屋さんとか、めっちゃめちゃエロくて派手だったし。

お母さんの金髪は、旦那さん達ての願いだったらしく、イヤイヤ髪を染めていた。
はっきり言って、美しい顔が不釣合いな金髪で台無し。

その割りに娘の旦那は物凄く保守的な人で、外ではスカーフも髪の毛が1本も出ない
特別な形のものをかぶっている。

イスラムのルールでも、みんなギリギリの所を攻めて法に触れないように行動しているけど
 結局は一家の主人の一存なんだなーと思った。
(イランでは厚化粧やマニキュアでさえも、取り締まられることがあるそうです)

彼女達の解放的な姿は、例えて言うなら私の住む世界で、友達同士で居るときに
素っ裸で食事しているようなものだ。

それくらい、普段は隠して見てはいけないものを私は見ているような気がして、
なんとなく気まずかった。

そして、主人がマーを連れて突然帰ってきたときの慌てっぷりったらなかった。

お母さんは髪を隠すために、その辺にある台拭き用の小さいタオルを頭にのせて
寝室に駆け込み、娘も外に来ていく黒いマントを被りだした。

そこまでして隠さなきゃいけないんだ。。。。

髪と肌と体のライン。

これらは男性を誘惑するものとして、見せてはいけないことになっているらしいけど
なんか言いがかりに過ぎない気がする。(なんて言ったら怒られそうだけど)

私からすれば、あんなに大きくて美しいイラン人女性の目や、麗しい唇や指先とかの方が
よっぽどそそるでしょーとか思うんだけどな。


そんな家の中でだけ大胆セクシーな彼女達と作った昼食。

そのお話はまた明日。




2013/07/12

イスファハンのお金持ち一家

イスファハン、サーヤンデ川にかかる夕暮れ時のスィーオセ橋。

サーヤンデは命を生み出す川という意味で、枯れた大地に存在するオアシス都市には
なくてはならない貴重な川なんでしょう。




川岸には家族連れやカップルなどが続々とやってきて、ライトアップされた33アーチもある
川の上の橋をおもいおもいに見つめていた。

私達もその辺に座り込んで写真を撮ったりしていると、ある家族連れの若い奥さんが
話しかけてきた。

「Is he your wife?」

いえいえ、彼は私の旦那さんです!

イランではなぜかWifeとHusbandを言い間違える人が多い。

そんな会話から始まり、どこに住んでる、イランはどうだなど色々話していると
一緒にいたお父さんらしき人が、家に来ないかと誘ってくれた。

話していた彼女もそんなに英語が話せるわけじゃなかったけど、お父さんはしきりに
自分の胸を叩き、屋根、ご飯、シャワー、寝るなどのジェシュチャーで必死に訴えてくれる。

「今晩うちに泊まりに来て、シャワーでも浴びてゆっくりしていったら?」

はい、行きます。喜んで!!!!

しかし彼女達は、夜の10時から始まる映画を見に行くので、映画が終わったらまたここで
落ち合って、一緒に家に向かおうということになった。

子連れで、夜10時からの映画。

ほんと、イランの夜は遅いなー。。。

電話番号を交換して、その辺にいた通訳役を買って出てくれたおじさんの助けを借り約束の時間を
決めたあと、さっきから遠目に眺めていた橋の上をあるいてみることにした。



ライトアップされていて、かなりロマンチック橋な通りだこと。

そしておじさんも暇なのか勝手に同行してきて、橋の説明やイスファハンの見所語りを
しながら、一緒にブラブラと散歩した。

彼は昔習った英語を忘れないために、こうやって旅行者に話し相手になってもらっていると
言っていた。

そして、端まで行って半分ぐらい折り返したところで、

「妻が家で待ってますので、そろそろ家に帰ります。楽しい時間をありがとう」

そういってまた人ごみに消えていった。


おじさん、こちらこそ楽しい時間をありがとう!

約束の時間が近づいてきたので、車を取りに駐車場にもどる。

なぜかすっかりマークスになついてる駐車場の管理人の兄ちゃんたちが、ちょっと
さびしそうな顔をしている。

「大丈夫、また明日帰ってくるから、また会おうな!」

そういって駐車場を出て、さっきの一家と無事に落ち合い彼らの家に向かった。

町の中心部から車で10分ぐらいのところ、閑静な住宅街に建つ立派なお家。

夜も12時回ったところで、お招きいただき通されたお家がこちら!



 きゅ、宮殿ですか????


 続

2013/07/11

世界の半分 イマーム広場

イスファハンの観光目玉スポット、イマーム広場。
このぐらいなら、イスラム建築に馴染みがない私でも知っておりました。

ウズベキスタンのサマルカンドのようなところでしょ。。

誰が言ったか知らないが、この広場は「世界の半分」とか「イランの真珠」と言われているそうだ。

確かに美しいが、世界の半分というのは意味がわからない。。。

そこで、それは一体どういう意味なんだろうと帰ってから調べて見た所、分かりやすく説明してる
文を見つけたので、引用させていただく。

-17世紀、サファーヴィー朝のアッバース1世はオアシス都市イスファハンへの遷都を行い、
当時の政治、宗教、経済、文化、学問を集中した王都を建築した。
その都は『コーラン』の天国を模し、アダムとイヴの暮らした楽園を再現する。
人はその繁栄、その華麗を「世界の半分」と評し、その美しさを「イランの真 珠」と讃えた


 そうなんだ。これがコーランに書かれてる天国図なのね。。。。







広場の真ん中には噴水が上がる大きな池があり、びっちりと手入れさた脇の芝生は
きちっと刈り込まれた低木や花壇などで彩られている。

どの角度から見ても建物をさえぎるものがないように、木も植わっていないので
猛暑だったこの日は、芝生の低木の小さな影で暑さをしのいでいる人がたくさんいた。

イラン初の観光地。

そしていましたねー、日本人。

一人は世界一周の旅人で、もう一人はここイスファハンでペルシア語を勉強してる青年。

少し話したんだけど、なぜか日本語がオカシイですと言われてしまった。
ショック。。。。

そしてもっと驚いたのが、日本語がべらっべらのカーペット屋の店員。

広場で客引きをしていて

「ああ、日本人ですね。お美しい。。。
今お茶を入れたばかりなので、私の店で一休みしませんか。ビジネスじゃないです
楽しくおしゃべりしましょう。」

うそつけ、お茶なんていつでも入れてあるくせに!

ま、でも暑くてちょっと休憩したかったので、お店にいってお茶を飲む事に。

お店にいた兄ちゃんもまた日本語がぺらぺらだった。

最初は楽しくおしゃべり、だけどやはりカーペット屋なのでもちろん売りたいらしく
色々と広げて見せようとする。

「買わないよ~、お金ないんだから」

そう私が言うと彼はイヤらしい目つきをして

「ウリマスヨ~」と笑いながら返してきた。

そういうやりとりを何度かして、お互い笑いあう。

なんだか憎めないこの兄ちゃん。

きっと今まで沢山の日本人を鴨にしてきたんだろうな。

「こっちの結び目が硬いほうがね・・・・」とか、普通にさらっと言いのけてしまう。

ズルいでしょー、そんなの。

とにかく日本語が上手なので、これでコロっと買ってしまう人もきっといるんだろう。

そして日本人はお金持ちなので、英語を習うより日本語をマスターしたほうが儲かるとも
言っていた。

カーペットを買わないと分かった店員たちは、次第に私達を放置し始めたので
さっさと店をでることにする。

そしてバザールをウロウロしながら、夜になるのを待つ。
建物の中のバザールは暗くてヒンヤリ
今日の寝床はどうしようか。。。。

久々にあっついお湯が出るシャワーを浴びたかったんだけど、さっき会った日本人に
紹介してもらったホステルはお湯の出がビミョーみたいだし、ハマンは男性専用だし
まさか今日も車中泊ですか?

できれば何処かでゆっくり休みたいなー、なんて思いながらバザールをブラブラしてると
裏露地にひっそりと建っていたホテルを発見。

しかも中庭のあるステキなトラディショナルホテルで、イランの古い建物を改築した
センスの良い佇まい。



しかし残念なことに、ツアー客で2日間は満室だったため、泊まることはできず。。。。

他のホステルを探すとなると、車でまた移動しなきゃいけないし、そんな気力は
もう残っておらず、この日は駐車場で車中泊をすることになった。。。

そしてイマーム広場を後にして、夜に訪れてみたかった場所「スィー・オ・セ橋」にむかう。


新たな出会いが待ってるとも知らず。。。。。




2013/07/10

イスファハンに到着

何日か人目を避けてのんびり旅を続けるが、急に人恋しくなってきた。

そんな時は街に出よう。

イラン3大観光地の一つ、イスファハンに向かう。

この国に来て以来、初めての観光地だ。

イスファハンまでは山道をひたすら走る。

イランの山は木がないはげ山が多いんだけど、むき出しの岩肌とかとてもダイナミックで、
古代の風景を感じる。




そんなところをひたすた走り続け、イスファハンに到着。

街はメチャメチャきれいで、 道端の違法駐車の取り締まりも厳しくほかの街よりは
運転しやすい。

しかーーし!

イラン人の交通マナーというのは、今まで行った事のある国の中でダントツに悪くて
人間は超良い人ばかりなのに、ハンドルを握ると人格が豹変したかのような
酷い運転をする。

たとえば、ウィンカー出さなかったり、3重駐車とか当たり前だし、走行車線を走ってる車が
いきなり止まってバックしてきたり、3車線の幹線道路なんてすぐに5車線にも6車線にもなる。

譲り合い精神というものがなく、早く行ったモン勝ち。

もうメチャクチャ。

ルールがないわけではないと思うけど、そんなの知ったこっちゃないと言わんばかりの
狂ったドライバーが走る道路を、左右前後からバカみたいに逆走してくるバイクやら
飛び出してくる歩行者。

まー、イランでは普通なんだろうけど、外国人は相当な覚悟がいりますよ、運転するの。
もし私が街中で運転したら、3秒で事故る自信がある。

マーだって何度ぶつかりそうになったか。

最初は穏便だった彼も、旅の途中から超アグレッシブなドライバーになってました。
こんなところで、交通ルール守ってたほうが事故起こすわ。

そういう煩わさが街に行くと付きまとうのですが、ホントそれ以外のことはパーフェクトだった
イランです。

さてさて、イスファハン。

車を止めに駐車場に行くと、ドイツナンバーの車を見かける。
そうそう、車でこういうとこ来ちゃうのドイツ人が多いんだよね、、、、って自分達もだけど。

運転のストレスから開放されて、街中にあるキレイな公園で一休み。


イランの公園でよく見かけるアスレチック遊具。日ごろの運動不足を解消。


なんと言う名前か分からないけど、有名っぽい建築物に沢山人が入っていたので
この公園も観光スポットなのかな。。。。?




 すがすがしい、とてもとてもすがすがしい。

手入れが隅々まで行き届いた公園。
まちの中心部にあるとは思えないぐらい、モリモリと緑が茂り、あちこちにきれいな
花が咲いている。
まさに都会のオアシスだ。

ベンチでくつろぐ若者やおじさんも、笑顔で挨拶してくれる。

「Welcome to Iran」

はい、私達ようこそいらっしゃいました美しい国イラン。

もー大好きです!

そんな返事をすると、一層笑顔になる人たち。

あなた達を見てると、こっちまで幸せになります。

公園では何度か女学生集団に囲まれそうになったけど、さらっとかわして腹ごしらえに向かう。

大通りまで出て、食堂を探すが相変わらず何が書いてるのかわからないんだけど、
路地裏に一件食堂らしきものを見つけたので入ってみる。

客が食べてるものを見て食べられそうなものだと分かったので、
席について注文する。


出てきたものはこれ。




ケバブて言えばケバブだけど具がミンチみたいで、ちょっと内蔵系の味がする。
レバー?
ハーブをたくさん乗せて食べると美味。

お店の人にこの料理の名前を紙にかいてもらう。

「ベルヤーニー」

ああああ、知ってるそれ!

旅に出る前に作ったマイガイドブックにメモしてあった、「イスファハンの名物ベルヤーニー」。
サイトかなんかチェックして見つけたんだろうね。

たまたま食べる事ができてよかった~


腹ごしらえのあとは、さっそくイスファハンの目玉スポット
イマーム広場へ。



2013/07/05

イランの大衆料理、「ディージー」アーブグーシュト

山の上のほうに寝床を見つけたあとは、ラーメンなんぞを作り、久々に車中泊の
夜になった。

そして、そんな日に限って大嵐だった。

翌日はケルマンシャーから300キロぐらいのところにある、ハマダーンという町の方まで出る。

有名どころではあるらしいが、そこは素通りして、北に20kmぐらいにある
lalejinという「陶器の町」へ向かう。

この旅で絶対買おうとおもっていた、イランの土鍋「ディージー」。

以前、在日イラン人の台所が載ってる雑誌でこのディージーのことが紹介されているのを
見たことがあり、ずーっと気になっていた。

キレイな翡翠色のぽってりとした鍋だった。




そして、3年越しに夢叶ったり。
私はこの青い色に一目ぼれ。
すでに我が家の土鍋コーナーに仲間入りを果たしました。

冬にこれで煮込み料理なんかしたら、美味しいんだろうなー

この町はケルマンシャーのホジャ爺さんに教えてもらったんだけど、良いとこに来た。
ほかにも色々と食器を買いました。

ちなみにこの壺、約2ユーロです。



お昼時、お腹が空いたのでその辺の食堂に入り、厨房に行って何を売っているのか
見せてもらう。

看板も読めないし、言葉も通じないから、厨房を見せてくれというジェスチャーで
調理を見せてもらい、やっとその店のメニューがわかるというパターン。

そして、そこで作っていたものはコレ!

 ディージィー鍋だ!




これは、小さめの鍋を熱々の鉄板のうえで調理しているところ。

一つ一つ壺で煮込むなんて、粋なことしてるじゃないですか!

出てくる料理はこちら。
肉と豆をトマト味で煮込んだ、アーブグーシュトゥという、大衆料理です。



うーん、出てきたんだけど食べ方がわからない。

多分日本のガイドブックとか持っていたら絶対に説明してあると思うんだけど
そういうものは持っていない。

なので、適当に食べてみる。

すると、その作法がなってなかったのか、後ろに座っていたお客さんが懇切丁寧に
食べ方をおしえてくれた。

まず、壺の中に入っている肉と、浮いている脂身を皿に取り出し、それをスティックでつぶす。

そのあと、壺に残っているスープを加え、ナンをちぎって入れて、ナンがしっとり
してきたら食べる。

そして、スープナンを食べ終わったら、皿の中身をもう一度壺にもどし、それをまたつぶして、
こんどはペースト状にして、ナンにつけながら食べる。

これが、このお客さんがやっていたこだわりの食べ方です。

日本人が、蕎麦を食べるのに薬味を入れたり蕎麦湯を飲んだり、そういう順序があるような
感じですかね。

もし蕎麦屋で外国人が、ざる蕎麦につゆをかけて食べだしたら、そんなの見てみぬフリは
私だったらできません。

そんな感じだっただろうな。
 イランの人が放っておくはずがないのです。

案の定、楽しい食事のあとは家に来ないかと誘われたけど、あと数日は孤独になりたかったので
お断りした。

 ちなみにこの壺も買ってきたんだけど、鍋としてより調味料入れとして重宝しそうです。

そして、この料理のお値段。
Doogh(ヨーグルトドリンク)に、食べるヨーグルト、そして食後のチャイが付いて
1人だいたい1.5ユーロ。

アーブグシュトはチェロウケバブ同様、最もイラン人に親しみのある食べ物。

日本に例えると、ケバブはラーメンで、アーブクシュトが富士そばみたいな感じ。笑
わかります?この値段感覚。
いつでもどこでも食べられて、しかも安くてお腹いっぱい。

あー、富士そば食べたいなぁ~(って、アーブグシュトじゃないのかい!)

2013/07/04

人疲れな世界遺産

ケルマンシャーを去る日。

みんなで記念撮影をして、とうとうお別れすることに。

「この先親身になってくれる人がいても、くれぐれも気をつけてね。
僕らみたいな人じゃなくて、お金目当てで近づく悪いヤツもいるんだから。。。」

大丈夫、その台詞。
お邪魔したお家の人みんなから聞いているから。

 ケルマンシャーなんて、なんでか分からないけど物凄く評判が悪くて、行かないほうが
良いと何人に言われた事か。

だけどこうやって、ステキな出会いがあった。

良い人と悪い人の違いなんて、その人の目を見れば分かるぐらい勘が良くなっている私達。

そう簡単には、引っかかりませんって。


家を出る時、お母さんはスカーフやら服やらパンツやら色々くれようとする。

それならば、使う確率が高いスカーフだけもらっておこうとするが、まあまあそんなに
遠慮しないでと、でっかいパンツ(もちろん未使用)も頂くことになった。笑

携帯のシムカードも頂いて、これでイランでの連絡手段に困る事がなくなった。

 「いつでも戻ってきていいからね、ここは君達のイランの家なんだから。」

 みんなそう言ってくれて、そして、笑顔でお別れした。

 イランではゲストは福を招き入れて、悪を外に出してくれると信じられているそうだ。
彼らの極上ホスピタリティーの所以は、そこにあるのかもしれない。

ああ、楽しかったなーーーー


快適だったなーーー


ご飯美味しかったな・・・・・


しばらくそんな余韻に浸っていたんだけど、町を出るころにはドッと疲れていた。

人疲れ、もてなされ過ぎ疲れ。

この疲れは後の4日間、人目につかない旅をしてやっと癒やすことができた。


さて、もう誰とも話す気力のない私は、ぐったりした頭を窓にもたれさせ、
しばし無言の車内で、思考停止に陥っていた。

マークスもそれを察してか、次に立ち寄ったケルマンシャー郊外にある世界遺産の
聖なる山に到着してからも

「いいよ、無理して来なくても」

と、珍しく放置してくれた。

こんな時は放っておいてくれるのが一番良い。

しかし、車の中で待ってるのもバカバカしいので、全然興味のないところだったんだけど
一緒に行く事にした。

ちなみに入場料、外国人の場合は通常料金の30倍!
二人合わせて60枚のチケットを握り締めて入場することに。

まー、30倍でも3ユーロぐらいなんですけどね。

 全く知識がないので、ここがナンだったのか未だに良く分からないんだけど
なんだかすごい(っぽい)ところだったので、写真アップしておきます。



崖の上のヘラクレスさん。そんなところで全裸で一杯すか?


 
このレリーフが世界遺産。別料金を払わないと見られない。私は登らなかった。



興味のある人は、説明を読んでみてください。





そんな岩壁彫刻より、心惹かれたのがこちらの岩穴。


ネアンデルタール人の骨が見つかった洞穴。なぜかテンションが上がる、ウホ!





そして、洞窟を出たところでまた囲まれるネアンデルタール人日本人。↑

囲まれすぎて、私が見えないでしょ。
下のほうからも、なんだなんだと日本人見たさで続々と上ってくるんだから。

それを上から撮るマークス。

あんたは、楽でいいよ。なぜ、ドイツ人は囲まれない??

だめだ、もう愛想笑いも出来ないや。。。。

逃げるようにして世界遺産を後にし、寝床探しも兼ねて山の上の方へ避難する。

避難ってそんなねぇ。。

災難が降りかかってる訳ではないんだけど、ホントにきついんです。

こういうの大丈夫な人もいるかもしれないけど、わたしはダメだ。

たまにならいいけど、毎度毎度こういう状態になると、サングラスにマスクでもしておこうか
という気持ちになってくる。

・・・・ってあなた、芸能人ですか?



2013/07/03

ケルマンシャーで囲まれる。

次の日の夕方、バザールに出かけるので町まで出る途中、家の近くにある女子高の前で
放課後のおしゃべりに花を咲かせている女子高生集団の前を通りかかる。

この数日で、町を歩けば話しかけられるので、それはもう慣れっこだったんだけど
この日は、日本人だと言っただけで、もう歓声の嵐。

「キャーーーーー、ジャポォォォォーーン、ジャポーーーーーン」

そして、携帯のカメラでバシバシ写真を撮られ、囲まれて撮られ、一人ずつ腕を組んで
撮られ、去って行く後姿まで撮られ・・・・・

どんだけ珍しいんだか。

アイドルってこんな感じなんだろうな。

もう行かなきゃいけないからと、その子達の輪ををササッと抜けて駆け足で去った。
そして、もう一度後ろを振り返ると

「キャーーーーーー、アイ・ラーーービューゥゥゥゥゥーーーーー」

と、追っかけてきて、もう一枚だけお願いと写真を撮られる。

一人が撮りだすと、またみんな追いかけてきて、また囲まれる。

もぉ、行かせておくれよ。。。

悪い気はしないんだけど、ちょっと面倒くさかった。

「フェイスブックには写真のっけないでねー」と最後に言って、なんとかその輪から脱出し
先に歩いて行ってしまったホジャ爺一行に追いついた。

ケルマンシャーのバザール



バザールはなんと言っても夜が一番盛り上がる。

長いお昼休みを終えた店の店主たちが、ようやく5時ごろから店を開け始め
人々も開店にあわせて続々と押し寄せる。

私達は、お母さんと親戚の女の子も一緒に来る事になったので、合計8人の集団になって
人ごみの中をぞろぞろと歩くことになった。

迷子になるのを心配してくれたお母さんは、ずっと手をつないでいてくれた。

この旅でも、やはりカーペットは買うつもりでいて、まぁ偵察がてらに色々な店を見て周る。



ここのバザールはそんなに観光客はこないので、カーペットの値段も私達からしてみたら
とても良心的だった。

だけど、地元のイラン人から言わせると、やはり法外に高いらしい。

そして、外国人プライスがあるという事に皆驚いていた。

この日、買おうかなーと思ったカーペットがあって、値切り合戦をしようと思ってマーと
作戦を練っていた。

買い物するのが常に戦いだったモロッコと比べ、ここイランの商人はいったいどんな商売を
するんだろう?

悪徳アラブの商人と戦う戦術でイラン戦にも望もうとしたが、そもそもそんなに値段を
吊り上げていないらしく、結局駆け引きにもならなかった。

これがもうちょっと有名な観光地だったら、けっこうなバトルになると思うけど
ここではカーペット屋ですら、 正直真面目に商売している。

またまたイランが好きになってしまう瞬間だった。


昔日本で3足買いしたことのあるサンダル。イランのカシュガイ族のものだったとは、つゆ知らず。。。


結局何も買わずに、家に帰る。

夜はまたまたお母さんの美味しい手料理だ。



おなじみチェロウケバブと焼きトマト。
そして、お袋の味?
ゲイメというのはレンズ豆と牛肉の煮込みの上にフライドポテトが乗っています。
それと真ん中のグリーンは、メッチャ酸っぱいピクルス。

上のほうに写っているピッチャーに入った飲み物は「Doogh(ドゥーグ)」いう
ヨーグルトドリンク。
味は、プレーンのヨーグルトを炭酸で割って、それに塩と歯磨き粉を足したような味 笑

きらいな人多いですが、歯磨き粉ないバージョンのは私好きでいつも飲んでました。

明日はそろそろお暇しよう。

毎食毎食美味しいご飯に、楽しいイラン人一家。

言葉も通じるし、家はキレイで快適だし、もうちょっと居たいような気がしたけど
3日間、楽しい出会いのテンションでブワーっとなって、ちょっと疲れてくる。

明日去ることを伝えると、弟の方がものすごーくしょんぼりしてしまって
別れがちょっと辛くなる。

でも、先に行かなくちゃ。。。。。

2013/07/02

ケルマンシャーにて


イラン、イラクの国境に接するケルマンシャー州。

ここにもクルド人が多く暮らし、私達がお世話になった一家もクルド人だったけど
皆ペルシア語を話し、若い世代になるとクルド語より英語のほうがよっぽどうまく
話せるという子もいた。

ちなみにマーメルおじさんの家庭内やその近所、市場での共通言語はクルド語だった。

ゲストが来たからと、特別休暇をもらったナッツ屋の息子2人とホジャ爺、そして
バリバリのアメリカアクセントの英語を話す彼らのいとこと共に、街中にあるイスラムの
集会場へ向かう。








 ターコイズブルーを基調としたイスラム独特の建物。
その壁面には美しいタイルがびっしりと張り巡らされている。

そして、その合間にはイスラムの歴史や習慣などを物語る「絵巻物」ならぬ、「絵タイル」で
これまたびっしりと 覆われている。

こんな時にちゃんと英語が話せるホジャ爺や若者がいてくれてありがたい。
その一つ一つの物語を、みんなちゃんと説明してくれた。

なぜ、剣を持ってるほうが流血???



拷問、地獄の絵図。左端とか超イタイ!




所変われば、この獅子モチーフも変わる。
ちなみにウズベキスタンのはこういうのだった。

いいんだか悪いんだか、上手いんだか下手なのか、、、、


 一通り見終わったあとは、一家が経営するナッツ屋寄って大量買い。
イランはピスタチオの名産地でもあるのです。

 

イランは物価も安いので、ピスタチオも激安かと思いきや、1キロでだいたい9ユーロぐらい。
それでも全然安いけど、 イランの人からすると高級ナッツの部類に入る。
普段はみんな、ひまわりとかかぼちゃの種を食べてます。

ここでは、ナッツ類やレーズン、イランの乾物類など10キロぐらい買った。
試食しすぎて、おなかいっぱいになる。

 さて、おなじみイランの遅い夕食。

お昼ごはんもそうだったんだっけど、ここのお母さんの料理がめちゃめちゃおいしくて
夜ご飯だというのに、品数いっぱいのご飯を作ってくれた。


左はキョフテ。トルコのキョフテとはまた一味ちがう、煮込みキョフテ。
肉団子の中にご飯が詰めてあります。

右はククー。
ほうれん草のようなハーブと卵で出来た、お好み焼きのようなもの。

あとは、スープとかサラダとかいっぱいあって、こんなに豪華な夕食を食べた後は
お茶飲んで、スイカ食べて、寝る。

ハイ、太る~。。。。

イランと言えば、ご飯が不味いとの噂をよく耳にしていたんだけど、家庭料理はメチャ美味しい。
外食産業があまり発達してないのも、おうちごはんが美味しすぎるからなんだと思う。

この日の夜は、ドイツから出てきて初のインターネット。

大き目の町まで来ると、インターネットの普及率がグンと上がる。

しかしサイト閲覧に制限があり、かなりのページを見ることが出来ない。
例えばYoutubeやGoogleなどにもフィルターがかかっていてアクセスできないんだけど
あの手この手を駆使して、彼らは普通にアクセスしていた。

フェイスブックもやってるし、別にアメリカの映画が見られないわけじゃない。

表向きには禁じられてることでも、どうにかこうにか抜け道を見つけてみんな普通に
生活してますよ。

お酒だって、イランでは外国人だって一切飲んじゃいけないことになってるけど、
どうにかこうにかで、ちゃんとあります。
ビールはないけど、ウォッカが闇でよく流通しているらしい。

ちなみにイランは刑罰がものすごーく厳しい国なので、お酒の所持が見つかったら
半年ぐらいの禁固刑が待っています。

飲んでも捕まるのかなぁ?

この旅でも結構すすめられる事が多かったんだけど、面倒な事になってもいやなので
イラン国内では一滴もお酒は飲みませんでした。

晩酌の習慣がある外国人旅行者などには、厳しい国ですね。